14 / 97
荊棘の道
14
しおりを挟む
勇豪は文生が宮殿へ入っていったのを見送ると、階段を降っていく。そして下まで降り切ると、振り返って宮殿を仰ぎ見る。
自分の仕事は彼を警護することまで。文生の苦悩に寄り添う、なんてことは今後二度と起こりえない。それどころか今後は気軽に話すことすら叶わないだろう。
もう彼は、どこにでもいる素朴な青年ではなくなったのだから。
だが自分が職務を全うすることこそ彼の助けになるだろう。そう信じて自分なりに努力するしかない。
勇豪は文生と過ごした数日間を思い出しながら、今度は振り返ることなく兵舎へと向かうのであった。
兵舎に戻ると何やらいつもの空気感と違っていた。全体的に兵士たちに落ち着きがなく、皆訓練場の方を気にしているようだった。
勇豪は近くにいた兵士に、後ろから声をかける。
「どうした、何かあったのか」
それに対して兵士はぶっきらぼうに答える。
「どうしたもこうしたも、なんかやたら綺麗な女の子が来てて……。誰かの連れなんじゃねぇかって噂なんだよ。ほら、あんたも覗いてみ、ッてうおわ!」
覗き見に誘おうとして後ろを向いた兵士は、声の主を見て慌てふためく。
「ご、大尉! 今のは間違えてッ!」
なんとか取り繕うとする兵士。だが勇豪は特に咎めることなく、遠くにいる少女を見やる。
「あー……。あいつのことか。そういや、ああいうのが世間じゃ受けがいいんだっけか」
「え、大尉の知り合いですか? も、もしかして……?」
兵士がにやけながら小指を立てて示す。と、勇豪が彼の頭を叩《はた》く。
「痛ッ! なんなんですか大尉~」
兵士が頭頂部を摩りながら不満を言うと、勇豪は呆れる。
「お前がふざけたこと言うからだろうが。誰があんな女と好き好んで関わるかよ」
「あんな女って……。じゃあどういうお知り合いで?」
その問いに、勇豪は苦虫を噛み潰したような顔になる。
「あいつは王の昔の連れだ。未練たらしく王城に連れて行けと煩くてな。まぁそれで……なんだかんだで軍に入ってもらうことにした」
勇豪の言葉に兵士は溜息を吐く。
「一番大事なとこ省かないでくださいよ、大尉。というか、女は軍に入れないじゃないですか。どうしてまたそんなことを?」
「あいつは女だけど役に立つっていうか、兵士向きっていうか……」
勇豪は頭を掻き毟りながらかったるそうに経緯を話そうと試みる。が。
「あぁもう面倒くせぇ!」
一声叫ぶと勇豪は、ずかずかと廊下を進んでいく。巨躯を有する彼が荒々しく歩いていくと、地面が揺さぶられ、兵舎にいる兵士たちに彼の到来が伝わっていく。
勇豪が訓練場に着く頃には、元から野次馬をしていた者はもちろん、休んでいた兵士までも顔を覗かせるようになっていた。
「おい、女!」
と勇豪が呼ぶと、美琳が振り返る。そしてその横にいた案内役の兵士が、肩を小さく跳ねて美琳に懇願の目を向けた。そんな彼に美琳はちらりと目線を流す。直後、いつもと変わらぬ顔で勇豪に返事をする。
「なんですか? 勇豪さん。というか、あたしには『美琳』っていう名前があるので、ちゃんと呼んでもらえますか?」
「あ?」
そのとき勇豪は、美琳が敬語を使っていることに引っかかった。が、特に気に留めることなく話を続ける。
「そういやそんな名前だったな。そんなことよりお前、手ぇ出せ、手」
美琳は唐突な要求に戸惑いながらも、大人しく右手を差し出す。すると勇豪が左手で美琳の右腕を掴み、右手で腰に下げていた青銅製の短剣を抜く。
大人しく見守っていた兵士たちは何が行われるのか一瞬で悟り、勇豪を止めるために慌てて躍り出た。だが一歩間に合わなかった。
少女の掌に、短剣が振り下ろされ、深く突き刺さる。
刹那、二人を囲んでいた兵らは目を見開く。
たった今、目の前で行われた残虐な行い。普通ならば少女は泣き叫んだりするだろう。だのに、勇豪も少女も平然としている。
