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少年は王宮という名の牢獄へ、少女は軍という名の地獄へ
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それからの美琳は兵士らしい、訓練に明け暮れる日々を過ごした。
勇豪が非番の日には必ず教えを受け、めきめきと上達していった。
美琳の成長速度は勇豪も目を見張る程で、その日に出来なかったことが翌日にはこなせるようになる、なんてのはザラだった。
半年も経つと、月に一度の試合で目覚ましい活躍をし始める。階級の低い隊長ならば肩を並べる程まで成長し、軍の誰もが美琳を実力者として認めていた。
もう誰も美琳をか弱い少女とは思っておらず、むしろ彼女に負けてたまるかと練習に励む者が増え始める有様だった。
その頃になると、美琳は市井を見廻る仕事を任されるようになった。
美琳は革鎧を着て先輩兵士と二人で市中に出た。
町ゆく人々は兵士らに会釈してそそくさと立ち去ろうとし、はたと違和感を覚える。
いつもの見慣れた兵士たちは、骨太で、肌は真っ黒に焼け、着物から除く手は傷跡だらけなはずだ。だがとある兵士は、華奢で、肌は白く、傷一つないまっさらな手だった。
彼、いや彼女こそ、王一行の行列で見た少女ではないか。
人々はまたも驚くことになった。
戦のある時分を除いて、都城の治安を守るのはある程度の熟練者に任されることになっている。そのことは市井の人々にも知れ渡っていた。
つまりその少女の実力は折り紙付きであるということだ。ならば王が見初めたのは彼女の美貌ではなく、その強さなのだろうか。けれど彼女のまっさらな手はとても軍の人間とは思えない。
人々はただでさえ少女のことに興味津々だったのに、ますます彼女の話題で盛り上がることになった。
事実、少女は強かった。
酔っぱらって暴れる者や、喧嘩で周囲を巻き込む者たちを素早く鎮圧させ、盗みを働いた者は的確に捕縛する。
その細腕のどこにそんな力が、と人々に思わせた。
事件があった後の少女の対応も話題となった。
「おじさん、あの後あいつらはもう来てませんか?」「おばさん、もう店の壁は直りましたか?」
そう優しく声をかけてくれるのだ。
他の兵士たちは決してそんなことはしない。たとえ自分たちが壊した物でも、自分たちが守ってやったのだから何を文句があるのか、と素知らぬ顔だ。
民衆は、少女の可憐な姿と心優しい立ち振る舞いにすっかり心を射抜かれた。
いつしか「美琳ちゃん」と呼び慕うようになった。
彼女が巡回していれば気軽に声をかけ、王宮に戻ろうとしているときには何か食べ物を差し入れする。
民と美琳はすっかり打ち解けた仲になり、軍でも有名になる程だった。
勇豪は部下、浩源から聞いた美琳の様子に、思わず「本当にあいつの話か?」と聞き返した。
「なんで嘘を言う必要があるんです?今じゃ美琳さんのことは兵士だけでなく庶人、商人にまで知らぬ者はいないってくらい評判なんですよ」
「まぁそうだよな。お前がわざわざ嘘つく訳ねぇもんな」
宮殿の最下層にある一室で、勇豪は浩源と雑務をこなしながらそんなやりとりをしていた。
この浩源という男は、武術の腕前はそこそこだが隊をまとめたり物資の管理などに長けていた。補佐役として勇豪が信頼を置いている実直な男で、人の評価を偽るはずがなかった。
「最初は、そこまでする必要がどこに?と思ってましたけど、彼女が民の信頼を得てくれたおかげで見廻りがしやすくなったようでして。前までは何かあっても話しかけて来ない者が多かったのに、最近はどこそこで騒ぎが起こってるってのをすぐ報告しに来てくれるそうですよ」
「そりゃ確かにやりやすいわな」
