永遠の伴侶(改定前)

白藤桜空

文字の大きさ
上 下
26 / 91
道はまだ、交わらない

26

しおりを挟む
 静かな執務室に、トン、トン、トン、と木の板が揃えられていく音が規則正しく流れる。
 勇豪ヨンハオは寝息のようなゆっくりとした呼吸を繰り返しており、顔から手を退ける気配はない。
「……お前との付き合いもそこそこ長くなったな」
 美琳メイリンいぶかしむ。
「急にどうしたんですか」
「いやな、こう、この歳になると少し思うところが増えんだよ」
 勇豪は節くれだった手で体を起こす。
「俺も本来なら後を任せる奴を見つけなきゃならん頃だが、どうにもな。まだ若いもんに負けるつもりはないし、今の軍に俺を超えられる奴もいねぇんだが、万が一ってのもあるし……」
 珍しく美琳が無言で彼の言葉を待つ。
「それに……次のいくさはかなりでかい」
 勇豪はかつてない程真摯な目を向ける。
「だからよ、お前には「お待たせしました」

 勇豪の言葉は浩源ハオヤンの声でき消された。
「おや……邪魔してしまいましたか」
 お盆を持って戻ってきた浩源が、勇豪と美琳を見比べる。
「多分、大丈夫かと」
 そう言った美琳の声色は毛を逆立てた猫を彷彿ほうふつとさせる。
 勇豪は雰囲気が変わったせいですっかり毒気を抜かれ、大きなため息を吐く。そしていつも通りの気取ってない表情に戻ると、ついでに違和感の正体を美琳にこっそりと聞く。
(お前何でそんな浩源を嫌ってるんだ?)
 美琳も小声で返す。
(嫌いというか……あまり会ったことないけど、こう、逆らったら後が怖そうっていうか……)
(ははっ!よく分かったな。あいつ怒らすと怖ぇぞぉ)
 勇豪は彼女にも苦手なものがあったことを知り嬉しそうにする。……が、ふと気づく。
「おいお前、それって俺は怖くねぇってことか?」
「あ。浩源さん、手伝いますよ」
 美琳は勇豪のもの言いたげな目から逃れるために立ち上がる。
 浩源は二人の様子を気に留めることなく彼女の申し出をやんわりと断る。
「大丈夫ですよ。慣れてますから」



 言葉通り、浩源はてきぱきと支度を整えていく。
 執務室備え付けの食卓に盆を置くと、水差しと茶碗を並べていく。
 勇豪は嬉々として食卓につき、美琳は少し離れた位置に座す。
 浩源が水差しを持つ。
 土製の水差しにはぐるりと細かい文様が刻まれており、よく見ると動物たちが駆けているような模様もある。平民の使う、壊れなければ十分、という質素な形の器とはまるで違うおもむきがあった。
 美琳は初めて見た作りの水差しをまじまじと見つめる。
 浩源はこれまた丁寧な装飾が施された茶碗に水を注いでいく。
 その水からは仄かに甘い香りが沸き立ち、三人の鼻腔びこうをくすぐる。
 美琳はその正体がどうしても気になり、浩源に尋ねる。
「それってお酒ですか?それにしては匂いが違うような……」
「ああ、そうか。美琳さんは飲んだことないですよね」
 浩源は得心がいったという顔をすると、ひとまず勇豪に茶碗を差し出す。そしてもう一杯注いで美琳にも茶碗を渡すと、秘密を共有する悪友のような顔で囁く。
「本当は良くないのですが……特別ですよ?」
「えっ、ありがとうございます」
 美琳は予想外の対応をされたことに戸惑いつつも大人しく受け取る。と、器が近づいたことで謎の液体の匂いが強くなる。
「……?どこかで嗅いだことある気が」
「それは桃の果実水ですよ」
「え!桃?!」
 美琳は大きく目を瞠る。
「さすがにこれは飲んじゃダメと思うんだけど……」
「だからなんですよ」



 この国で“桃”という果実は特別な意味を持つ。
『不老不死』の象徴である桃は王侯貴族にしか食べることが許されておらず、中でも王族に献上する桃は専用の樹が育てられてる程に格別の扱いを受けている。
 そして平民が口にすれば重い刑罰が下されるので、貴族以下の身分の者は桃の花と香りしか知らないのが当たり前、そういった存在なのである。
 そんな果実をそのまま食するどころか、水に漬けて飲むなど平民には到底考えられないことだった。