兵士たちは勇豪の凶行に驚きつつ、二人が動じない理由も察した。
少女の右手からは一滴の血も流れていない。勇豪が短剣を抜き取れば、見る間に傷が治っていく。後はもう、短剣が刺さっていた痕跡など微塵もない、柔く可愛らしい手があるばかりであった。
「ま、こういうこった」
勇豪は顎をしゃくる。
「こいつの体なら戦で役に立つだろ。まかり間違っても慰めのためじゃねぇから、お前らもそのつもりでいろよ」
兵士たちは唖然とし、ただ頷くしかなかった。
案内役の兵士も瞠目し、急いで美琳の顔を見る。するとそこには彼が殴った赤い痕はなく、元のつるりとした頬しかなかった。
兵士は自分の行いがバレないという安堵から肩の力が抜ける。すると、美琳と目が合った。
彼は気まずさと、戸惑いで目を逸らす。翻って美琳は無表情で見つめていた。が、数瞬後、興味を無くした顔で勇豪の方を向く。
「勇豪さん。皆さんにはあたしのこと『説明』出来ましたし、案内もしてもらいました。この後はどうすればいいんですか?」
「ん? そうだな……。とりあえず空き部屋を割り当てるから、今日はもう休め。訓練には明日から参加してもらうからな」
「分かりました」
慎ましやかに首肯する美琳。そんな彼女を勇豪は気味悪がる。
「……さっきから気になってたんだが。お前、やろうと思えばちゃんと話せんだな。急にどうした?」
「あぁ……」
と、美琳は零し、そして勇豪を見上げる。
「先程『指導』していただきまして。これからはあたしも軍の一員ですし、態度を改めないといけないな、って」
そう言って彼女が顔を綻ばせた瞬間、周囲にいた兵たちの空気が緩む。少女のあどけない笑顔は、むさくるしい男ばかりの兵舎に咲いた一輪の花のようであった。誰も少女の特異な体など気にならなくなり、あとはもう可愛らしい新米兵士を歓迎する雰囲気だけが残った。
だが二人だけ、真逆の反応を示していた。
まず、美琳を殴ってしまった兵士。彼は完全に怯えていた。
彼にとって女を殴ることは躾であった。確かに殴った瞬間は動揺したが、その行為自体に後悔をしている訳ではなかった。一方で王の旧知の仲だったらしいのも問題ないだろう。ここにいる時点で彼女が関わる可能性は低いのだろうから。おそらく自分に罰が下ることもないだろうから、それもどうでもいい。
そんなことよりも、笑顔で話すことの方が信じられなかった。
殴った直後でも少女が気にしてない素振りだったのは、自分の正当性を認めてくれたからだと兵士は思っていた。しかしそれは違う。
彼女は本当に気にしていないのだ。
兵士は少女の異常さをひしひしと感じた。そしてなるべくならこれ以上は関わらずにいたい。そう願わざるをえなかった。
そしてもう片方の勇豪。彼は閉口していた。
美琳とは数日しか行動していない。が、物怖じせず、頑固で、そして気性が激しいのは把握していた。そんな彼女が他人の指導如きで素直に自分を曲げることはない。ならば何故大人しく従ったのか。美琳を見れば一目瞭然だった。
弧を描いた彼女の目には焔が燃え盛っている。自分に向けて、まっすぐに。これはきっと、案内役が俺の隠していたことを暴露してしまったのだろう。間違いなく文生様絡みのことで。
「チッ……面倒くせぇな」
勇豪は辟易した。確かに美琳はこうやって王城まで付いてくるのは叶った。しかし二人の運命が変わる由もない。彼女がどう足掻こうと、庶人と王が一緒になる未来は起こりえないのだから。
そんな風に勇豪が内心で独りごちていると、美琳の目線がより険しくなっていた。
しかし勇豪も慣れてきていた。
こんな小娘に何度も怯んでいられない……と、睨み返す。するとふと気になった。
(こいつ、何歳だ……? あいつの娘、って言ってたんだから……あいつが子供を産める頃の子だよな?)