「ええ。軍として威厳は保つべきですが、そのせいで治安が維持できないというのは本末転倒ですからね」
そう言いながら浩源が両腕で抱える程の木簡*を勇豪の前にある机に置き、勇豪は苦虫を噛んだ顔をする。
「おい、それ全部今日中なのか?」
浩源の黒目が僅かにしか見えない細い目がさらに細まる。
「もちろん。これも大事な仕事ですよ?護衛長?」
「こッ……こんぐらいお前ならパパーっと終わんだろ?な、俺の代わりにやっておいてくれよ、その間は訓練場で兵士ら鍛えてくるからさ」
勇豪が部屋を抜け出そうと椅子から立ち上がったのを、浩源が立ち塞ぐ。
「駄目ですよ。これは貴方の仕事なんですから、ちゃんと目を通してください。王のためでもあるんですよ?」
「うむ……」
勇豪は大きな体を叱られた子供のように縮め、大人しく座り直す。
「ウェンシェ……王だって、努力してんだもんな。俺だってこのくらいやんなきゃだよな」
「そうですよ。始めは文字の読み書きから始めたというのに、今では経書を難なく読むそうじゃないですか。その点貴方は本気を出せば私より早く読めるんですから、そうやって怠けようとしないでくださいよ」
「つッてもよぉ、読めるのと得手不得手は別だろ?兵書とかならいくらでも読んでられるんだが、こういう在庫管理やら人員配備やらは見てると眠くなってな」
「はいはい、それは私も承知ですが、護衛長が決めないといけないところだけはやってくださいね。細かい詰めは私がやりますので」
「お、ゴネてみるもんだな」
「……そろそろ帰らないと妻が怒りそうなので、私は失礼を……」
「待て待て待て、悪かった、すぐやるから、な!」
勇豪は慌てて机にかぶりつく。
浩源はため息をついて勇豪が確認をした木簡に目を通すのであった。
二人で黙々と作業していると、ふいに浩源がぼそりと呟く。
「隣国で動きがあったようです。戦は間近でしょうね」
勇豪はニィっと笑みを浮かべる。
「らしいな。この武器の補充量、まず間違いないだろう」
「現王が帰還されてからは初戦ですね。負ける訳にはいきません」
「そうだな。だが、あいつがいるんだからいつもよりはやりやすいだろ」
「……美琳さんの回復力、というんですかね、アレって無限なのですか?」
「あいつ曰くそうみたいだな。お前には話した気がするが、村で黒焦げになってもその後ピンピンしてたからな」
カカッと勇豪は笑う。
浩源は木簡から目を離すことなく、眉を八の字にして答える。
「未だにそればかりは信じられなくて……でも普段の様子からするに、戦場でも活躍しそうですね」
「だろ?最初は面倒なもんがくっついて来たと思ったが、思ったよりも上達早かったし、あいつがいれば兵の補充を考えなくて済むしな!」
「ええ、それもありますが……あ、護衛長、手は止めないでくださいね」
「チッバレたか」
話しながら机から顔を上げていた勇豪を、浩源は目敏く咎める。
勇豪は「早く体動かしてぇ……」とぶつくさ言いながらも、木簡に向き直る。
浩源はため息を一つつくと、言葉の続きを心の中で一人続ける。
(確かに、あの特異な体は彼女の強みだ。けれどそれ以上に、彼女には恐怖心がない。それこそが強さに繋がっている気がする)
浩源が次の木簡を手に取ると、兵士名簿だった。
目線を移していくと、軍史上初の女兵士の名の下に『一番手』と記載されている。さらに進むと勇豪に『誤謬無』と書き込まれている。
その名簿は戦が始まる前に必ず確認される。戦が終わったときに兵士の生死を確認するためだ。
生き延びた者の名はそのままに、死んだ者の名は木簡から削り取って、新兵の名を上から書き足す。
ゆえに『一番手』の名は最も削られ、他の箇所より摩耗が激しい。
(でも、彼女は無傷のままなのだろうな)
へこんだ箇所に書かれた美琳の名をしばし見つめた浩源は、確認済みの木簡の山にその名簿も載せた。