「何かの罠じゃないですよね?」
 困惑しきった美琳の様子を、浩源はにこにこと見つめる。
「ある意味では罠かもしれませんね」
「はぁ?」
 途端、美琳の持ち前の気性の荒さが顔を出す。
「そんなもの誰が飲むっていうの」
「ふふふ、まあそうなりますよね。でも貴女には必要なことかもしれませんよ」
 ますます美琳は眉間に皺を寄せる。
「……次は隣国だけでなく、山向こうの大国も参戦するようです。そこで貴女には…「浩源」
 今度は浩源が言葉を遮られる番であった。
 勇豪は声を発した直後、ぐっと茶碗をあおる。
 果実水を飲み干すと、美琳にも飲むように促す仕草をする。



 美琳メイリンは二人の意図が全く分からなかった。でも勇豪ヨンハオが“良い”と言うなら大丈夫なのだろう。
「じゃあ……」
 こく、っと遠慮がちに一口飲むと、初めて味わう甘くて爽やかな味が口の中いっぱいに広がる。
 普段、勇豪の前では仏頂面なことが多い美琳もこの時ばかりは花が零れ落ちそうな笑みを浮かべる。
「そうか、美味いか」
 勇豪も日頃とは比べ物にならない、柔らかい表情になる。そこには子供を見守る父親のような愛情が垣間見えた。
「もし、お前が……」
 少し迷うような口振りで勇豪は話し始める。
「もしお前が、王の……文生ウェンシェン様の後宮に入れりゃこんくらいは毎日のように口に出来るようになる。だからまあ、今の内に味くらいは知っておいて損はないだろ」
「!もし、じゃない。絶対に行く」
「ははッ!そうだったな。だが俺だって、一応はお前が動きやすくなるようにしてやっただろう?」
 勇豪は指を折りながら“軍に入れた”“戦い方を教えた”“護衛兵に引き立てた”と数え上げる。
「全部あなたにとって都合が良かっただけでしょ」
「それは否定出来んな!」
 勇豪は大きな笑い声を立て、空になっていた茶碗を食卓に置く。そして美琳の頭を軽く撫でると、文机に戻って何事もなかったように木簡もっかんに向き直る。

 ここ数か月で徐々に増えていたを美琳は甘受するようになっていた。だからこそ、いつもと違った勇豪の様子に気づいていた。
 でも、それが何だって言うのだろう。
 文生に何か起こった訳ではないようだし、ただ大きな戦があるというだけで何故二人はこんなにも違った様子になるのか。
 美琳は理解出来なかった。唯一つ、手に持つ水が極上の味であること以外は。
「さて。護衛長もやる気になってくれましたし、美琳さんもそれを飲みきったらまた続きを手伝ってくれますか?」
「え、あ、はい」
 美琳は慌てて一気に茶碗の中身を飲み干す。
 そこでふと気づく。
 飲んだところで『喉が潤う』訳ではないのに、初めて『もっと飲みたい』といった心持ちになった自分がいることに。
「……まだ残っているので、もう少し飲みますか?」
 浩源が美琳に申し出ると、彼女は大変嬉しそうに頷いた。
 先刻までの警戒した様子と打って変わった少女の様子に浩源は微笑む。
 もう一度茶碗を果実水で満たして差し出す。美琳が嬉々として受け取ろうと近づいた瞬間、彼女の耳元に囁く。
(次の戦では庶人出身の兵で活躍した人を士*に取り立てる予定らしいですよ)
 美琳は大きく目を見開く。
(まだ他の兵には内緒にしてくださいね)
 と言い残すと、浩源は素早く身を離して水差しを食卓に置く。
「ね?言った通りでしょう?だって」
 浩源の線を引いたように細い目からは瞳が見えない。
 だが美琳は彼の表情などどうでも良かった。
(次こそ、次こそ近づけるのね?)
 少女の茶碗を持つ手に力が入る。
 浩源は満足気な表情で自分の文机に戻り、勇豪と同じように作業に戻る。

「美琳。時間がねぇんだ。飲み終わったらさっさとやれ」
「ん、分かった」
 美琳は最後の一口を美味しそうに飲み干す。
 そして彼女が浩源に指示を仰ごうとしたそのとき。"ああそうだ"と勇豪が呟く。
「浩源、明日から合間見て美琳に文字を教えておいてくれ」





 *士…貴族階級の名称。士は貴族の中では最下級であり、政治には関与出来ない身分である。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