勇豪は怪訝な顔をする。と、急に美琳は目を泳がせ始め、誤魔化すように周囲の兵たちと話し始めた。その挙動はまるで勇豪の睨みに負けたようであった。勇豪は彼女のその姿に満悦すると、何故だか彼女の歳など気にならなくなった。
わいわいと兵士たちが歓談していると、いつの間にか夕陽が沈みかけていた。勇豪は訓練場を見回すと、集まっていた兵士たちに指示を出す。
「お前ら! そろそろ夕餉の時間だ、早く食堂に行け!」
途端、ざわめきが止まり、兵士たちは慌てて訓練場近くの食堂に向かう。
夕焼けに染まった訓練場には、勇豪と美琳だけが残った。
夏の生温い風で美琳の濡れ羽色の髪がなびく。彼女の髪は黄昏色を吸い込み、黒にも茜にも変化する。後れ毛が少女の白い肌をくすぐり、睫毛は影を落として瞳を覆う。そしてその栗色の瞳はどこまでも澄み渡っていた。
神々しいようでいて、儚くもある少女のその姿は、掻き抱いて、どんな脅威からも守りたくなるような趣があった。
しかし勇豪は少しも心動かされなかった。いや、正確に言えば、庇護欲以外の感情しかなかった。
「勇豪さん」
美琳が乱れた髪を耳に掛けながら呼びかける。
「む……あぁ、お前も早く食堂に行けよ。場所は訓練場の左側にある小さな建物だからな」
勇豪は指で指し示しながら話した。それに対し美琳は頭を振った。
「場所は分かりますよ。皆さんが向かって行った場所でしょう? そうじゃなくて……」
「……じゃあ、なんだ」
「先程聞いたんです。軍の『仕組み』を。勇豪さん、嘘吐いてましたね?」
「ッ……!」
刹那、勇豪の体が強張る。
美琳には遅かれ早かれバレるであろう、と思っていた。そして彼女が怒りを募らせるであろうことも。だからこの反応は予想の範囲内であった。
――だが一人の少女の眼差しに竦むことになるとは思わなかった。
彼女の殺気は戦場の兵と匹敵する程だった。蛇のように鋭い目が勇豪を詰り、今にも飛び掛からんとしているようだった。その鬼気迫る姿に威圧された勇豪の額からは脂汗がだらだらと溢れた。
その一方で、美琳の声はひどく静かだった。
「でもね、そんなことはどうでもいいの。だってあたしが文生と『生きられるか』が大事なんだもの。だから……あり得ないことは壊せばいいんでしょう?」
そう言って美琳は極上の笑みを浮かべる。
「あたし、頑張りますね。戦で活躍して、誰よりも役に立つんだって証明して、文生といるのに相応しい『人』になります。だから、勇豪さんも力を貸してくださいね?」
ひくり、と勇豪の喉が動く。そして勇豪はごくり、と大きな音を立てて生唾を呑んだ。
勇豪は彼女の美貌が文生への執念を隠すために在るような気がしてならなかった。しかもそれを上手く扱い始めるようになった。それが文生のためになるからと勇豪が話したからだ。
想像よりも遥かに強い少女の想い――泥沼のような、汚く、淀んだ執念を肌で感じた勇豪は、自分の手に負えない、と直感した。そしてもう己が出来ることは一つだけだとも理解した。
「……ったく、仕方ねぇな。明日からしごいてやるからな」
「ありがとうございます」
美琳は可愛らしく微笑んで礼を述べ、つと、食堂の方に顔を向ける。
「じゃあ、食堂に行ってきますね」
そう言うや、美琳は軽やかな足音を残して去っていった。
「思ったよりも厄介な奴を引き取っちまったかな」
勇豪は凝り固まってしまった体を解しながら自宅へ戻るべく訓練場に背中を向けて、あっけらかんと呟いた。
「ま、なるようにしかならんだろ」
勇豪の背に薄暮れの空が広がっていく。
そこに一つ、金色の星が輝いていた。
自分の仕事は彼を警護することまで。文生の苦悩に寄り添う、なんてことは今後二度と起こりえない。それどころか今後は気軽に話すことすら叶わないだろう。
