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二羽は木陰で羽を休める
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太陽が地平を茜色に染めている。空気は凛と澄んでいて、空には雲一つない。
冬真っ只中である今時分、 季節は人の吐息を白くする。寒さは重ね着の隙間に入り、こすっている手にはあかぎれを刻む。
だが都城には活気が満ち溢れ、常よりも人で賑わっている。なんと言っても今日は、数年に一度あるかないかの特別な日なのだから。
「めでたいめでたい!」
「宴だ宴だ、もっと酒持ってこい!」
「御成婚なんだ、今日は夜明けまで飲み明かせるぞぉ」
大通りでは平民らが麻布の上に座り込み、あちこちで楽し気な声を飛び交わしていた。
とある一画では三人の男たちが一塊になって酒を酌み交わしていた。
「ップハー! 今度の王はどうなるかと思ってたが、なんだかんだちゃんとしてたんだな!」
髭面の男が一息で酒を飲み干す。
「本当になぁ。初めの年はとんだ無能が来たもんだと思ったが」
右隣の男が合いの手を入れる。
「この間の戦じゃあ大逆転勝利! だもんな」
左隣の男が言葉を引き継いだ。
「しかも王は初陣だったらしいじゃないか」
髭面が言う。
「え? 俺は視察に行ったって聞いたんだがなあ」
右の男が返す。
「まぁまぁとりあえず飲もうぜ」
左の男が二人に酒を勧める。
「お、ありがとよ。しっかし、王もやるよなぁ」
髭面が赤ら顔をにやけさせて言う。
「絶世の美女を二人も迎えるそうじゃねえか。なかなかやれねぇよな」
右の男も口元を緩ませる。
「うんうん。早く顔を拝みたいもんだぜ」
左の男は首を縦に振った。
「ん、噂をすれば」
髭面が王城の方に目を向ける。つられて二人もそちらに目を移した。
ドーン、ドーン、と太い太鼓の音に合わせ、笙が高らかに歌い出す。笙の歌を盛り上げるべく、鐘は体を揺すり、箏の音が踊り出す。王城からは豪勢な着物を身に付けた踊り子たちが舞い出づる。城壁に程近い大通りの道端では、官吏が二手に分かれて列を成し、今か今かと主役たちの登場を待っていた。そして徐々に暗くなり始めた町では松明が灯り始め、皆の心を高揚させた。
わぁッと歓声が上がる。
人々は王城とは反対の方に振り返り、城壁の正門を見つめる。と、門からこの祭りの目玉である二台の馬車が現れていた。
大通りをまっすぐ進む馬車の前後には、華美な着物の兵や、様々な装飾品を纏った侍従たちが付き従っている。
そんな行進の主役たちは、それぞれ違った趣があった。
一台の馬車の側面には二羽の鵲が巣の中で寄り添っている姿が彫られている。鵲の番の周りには色とりどりの蝶が飛んで彼らを祝福している。その意匠からは金と時間がふんだんに使われたことが見受けられ、あまりの美しさに平民らは溜息を吐いた。
もう片方の馬車には大輪の牡丹が巧みに描かれている。見ているだけで香りがしそうな程色鮮やかな牡丹。そこに一匹の蝶が吸い寄せられている。蝶の羽の色は上下二色に分かれている。上半分は淡い青、下半分は血のような赤で、羽の中心や縁取りには、葉脈のような、黒く繊細な模様がある。それは浅葱斑の雄。今にも動き出しそうな程に緻密な描写からは、職人が丹精込めて描いたのが推し量れた。が、鵲の馬車に比べると些か物足りなさを覚える。
しかし平民にとってそんなのは些末なことだった。その存在が、到底手に届かない代物なのに変わりはないのだから。
その華々しい行進は王族の威光を存分に示していた。ただ進んでいるだけで平民を感服させ、自然と拝む者や、地に頭を擦りつける者が出始めた。
さりとて宴が止まることはない。
毎日汗水垂らして働くばかりである彼らにとって、此度の宴は数少ない娯楽であった。
兵士たちもそれを黙認する。この催し物は、王族の寛容さを示し、人民の心が王族から離れることを阻止する目的も兼ねているからだった。