古代ローマの英雄スキピオの物語〜歴史上最高の戦術家カルタゴの名将ハンニバル対ローマ史上最強の男〜本物の歴史ロマンを実感して下さい

秀策
歴史・時代
 歴史上最高の戦術家とされるカルタゴの名将ハンニバルに挑む若者の成長物語。紀元前二一九年、ハンニバルがローマの同盟都市サグントゥムを攻撃したのをきっかけに、第二次ポエニ戦争が始まる。ハンニバル戦争とも呼ばれるこの戦争は実に十八年もの長き戦いとなった。  アルプスを越えてローマ本土を攻撃するハンニバルは、騎兵を活かした戦術で次々とローマ軍を撃破していき、南イタリアを席巻していく。  一方、ローマの名門貴族に生まれたスキピオは、戦争を通じて大きく成長を遂げていく。戦争を終わらせるために立ち上がったスキピオは、仲間と共に巧みな戦術を用いてローマ軍を勝利に導いていき、やがて稀代の名将ハンニバルと対峙することになる。  戦争のない世の中にするためにはどうすればよいのか。何のために人は戦争をするのか。スキピオは戦いながらそれらの答えを追い求めた。  古代ローマで最強と謳われた無敗の名将の苦悩に満ちた生涯。平和を願う作品であり、政治家や各国の首脳にも読んで欲しい!  異世界転生ご都合歴史改変ものではありません。いわゆる「なろう小説」ではありませんが、歴史好きはもちろんハイファンタジーが好きな方にも読み進めやすい文章や展開の早さだと思います。未知なる歴史ロマンに触れてみませんか?   二十話過ぎあたりから起承転結の承に入り、一気に物語が動きます。ぜひそのあたりまでは読んで下さい。そこまではあくまで準備段階です。

満州国馬賊討伐飛行隊

ゆみすけ
歴史・時代
 満州国は、日本が作った対ソ連の干渉となる国であった。 未開の不毛の地であった。 無法の馬賊どもが闊歩する草原が広がる地だ。 そこに、農業開発開墾団が入植してくる。 とうぜん、馬賊と激しい勢力争いとなる。 馬賊は機動性を武器に、なかなか殲滅できなかった。 それで、入植者保護のため満州政府が宗主国である日本国へ馬賊討伐を要請したのである。 それに答えたのが馬賊専門の討伐飛行隊である。 

獅子の末裔

卯花月影
歴史・時代
未だ戦乱続く近江の国に生まれた蒲生氏郷。主家・六角氏を揺るがした六角家騒動がようやく落ち着いてきたころ、目の前に現れたのは天下を狙う織田信長だった。 和歌をこよなく愛する温厚で無力な少年は、信長にその非凡な才を見いだされ、戦国武将として成長し、開花していく。 前作「滝川家の人びと」の続編です。途中、エピソードの被りがありますが、蒲生氏郷視点で描かれます。

JKがいつもしていること

フルーツパフェ
大衆娯楽
平凡な女子高生達の日常を描く日常の叙事詩。 挿絵から御察しの通り、それ以外、言いようがありません。

正しい歴史への直し方 =吾まだ死せず・改= ※現在、10万文字目指し増補改訂作業中!

城闕崇華研究所(呼称は「えねこ」でヨロ
歴史・時代
二度の世界大戦を無事戦勝国として過ごすことに成功した大日本帝国。同盟国であるはずのドイツ第三帝国が敗北していることを考えたらそのさじ加減は奇跡的といえた。後に行われた国際裁判において白人種が今でも「復讐裁判」となじるそれは、その実白人種のみが断罪されたわけではないのだが、白人種に下った有罪判決が大多数に上ったことからそうなじる者が多いのだろう。だが、それはクリストバル・コロンからの歴史的経緯を考えれば自業自得といえた。 昭和十九年四月二日。ある人物が連合艦隊司令長官に着任した。その人物は、時の皇帝の弟であり、階級だけを見れば抜擢人事であったのだが誰も異を唱えることはなく、むしろその采配に感嘆の声をもらした。 その人物の名は宣仁、高松宮という雅号で知られる彼は皇室が最終兵器としてとっておいたといっても過言ではない秘蔵の人物であった。着任前の階級こそ大佐であったが、事実上の日本のトップ2である。誰が反対できようものか。 そして、まもなく史実は回天する。悪のはびこり今なお不正が当たり前のようにまかり通る一人種や少数の金持ちによる腐敗の世ではなく、神聖不可侵である善君達が差配しながらも、なお公平公正である、善が悪と罵られない、誰もに報いがある清く正しく美しい理想郷へと。 そう、すなわちアメリカ合衆国という傲慢不遜にして善を僭称する古今未曾有の悪徳企業ではなく、神聖不可侵な皇室を主軸に回る、正義そのものを体現しつつも奥ゆかしくそれを主張しない大日本帝国という国家が勝った世界へと。 ……少々前説が過ぎたが、本作品ではそこに至るまでの、すなわち大日本帝国がいかにして勝利したかを記したいと思う。 それでは。 とざいとーざい、語り手はそれがし、神前成潔、底本は大東亜戦記。 どなた様も何卒、ご堪能あれー…… ああ、草々。累計ポイントがそろそろ10万を突破するので、それを記念して一度大規模な増補改訂を予定しております。やっぱり、今のままでは文字数が余り多くはありませんし、第一書籍化する際には華の十万文字は越える必要があるようですからね。その際、此方にかぶせる形で公開するか別個枠を作って「改二」として公開するか、それとも同人誌などの自費出版という形で発表するかは、まだ未定では御座いますが。 なお、その際に「完結」を外すかどうかも、まだ未定で御座います。未定だらけながら、「このままでは突破は難しいか」と思っていた数字が見えてきたので、一度きちんと構えを作り直す必要があると思い、記載致しました。 →ひとまず、「改二」としてカクヨムに公開。向こうで試し刷りをしつつ、此方も近いうちに改訂を考えておきます。