もう彼は、どこにでもいる素朴な青年ではなくなったのだから。
だが自分が職務を全うすることこそ彼の助けになるだろう。そう信じて自分なりに努力するしかない。
勇豪は文生と過ごした数日間を思い出しながら、今度は振り返ることなく兵舎へと向かうのであった。
兵舎に戻ると何やらいつもの空気感と違っていた。全体的に兵士たちに落ち着きがなく、皆訓練場の方を気にしているようだった。
勇豪は近くにいた兵士に、後ろから声をかける。
「どうした、何かあったのか」
それに対して兵士はぶっきらぼうに答える。
「どうしたもこうしたも、なんかやたら綺麗な女の子が来てて……。誰かの連れなんじゃねぇかって噂なんだよ。ほら、あんたも覗いてみ、ッてうおわ!」
覗き見に誘おうとして後ろを向いた兵士は、声の主を見て慌てふためく。
「ご、大尉! 今のは間違えてッ!」
なんとか取り繕うとする兵士。だが勇豪は特に咎めることなく、遠くにいる少女を見やる。
「あー……。あいつのことか。そういや、ああいうのが世間じゃ受けがいいんだっけか」
「え、大尉の知り合いですか? も、もしかして……?」
兵士がにやけながら小指を立てて示す。と、勇豪が彼の頭を叩《はた》く。
「痛ッ! なんなんですか大尉~」
兵士が頭頂部を摩りながら不満を言うと、勇豪は呆れる。
「お前がふざけたこと言うからだろうが。誰があんな女と好き好んで関わるかよ」
「あんな女って……。じゃあどういうお知り合いで?」
その問いに、勇豪は苦虫を噛み潰したような顔になる。
「あいつは王の昔の連れだ。未練たらしく王城に連れて行けと煩くてな。まぁそれで……なんだかんだで軍に入ってもらうことにした」
勇豪の言葉に兵士は溜息を吐く。
「一番大事なとこ省かないでくださいよ、大尉。というか、女は軍に入れないじゃないですか。どうしてまたそんなことを?」
「あいつは女だけど役に立つっていうか、兵士向きっていうか……」
勇豪は頭を掻き毟りながらかったるそうに経緯を話そうと試みる。が。
「あぁもう面倒くせぇ!」
一声叫ぶと勇豪は、ずかずかと廊下を進んでいく。巨躯を有する彼が荒々しく歩いていくと、地面が揺さぶられ、兵舎にいる兵士たちに彼の到来が伝わっていく。
勇豪が訓練場に着く頃には、元から野次馬をしていた者はもちろん、休んでいた兵士までも顔を覗かせるようになっていた。
「おい、女!」
と勇豪が呼ぶと、美琳が振り返る。そしてその横にいた案内役の兵士が、肩を小さく跳ねて美琳に懇願の目を向けた。そんな彼に美琳はちらりと目線を流す。直後、いつもと変わらぬ顔で勇豪に返事をする。
「なんですか? 勇豪さん。というか、あたしには『美琳』っていう名前があるので、ちゃんと呼んでもらえますか?」
「あ?」
そのとき勇豪は、美琳が敬語を使っていることに引っかかった。が、特に気に留めることなく話を続ける。
「そういやそんな名前だったな。そんなことよりお前、手ぇ出せ、手」
美琳は唐突な要求に戸惑いながらも、大人しく右手を差し出す。すると勇豪が左手で美琳の右腕を掴み、右手で腰に下げていた青銅製の短剣を抜く。
大人しく見守っていた兵士たちは何が行われるのか一瞬で悟り、勇豪を止めるために慌てて躍り出た。だが一歩間に合わなかった。
少女の掌に、短剣が振り下ろされ、深く突き刺さる。
刹那、二人を囲んでいた兵らは目を見開く。
たった今、目の前で行われた残虐な行い。普通ならば少女は泣き叫んだりするだろう。だのに、勇豪も少女も平然としている。
兵士たちは勇豪の凶行に驚きつつ、二人が動じない理由も察した。