*木簡…この国では製紙技術がなく、書をしたためるのはもっぱら木で作られた板である。誤字を直すのには板を直接削り取る手法が使われた。
勇豪が非番の日には必ず教えを受け、めきめきと上達していった。
美琳の成長速度は勇豪も目を見張る程で、その日に出来なかったことが翌日にはこなせるようになる、なんてのはザラだった。
半年も経つと、月に一度の試合で目覚ましい活躍をし始める。階級の低い隊長ならば肩を並べる程まで成長し、軍の誰もが美琳を実力者として認めていた。
もう誰も美琳をか弱い少女とは思っておらず、むしろ彼女に負けてたまるかと練習に励む者が増え始める有様だった。
その頃になると、美琳は市井を見廻る仕事を任されるようになった。
美琳は革鎧を着て先輩兵士と二人で市中に出た。
町ゆく人々は兵士らに会釈してそそくさと立ち去ろうとし、はたと違和感を覚える。
いつもの見慣れた兵士たちは、骨太で、肌は真っ黒に焼け、着物から除く手は傷跡だらけなはずだ。だがとある兵士は、華奢で、肌は白く、傷一つないまっさらな手だった。
彼、いや彼女こそ、王一行の行列で見た少女ではないか。
人々はまたも驚くことになった。
戦のある時分を除いて、都城の治安を守るのはある程度の熟練者に任されることになっている。そのことは市井の人々にも知れ渡っていた。
つまりその少女の実力は折り紙付きであるということだ。ならば王が見初めたのは彼女の美貌ではなく、その強さなのだろうか。けれど彼女のまっさらな手はとても軍の人間とは思えない。
人々はただでさえ少女のことに興味津々だったのに、ますます彼女の話題で盛り上がることになった。
事実、少女は強かった。
酔っぱらって暴れる者や、喧嘩で周囲を巻き込む者たちを素早く鎮圧させ、盗みを働いた者は的確に捕縛する。
その細腕のどこにそんな力が、と人々に思わせた。
事件があった後の少女の対応も話題となった。
「おじさん、あの後あいつらはもう来てませんか?」「おばさん、もう店の壁は直りましたか?」
そう優しく声をかけてくれるのだ。
他の兵士たちは決してそんなことはしない。たとえ自分たちが壊した物でも、自分たちが守ってやったのだから何を文句があるのか、と素知らぬ顔だ。
民衆は、少女の可憐な姿と心優しい立ち振る舞いにすっかり心を射抜かれた。
いつしか「美琳ちゃん」と呼び慕うようになった。
彼女が巡回していれば気軽に声をかけ、王宮に戻ろうとしているときには何か食べ物を差し入れする。
民と美琳はすっかり打ち解けた仲になり、軍でも有名になる程だった。
勇豪は部下、浩源から聞いた美琳の様子に、思わず「本当にあいつの話か?」と聞き返した。
「なんで嘘を言う必要があるんです?今じゃ美琳さんのことは兵士だけでなく庶人、商人にまで知らぬ者はいないってくらい評判なんですよ」
「まぁそうだよな。お前がわざわざ嘘つく訳ねぇもんな」
宮殿の最下層にある一室で、勇豪は浩源と雑務をこなしながらそんなやりとりをしていた。
この浩源という男は、武術の腕前はそこそこだが隊をまとめたり物資の管理などに長けていた。補佐役として勇豪が信頼を置いている実直な男で、人の評価を偽るはずがなかった。
「最初は、そこまでする必要がどこに?と思ってましたけど、彼女が民の信頼を得てくれたおかげで見廻りがしやすくなったようでして。前までは何かあっても話しかけて来ない者が多かったのに、最近はどこそこで騒ぎが起こってるってのをすぐ報告しに来てくれるそうですよ」
「そりゃ確かにやりやすいわな」
「ええ。軍として威厳は保つべきですが、そのせいで治安が維持できないというのは本末転倒ですからね」
そう言いながら浩源が両腕で抱える程の木簡*を勇豪の前にある机に置き、勇豪は苦虫を噛んだ顔をする。
「おい、それ全部今日中なのか?」
浩源の黒目が僅かにしか見えない細い目がさらに細まる。
