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遠道は近道
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王の朝は他の人間より早い。
太鼓の音が朝を告げる前。後宮の奥では十数人の侍従たちが着替えや朝餉を掲げ持って静かに廊下を進んでいた。未だ后を迎えてない現王は自室で寝起きしており、今現在、侍従たちが毎日違う寝室に向かう必要は生じていなかった。
彼女らは王の寝室へ辿り着くと、整然と並んで部屋の前で膝を折る。その隙間を縫って侍従長が進み出て、王の寝室に静かに入り、床で眠っている王に声をかける。
「王、御目覚めくださいませ。朝の支度を致しましょう」
文生は柔らかな声に反応して瞼を震わせる。そしてゆっくりと瞬くと、気怠げに上体を起こす。
「おはようございます、王」
「……おはよう」
文生は挨拶を返すと、床から降りるために侍従たちの手を借りる。王の床の四隅には落下防止の柵が拵えてあり、更には一人で降りるには難しい高さで作られていた。
(……まるで牢獄みたいだ)
文生はそんなことを思いながら立ち上がると、朝餉の用意された食卓に向かう。
村にいた頃は、家の中の剥き出しの地面に麻布を敷き、そこに座り込んで粥や*羹を食べるのが当たり前だった。だが今は、椅子に座って机に向かい、その上にお盆が載せられるのを待つことから始まる。すると目の前に色とりどりの皿と様々な種類の料理が並べられ、好きなものを好きなだけ食べられる。そのお陰で王城に来てからの文生は日中に空腹を覚えることがなくなった。
侍従に見守られながらの食事を終えて立つと、彼女らに寝間着を脱がされる。文生が下着姿になれば、すかさず衣を着付けられる。身に纏った黄色い衣は、豪勢な糸をふんだんに使った刺繍が施され、そのおかげで重厚な風情が感ぜられた。そしてその見た目通りの重さがあった。更にその上から袴や帯を重ねられ、最後に長く伸びた髪の毛を丁寧に結い上げられ、冠を被せられる。他にも*玉や金で作られた装飾品を、侍従たちに身に付けさせられていく。と、不意に侍従長に話しかけられる。
「本日は先の戦に関する報告が上がるそうです。その後、褒章を与える者を選別し、式典の日取りを決めるとのことです」
「分かった。ありがとう」
そんな短い会話の間に文生の身支度はすっかり終わる。そこにちょうど朝の太鼓が鳴り響いた。
「では参りましょうか」
侍従長が寝室の出口を指し示す。文生は一つ頷くと、大勢の侍従たちを従えて宮殿へと向かっていった。
「えー……それでは。献策を始めさせていただきます。王よ、宜しいでしょうか?」
「うむ。始めよ」
「はッ!」
官吏の一人が文生に恭しく伺いを立て、拱手の礼をする。それを合図に他の官吏たちも一斉に頭を下げた。
三階建ての宮殿の最上階は王が政策を立てる場となっている。そして何か大きな取り決めが行われる場合、上級官吏たちが一堂に会して意見を交わす。
部屋の奥には三段重ねの台の上に椅子が据えられており、文生はその椅子に鎮座していた。そこからは官吏たち全員が頭を下げているのが一望出来、その景色はなかなかに壮観であった。しかし文生の面持ちに満悦感は無かった。
「まず初めに、先の戦の報告を申し上げます」
と、進行役の官吏が木簡を見ながら話せば、文生はちらりと彼を見やる。
「勝利を収めた、というのはもう聞き及んでいる」
「はい、その通りでございます。しかも今までで一番損害が少なかったようでございます」
「そうか」
「その上、かの永祥将軍をあっさりと退けたようです」
「そう……ん?」
ふと聞き慣れぬ名前が挙がったので、文生は思わず聞き返す。
「永祥将軍とは?」
「ああ、王は御存知ありませんでしたね。永祥殿は隣国の猛者でして、長年我が国を苦しめてきたのでございます」
「……と言うと、兄上たちが亡くなった戦の……」
「ええ、その通りでございます」
「そうか……」
文生は眉を下げてしばし沈黙する。その文生の表情には兄の死を悼んでいる、と誰もが感じられる趣があった。が、その実文生は一寸も悲しんでなどいなかった。それどころか、恨みに近い感情を抱いていた。
(彼らが死ななければ、僕はこんなところに来ないで済んだのに……。そうすればそのまま美琳と一緒に――)
文生は一つ溜息を吐く。