大陰史記〜出雲国譲りの真相〜

桜小径
歴史・時代
古事記、日本書紀、各国風土記などに遺された神話と魏志倭人伝などの中国史書の記述をもとに邪馬台国、古代出雲、古代倭(ヤマト)の国譲りを描く。予定。序章からお読みくださいませ

博学英才の【太子】と、【日御子】の超常能力を受け継いだ【刀自古姫御子】

古代雅之
歴史・時代
  3世紀に崩御した倭国女王・日御子(卑弥呼)の直系子女である【蘇我刀自古郎女】と不世出の博学英才の【厩戸王太子】の波乱万丈の恋を主軸に、飛鳥時代を生き生きと描いた作品である。   先ず、蘇我本宗家の人々は、王権を簒奪しようとして暗殺された蘇我入鹿(日本書紀)に代表される世紀の大悪人ではなく、新進気鋭の革新的改革者であった、との【説】に基づいての物語でもある。 また、随所に、正史とされる「日本書紀」の記述とは異なる見解になっている事もご理解願いたい。 【馬子】は【馬子にも衣装】の馬子ではなく、【騎馬一騎は歩兵十数人を蹴散らす】の馬であり、現代の【自家用垂直離着陸機】に匹敵する尊称だと云われている。 同様に、【厩戸】は江戸時代の【馬小屋】ではなく、飛鳥時代の【自家用垂直離着陸機格納庫】のイメージとお考えいただきたい。  それに、敢えて、この飛鳥時代を撰んだのは、あまりにも謎が多いからである。 最も顕著な謎は、643年の【斑鳩宮襲撃事件】であろう! 『日本書紀』によると、何故か、【斑鳩宮】に【故太子】の夫人達、子供達、その孫達(総計100人以上!?)が集結し、僅か百人余の兵に攻められ、一族全員が、荒唐無稽な自害に追い込まれた・・・とある。  仮に、一つの【説】として、「【法隆寺】に太子とその一族が祀られているのではないか!?」と云われるのなら、【山背大兄王】とは単なる【その一族の一人】に過ぎない小物なのだろうか?否!模した仏像の一体位はあって然るべきなのではないだろうか!?  いずれにせよ、【山背大兄王】のみならず、【蘇我入鹿】、【皇極大王】、【高向王】や【漢御子】までもが謎だらけなのである。 この作品の前半は【太子】と【刀自古妃】が中心となり、後半は【刀自古妃(尊光上人)】と孫の【大海人王子】が中心となり、【天武天皇即位】までが描かれている。

地縛霊に憑りつかれた武士(もののふ))【備中高松城攻め奇譚】

野松 彦秋
歴史・時代
1575年、備中の国にて戦国大名の一族が滅亡しようとしていた。 一族郎党が覚悟を決め、最期の時を迎えようとしていた時に、鶴姫はひとり甲冑を着て槍を持ち、敵毛利軍へ独り突撃をかけようとする。老臣より、『女が戦に出れば成仏できない。』と諫められたが、彼女は聞かず、部屋を後にする。 生を終えた筈の彼女が、仏の情けか、はたまた、罰か、成仏できず、戦国の世を駆け巡る。 優しき男達との交流の末、彼女が新しい居場所をみつけるまでの日々を描く。

処理中です...