「いやぁ、輿入れなんてそうそう無いんだから、よく目に焼き付けておかんとな」
髭面が先程よりも頬を火照らせながら言う。
「うんうん。きれーなもんだなぁ」
左隣の男がきらきらと輝く瞳で馬車を見つめながら頷く。
「そういや、今回の后さんは庶人出身らしいじゃねぇか」
右隣の男が煮豆を頬張りながらそんな言葉を口にする。と、髭面が唾を飛ばして声を荒げる。
「馬鹿! そんなん有り得る訳ないだろッ! 滅多なことを言うんじゃ…………あ」
ハッと髭面は口を噤む。
宴会の喧騒の中にありながら飛び抜けて聞こえてきた大きな声に、周囲の冷たい目線が集まっていた。
「ンンッ……どうせ誰かが適当なこと言い触らしたんだろ。あいつみたいに」
髭面が声を落としつつ、自分たちの後ろを指差した。
その指の先には膝を抱え、俯いて座る一人の女性がいた。
彼女の結髪は薄毛な上に白髪混じりで、着物から覗く腕は痩せ細っている。されど手に刻まれている皺の数はあまり多くない。
町のどこもかしこも混雑して盛り上がっている中、彼女の近くだけはぽっかりと人気がない。
時たま傍近くを通る者もいるにはいる。が、誰もが彼女を気味悪がる目付きで見、足早に過ぎ去っていく。その女性が爪弾きにされているのは、火を見るよりも明らかであった。
髭面は口をへの字にして杯を弄くりながら言う。
「あんな話、誰が信じるってんだよ」
右の男が眉尻を下げる。
「美琳ちゃんが化け物だなんてよぉ。そもそも〝不死身〟なんてある訳ないだろ」
左の男がしみじみと言う。
「あんなに気が触れちまうなんて。良い奴だったんだが……」
「まあでも、前の戦のときの日照りはひどいもんだったから、他にもヤられちまったのがいたし……仕方ないっちゃ仕方ないことなんだろうけど」
右の男が小さく首肯しつつ、同情した。だが髭面はそれを一蹴する。
「ふん、命があっただけめっけもんだろ。そんなの、美琳ちゃんを卑しめる理由になりゃしねぇよ」
そう言って髭面はもう一度酒を呷る。そして三人は絢爛たる一団の練り歩く姿に目線を戻した。
気付けば行進は道半ばまで進んでいて、ちょうど三人の前を通りがかっていた。近くで見ると、格子窓から中の様子がかすかに窺える。
これから先、後宮の主になる彼女たち。その風貌は平民では到底足元にも及ばない見事なものであるのが垣間見えた。
色彩豊かな刺繍が施された紅い絹織りの着物。暗闇の中でも浮かび上がる程に白い肌。艶やかな黒髪と複雑に編み込まれた結髪。
松明と月明かりだけの心許ない明かりでありながら眩い輝きを放つ玉姿に、誰もが魅了された。酒を飲んでいない者でさえ頬を紅潮させる程に。
「きれーなもんだなぁ」
「あんな美人、俺たちの人生じゃお目にかかれないぜ?」
「毎日拝めるなんて、王が羨ましいぜ」
三人は各々好きなように話す。
「でもよ、俺たちは充分幸運だよな。ほら、美琳ちゃんなんて、あのお人らにも負けないだろ」
「そうだな、あんだけの美人……ッて、美琳ちゃんに言うと怒られるけど。あれだけの美形は滅多にいるもんじゃないからな」
「また美琳ちゃんに会いてぇなぁ。ここ一年くらいは見かけなくなったもんな。男とは言え、目の保養には間違いないもんな」
「それもあるけど……あんなに優しくて強い兵士は二人といないだろうよ」
しみじみと呟きながら三人は酒を酌み交わすのであった。
つと、右の男が酒を飲む手を止め、牡丹の馬車を凝視する。
「おい、あっちの后さん、見覚えないか?」
「は? ……ははははは! ンな馬鹿なことあるかよ。貴族なんて俺らが知ってる訳ないだろ?」
髭面が一笑に付す。が、右隣の男の目は真剣そのものだ。
「よく見ろって! ……なんか、美琳ちゃんに似てないか?」
左の男も怪訝な顔をしつつも目を細めて馬車を見つめる。
「…………あ」
左の男が目を大きく見開き、杯を落とす。
二人の変化に、さしもの髭面も真面目な顔で馬車の方を見やった。
あどけない顔でありながら不思議な色香を放っている見目。心優しく、そして力強く、自分たちに寄り添ってくれた少年。