なんだって顔も見たことない〝兄〟の死を悲しんでみせなければならないのか。そんな義理など自分には一切無いのに。
――などと、詮無いことを嘆いても、時は戻らない。
文生は表情を引き締めると、目で続きを促す。と、官吏が心得顔で話を再開する。
「我が国の方では、子佑公の指揮によって兵らの士気が向上し、相手方の兵を半数近く討ち取ったようです」
「ふむ。それ程に差が開いておったのか」
「えぇ。大尉が子佑公をよく助けたおかげでもあるようですな。永祥殿と違って〝棕熊〟殿はまだまだ健在。これもすべて王の威光が行き届いている証拠でしょう」
官吏は報告をしながら、深く頭を垂れる。すると周りに控えている官吏たちも幾度か頷き、賛同している様子を見せる。それに対し文生は悠々とした様子で片手を挙げる。
「すべてはお主らの支えあってこそ。これからも補佐を頼むぞ」
その言葉を聞いた官吏たちはまたもや低頭する。
官吏が集えばこのくだらないやりとりが必ず行われる。この一年で耳に胼胝が出来る程に。
文生は白けた目を隠しつつ言う。
「では褒章を授けるのは子佑公で良いか?」
「王の御心のままに」
官吏たち全員が首肯する。そんな中、ふと細面の官吏が思い出したような顔で発言する。
「そう言えば、妙な噂を耳にしまして……」
退屈そうにしていた文生が面を上げる。
「どんな噂だ? 申してみよ」
「はッ。実は、戦のときに少女の姿を見たと申す者がいまして……」
その言葉が聞こえるや否や、場は騒然となる。
「なんとそのような!」「真であるのか?」「そんな妄言、どこで拾ってきたのやら」
などと、皆好き勝手に話し、その中でも髭面の官吏が皆を代表したかのように激昂する。
「神聖なる戦場に女なぞ混ざっている訳がなかろう!」
また別の官吏も発言する。
「少年の間違いではないのですか? 女のように美しい少年なら、この間の式典で見かけましたぞ」
その言葉を裏付けるような声も聞こえる。
「そう言われると、伝令役が似たような話をしていたような……」
枚挙される話の数々に彼らは一層ざわめき、容易には収束しない事態になった。それを見かねた細面の官吏が、彼らを落ち着かせようと両手を縦に振る。
「いやいや、あくまで噂でして。流石に我々もあの数の雑兵共を把握出来ませんし、万が一そのような者がおれば大尉がすぐに追い出すでしょう」
すると髭面の官吏が赤くなっていた頬を元の色に戻す。
「確かにそうだな」
その言葉を契機に場の空気も少し落ち着き始めたので、細面の官吏はにこにこと笑みを浮かべる。
「そうですとも。それにこの噂の面白いところはここではありませぬ。なんとその少女は……」
ここで彼は一呼吸置く。どこか勿体ぶった言い様は、自然と皆の注目を集めた。
――代り映えのしない日々を過ごしている官吏たちにとって、噂は最高の道楽であった。
〝女が軍に在籍している〟
そんな与太話は面白ければそれだけで充分。一応騒ぎ立ててみたものの、皆の心の内はその程度であった。楽しみに飢えた官吏たちにとって、事実かどうかなどどうでもよいことなのだから。
ごくり、と誰かの喉を鳴らす音が聞こえた。同時に、噂の核心が明かされた。
「なんとその少女は、死なぬ体だと言われているのです!」
しん……と場が静まり返る。直後、どっと笑い声が響き渡った。
噂を披露した官吏は嘲笑されたことに焦り、必死に弁明する。
「わ、私が言い始めたのではありませぬ! 兵らが噂しているのを聞いたのです!」
それに対して他の官吏たちは囃し立てる。
「はははは! それにしたって馬鹿らしい!」
「そんな者いる訳がなかろう! 女が軍にいる、という話だけならまだしも、不死など……。ますます嘘くさい!」
場にいる全員がでたらめな噂を一蹴する。その内の一人が文生に話しかける。
「王もそうは思われませんか?」
途端、文生に視線が集まる。
このような滑稽な話は余興になりえただろうか。そんな期待を込めた眼差しで。
だが、肝心の文生は何とも言えない顔をしていた。
面白がってるように思えるような、不快に感じているような。それとも、嬉しいのか、悲しいのか。
官吏たちは彼の気持ちが読み取れず、どうすれば良いのかと互いに顔を見合わせ、先程とは打って変わって微妙な雰囲気に包まれた。
事実、今の文生はこの感情を一語に表せなかった。
〝少女〟の噂を聞いた瞬間は喜びで胸が膨らんだ。
