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尾羽打ち枯らす
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しおりを挟むピョーヒョロロ。ピョーヒョロロ。
淡い青空に口笛のような囀りが飛んでいく。
「ん……?」
巨躯を有する男が*黄鶯の声に顔を上げる。
「ああ、もうそんな時期か」
美しい音色を奏でている小さな隣人は、全身山吹色の羽毛で身を包み、黒い筋模様の化粧を嘴に程近い目頭から、頭の後ろにかけてぐるりと描いている。そしてその小振りな体で、新芽の吹き始めた木々の間を飛び跳ねていた。
畑に立っていた男は作業する手を止め、鍬を杖にする。首に掛けていた*綌で汗ばんだ額を拭い、春の訪れを告げる可愛らしい使者を眩しそうに見つめる。
「勇豪様。そろそろ休憩にしねぇが?」
不意の若い女の声に、勇豪は眉を顰める。
「さまなんていらんと言ってるだろう。明花」
振り返ると、勇豪の肩に並ぶ長身の女――真っ黒に日焼けした肌。少し潰れた鼻の上の雀斑。細く吊り上がった一重の目に、分厚い唇。お世辞にも美人とは言えないが、素朴な温かみのある彼女が、勇豪の後ろに立っていた。
二人の視線がぶつかると、彼女のきつい目尻が柔く緩やかな弧を描く。
「んでねぁ、そんた訳にはいげねぁ。村の恩人にそんたごど……」
「それを言うなら俺も行き倒れそうなところを助けてもらったんだ。おあいこさ。こうやって土地も貸してもらってるしな」
明花は俯き、はにかむ。
「あれぐらい気にしねぁでください。むしろ盗賊追い払うなんてごど、おいがだには出来ねぁもの。仕事終わりには見回りまでしてもらって、助がりっぱなしだ」
褒めそやされた勇豪は、鍛え抜いた胸を更に膨らませる。
「そんくらい訳ないさ。伊達にたぃ……ッ!」
そこまで言って勇豪は言葉を呑み込む。と、中途半端な態度に明花が不思議がったので、誤魔化すように頭を撫でた。
「なんでもねぇ。気にすんな」
すると明花は大きな体を縮こまらせる。
「ヨ、勇豪様。子供扱いしねぁでください」
「おっと悪い悪い。つい癖でな」
ぱっと手を離すと、勇豪はそのまま畑の外に向かって歩き始める。
彼女は撫でられたばかりの結髪を整えつつ、わずかに頬を染める。
「明花? 行かんのか?」
「あ、はい! 今行ぎます!」
二人は揃って小川に向かうのだった。
「お、勇豪様。それに明花。一区切り付いだのが?」
川の畔にいた一人の青年が、二人に向かって片手を挙げる。
先に着いた勇豪はまたも眉間に皺を寄せる。
「忠山……。俺のことは呼び捨てでいいって言ってるだろ?」
「いやあ、もうこれで慣れでしまったがら…………」
「俺が落ちつかねぇんだよ。まあいいけどよ」
「えんだね」
忠山が軽く笑うと、丸い顔にえくぼが浮かんだ。
少しして明花が彼らに追いつく。彼女は自分より背丈の低い忠山に目線を合わせるように少し膝を折って話しかける。
「あだもぢょうど休んでだのね」
「ああ。そっちもだべ?」
「んだ。忠山の方はどう? こっちは勇豪様が凄ぇ速さで耕してぐれだがら、あど数日で終わりそうだけど……」
忠山は小川に綌をくぐらせ、それを固く絞って首に巻き付け返事する。
「うぢのどごはまだまだ時間かがるな。まだ雪完全さ溶げ切ってねぁがら、それどがすこどがらやらねばでよ」
辟易としている忠山に、つと勇豪が口を挟む。
「……早めに終わったらお前んとこ手伝いに行こうか?」
「勇豪様えんだが⁈」「勇豪様!? 忠山甘やがしてはいげねぁ!」
二人は同時に叫び、そして顔を見合わせる。
息の合った挙動に勇豪は思わず吹き出す。
「ふッ、お前ら本当に仲がいいんだな」
すると明花が顔を真っ赤にして頭を振る。
「そんたごどねぁよ! 幼馴染ってだげだんて」
忠山は明花のことを指差す。
「んだよ! こんた大女なんて腐れ縁なぇば話すこどはしねぁ!」
「大女って、忠山が小さぇだげだべ?」
「う、うるさぇ! おめは態度まででがぇがら行ぎ遅れでらンだよ!」
「それはこぢらの台詞だ!」
その後も二人は、勇豪の存在など忘れてやいのやいのと火花を散らす。
そんな年若い彼らのじゃれ合いを、勇豪は河原で胡坐をかいて見守る。
「…………あいつら元気にやってるかな」
ぽつり、と勇豪は二人には聞かれないように呟く。と、不意に小さく笑みを零す。
「そういや間違いなくピンピンしてる奴がいたな」
勇豪は遠い目で、空に飛び立った黄鶯を見つめる。
「勇豪様? どうがしたんだが?」
明花は勇豪が物思いに耽っているのに気付き、彼の顔を覗き込む。すると勇豪は微笑む。
「はは、大したことじゃないさ。気にすんな」
その優しい口調とは裏腹に、身に纏っている空気は彼女を拒絶していた。
「ん、んだが。そいだばえんだども」
明花はそれ以上先へ立ち入ることが出来ず、しどろもどろになった。
「……何が困ってらごどがあったら気軽さ言ってくださいね?」
「おう。そんときゃ頼るわ」
ニカッと朗らかに笑った勇豪の表情は、彼女がここ数か月で見慣れたものだった。
「勇豪様、勇豪様。おいのことも何時でも頼ってくださいね」
忠山も、親指で自分を指し示しながら話す。
「二人共あんがとよ。……じゃ、そろそろ戻るか」
勇豪は立ち上がるついでに小川の水を飲み、来た方向に足を向ける。と、明花も慌ててその後ろに付いていきながら、忠山に手を振る。
「忠山、まだね」
「おう、まだな」
手を振り返す忠山。彼もまた、自分の畑へと向かうのであった。
畑に向かう短い道のり。
明花は勇豪に話しかける。
「……おいより大ぎぇ人は勇豪様が初めでだ」
「俺がでかすぎるってだけだけどな」
「ふふ、確がにそうだね」
くすくすと明花は鈴を転がすように笑う。
「んだども、ただ大ぎぇだげじゃねぁよね。しったげ強ぇ。昔鍛えでだんだが?」
「ああ……。まあな」
畑に着いた二人。勇豪は地面に置いてあった鍬を拾う。
「強くないと、大切なもんは守れんからな」
ぐっ、と勇豪は鍬を握りこみ、大きく振りかぶって畑に突き刺す。
「へえ……。その守りでゃ人は、す、好ぎな人とがだが?」
明花は解れた髪を耳に掛ける。
「いや」
勇豪は明花を見ることなく、もう一度鍬を振り上げる。
「もっと大事なもんさ」
ざくり、と畑が抉られる音がした。
*黄鶯…コウライウグイス。
*綌…葛で織られた目の粗い布。同じく葛製の布で、目が細かいものを絺という。
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