第3トンネル

にゃあ

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振り返るとそこには

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 心臓が鷲掴みにされたように、ギュッと縮み上がる。
 走りだしたい衝動を必死に堪えて、俺は立ち止まった。
 何も確かめずに行くのか。
 何の為に此処まで来たんだ。

 意を決して、肩越しに後ろを振り返ろうとした。そこにいるモノをこの目で確かめるために。
 ふと、視界の隅に懐中電灯の光に照らし出された壁が見えた。
 壁はそこで終わっている。トンネルの出口だ。
 ちょっと走れば、すぐに外に出られる。

 しかし振り返れば、そこに霊がいるはずだ。
 真っ青な顔で首に締められた跡をベッタリと張り付けた中年の女なのか。
 頭から血を流し、千切れ掛かった手足をブラつかせる女子高生なのか。
 手首から血を滴らせた寂しげな中学生の女の子なのか……。
 確かめるんだ。 

 ゆっくりと、振り向いた。   

 …………。

 しかし、そこにはただ漆黒の闇が続いているだけだった。

 トンネルから少し離れると、俺は深く息を吐き出した。
 両手を膝に付くと思わず前屈みになった。
 全身に力が入らない。
 膝はガクガクと震え、まるできつい登山をした直後のようだ。暫くそのままの姿勢でいた。

 震える手で胸のポケットを探ると煙草の箱を取り出した。揺れる火を手で覆い、火をつける。
 深く煙を吸い込む。肺の中で紫色の煙が渦巻いているのが分かるようだった。

 俺の後ろには何も見えなかった。
 ただ気配だけが、強烈なモノの気配だけが感じられるだけだった。

 あれは、何かの霊だったのだろうか……。

 俺はまたトンネルの暗い入口を見た。
 目が慣れてきたのか、回りに生い茂る木々の輪郭がよく見える。強い風に揺れていた。 
 俺はゾワゾワとうごめく木々から逃れるように目を背けた。
 森の奥から何かの気配が感じられたような気がして、背筋に悪寒が走る。
 まるで生命ある俺の存在をなじるような視線を感じる。
 
 吹き飛ばされた葉が俺の目の前を掠め飛んで行き、トンネルの中へと消えた。
 背筋を流れた凍った汗が、風に吹かれて余計に冷たく感じた。一匹の小さな蛾が懐中電灯の光に纏わり付く。

 暫く放心したように立っていた俺だったが、トンネルに向かってまた歩きだした。
 車は向こう側にあるのだから、もう一度トンネルの中に入らなくてはならない。   
 
 俺は再度、暗闇の中に足を踏み入れた。
 途中、先程と同じ感覚が俺を襲った。
 後ろに何かがまたいる。
 
 今度はすぐに振り向いてみた。しかし、そこには何もいない。
 懐中電灯の光を向けてみても、何も見えない。
 あるいは俺の前に回り込んだのかと、そっちに光芒を向けるがやはり何も見えない。
 
 壁を照らしてみる。汚らしい染みはあちこちに浮き出ているが、よく見れば人の顔なんかには見えない。
 ただの染みだ。三つの点があれば、人の顔に見えるという、ただの錯覚だ。  
 
 足は自然に早足になる。もうすぐ出口だ。外には木々の合間に星が見えた。
 程なくしてトンネルの外に出た。
 
 今まで感じていた圧迫感もスッと消え、背中が軽くなったような気がした。
 車の所に戻ると、ドアを開けシートに崩れるように座った。
 暫くそのままでいた。辺りに聞こえるのは、風の音と、虫の鳴き声だけだ。
 
 気持ちが落ち着いてきた。結局、何も起こらなかった。
 トンネルの中で頻りに感じた圧迫感や何者かの気配は、単なる錯覚ということになる。
 怖い怖いと思う気持ちが、何かの気配を感じるようにさせたのか。
 何かを見た訳でも無い。何かの音を聞いた訳でも無い。何かが起こった訳でも無い。

 深く息を吐いた。
 やはり何も出てこなかった……。  

 トンネルの中ではあれ程怖かったのに、終わってみれば安堵感が広がった。
 今度こそ何かを見られると思ったのに。結局、この心霊スポットでも何も起こらなかった。

 来るまでにあった、あれは何だったんだろう。
 あのラーメン屋の店員の話。
 茶髪たちの話と、凄惨なリンチ。
 そして、不意に現れた自殺で娘を亡くしたという夫婦。
 
 全てが何か異界での出来事のように思える。
 俺はふとした事で、異界に迷い込んだのかもしれない。
 しかしその異界の住人である少女の霊は、俺の前に姿を現してはくれなかった。
 
「まあ、こんなもんさ」

 俺は自虐気味に独り言を呟いた。
 
 トンネルの中ではあんなに恐怖に戦いていたのに、何も無かったので少し馬鹿らしくなって来たのだ。
 それは、さっき味わったあまりの恐怖に対する反動だったのかも知れない。
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