この前の式典で見かけたときも、彼女の気持ちが今も自分に向いていることが見て取れて嬉しかった。同時に、彼女の体つきがなんら変わっていないことにも気付いた。
果たしてその細腕で戦えるのだろうか。本当に自分たちは共に過ごせるようになるのだろうか。
それもまた、偽らざる本音であった。
だが予想に反して、彼女は戦で目覚ましい活躍をしたのだろう。こんな噂が立ったのが何よりもの証だ。きっと彼女は二人で交わした約束を叶えるために努力を重ねたはずだ。自分が王としての振る舞いや知識を得るために死に物狂いになっていたように。
その噂は彼女の想いの深さを実感させるのに十分な効力を発揮した。
文生は一人悦に入っている。と、不意に違った心持ちが沸き上がった。
そもそも、彼らには不死身の少女など容易に信じられないだろう。自分だって、事前に彼女の能力を知らなかったら。彼らと同じように〝何を馬鹿なことを〟と言っていただろう。
でも。
彼女の美しい体がどんな傷でも治してしまうことを知っている。
この目で見たのだから。
――そう。この目で見ないと、信じられないことなのだ。
つまり、彼女は何度も怪我を負ったのだ。宮殿に噂が届く程に。大勢の敵に囲まれ、大量の武器に貫かれ、それでも自分のために戦って。
そして、沢山の敵を殺したのだろう。
「王よ、如何なさりましたか?」
ビクッと文生の体が引き攣った。
感傷に浸っていて無言になってしまっていたせいで、文生は官吏たちに心配をかけていたことに気付く。文生は頭を軽く振ると、王としての仮面を付け直す。
「大事ない……。噂話はそのくらいにして、次の報告をせよ」
「はッ! では、市中の死体の処理について――――」
官吏たちが次々と政策を述べては文生に確認を取る。文生も淡々と許諾を与えていく。
――どんなに時間が経っても、僕と彼女だけは変わらない。そんな気がしていた。
でもそれは幻想なのではないか?
そう思ってしまう程、〝王〟としての〝文生〟がすっかり身に付いていた。初めての政策では一つ決めるのも緊張したのに、いつの間にか大きな政策以外ではただの〝仕事〟になっていた。
(美琳、早くここまで来て。僕をただの〝文生〟にしてくれるのは君だけなんだ。だから、早く、早く……)
文生は憂鬱な気持ちを抱えながら、職務を続けるのであった。
*羹…肉・野菜を入れた熱い吸い物。
*玉…翡翠。
太鼓の音が朝を告げる前。後宮の奥では十数人の侍従たちが着替えや朝餉を掲げ持って静かに廊下を進んでいた。未だ后を迎えてない現王は自室で寝起きしており、今現在、侍従たちが毎日違う寝室に向かう必要は生じていなかった。
彼女らは王の寝室へ辿り着くと、整然と並んで部屋の前で膝を折る。その隙間を縫って侍従長が進み出て、王の寝室に静かに入り、床で眠っている王に声をかける。
「王、御目覚めくださいませ。朝の支度を致しましょう」
文生は柔らかな声に反応して瞼を震わせる。そしてゆっくりと瞬くと、気怠げに上体を起こす。
「おはようございます、王」
「……おはよう」
文生は挨拶を返すと、床から降りるために侍従たちの手を借りる。王の床の四隅には落下防止の柵が拵えてあり、更には一人で降りるには難しい高さで作られていた。
(……まるで牢獄みたいだ)
文生はそんなことを思いながら立ち上がると、朝餉の用意された食卓に向かう。
村にいた頃は、家の中の剥き出しの地面に麻布を敷き、そこに座り込んで粥や*羹を食べるのが当たり前だった。だが今は、椅子に座って机に向かい、その上にお盆が載せられるのを待つことから始まる。すると目の前に色とりどりの皿と様々な種類の料理が並べられ、好きなものを好きなだけ食べられる。そのお陰で王城に来てからの文生は日中に空腹を覚えることがなくなった。
侍従に見守られながらの食事を終えて立つと、彼女らに寝間着を脱がされる。文生が下着姿になれば、すかさず衣を着付けられる。身に纏った黄色い衣は、豪勢な糸をふんだんに使った刺繍が施され、そのおかげで重厚な風情が感ぜられた。そしてその見た目通りの重さがあった。更にその上から袴や帯を重ねられ、最後に長く伸びた髪の毛を丁寧に結い上げられ、冠を被せられる。他にも*玉や金で作られた装飾品を、侍従たちに身に付けさせられていく。と、不意に侍従長に話しかけられる。
「本日は先の戦に関する報告が上がるそうです。その後、褒章を与える者を選別し、式典の日取りを決めるとのことです」
「分かった。ありがとう」
