永遠の伴侶

白藤桜空

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荊棘の道

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 勇豪ヨンハオ文生ウェンシェンが宮殿へ入っていったのを見送ると、階段をくだっていく。そして下まで降り切ると、振り返って宮殿を仰ぎ見る。
 自分の仕事は彼を警護することまで。文生の苦悩に寄り添う、なんてことは今後二度と起こりえない。それどころか今後は気軽に話すことすらかなわないだろう。
 もう彼は、どこにでもいる素朴な青年ではなくなったのだから。
 だが自分が職務をまっとうすることこそ彼の助けになるだろう。そう信じて自分なりに努力するしかない。
 勇豪は文生と過ごした数日間を思い出しながら、今度は振り返ることなく兵舎へと向かうのであった。

 兵舎に戻ると何やらいつもの空気感と違っていた。全体的に兵士たちに落ち着きがなく、皆訓練場の方を気にしているようだった。
 勇豪は近くにいた兵士に、後ろから声をかける。
「どうした、何かあったのか」
 それに対して兵士はぶっきらぼうに答える。
「どうしたもこうしたも、なんかやたら綺麗な女の子が来てて……。誰かの連れなんじゃねぇかって噂なんだよ。ほら、あんたものぞいてみ、ッてうおわ!」
 覗き見に誘おうとして後ろを向いた兵士は、声の主を見て慌てふためく。
「ご、大尉! 今のは間違えてッ!」
 なんとか取り繕うとする兵士。だが勇豪は特にとがめることなく、遠くにいる少女を見やる。
「あー……。あいつのことか。そういや、ああいう・・・・のが世間じゃ受けがいいんだっけか」
「え、大尉の知り合いですか? も、もしかして……?」
 兵士がにやけながら小指を立てて示す。と、勇豪が彼の頭を叩《はた》く。
「痛ッ! なんなんですか大尉~」
 兵士が頭頂部をさすりながら不満を言うと、勇豪は呆れる。
「お前がふざけたこと言うからだろうが。誰があんな女と好き好んで関わるかよ」
「あんな女って……。じゃあどういうお知り合いで?」
 その問いに、勇豪は苦虫を噛み潰したような顔になる。
「あいつは王のの連れだ。未練たらしく王城に連れて行けとうるさくてな。まぁそれで……なんだかんだで軍に入ってもらうことにした」
 勇豪の言葉に兵士は溜息をく。
「一番大事なとこ省かないでくださいよ、大尉。というか、女は軍に入れないじゃないですか。どうしてまたそんなことを?」
「あいつは女だけど役に立つっていうか、兵士向きっていうか……」
 勇豪は頭を掻きむしりながらかったるそうに経緯を話そうと試みる。が。
「あぁもう面倒くせぇ!」
 一声叫ぶと勇豪は、ずかずかと廊下を進んでいく。巨躯きょくを有する彼が荒々しく歩いていくと、地面が揺さぶられ、兵舎にいる兵士たちに彼の到来が伝わっていく。
 勇豪が訓練場に着く頃には、元から野次馬をしていた者はもちろん、休んでいた兵士までも顔を覗かせるようになっていた。
「おい、女!」
 と勇豪が呼ぶと、美琳が振り返る。そしてその横にいた案内役の兵士が、肩を小さく跳ねて美琳に懇願の目を向けた。そんな彼に美琳はちらりと目線を流す。直後、いつもと変わらぬ顔で勇豪に返事をする。
「なんですか? 勇豪さん。というか、あたしには『美琳』っていう名前があるので、ちゃんと呼んでもらえますか?」
「あ?」
 そのとき勇豪は、美琳が敬語を使っていることに引っかかった。が、特に気に留めることなく話を続ける。
「そういやそんな名前だったな。そんなことよりお前、手ぇ出せ、手」
 美琳は唐突な要求に戸惑いながらも、大人しく右手を差し出す。すると勇豪が左手で美琳の右腕を掴み、右手で腰に下げていた青銅製の短剣を抜く。
 大人しく見守っていた兵士たちは何が行われるのか一瞬で悟り、勇豪を止めるために慌てて躍り出た。だが一歩間に合わなかった。
 少女のてのひらに、短剣が振り下ろされ、深く突き刺さる。
 刹那、二人を囲んでいた兵らは目を見開く。
 たった今、目の前で行われた残虐な行い。普通ならば少女は泣き叫んだりするだろう。だのに、勇豪も少女も平然としている。
 兵士たちは勇豪の凶行に驚きつつ、二人が動じない理由も察した。