一年近く間近で見ていたのだ。遠目からでもちゃんと観察すれば見間違えない。
何故彼が。一体どういう経緯で。
当然ながらそんな疑問が頭に浮かんだ。
だが、それ以上に強い違和感。三人だけでなく、他の住人たちも感じ取っていた。
成人すらしていなかったであろう美琳。年若いのにあれ程の美貌なのだ。きっと眉目秀麗な青年に育つのだろう。誰もがそう思っていた。
しかし目の前を通り過ぎる〝彼〟の姿はどうだろう。
一年前と寸分違わない、幼さを残す顔。未成熟な体つき。細く頼りない首筋。たとえ着物を着込んでいてもそれは隠しきれていない。
次第にその異様な光景が波紋を呼ぶ。
「おいおい、どういうことだ?」
「何かの冗談か?」
「性別を隠して兵士だった、とか?」
「馬鹿、わざわざそんなことする必要ないだろ」
賑やかな声で満ちていた都城の至る所から、困惑の声が増していった。すると。
「あたしが言った通りだろう……?」
小さく、小さく囁く声がした。
喧騒の中でもはっきりと聞こえたその声に、三人は勢いよく後ろを振り向く。と、先程の女性が面を上げてこちらをじっと見つめていた。
「あたしは何度も話したじゃないか。……それをおまえさん方が信じなかっただけだろう?」
女性の虚ろな目が馬車を見据えている。
「あたしゃそんな予感がしたのさ」
彼女はぎゅっと自分の体を抱え込む。
「なんだってあんな若い子が軍にいたんだい? 何か〝特別〟なことがなきゃ入れないに決まってるだろう?」
三人は押し黙って聞いている。
「あたしゃずっと……ずぅっと考えていた」
女性の口が戦慄く。
「初めは戦から無事に帰ってきたのを純粋に喜んださ。でもよく考えりゃおかしいじゃないか。唯一人、あの子だけが無傷だった、なんて、土台変な話だろう?」
女性の目線がどこか遠くに向かう。
「あいつは化け物さ。きっと、いつか、何かを起こす……。それが吉と出るか凶と出るかはあたしにゃ分からないけど……これはまだ始まりに過ぎないのさ……」
ぶるり、と体を震わせると、それきり彼女は言葉を発さなくなった。
三人の男たちは、王城に入っていく馬車を呆然と見送る他なかった。
冬真っ只中である今時分、 季節は人の吐息を白くする。寒さは重ね着の隙間に入り、こすっている手にはあかぎれを刻む。
だが都城には活気が満ち溢れ、常よりも人で賑わっている。なんと言っても今日は、数年に一度あるかないかの特別な日なのだから。
「めでたいめでたい!」
「宴だ宴だ、もっと酒持ってこい!」
「御成婚なんだ、今日は夜明けまで飲み明かせるぞぉ」
大通りでは平民らが麻布の上に座り込み、あちこちで楽し気な声を飛び交わしていた。
とある一画では三人の男たちが一塊になって酒を酌み交わしていた。
「ップハー! 今度の王はどうなるかと思ってたが、なんだかんだちゃんとしてたんだな!」
髭面の男が一息で酒を飲み干す。
「本当になぁ。初めの年はとんだ無能が来たもんだと思ったが」
右隣の男が合いの手を入れる。
「この間の戦じゃあ大逆転勝利! だもんな」
左隣の男が言葉を引き継いだ。
「しかも王は初陣だったらしいじゃないか」
髭面が言う。
「え? 俺は視察に行ったって聞いたんだがなあ」
右の男が返す。
「まぁまぁとりあえず飲もうぜ」
左の男が二人に酒を勧める。
「お、ありがとよ。しっかし、王もやるよなぁ」
髭面が赤ら顔をにやけさせて言う。
「絶世の美女を二人も迎えるそうじゃねえか。なかなかやれねぇよな」
右の男も口元を緩ませる。
「うんうん。早く顔を拝みたいもんだぜ」
左の男は首を縦に振った。
「ん、噂をすれば」
髭面が王城の方に目を向ける。つられて二人もそちらに目を移した。
ドーン、ドーン、と太い太鼓の音に合わせ、笙が高らかに歌い出す。笙の歌を盛り上げるべく、鐘は体を揺すり、箏の音が踊り出す。王城からは豪勢な着物を身に付けた踊り子たちが舞い出づる。城壁に程近い大通りの道端では、官吏が二手に分かれて列を成し、今か今かと主役たちの登場を待っていた。そして徐々に暗くなり始めた町では松明が灯り始め、皆の心を高揚させた。