そんな短い会話の間に文生の身支度はすっかり終わる。そこにちょうど朝の太鼓が鳴り響いた。
「では参りましょうか」
侍従長が寝室の出口を指し示す。文生は一つ頷くと、大勢の侍従たちを従えて宮殿へと向かっていった。
「えー……それでは。献策を始めさせていただきます。王よ、宜しいでしょうか?」
「うむ。始めよ」
「はッ!」
官吏の一人が文生に恭しく伺いを立て、拱手の礼をする。それを合図に他の官吏たちも一斉に頭を下げた。
三階建ての宮殿の最上階は王が政策を立てる場となっている。そして何か大きな取り決めが行われる場合、上級官吏たちが一堂に会して意見を交わす。
部屋の奥には三段重ねの台の上に椅子が据えられており、文生はその椅子に鎮座していた。そこからは官吏たち全員が頭を下げているのが一望出来、その景色はなかなかに壮観であった。しかし文生の面持ちに満悦感は無かった。
「まず初めに、先の戦の報告を申し上げます」
と、進行役の官吏が木簡を見ながら話せば、文生はちらりと彼を見やる。
「勝利を収めた、というのはもう聞き及んでいる」
「はい、その通りでございます。しかも今までで一番損害が少なかったようでございます」
「そうか」
「その上、かの永祥将軍をあっさりと退けたようです」
「そう……ん?」
ふと聞き慣れぬ名前が挙がったので、文生は思わず聞き返す。
「永祥将軍とは?」
「ああ、王は御存知ありませんでしたね。永祥殿は隣国の猛者でして、長年我が国を苦しめてきたのでございます」
「……と言うと、兄上たちが亡くなった戦の……」
「ええ、その通りでございます」
「そうか……」
文生は眉を下げてしばし沈黙する。その文生の表情には兄の死を悼んでいる、と誰もが感じられる趣があった。が、その実文生は一寸も悲しんでなどいなかった。それどころか、恨みに近い感情を抱いていた。
(彼らが死ななければ、僕はこんなところに来ないで済んだのに……。そうすればそのまま美琳と一緒に――)
文生は一つ溜息を吐く。
なんだって顔も見たことない〝兄〟の死を悲しんでみせなければならないのか。そんな義理など自分には一切無いのに。
――などと、詮無いことを嘆いても、時は戻らない。
文生は表情を引き締めると、目で続きを促す。と、官吏が心得顔で話を再開する。
「我が国の方では、子佑公の指揮によって兵らの士気が向上し、相手方の兵を半数近く討ち取ったようです」
「ふむ。それ程に差が開いておったのか」
「えぇ。大尉が子佑公をよく助けたおかげでもあるようですな。永祥殿と違って〝棕熊〟殿はまだまだ健在。これもすべて王の威光が行き届いている証拠でしょう」
官吏は報告をしながら、深く頭を垂れる。すると周りに控えている官吏たちも幾度か頷き、賛同している様子を見せる。それに対し文生は悠々とした様子で片手を挙げる。
「すべてはお主らの支えあってこそ。これからも補佐を頼むぞ」
その言葉を聞いた官吏たちはまたもや低頭する。
官吏が集えばこのくだらないやりとりが必ず行われる。この一年で耳に胼胝が出来る程に。
文生は白けた目を隠しつつ言う。
「では褒章を授けるのは子佑公で良いか?」
「王の御心のままに」
官吏たち全員が首肯する。そんな中、ふと細面の官吏が思い出したような顔で発言する。
「そう言えば、妙な噂を耳にしまして……」
退屈そうにしていた文生が面を上げる。
「どんな噂だ? 申してみよ」
「はッ。実は、戦のときに少女の姿を見たと申す者がいまして……」
その言葉が聞こえるや否や、場は騒然となる。
「なんとそのような!」「真であるのか?」「そんな妄言、どこで拾ってきたのやら」
などと、皆好き勝手に話し、その中でも髭面の官吏が皆を代表したかのように激昂する。
「神聖なる戦場に女なぞ混ざっている訳がなかろう!」
また別の官吏も発言する。
「少年の間違いではないのですか? 女のように美しい少年なら、この間の式典で見かけましたぞ」
その言葉を裏付けるような声も聞こえる。
「そう言われると、伝令役が似たような話をしていたような……」
枚挙される話の数々に彼らは一層ざわめき、容易には収束しない事態になった。それを見かねた細面の官吏が、彼らを落ち着かせようと両手を縦に振る。
「いやいや、あくまで噂でして。流石に我々もあの数の雑兵共を把握出来ませんし、万が一そのような者がおれば大尉がすぐに追い出すでしょう」
すると髭面の官吏が赤くなっていた頬を元の色に戻す。
「確かにそうだな」
