永遠の伴侶

白藤桜空

文字の大きさ
上 下
5 / 97
山雨来らんと欲して、風、楼に満つ

5

しおりを挟む
 森の出会いから数年。
 少年だった文生ウェンシェン精悍せいかんな青年に育ち、成人の儀を控える歳になった。
 少女だった美琳メイリンもすっかり大人の女性に……なってはいなかった。
 美琳は出会った頃の少女然とした姿のまま、成長することがなかった。
 本来なら異常に映る姿だろう。だが、村人たちは幼い見た目なだけできっとすでに成人していたのだろう、となんとなく・・・・・結論づけていた。何故なら言葉も知らずに育った美琳が自分の歳を知らなくて当然だろう、とそう思ったからだ。
 二人は影の濃くなり始めた田んぼの中、慣れた手付きで稲をいじりながら話している。
「文生、今日は早めに切り上げない? 明日は成人の儀をやるんですもの、せっかくだから夜はゆっくり過ごしましょうよ」
 それに文生が落ち着いた口調で返す。
「そうだね。あとここらの虫だけ取り除いたら切り上げようか」
「やった! じゃあパパっとやっちゃうわね」
「……美琳? もしかして、僕のことにかこつけて早く終わらせたかっただけなんじゃない?」
「そッ、そんなことないわよ? あ、そうだ。せっかくだからお隣からお酒を分けてもらいましょうよ。婆様が喜ぶわよ?」
 美琳は誤魔化すように話題を変える。そして気まずそうに目を逸らしたり、かと思えばほがらかに笑ったりと忙しない。
 そんな彼女の表情には、出会った頃のただ人形のように微笑むだけの少女の面影はなかった。天真爛漫で、けれど華やかな美しさを持った一人の〝女〟へと変貌を遂げていた。
 文生は彼女のコロコロと変わる表情を愛おしそうに見つめる。
 それに気付いた美琳は頬を膨らませて睨みつける。
「なぁに? 何がそんなに可笑おかしいの?」
「いや、何もないよ。ただ君と初めて会った頃を思い出していただけだよ」
「もう、またその話? だってしょうがないじゃない、何も覚えてなかったんだもの。それを言ったら文生だって、あたしのこと見て慌ててたじゃない! 顔も真っ赤にさせて……」
「わ、それは言わないでよ。ほら、お酒をもらいに行くんでしょう? 早く終えないと暗くなって帰れなくなるよ」
「あ! そうだった。じゃあどっちが早く終わるか競争ね! 負けた方がご飯を作りましょ!」
「それやって君が勝った試しがないじゃないか」
「今日こそ勝てるかもしれないじゃない! もうあたし終わりそうだしッ!」
「僕はもう終わったよ」
「うそー! また負けたなんて!」
 そう言った美琳が心底悔しそうで、文生は笑い声を響かせる。
 仲睦まじく戯れながら二人は作業を終えると、あかく染まりつつある田んぼを後にして隣家へ向かう。
 穏やかで、平和な時間。それがこれからもずっと続くと二人は信じていた。
 ――美琳が森での記憶を決して話さないことも、歳を取るごとに老婆が文生に対して余所余所よそよそしくなっていることも、気付かぬ振りをして。
 ただお互いがいればそれで充分。愛しい人がいるだけで幸せ。
 二人の想いはそれだけだった。

 田んぼから少し歩くと、隣家を視界に捉えられるところまで来た。すると文生はある異変に気付く。咄嗟とっさに足を止め、美琳にも動かぬよう指示すると、遠目から様子をうかがう。
 その視線の先には村では見たことのない、巨大な人影があった。二人からその男の顔は見えなかったが、村人たちと装いが違うことだけは分かった。
 彼の着物は村人の素朴な着物と比べて色鮮やかで、その上には青銅の鎧を身に纏っていた。それだけで文生は、彼が都城とじょうからやってきた兵士と思い至った。文生はそのまま目線を動かして奥を見やる。と、身分の高い人を運ぶ馬車と、護衛兵たちが控えているのが確認出来た。そしてその集団からはただならぬ雰囲気があふれ出ていた。文生が巨躯きょくの男に視線を戻すと、彼は隣家の女性に話を聞いているようだった。そして遠くからでも彼女が困っているのが見て取れた。女性は周囲を見回して、何かを探している。が、ふと文生と目が合うと、文生の方を指し示した。
 それに合わせて兵士がこちらに振り向き、大股でこちらに向かってきた。そして二人のそばに立った彼は、熊を思わせる巨漢であった。
 二人はポカン、と口を開けて見上げる。
 異様な迫力のあるこの男は只者ではないだろう、と文生は思った。文生は美琳を後ろに庇いながらまなじりを吊り上げ、震える声で言う。
「何かご用ですか?」
 しかし男は文生の虚勢を意に介さず、淡々と話す。
「貴方が文生様か?」
「……ええ。僕が文生です」
「そうですか。俺……私は護衛長を務める大尉の勇豪ヨンハオと言……申します。都城から貴方をお迎えに上がりました。急ぎ支度をしてもらいます」
 文生は勇豪の言葉にただ呆然とするしかなかった。
 そんな彼の背中に、美琳はそっと手を添えた。だが文生がそれに気付くことはなかった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