少女の右手からは一滴の血も流れていない。勇豪が短剣を抜き取れば、見る間に傷が治っていく。後はもう、短剣が刺さっていた痕跡など微塵もない、柔く可愛らしい手があるばかりであった。
「ま、こういうこった」
勇豪は顎をしゃくる。
「こいつの体なら戦で役に立つだろ。まかり間違っても慰めのためじゃねぇから、お前らもそのつもりでいろよ」
兵士たちは唖然とし、ただ頷くしかなかった。
案内役の兵士も瞠目し、急いで美琳の顔を見る。するとそこには彼が殴った赤い痕はなく、元のつるりとした頬しかなかった。
兵士は自分の行いがバレないという安堵から肩の力が抜ける。すると、美琳と目が合った。
彼は気まずさと、戸惑いで目を逸らす。翻って美琳は無表情で見つめていた。が、数瞬後、興味を無くした顔で勇豪の方を向く。
「勇豪さん。皆さんにはあたしのこと『説明』出来ましたし、案内もしてもらいました。この後はどうすればいいんですか?」
「ん? そうだな……。とりあえず空き部屋を割り当てるから、今日はもう休め。訓練には明日から参加してもらうからな」
「分かりました」
慎ましやかに首肯する美琳。そんな彼女を勇豪は気味悪がる。
「……さっきから気になってたんだが。お前、やろうと思えばちゃんと話せんだな。急にどうした?」
「あぁ……」
と、美琳は零し、そして勇豪を見上げる。
「先程『指導』していただきまして。これからはあたしも軍の一員ですし、態度を改めないといけないな、って」
そう言って彼女が顔を綻ばせた瞬間、周囲にいた兵たちの空気が緩む。少女のあどけない笑顔は、むさくるしい男ばかりの兵舎に咲いた一輪の花のようであった。誰も少女の特異な体など気にならなくなり、あとはもう可愛らしい新米兵士を歓迎する雰囲気だけが残った。
だが二人だけ、真逆の反応を示していた。
まず、美琳を殴ってしまった兵士。彼は完全に怯えていた。
彼にとって女を殴ることは躾であった。確かに殴った瞬間は動揺したが、その行為自体に後悔をしている訳ではなかった。一方で王の旧知の仲だったらしいのも問題ないだろう。ここにいる時点で彼女が関わる可能性は低いのだろうから。おそらく自分に罰が下ることもないだろうから、それもどうでもいい。
そんなことよりも、笑顔で話すことの方が信じられなかった。
殴った直後でも少女が気にしてない素振りだったのは、自分の正当性を認めてくれたからだと兵士は思っていた。しかしそれは違う。
彼女は本当に気にしていないのだ。
兵士は少女の異常さをひしひしと感じた。そしてなるべくならこれ以上は関わらずにいたい。そう願わざるをえなかった。
そしてもう片方の勇豪。彼は閉口していた。
美琳とは数日しか行動していない。が、物怖じせず、頑固で、そして気性が激しいのは把握していた。そんな彼女が他人の指導如きで素直に自分を曲げることはない。ならば何故大人しく従ったのか。美琳を見れば一目瞭然だった。
弧を描いた彼女の目には焔が燃え盛っている。自分に向けて、まっすぐに。これはきっと、案内役が俺の隠していたことを暴露してしまったのだろう。間違いなく文生様絡みのことで。
「チッ……面倒くせぇな」
勇豪は辟易した。確かに美琳はこうやって王城まで付いてくるのは叶った。しかし二人の運命が変わる由もない。彼女がどう足掻こうと、庶人と王が一緒になる未来は起こりえないのだから。
そんな風に勇豪が内心で独りごちていると、美琳の目線がより険しくなっていた。
しかし勇豪も慣れてきていた。
こんな小娘に何度も怯んでいられない……と、睨み返す。するとふと気になった。
(こいつ、何歳だ……? あいつの娘、って言ってたんだから……あいつが子供を産める頃の子だよな?)
