永遠の伴侶

白藤桜空

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花は根に、鳥は古巣に帰る

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 空にかかる薄雲に、紅紫こうし色が侵食する。それは目を覚まそうとしていた星々すら呑み込み、紫黒しこくしょくへと導かんとしている。
 冬支度を始めた森のそば近くでは、ガンシュウ、そしてフェンの三か国が入り乱れて争っている。
 十万近い兵たちは平野を駆け、の矢が四方八方に飛び交う。枯れ始めの草原の上には真っ赤な飛沫しぶきが咲き、ぬかるんでいる地面では死体がかさんでいく。
 命と命を削り合う、一進一退の攻防が日々繰り返され、気付けば戦が始まってから三か月が経っていた。
 長きにわたる泥沼の戦いは、兵士たちの体を疲弊ひへいさせ、心を空模様と同化させていった。
「全軍! 撤退!」
「こちらも下がるぞ!」
 指揮官たちの声が響く。その声を合図に、兵たちは息も絶え絶えに自陣へ走り帰るのであった。

 夜が戦場を覆い尽くした頃。
 剛陣営のとある天幕から松明たいまつの明かりが漏れている。
 その中には華美な鎧を着た男と、白髪混じりの髭を生やした体格の良い男、そして血色の悪い瓜実顔うりざねがおの男の三人が集まっていた。
 鎧の男は様々な文様のあしらわれた椅子に座り、残り二人は地面に胡坐あぐらをかいて座っている。と、髭面の男――永祥ヨンシャンが座上の男に話しかける。
「王が即位されてからは初戦でございますが……。戦の御感想は如何いかがですかな?」
 永祥に呼ばれた男は肘掛けに頬杖を突き、大きな溜息をく。
「まったくもって面白くないの。こうも同じ状況が続くと、なんの刺激にもならん」
「ふ……はははは!」
 永祥は豪胆に笑う。
「そうでしょうな! いやはや、面目次第もございませぬ」
 笑みを崩さぬまま言う永祥に、瓜実顔の男――雪峰シェンフォンが声を上げる。
「笑っておる場合か! このままではただ兵たちを消耗するだけではないか! 負け戦をしに来た訳ではないのだぞ!」
「まあまあ、落ち着かれよ雪峰殿。お主はいつも性急すぎる」
 永祥は耳の穴をほじりながら言う。
「例の物がそろそろ届く頃合いよ。そう心配するでない」
「……! お主は……いつも報告が遅い。戦のときと同じくらい早く動けぬのか?」
「こればかりは致し方なかろう。あれ・・は移動に時間がかかる故な」
「ふッ。それもそうだな」
 口角を吊り上げた雪峰につられて、王もほくそ笑む。
「遅れてやってくるからこそ、有難味が増すというものよ」
 三人は揃って笑い出す。その声は天幕の外まで響くのであった。

