黄昏のザンカフェル

新川 さとし

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第2章 三人の婚約者

その7 ルーストハイム邸

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 ピピンと綿密に打ち合わせをした後で、いよいよ外出である。紋章入りの馬車に乗るのは、何も見栄だけの問題ではない。こうやって「わかる」ようにしてあげないと、相手に迷惑がかかるからね。

 庶民や、商人の馬車だったら貴族の馬車を問答無用でよけるのが礼儀(と言うよりも、後が怖いので)だけれども、貴族は、そう簡単にいかない。お互いの「先触れ」同士が紋章を確認し合って、自分よりも格が高い家だったら、すぐに横道に入る必要がある。

 今回は、なにしろ王位継承権第五位の公爵家嗣子プリンスによる「公式訪問」だ。道中の警護や先触れ、交通規制に回る人間まで含めると、ウチが百人。ルーストハイム家が三百人と言ったところ。もちろん、その中には魔法使いの部隊まである。

 ちなみに、訪問するオレの側は、ルーストハイム家の警護の連中に、後ほど「御酒下され」と呼ばれるご褒美を振る舞うことになっている。

 えっと、だいたいひとりあたり5千円かかる計算で、百五十万以上が吹っ飛ぶ計算だ。こっちの貨幣だと、小金貨が十五枚、中銀貨にすれば千五百枚となる。

 これがどのくらいの価値かというと、庶民なら、家族三人が中銀貨五枚で一ヶ月暮らせると言われているので、すごくアバウトに言うと千人が一年暮らせる感じに近い。

 言っておくけど、この世界は庶民と貴族の経済格差がとんでもないことになっている。庶民の食べ物、着る物、住むところ、全部安いんだけど、貴族の世界は、物価が別。

 オレが飲む紅茶は、一杯分が中銀貨十枚になる。ま、少し大雑把だけど、庶民の物価は日本の十分の一。貴族の物価はは日本の十倍という感じかな。ともあれ、庶民から見たら、目の玉が飛び出るほどの「デート代」をかけてるワケだ。

 侯爵邸の大門が見えてきた瞬間、向こうでもこちらを見つけてサッと開門される。

 儀仗兵達が整列していた。武闘派の家だけに全員が厳ついのは笑ってしまう。

 その中央をゆっくりと進むのは相手への礼儀。迎える側は剣を腰に差したまま、お出迎えの間、何があっても動かないのが礼儀だ。あ、もちろん、刺客が現れたら別だけど、警備している場所まで、そんな輩を通してしまった時点で、失態となるわけ。だから、儀仗兵は絶対に動けない。蜂に刺されようと、鳥にフンを落とされようと、ぜ~んぶ、我慢するわけ。

 大変だよなぁ

 だから、通る時は、窓から顔を出すのがお約束。陪席の侍女がサッと、カーテンを開けた瞬間から、オレはにこやかに手を振ってみせる。

「ささげぇ!」

 指揮官の号令一下、敬礼。 この世界の剣士達は、右手を胸の前で水平に曲げて不動の姿勢を取る。

 けれども、鷹揚に手を振った後は、サッとカーテンが閉められてしまう。このあたりは、オレの意志ではどうしようもない。「慣例」を守るからこそ貴族なので。

 オレがするべきは、愛想を売ることではなく、威厳を見せること。そしてねぎらう為に、後で「御酒下され」を奮発することだからね。尊敬してやるから金を出せってワケさ。

 ちなみに、このプレゼントは、後で商人に売って良いいんだ。それで家族に土産を買うのが庶民というもの。それなら始めから金を渡せば良いじゃんって思うだろ? まあ、このあたりは、貴族のこだわりなんだろうね。

 王都の屋敷を取り仕切っている、ティアラの上から3番目の兄、ティニエッティ卿が、出迎えてくれていた。

「いらっしゃいませ、クリーグランド卿。本日は、当家へお運びいただき、まことに光栄にございます」
「御自らのお出迎えいただくとは、恐縮にございます。兄上」

 お互いに、片手を胸に当てての最敬礼をしながらの挨拶、第一声。貴族同士の敬礼は、兵士と違って、柔らかく斜めに優しく胸に当てる形だ。

 配下も見ている公式の場で、相手を「中心領地+卿」で呼ぶのは、本来は同格の貴族だけ。オレの場合は、義理の弟に当たるのと、まだ「嗣子」だから、これがアリになる。ちなみに格下の場合は「名前+卿」ね。

 あ、そうそう、跡継ぎクンは、父親の一つ下のランクの爵位を持っているとして対応するのが基本なんだ。まあ、細かいシキタリをくどくど言ってると、それだけで三十分はかかるほど面倒なこと。でも、貴族に生まれた以上、どれだけ大変であっても、子どもの頃から厳しく注意されて育つのは普通のことでもある。「必須の知識」なので、誰もが自然に使い分けてるからね。

  ここから大扉から入るまでに、お互いの健康をたたえ合い、配下や、領地のこと、屋敷のことを褒め合うという美しい儀式を務めてから十分以上かかった。

 ふぅ~ わかっているけど、面倒だぜ。

 とにかくにも、室内に入ったオレは、周囲の目から遮断されて、ティニエッティ卿と三人の女性達と向き合ったわけだ。

「愚妹のために、わざわざ申し訳ありません」

 ティニエッティ卿は、いきなり、深く頭を下げたんだ。

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