「もちろん。これも大事な仕事ですよ?護衛長?」
「こッ……こんぐらいお前ならパパーっと終わんだろ?な、俺の代わりにやっておいてくれよ、その間は訓練場で兵士ら鍛えてくるからさ」
勇豪が部屋を抜け出そうと椅子から立ち上がったのを、浩源が立ち塞ぐ。
「駄目ですよ。これは貴方の仕事なんですから、ちゃんと目を通してください。王のためでもあるんですよ?」
「うむ……」
勇豪は大きな体を叱られた子供のように縮め、大人しく座り直す。
「ウェンシェ……王だって、努力してんだもんな。俺だってこのくらいやんなきゃだよな」
「そうですよ。始めは文字の読み書きから始めたというのに、今では経書を難なく読むそうじゃないですか。その点貴方は本気を出せば私より早く読めるんですから、そうやって怠けようとしないでくださいよ」
「つッてもよぉ、読めるのと得手不得手は別だろ?兵書とかならいくらでも読んでられるんだが、こういう在庫管理やら人員配備やらは見てると眠くなってな」
「はいはい、それは私も承知ですが、護衛長が決めないといけないところだけはやってくださいね。細かい詰めは私がやりますので」
「お、ゴネてみるもんだな」
「……そろそろ帰らないと妻が怒りそうなので、私は失礼を……」
「待て待て待て、悪かった、すぐやるから、な!」
勇豪は慌てて机にかぶりつく。
浩源はため息をついて勇豪が確認をした木簡に目を通すのであった。
二人で黙々と作業していると、ふいに浩源がぼそりと呟く。
「隣国で動きがあったようです。戦は間近でしょうね」
勇豪はニィっと笑みを浮かべる。
「らしいな。この武器の補充量、まず間違いないだろう」
「現王が帰還されてからは初戦ですね。負ける訳にはいきません」
「そうだな。だが、あいつがいるんだからいつもよりはやりやすいだろ」
「……美琳さんの回復力、というんですかね、アレって無限なのですか?」
「あいつ曰くそうみたいだな。お前には話した気がするが、村で黒焦げになってもその後ピンピンしてたからな」
カカッと勇豪は笑う。
浩源は木簡から目を離すことなく、眉を八の字にして答える。
「未だにそればかりは信じられなくて……でも普段の様子からするに、戦場でも活躍しそうですね」
「だろ?最初は面倒なもんがくっついて来たと思ったが、思ったよりも上達早かったし、あいつがいれば兵の補充を考えなくて済むしな!」
「ええ、それもありますが……あ、護衛長、手は止めないでくださいね」
「チッバレたか」
話しながら机から顔を上げていた勇豪を、浩源は目敏く咎める。
勇豪は「早く体動かしてぇ……」とぶつくさ言いながらも、木簡に向き直る。
浩源はため息を一つつくと、言葉の続きを心の中で一人続ける。
(確かに、あの特異な体は彼女の強みだ。けれどそれ以上に、彼女には恐怖心がない。それこそが強さに繋がっている気がする)
浩源が次の木簡を手に取ると、兵士名簿だった。
目線を移していくと、軍史上初の女兵士の名の下に『一番手』と記載されている。さらに進むと勇豪に『誤謬無』と書き込まれている。
その名簿は戦が始まる前に必ず確認される。戦が終わったときに兵士の生死を確認するためだ。
生き延びた者の名はそのままに、死んだ者の名は木簡から削り取って、新兵の名を上から書き足す。
ゆえに『一番手』の名は最も削られ、他の箇所より摩耗が激しい。
(でも、彼女は無傷のままなのだろうな)
へこんだ箇所に書かれた美琳の名をしばし見つめた浩源は、確認済みの木簡の山にその名簿も載せた。
*木簡…この国では製紙技術がなく、書をしたためるのはもっぱら木で作られた板である。誤字を直すのには板を直接削り取る手法が使われた。
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