わぁッと歓声が上がる。
人々は王城とは反対の方に振り返り、城壁の正門を見つめる。と、門からこの祭りの目玉である二台の馬車が現れていた。
大通りをまっすぐ進む馬車の前後には、華美な着物の兵や、様々な装飾品を纏った侍従たちが付き従っている。
そんな行進の主役たちは、それぞれ違った趣があった。
一台の馬車の側面には二羽の鵲が巣の中で寄り添っている姿が彫られている。鵲の番の周りには色とりどりの蝶が飛んで彼らを祝福している。その意匠からは金と時間がふんだんに使われたことが見受けられ、あまりの美しさに平民らは溜息を吐いた。
もう片方の馬車には大輪の牡丹が巧みに描かれている。見ているだけで香りがしそうな程色鮮やかな牡丹。そこに一匹の蝶が吸い寄せられている。蝶の羽の色は上下二色に分かれている。上半分は淡い青、下半分は血のような赤で、羽の中心や縁取りには、葉脈のような、黒く繊細な模様がある。それは浅葱斑の雄。今にも動き出しそうな程に緻密な描写からは、職人が丹精込めて描いたのが推し量れた。が、鵲の馬車に比べると些か物足りなさを覚える。
しかし平民にとってそんなのは些末なことだった。その存在が、到底手に届かない代物なのに変わりはないのだから。
その華々しい行進は王族の威光を存分に示していた。ただ進んでいるだけで平民を感服させ、自然と拝む者や、地に頭を擦りつける者が出始めた。
さりとて宴が止まることはない。
毎日汗水垂らして働くばかりである彼らにとって、此度の宴は数少ない娯楽であった。
兵士たちもそれを黙認する。この催し物は、王族の寛容さを示し、人民の心が王族から離れることを阻止する目的も兼ねているからだった。
「いやぁ、輿入れなんてそうそう無いんだから、よく目に焼き付けておかんとな」
髭面が先程よりも頬を火照らせながら言う。
「うんうん。きれーなもんだなぁ」
左隣の男がきらきらと輝く瞳で馬車を見つめながら頷く。
「そういや、今回の后さんは庶人出身らしいじゃねぇか」
右隣の男が煮豆を頬張りながらそんな言葉を口にする。と、髭面が唾を飛ばして声を荒げる。
「馬鹿! そんなん有り得る訳ないだろッ! 滅多なことを言うんじゃ…………あ」
ハッと髭面は口を噤む。
宴会の喧騒の中にありながら飛び抜けて聞こえてきた大きな声に、周囲の冷たい目線が集まっていた。
「ンンッ……どうせ誰かが適当なこと言い触らしたんだろ。あいつみたいに」
髭面が声を落としつつ、自分たちの後ろを指差した。
その指の先には膝を抱え、俯いて座る一人の女性がいた。
彼女の結髪は薄毛な上に白髪混じりで、着物から覗く腕は痩せ細っている。されど手に刻まれている皺の数はあまり多くない。
町のどこもかしこも混雑して盛り上がっている中、彼女の近くだけはぽっかりと人気がない。
時たま傍近くを通る者もいるにはいる。が、誰もが彼女を気味悪がる目付きで見、足早に過ぎ去っていく。その女性が爪弾きにされているのは、火を見るよりも明らかであった。
髭面は口をへの字にして杯を弄くりながら言う。
「あんな話、誰が信じるってんだよ」
右の男が眉尻を下げる。
「美琳ちゃんが化け物だなんてよぉ。そもそも〝不死身〟なんてある訳ないだろ」
左の男がしみじみと言う。
「あんなに気が触れちまうなんて。良い奴だったんだが……」
「まあでも、前の戦のときの日照りはひどいもんだったから、他にもヤられちまったのがいたし……仕方ないっちゃ仕方ないことなんだろうけど」
右の男が小さく首肯しつつ、同情した。だが髭面はそれを一蹴する。
「ふん、命があっただけめっけもんだろ。そんなの、美琳ちゃんを卑しめる理由になりゃしねぇよ」
そう言って髭面はもう一度酒を呷る。そして三人は絢爛たる一団の練り歩く姿に目線を戻した。
気付けば行進は道半ばまで進んでいて、ちょうど三人の前を通りがかっていた。近くで見ると、格子窓から中の様子がかすかに窺える。
これから先、後宮の主になる彼女たち。その風貌は平民では到底足元にも及ばない見事なものであるのが垣間見えた。