 少女の右手からは一滴の血も流れていない。勇豪が短剣を抜き取れば、見る間に傷が治っていく。後はもう、短剣が刺さっていた痕跡など微塵もない、柔く可愛らしい手があるばかりであった。
「ま、こういう・・・・こった」
 勇豪は顎をしゃくる。
「こいつの体なら戦で役に立つだろ。まかり間違っても慰め・・のためじゃねぇから、お前らもそのつもりでいろよ」
 兵士たちは唖然あぜんとし、ただ頷くしかなかった。
 案内役の兵士も瞠目し、急いで美琳の顔を見る。するとそこには彼が殴った赤い痕はなく、元のつるりとした頬しかなかった。
 兵士は自分の行いがバレないという安堵あんどから肩の力が抜ける。すると、美琳と目が合った。
 彼は気まずさと、戸惑いで目を逸らす。ひるがえって美琳は無表情で見つめていた。が、数瞬後、興味を無くした顔で勇豪の方を向く。
「勇豪さん。皆さんにはあたしのこと『説明』出来ましたし、案内もしてもらいました。この後はどうすればいいんですか?」
「ん? そうだな……。とりあえず空き部屋を割り当てるから、今日はもう休め。訓練には明日から参加してもらうからな」
「分かりました」
 慎ましやかに首肯する美琳。そんな彼女を勇豪は気味悪がる。
「……さっきから気になってたんだが。お前、やろうと思えばちゃんと話せんだな。急にどうした?」
「あぁ……」
 と、美琳は零し、そして勇豪を見上げる。
「先程『指導』していただきまして。これからはあたしも軍の一員ですし、態度を改めないといけないな、って」
 そう言って彼女が顔を綻ばせた瞬間、周囲にいた兵たちの空気が緩む。少女のあどけない笑顔は、むさくるしい男ばかりの兵舎に咲いた一輪の花のようであった。誰も少女の特異な体など気にならなくなり、あとはもう可愛らしい新米兵士を歓迎する雰囲気だけが残った。
 だが二人だけ、真逆の反応を示していた。
 まず、美琳を殴ってしまった兵士。彼は完全におびえていた。
 彼にとって女を殴ることは躾であった。確かに殴った瞬間は動揺したが、その行為自体に後悔をしている訳ではなかった。一方で王の旧知の仲だったらしいのも問題ないだろう。ここにいる時点で彼女が関わる可能性は低いのだろうから。おそらく自分に罰が下ることもないだろうから、それもどうでもいい。
 そんなことよりも、笑顔で話すことの方が信じられなかった。
 殴った直後でも少女が気にしてない素振りだったのは、自分の正当性を認めてくれたからだと兵士は思っていた。しかしそれは違う。
 彼女は本当に気にしていないのだ・・・・・・・・・・・・
 兵士は少女の異常さをひしひしと感じた。そしてなるべくならこれ以上は関わらずにいたい。そう願わざるをえなかった。
 そしてもう片方の勇豪。彼は閉口していた。
 美琳とは数日しか行動していない。が、物怖じせず、頑固で、そして気性が激しいのは把握していた。そんな彼女が他人の指導ごときで素直に自分を曲げることはない。ならば何故大人しく従ったのか。美琳を見れば一目瞭然だった。
 弧を描いた彼女の目にはほむらが燃え盛っている。自分に向けて、まっすぐに。これはきっと、案内役あいつが俺の隠していたことを暴露してしまったのだろう。間違いなく文生ウェンシェン様絡みのことで。
「チッ……面倒くせぇな」
 勇豪は辟易へきえきした。確かに美琳はこうやって王城まで付いてくるのは叶った。しかし二人の運命が変わる由もない。彼女がどう足掻こうと、庶人と王が一緒になる未来は起こりえないのだから。
 そんな風に勇豪が内心で独りごちていると、美琳の目線がより険しくなっていた。
 しかし勇豪も慣れてきていた。
 こんな小娘に何度もひるんでいられない……と、睨み返す。するとふと気になった。
(こいつ、何歳いくつだ……? あいつの娘、って言ってたんだから……あいつが子供を産める頃の子だよな?)
 勇豪は怪訝な顔をする。と、急に美琳は目を泳がせ始め、誤魔化すように周囲の兵たちと話し始めた。その挙動はまるで勇豪の睨みに負けたようであった。勇豪は彼女のその姿に満悦すると、何故だか・・・・彼女の歳など気にならなくなった。
 わいわいと兵士たちが歓談していると、いつの間にか夕陽が沈みかけていた。勇豪は訓練場を見回すと、集まっていた兵士たちに指示を出す。
「お前ら! そろそろ夕餉ゆうげの時間だ、早く食堂に行け!」
 途端、ざわめきが止まり、兵士たちは慌てて訓練場近くの食堂に向かう。

 夕焼けに染まった訓練場には、勇豪と美琳だけが残った。
 夏の生温い風で美琳の濡れ羽色の髪がなびく。彼女の髪は黄昏色を吸い込み、黒にもあかねにも変化する。後れ毛が少女の白い肌をくすぐり、睫毛まつげは影を落として瞳を覆う。そしてその栗色の瞳はどこまでも澄み渡っていた。
 神々しいようでいて、はかなくもある少女のその姿は、掻き抱いて、どんな脅威からも守りたくなるようなおもむきがあった。
 しかし勇豪は少しも心動かされなかった。いや、正確に言えば、庇護欲以外の感情しかなかった。
「勇豪さん」
 美琳が乱れた髪を耳に掛けながら呼びかける。
「む……あぁ、お前も早く食堂に行けよ。場所は訓練場の左側にある小さな建物だからな」
 勇豪は指で指し示しながら話した。それに対し美琳はかぶりを振った。
「場所は分かりますよ。皆さんが向かって行った場所でしょう? そうじゃなくて……」
「……じゃあ、なんだ」
「先程聞いたんです。ここの『仕組み』を。勇豪さん、嘘いてましたね?」
「ッ……!」
 刹那、勇豪の体がこわる。
 美琳には遅かれ早かれバレるであろう、と思っていた。そして彼女が怒りを募らせるであろうことも。だからこの反応は予想の範囲内であった。
 ――だが一人の少女の眼差しに竦むことになるとは思わなかった。
 彼女の殺気・・は戦場の兵と匹敵する程だった。蛇のように鋭い目が勇豪をなじり、今にも飛び掛からんとしているようだった。その鬼気迫る姿に威圧された勇豪の額からは脂汗がだらだらと溢れた。
 その一方で、美琳の声はひどく静かだった。
「でもね、そんなことはどうでもいいの。だってあたし・・・文生・・と『生きられるか』が大事なんだもの。だから……あり得ないことは壊せばいいんでしょう?」
 そう言って美琳は極上の笑みを浮かべる。
「あたし、頑張りますね。戦で活躍して、誰よりも役に立つんだって証明して、文生といるのに相応ふさわしい『人』になります。だから、勇豪さんも力を貸してくださいね?」
 ひくり、と勇豪の喉が動く。そして勇豪はごくり、と大きな音を立てて生唾を呑んだ。
 勇豪は彼女の美貌が文生への執念を隠すためにるような気がしてならなかった。しかもそれを上手く扱い始めるようになった。それが文生のためになるからと勇豪が話したからだ。
 想像よりも遥かに強い少女の想い――泥沼のような、汚く、よどんだ執念を肌で感じた勇豪は、自分の手に負えない、と直感した。そしてもう己が出来ることは一つだけだとも理解した。
「……ったく、仕方ねぇな。明日からしごいてやるからな」
「ありがとうございます」
 美琳は可愛らしく微笑んで礼を述べ、つと、食堂の方に顔を向ける。
「じゃあ、食堂に行ってきますね」
 そう言うや、美琳は軽やかな足音を残して去っていった。

「思ったよりも厄介な奴を引き取っちまったかな」
 勇豪は凝り固まってしまった体をほぐしながら自宅へ戻るべく訓練場に背中を向けて、あっけらかんと呟いた。
「ま、なるようにしかならんだろ」
 勇豪の背に薄暮れの空が広がっていく。
 そこに一つ、金色の星が輝いていた。
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