幕末レクイエム―士魂の城よ、散らざる花よ―

馳月基矢
歴史・時代
徳川幕府をやり込めた勢いに乗じ、北進する新政府軍。 新撰組は会津藩と共に、牙を剥く新政府軍を迎え撃つ。 武士の時代、刀の時代は終わりを告げる。 ならば、刀を執る己はどこで滅ぶべきか。 否、ここで滅ぶわけにはいかない。 士魂は花と咲き、決して散らない。 冷徹な戦略眼で時流を見定める新撰組局長、土方歳三。 あやかし狩りの力を持ち、無敵の剣を謳われる斎藤一。 schedule 公開:2019.4.1 連載:2019.4.19-5.1 ( 6:30 & 18:30 )

陸のくじら侍 -元禄の竜-

陸 理明
歴史・時代
元禄時代、江戸に「くじら侍」と呼ばれた男がいた。かつて武士であるにも関わらず鯨漁に没頭し、そして誰も知らない理由で江戸に流れてきた赤銅色の大男――権藤伊佐馬という。海の巨獣との命を削る凄絶な戦いの果てに会得した正確無比な投げ銛術と、苛烈なまでの剛剣の使い手でもある伊佐馬は、南町奉行所の戦闘狂の美貌の同心・青碕伯之進とともに江戸の悪を討ちつつ、日がな一日ずっと釣りをして生きていくだけの暮らしを続けていた…… 

幕末レクイエム―誠心誠意、咲きて散れ―

馳月基矢
歴史・時代
幕末、動乱の京都の治安維持を担った新撰組。 華やかな活躍の時間は、決して長くなかった。 武士の世の終わりは刻々と迫る。 それでもなお刀を手にし続ける。 これは滅びの武士の生き様。 誠心誠意、ただまっすぐに。 結核を病み、あやかしの力を借りる天才剣士、沖田総司。 あやかし狩りの力を持ち、目的を秘めるスパイ、斎藤一。 同い年に生まれた二人の、別々の道。 仇花よ、あでやかに咲き、潔く散れ。 schedule 公開:2019.4.1 連載:2019.4.7-4.18 ( 6:30 & 18:30 )

鬼を討つ〜徳川十六将・渡辺守綱記〜

八ケ代大輔
歴史・時代
徳川家康を天下に導いた十六人の家臣「徳川十六将」。そのうちの1人「槍の半蔵」と称され、服部半蔵と共に「両半蔵」と呼ばれた渡辺半蔵守綱の一代記。彼の祖先は酒天童子を倒した源頼光四天王の筆頭で鬼を斬ったとされる渡辺綱。徳川家康と同い歳の彼の人生は徳川家康と共に歩んだものでした。渡辺半蔵守綱の生涯を通して徳川家康が天下を取るまでの道のりを描く。表紙画像・すずき孔先生。

余り侍~喧嘩仲裁稼業~

たい陸
歴史・時代
伊予国の山間にある小津藩は、六万国と小国であった。そこに一人の若い侍が長屋暮らしをしていた。彼の名は伊賀崎余一郎光泰。誰も知らないが、世が世なら、一国一城の主となっていた男だった。酒好き、女好きで働く事は大嫌い。三度の飯より、喧嘩が好きで、好きが高じて、喧嘩仲裁稼業なる片手業で、辛うじて生きている。そんな彼を世の人は、その名前に引っかけて、こう呼んだ。余侍(よざむらい)様と。 第七回歴史・時代小説大賞奨励賞作品

織田信長に育てられた、斎藤道三の子~斎藤新五利治~

黒坂 わかな
歴史・時代
信長に臣従した佐藤家の姫・紅茂と、斎藤道三の血を引く新五。 新五は美濃斎藤家を継ぐことになるが、信長の勘気に触れ、二人は窮地に立たされる。やがて明らかになる本能寺の意外な黒幕、二人の行く末はいかに。 信長の美濃攻略から本能寺の変の後までを、紅茂と新五双方の語り口で描いた、戦国の物語。

佐々木小次郎と名乗った男は四度死んだふりをした

迷熊井 泥(Make my day)
歴史・時代
巌流島で武蔵と戦ったあの佐々木小次郎は剣聖伊藤一刀斎に剣を学び、徳川家のため幕府を脅かす海賊を粛清し、たった一人で島津と戦い、豊臣秀頼の捜索に人生を捧げた公儀隠密だった。孤独に生きた宮本武蔵を理解し最も慕ったのもじつはこの佐々木小次郎を名乗った男だった。任務のために巌流島での決闘を演じ通算四度も死んだふりをした実在した超人剣士の物語である。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

処理中です...