第3トンネル

にゃあ

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自殺した女子中学生の霊

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 女は真っ直ぐ一点を見つめたまま同じ言葉を繰り返した。

「お願い。娘の所へ連れて行って」

 気がふれているのか?
 どう見てもまともじゃない。
 その弱々しい外見から危険さは感じられないが、このまま乗せていくわけにもいかない。
 しかし車から降ろして、そしてそれからどうしたらいいのか? 
 警察を呼ぶのか。余計なことに巻き込まれたくはない。降ろしたらそのまま放っておけばいいのか。

 不意に俺の側の窓ガラスが叩かれた。
 目を向けると、中年の男がしきりに頭を下げて何事か言っている。
 俺はウインドウを下ろした。

「すみません。家内がご迷惑をかけてしまって」

 男は助手席の女を見やりながら言った。気の弱そうな笑顔を浮かべ、何回も頭を下げる。


「……いや」

 俺は何と言っていいか言葉が出ない。
 男は助手席側に回ると車のドアを開けた。
 女の身体に手を掛け、優しく声を掛けながら車から立たせようとする。

「ほら、他の人に迷惑を掛けてはいけないよ。あの子の所には今度行ってあげよう。ね、ほら立って」

「……あの子はまだあんな暗いところを彷徨っているんだよ。可哀相に……たったひとりで」

 女は呟くように言った。

「うん。わかってる」

 男は何度も頷くと女の手を握りしめた。

「でも、この人には関係ないんだ。私たちで弔ってやらなきゃ」 

 俺はただその様子を見守っているだけだ。
 男は暫く女を見つめながら黙っていたが、ゆっくりと口を開いた。

「……この先にトンネルがあるんです」

 俺は凍ったように身動きができない。

「そこで彷徨っているんです。娘が」

 俺の心臓がまた早鐘を打ち出した。

「……自殺した当時中学生の私たちの娘です」

 たった今お茶を一気飲みしたのに、再び喉がカラカラに渇いていてひりついたようになる。
 声が出ない。

「あの子があんなに悩んでいるなんて、私たちには分かりませんでした。まさか自殺を考えているなんて。……でも、今から考えるとそんな兆候はいっぱいあったんです。私たちが気が付いてやらなかっただけで……私たちには、何もやってあげることができなかったんです」

「………」

「だから、まだ彷徨っているのよ」

 女が呟いた。

「そうだ。私たちにまだ訴えたいことがあるんだろう」

「あの子は寂しそうに、あそこに立っていた。何が言いたいの、って話しかけても、ジッと私の顔を見るだけだった。まだ……手首から血が滴り落ちていた」

 背筋を悪寒が走り抜ける。冷たい汗が背中を不快に滴り落ちた。

「あの子はまだあそこに彷徨っているのよ。あんな寂しい真っ暗な所で、独りぼっちで……」

 女の言葉の最後に嗚咽が混じった。涙が頬を伝わる。

「……可哀想だったな」

 男は寂しげに呟くと、女の身体に手を掛け立ち上がらせようとする。女は初め抵抗するそぶりを見せたが、それでも素直にシートから立ち上がった。女の身体を支えた男は、一度振り返って俺に会釈をするとそのまま歩いていった。

 二人の背中は音も立てずに暗い闇の中に消えていった。
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