 薄い雲が早い風に流されていく。その隙間から朝陽がにじみ出す。
「おお、今日は綺麗さ晴れでぐれそうだね。泥で足がどられねぁで済みそうだ」
 修陣営には、全身に泥と血がこびりついた忠山ゾンシャンが立っていた。
 彼はまぶしそうに目を細めながら空を見上げている。彼の隣にいる勇豪ヨンハオも、あかね色を手で遮りながら笑みを浮かべる。
「そうだな。これでこの寒ささえなけりゃ最高なんだがな」
 ぶるり、とわざとらしく体を震わせる勇豪。その仕草に忠山は吹き出す。
「あはは! 確がにそうだね。こんた日は水仕事だげはしたぐねぁね」
「そりゃ間違いねぇや」
 勇豪が生真面目な口振りで言うと、忠山はますます笑う。そんな二人の笑顔は、薄汚れた姿であることを忘れさせた。
 一頻ひとしきり笑い合った後。つと、勇豪は剛陣営の方をじっと見つめ、眉根を寄せる。忠山は急に笑みの消えた勇豪を不審がる。
「勇豪様、どうがしたが?」
「…………やっぱり今日は荒れるかもしんねぇな」
「え? あんたに晴れでらのに?」
「あそこ、見てみろ」
「……?」
 忠山は勇豪が指を指している方を見る。と。
「な、なんだがあれ?」
 彼らの視線の先。あさもやの中には、巨大な影が霞んでいるのであった。
 ――うわぁぁッ!
 悲鳴が耳をつんざく。
 ――ドスン。ドスン。
 という地響きが鳴ると同時に、血溜まりが地面に広がる。
 剛によって新たに持ち込まれた大型兵器――投石機。文字通り巨大な岩を戦場に放り込むそれは、弩の力で拮抗きっこうしていた戦況を大幅に変える力を持っていた。
「チッ! やっぱりおかしいと思ったんだ……!」
 勇豪は舌打ちをしながら前線を駆ける。彼は質素な革鎧であるというのを忘れたように、巨岩の吹きすさぶ嵐の真っ只中を突き進む。その後ろでまた数人、肉塊と成り果てる。
「ッたく、あんなもん隠してやがったなんてなッ!」
 悪態をきながら勇豪は手戟てぼこを振るう。その武器は、勇豪の図体で持つにはいささか小さく感ぜられ、彼の動きは他の兵士と比べて格段に速いものの、扱いにくいようだった。そのせいでときたま隙が生じる。
「勇豪様!」
「……! おりゃ!」
 勇豪は、自分を呼ぶ声に素早く反応して振り返り、背後に忍び寄っていた敵兵の胴を貫く。
「危ながっただね!」
「おう! ありがと、よッ!」
 振り向き様に新たな敵を倒しながら、勇豪は隣にいる忠山に感謝を述べる。
「どういだしまして!」
 忠山はえくぼを浮かべつつ、淡々と敵の首を斬る。
「しっかし、キリがねぇ! たたでさえ数が多いってのに、あれ・・まで気にしなきゃなんねぇなんて面倒ったらありゃしねぇ!」
「んだね!」
 勇豪は苛立いらだちを口に出しながら尚も前に進み続け、その後ろを忠山が付き従う。
 二人は息の合った動きで代わる代わる前線を押し進めた。が、
「ッ! 皆、逃げれ!」
 忠山が叫ぶ。
 その声に修兵らは蜘蛛クモの子を散らすように逃げ出す。直後、ズン……と、いう重い地響きと共に、彼らがいた場所に巨石が落ちた。
「あ、危ながったぁ」
 後退した忠山はその岩を見つめる。その下には敵兵の押し潰された死体があった。
「敵味方関係ねぁのが……」
 ぽつり、と零す。そこへ勇豪の怒号が飛ぶ。
「何ぼさッとしてやがる! 死にてぇのか!」
 クン、と腕を引かれて退いた忠山のすぐ横を、凄まじい勢いの矢が通り過ぎる。背後では、矢に当たった兵の悲鳴が上がった。
 勇豪はパッと忠山の腕を離すと、すかさず駆け出し、近付いてきた敵兵を片手で投げ飛ばす。猛々たけだけしいその姿は〝棕熊ヒグマ〟の名に相応ふさわしかった。
「おお! 〝棕熊〟は健在であったか! 嬉しいのう!」
「!」
 聞き馴染みのある声と共に、勇豪の頬を矢がかすめる。
 勇豪は薄く流れる血を無造作に拭うと、眼前の馬車に立っている髭面の男に顔を向ける。
「……大将がこんな雑兵ぞうひょうに構ってていいのか? 永祥殿」
 あん揶揄やゆされた永祥。一瞬目を見開いた直後、どっと笑い出す。
「ははははは! 何を言うかと思えば……。お主のような雑兵がいてたまるか」
「ふッ。残念ながら事実なんだなァ!」
 カァン!
 と、鈍い金属音が鳴る。勇豪の攻撃が盾に阻まれた音が。
「クソッ!」
 勇豪は武器を素早く引く。その姿に永祥は満足そうににやける。
「助かったぞ雪峰シェンフォン殿」
「何を白々しらじらしい……。余裕で避けられた癖に」
 隣で盾を構えていた雪峰が肩越しに永祥を睨む。が、すぐに興味を無くしたように構えをく。
「永祥殿。この者の言う通りだ。たかが一兵士に時間をかけている暇はない。さっさと押し進めるぞ」
「お主はせっかちだのう。旧交を温めさせてはくれぬのか」
 嘆く素振りを見せる永祥。その横から勇豪が口を挟む。
「お前と友になった記憶はないぞ」
「何を言う。あんなにも熱く交わった・・・・のに」
殺し合い・・・・の間違いだろ。俺たちの間にはそれくらいしかねぇ」
「はっはっは! それは違いない!」
 二人は軽い口振りで話していると、雪峰のこめかみに青筋が浮かぶ。
「戯れている場合ではないと言っておろうが」
 雪峰はこめかみを押さえながら、御者ぎょしゃに指示を出す。と、御者が手綱たづなを振るい、馬が方向転換をし始める。
「いやはや手厳しい」
 頭を掻きながら零す永祥。だがその眼光からふざけた気配は消え去っていた。
 馬が完全に向きを変え、二人の乗っている馬車が動き出そうとした、その瞬間。
 突然、手戟のやいばが永祥に迫る。彼は間一髪で避けて振り向く。すると勇豪の獰猛どうもうな目とかち合った。
「逃がすかよ」
 うなる勇豪。それを永祥は一蹴いっしゅうする。
「逃げてはおらん。優先度の差よ」
 バチ、と二人の間に稲妻が走る。
「……残念ながらこれまでだ」
 永祥が片手を挙げると、再び御者が手綱たづなり、馬車が進み始める。
 すかさず勇豪は追いかける。
「逃がさなッ」
「勇豪様!」
 刹那、勇豪は押し退けられる。
「ッ!」
「忠山⁈」
 勇豪に体当たりをしてきた忠山。彼は眉根に皺を寄せ、横腹を押さえている。
「お前、俺を庇ったのか……⁉」
 わずかによろめく忠山。勇豪は彼を支え、顔をのぞき込む。と、忠山が荒く息をしながら優しく尋ねる。
「勇豪様、お怪我はねぁか?」
「ああ。けどお前が……」
「へ、平気だこれぐらい。それよりも、は、早ぐ追いがげねぁど」
 その言葉に勇豪は顔を上げると、馬車が小さくなっていくのが見えた。
「……いいんだ。今はお前の方が大事だ」
「勇豪様……」
 忠山は勇豪を仰ぎ、そして支えを振り解く。
「ゾンシャ「おいのことは気にしねぁでください」
 脇腹から手を離した忠山は、落としていた武器を拾う。そしていつもと同じえくぼを見せる。
「そろそろあれ・・が降ってくる頃だ。足止めでだらいげねぁ」
 その言葉に勇豪は瞠目し、言葉に詰まる。が、すぐにまなじりをきつくすると、強く手戟を握り直す。
「そうだな。進むしかねぇな」
「んだな」
 二人は再び勇猛に走り出す。まるで二人で一人のように、一体となった姿で。
 彼らは次々に敵をぎ倒していき、全身が返り血に染まっていく。
 ――その血化粧の中で、忠山の着物の内側からは血がにじみ続けているのであった。
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