勇豪は怪訝な顔をする。と、急に美琳は目を泳がせ始め、誤魔化すように周囲の兵たちと話し始めた。その挙動はまるで勇豪の睨みに負けたようであった。勇豪は彼女のその姿に満悦すると、何故だか彼女の歳など気にならなくなった。
わいわいと兵士たちが歓談していると、いつの間にか夕陽が沈みかけていた。勇豪は訓練場を見回すと、集まっていた兵士たちに指示を出す。
「お前ら! そろそろ夕餉の時間だ、早く食堂に行け!」
途端、ざわめきが止まり、兵士たちは慌てて訓練場近くの食堂に向かう。
夕焼けに染まった訓練場には、勇豪と美琳だけが残った。
夏の生温い風で美琳の濡れ羽色の髪がなびく。彼女の髪は黄昏色を吸い込み、黒にも茜にも変化する。後れ毛が少女の白い肌をくすぐり、睫毛は影を落として瞳を覆う。そしてその栗色の瞳はどこまでも澄み渡っていた。
神々しいようでいて、儚くもある少女のその姿は、掻き抱いて、どんな脅威からも守りたくなるような趣があった。
しかし勇豪は少しも心動かされなかった。いや、正確に言えば、庇護欲以外の感情しかなかった。
「勇豪さん」
美琳が乱れた髪を耳に掛けながら呼びかける。
「む……あぁ、お前も早く食堂に行けよ。場所は訓練場の左側にある小さな建物だからな」
勇豪は指で指し示しながら話した。それに対し美琳は頭を振った。
「場所は分かりますよ。皆さんが向かって行った場所でしょう? そうじゃなくて……」
「……じゃあ、なんだ」
「先程聞いたんです。軍の『仕組み』を。勇豪さん、嘘吐いてましたね?」
「ッ……!」
刹那、勇豪の体が強張る。
美琳には遅かれ早かれバレるであろう、と思っていた。そして彼女が怒りを募らせるであろうことも。だからこの反応は予想の範囲内であった。
――だが一人の少女の眼差しに竦むことになるとは思わなかった。
彼女の殺気は戦場の兵と匹敵する程だった。蛇のように鋭い目が勇豪を詰り、今にも飛び掛からんとしているようだった。その鬼気迫る姿に威圧された勇豪の額からは脂汗がだらだらと溢れた。
その一方で、美琳の声はひどく静かだった。
「でもね、そんなことはどうでもいいの。だってあたしが文生と『生きられるか』が大事なんだもの。だから……あり得ないことは壊せばいいんでしょう?」
そう言って美琳は極上の笑みを浮かべる。
「あたし、頑張りますね。戦で活躍して、誰よりも役に立つんだって証明して、文生といるのに相応しい『人』になります。だから、勇豪さんも力を貸してくださいね?」
ひくり、と勇豪の喉が動く。そして勇豪はごくり、と大きな音を立てて生唾を呑んだ。
勇豪は彼女の美貌が文生への執念を隠すために在るような気がしてならなかった。しかもそれを上手く扱い始めるようになった。それが文生のためになるからと勇豪が話したからだ。
想像よりも遥かに強い少女の想い――泥沼のような、汚く、淀んだ執念を肌で感じた勇豪は、自分の手に負えない、と直感した。そしてもう己が出来ることは一つだけだとも理解した。
「……ったく、仕方ねぇな。明日からしごいてやるからな」
「ありがとうございます」
美琳は可愛らしく微笑んで礼を述べ、つと、食堂の方に顔を向ける。
「じゃあ、食堂に行ってきますね」
そう言うや、美琳は軽やかな足音を残して去っていった。
「思ったよりも厄介な奴を引き取っちまったかな」
勇豪は凝り固まってしまった体を解しながら自宅へ戻るべく訓練場に背中を向けて、あっけらかんと呟いた。
「ま、なるようにしかならんだろ」
勇豪の背に薄暮れの空が広がっていく。
そこに一つ、金色の星が輝いていた。
0
お気に入りに追加
24
あなたにおすすめの小説
来し方、行く末
紫乃森統子
歴史・時代
月尾藩家中島崎与十郎は、身内の不義から気を病んだ父を抱えて、二十八の歳まで嫁の来手もなく梲(うだつ)の上がらない暮らしを送っていた。
年の瀬を迎えたある日、道場主から隔年行事の御前試合に出るよう乞われ、致し方なく引き受けることになるが……
【第9回歴史・時代小説大賞で奨励賞を頂きました。ありがとうございます!】
【完結】月よりきれい
悠井すみれ
歴史・時代