色彩豊かな刺繍が施された紅い絹織りの着物。暗闇の中でも浮かび上がる程に白い肌。艶やかな黒髪と複雑に編み込まれた結髪。
松明と月明かりだけの心許ない明かりでありながら眩い輝きを放つ玉姿に、誰もが魅了された。酒を飲んでいない者でさえ頬を紅潮させる程に。
「きれーなもんだなぁ」
「あんな美人、俺たちの人生じゃお目にかかれないぜ?」
「毎日拝めるなんて、王が羨ましいぜ」
三人は各々好きなように話す。
「でもよ、俺たちは充分幸運だよな。ほら、美琳ちゃんなんて、あのお人らにも負けないだろ」
「そうだな、あんだけの美人……ッて、美琳ちゃんに言うと怒られるけど。あれだけの美形は滅多にいるもんじゃないからな」
「また美琳ちゃんに会いてぇなぁ。ここ一年くらいは見かけなくなったもんな。男とは言え、目の保養には間違いないもんな」
「それもあるけど……あんなに優しくて強い兵士は二人といないだろうよ」
しみじみと呟きながら三人は酒を酌み交わすのであった。
つと、右の男が酒を飲む手を止め、牡丹の馬車を凝視する。
「おい、あっちの后さん、見覚えないか?」
「は? ……ははははは! ンな馬鹿なことあるかよ。貴族なんて俺らが知ってる訳ないだろ?」
髭面が一笑に付す。が、右隣の男の目は真剣そのものだ。
「よく見ろって! ……なんか、美琳ちゃんに似てないか?」
左の男も怪訝な顔をしつつも目を細めて馬車を見つめる。
「…………あ」
左の男が目を大きく見開き、杯を落とす。
二人の変化に、さしもの髭面も真面目な顔で馬車の方を見やった。
あどけない顔でありながら不思議な色香を放っている見目。心優しく、そして力強く、自分たちに寄り添ってくれた少年。
一年近く間近で見ていたのだ。遠目からでもちゃんと観察すれば見間違えない。
何故彼が。一体どういう経緯で。
当然ながらそんな疑問が頭に浮かんだ。
だが、それ以上に強い違和感。三人だけでなく、他の住人たちも感じ取っていた。
成人すらしていなかったであろう美琳。年若いのにあれ程の美貌なのだ。きっと眉目秀麗な青年に育つのだろう。誰もがそう思っていた。
しかし目の前を通り過ぎる〝彼〟の姿はどうだろう。
一年前と寸分違わない、幼さを残す顔。未成熟な体つき。細く頼りない首筋。たとえ着物を着込んでいてもそれは隠しきれていない。
次第にその異様な光景が波紋を呼ぶ。
「おいおい、どういうことだ?」
「何かの冗談か?」
「性別を隠して兵士だった、とか?」
「馬鹿、わざわざそんなことする必要ないだろ」
賑やかな声で満ちていた都城の至る所から、困惑の声が増していった。すると。
「あたしが言った通りだろう……?」
小さく、小さく囁く声がした。
喧騒の中でもはっきりと聞こえたその声に、三人は勢いよく後ろを振り向く。と、先程の女性が面を上げてこちらをじっと見つめていた。
「あたしは何度も話したじゃないか。……それをおまえさん方が信じなかっただけだろう?」
女性の虚ろな目が馬車を見据えている。
「あたしゃそんな予感がしたのさ」
彼女はぎゅっと自分の体を抱え込む。
「なんだってあんな若い子が軍にいたんだい? 何か〝特別〟なことがなきゃ入れないに決まってるだろう?」
三人は押し黙って聞いている。
「あたしゃずっと……ずぅっと考えていた」
女性の口が戦慄く。
「初めは戦から無事に帰ってきたのを純粋に喜んださ。でもよく考えりゃおかしいじゃないか。唯一人、あの子だけが無傷だった、なんて、土台変な話だろう?」
女性の目線がどこか遠くに向かう。
「あいつは化け物さ。きっと、いつか、何かを起こす……。それが吉と出るか凶と出るかはあたしにゃ分からないけど……これはまだ始まりに過ぎないのさ……」
ぶるり、と体を震わせると、それきり彼女は言葉を発さなくなった。
三人の男たちは、王城に入っていく馬車を呆然と見送る他なかった。
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