その言葉を契機に場の空気も少し落ち着き始めたので、細面の官吏はにこにこと笑みを浮かべる。
「そうですとも。それにこの噂の面白いところはここではありませぬ。なんとその少女は……」
ここで彼は一呼吸置く。どこか勿体ぶった言い様は、自然と皆の注目を集めた。
――代り映えのしない日々を過ごしている官吏たちにとって、噂は最高の道楽であった。
〝女が軍に在籍している〟
そんな与太話は面白ければそれだけで充分。一応騒ぎ立ててみたものの、皆の心の内はその程度であった。楽しみに飢えた官吏たちにとって、事実かどうかなどどうでもよいことなのだから。
ごくり、と誰かの喉を鳴らす音が聞こえた。同時に、噂の核心が明かされた。
「なんとその少女は、死なぬ体だと言われているのです!」
しん……と場が静まり返る。直後、どっと笑い声が響き渡った。
噂を披露した官吏は嘲笑されたことに焦り、必死に弁明する。
「わ、私が言い始めたのではありませぬ! 兵らが噂しているのを聞いたのです!」
それに対して他の官吏たちは囃し立てる。
「はははは! それにしたって馬鹿らしい!」
「そんな者いる訳がなかろう! 女が軍にいる、という話だけならまだしも、不死など……。ますます嘘くさい!」
場にいる全員がでたらめな噂を一蹴する。その内の一人が文生に話しかける。
「王もそうは思われませんか?」
途端、文生に視線が集まる。
このような滑稽な話は余興になりえただろうか。そんな期待を込めた眼差しで。
だが、肝心の文生は何とも言えない顔をしていた。
面白がってるように思えるような、不快に感じているような。それとも、嬉しいのか、悲しいのか。
官吏たちは彼の気持ちが読み取れず、どうすれば良いのかと互いに顔を見合わせ、先程とは打って変わって微妙な雰囲気に包まれた。
事実、今の文生はこの感情を一語に表せなかった。
〝少女〟の噂を聞いた瞬間は喜びで胸が膨らんだ。
この前の式典で見かけたときも、彼女の気持ちが今も自分に向いていることが見て取れて嬉しかった。同時に、彼女の体つきがなんら変わっていないことにも気付いた。
果たしてその細腕で戦えるのだろうか。本当に自分たちは共に過ごせるようになるのだろうか。
それもまた、偽らざる本音であった。
だが予想に反して、彼女は戦で目覚ましい活躍をしたのだろう。こんな噂が立ったのが何よりもの証だ。きっと彼女は二人で交わした約束を叶えるために努力を重ねたはずだ。自分が王としての振る舞いや知識を得るために死に物狂いになっていたように。
その噂は彼女の想いの深さを実感させるのに十分な効力を発揮した。
文生は一人悦に入っている。と、不意に違った心持ちが沸き上がった。
そもそも、彼らには不死身の少女など容易に信じられないだろう。自分だって、事前に彼女の能力を知らなかったら。彼らと同じように〝何を馬鹿なことを〟と言っていただろう。
でも。
彼女の美しい体がどんな傷でも治してしまうことを知っている。
この目で見たのだから。
――そう。この目で見ないと、信じられないことなのだ。
つまり、彼女は何度も怪我を負ったのだ。宮殿に噂が届く程に。大勢の敵に囲まれ、大量の武器に貫かれ、それでも自分のために戦って。
そして、沢山の敵を殺したのだろう。
「王よ、如何なさりましたか?」
ビクッと文生の体が引き攣った。
感傷に浸っていて無言になってしまっていたせいで、文生は官吏たちに心配をかけていたことに気付く。文生は頭を軽く振ると、王としての仮面を付け直す。
「大事ない……。噂話はそのくらいにして、次の報告をせよ」
「はッ! では、市中の死体の処理について――――」
官吏たちが次々と政策を述べては文生に確認を取る。文生も淡々と許諾を与えていく。
――どんなに時間が経っても、僕と彼女だけは変わらない。そんな気がしていた。
でもそれは幻想なのではないか?
そう思ってしまう程、〝王〟としての〝文生〟がすっかり身に付いていた。初めての政策では一つ決めるのも緊張したのに、いつの間にか大きな政策以外ではただの〝仕事〟になっていた。
(美琳、早くここまで来て。僕をただの〝文生〟にしてくれるのは君だけなんだ。だから、早く、早く……)
文生は憂鬱な気持ちを抱えながら、職務を続けるのであった。
*羹…肉・野菜を入れた熱い吸い物。
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