職人の若者・清吾は、吉原に売られた幼馴染を探している。登楼もせずに見世の内情を探ったことで袋叩きにあった彼は、美貌に加えて慈悲深いと評判の花魁・唐織に助けられる。
清吾の事情を聞いた唐織は、彼女の情人の振りをして吉原に入り込めば良い、と提案する。客の嫉妬を煽って通わせるため、形ばかりの恋人を置くのは唐織にとっても好都合なのだという。
純心な清吾にとっては、唐織の計算高さは遠い世界のもの──その、はずだった。
嘘を重ねる花魁と、幼馴染を探す一途な若者の交流と愛憎。愛よりも真実よりも美しいものとは。
第9回歴史・時代小説大賞参加作品です。楽しんでいただけましたら投票お願いいたします。
表紙画像はぱくたそ(www.pakutaso.com)より。かんたん表紙メーカー(https://sscard.monokakitools.net/covermaker.html)で作成しました。
幕末レクイエム―誠心誠意、咲きて散れ―
馳月基矢
歴史・時代
幕末、動乱の京都の治安維持を担った新撰組。
華やかな活躍の時間は、決して長くなかった。
武士の世の終わりは刻々と迫る。
それでもなお刀を手にし続ける。
これは滅びの武士の生き様。
誠心誠意、ただまっすぐに。
結核を病み、あやかしの力を借りる天才剣士、沖田総司。
あやかし狩りの力を持ち、目的を秘めるスパイ、斎藤一。
同い年に生まれた二人の、別々の道。
仇花よ、あでやかに咲き、潔く散れ。
schedule
公開:2019.4.1
連載:2019.4.7-4.18 ( 6:30 & 18:30 )
陸のくじら侍 -元禄の竜-
陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた……
水野勝成 居候報恩記
尾方佐羽
歴史・時代
⭐タイトルを替えました。
⭐『福山ご城下開端の記』もよろしくお願いします。
⭐福山城さま令和の大普請、完成おめでとうございます。
⭐2020年1月21日、5月4日に福山市の『福山城築城400年』Facebookでご紹介いただきました。https://m.facebook.com/fukuyama400/
備後福山藩初代藩主、水野勝成が若い頃放浪を重ねたあと、備中(現在の岡山県)の片隅で居候をすることになるお話です。一番鑓しかしたくない、天下無双の暴れ者が、備中の片隅で居候した末に見つけたものは何だったのでしょうか。
→本編は完結、関連の話題を適宜更新。
猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~
橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。
記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。
これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語
※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

土方歳三ら、西南戦争に参戦す
山家
歴史・時代
榎本艦隊北上せず。
それによって、戊辰戦争の流れが変わり、五稜郭の戦いは起こらず、土方歳三は戊辰戦争の戦野を生き延びることになった。
生き延びた土方歳三は、北の大地に屯田兵として赴き、明治初期を生き抜く。
また、五稜郭の戦い等で散った他の多くの男達も、史実と違えた人生を送ることになった。
そして、台湾出兵に土方歳三は赴いた後、西南戦争が勃発する。
土方歳三は屯田兵として、そして幕府歩兵隊の末裔といえる海兵隊の一員として、西南戦争に赴く。
そして、北の大地で再生された誠の旗を掲げる土方歳三の周囲には、かつての新選組の仲間、永倉新八、斎藤一、島田魁らが集い、共に戦おうとしており、他にも男達が集っていた。
(「小説家になろう」に投稿している「新選組、西南戦争へ」の加筆修正版です)
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる