上 下
3 / 93

第2話 エスケープ 前

しおりを挟む
 ちょっと前までは、ただ、そこにいるだけで勇気づけてくれる存在だった。どんなに疲れたときでも、そこで微笑んでくれるだけでホッとできる。そんな相手だ。

 でも、今では、大逆転。

 しゃべり方も、動き方も、オレに抱きついてくるところも、全てに腐臭を感じてしまうっていうんだから、末期だよ。

 あれほど魅力的に見えた微笑みも、オレを気遣って声をかけてくる姿も、全てがわざとらしいと感じた。

 アリバイ工作のつもりなのか? 

 今朝、ホテルのフロアで見た時と服装も違うし、化粧を落としているのも、わざとらしくて笑えてしまう。

 ぷぷっ
 
 ん? ヤバい、マジで笑っちまった。紗絵が驚いた顔でこっちを見た。

 だけど目は笑ってなかったんだろう。の顔から血の気が引いた。

「たっくん? やっぱり怒ってる?」

 怒り? そんなの通り越して「無」だ。気の利いた言葉はもちろん、責める言葉も浮かばない。

 答える代わりに微苦笑を浮かべて「どうかなぁ?」と肩をすくめて見せた。

「どうしたの? いつものたっくんと違うよ」

 お前こそ、そんなに顔色を変えたら浮気がバレバレだよ?

 嫌悪も拒否も怒りも、そして哀しみも今さらか。ネックレスを握りしめて靴を履いた。

「出かけるの? バイトだっけ? でも、たっくん、出かけてたんじゃないの?」

 暖房も付けずに、窓を開け放していた部屋は、外気と大して変わらない温度だ。最近は、一人で部屋にいるときは窓を開けっぱなしにしている。同じ空気を吸うのも嫌だったからだ。

 お陰で、二人の関係みたいに部屋は冷え切っていた。

 ここに「温もり」なんてものは、一切存在しないんだよ。

「これで出るよ」
「そうなんだ。あの、今日、どこに行くんだっけ?」
「心配ないよ。お前がいないだから」
「え? それって、どういう意味?」

 ニッコリ笑ってドアを開けた。さりげなく、紗絵のハイヒールも手に持った。

「ねえ! その、私のいないとこってどういう意味なの!」

 玄関の靴は全てキッチンの下にまとめてぶち込んでおいたから、すぐには見つからないはずだ。

「言いたいことは書いてある。このを見ておくんだな」
「え?」

 近づいてきた紗絵の機先を制して、強ばった顔にメモを突きつける。

「なに?」

 一流ホテルはロビーに名前入りのメモ用紙を置いてくれる。もらってきた2枚だ。

 ホテルのロゴが見えたらしい。

「え? 何? あれ? このメモ用紙って、横浜ランドマ……」

 そりや、驚くだろ。自分が浮気男と泊まってきたホテルの名前が入ったメモ用紙なんだから。

「ここは朝食ビュッフェが美味しいらしいな。何が美味うまかった?」

 ドアから顔だけ残してニッコリ。

「一番美味しかったのはだったかな?」

 精一杯の嫌がらせ。あぁ、でも、極太サラミだったらオレが道化か?

「ひょっとして見たの?」

 口をパクパクさせてる。目を白黒させるってのは、こういう顔のことなんだな。どこにでもある平凡な顔が、クルクル動くのがいっそ面白いよ。

「ち、違う、違うんだからね! そう…… 違うの! あそこでたまたま仲良くなって。朝ご飯を一緒にって誘われたから! それだけだよ! 本当なの!」

 もしも事情を知らなかったとしても、その顔じゃ一発でバレるぞ?

 それにしても、言うに事欠いて 「たまたま」ねぇ。白々しいったらねぇな。あまりの馬鹿馬鹿しさに、言わずもがなの言葉が口をついて出てしまう。

「あれ? ミューちゃんのお部屋に泊まったんじゃなかった?」

 飲み会で遅くなって帰れなくなったって設定だ。服だけは昨日のままだけど、足下のカバンにはお泊まりセットが詰め込まれてるんだもんなぁ。ここで、カバンをひっくり返したら、どんな言い訳をするのかと、チラリと思ってしまうよ。もちろん、触らないよ? 汚らしい。

「あっ! そ、それは、その……」
「まあ、もうどうでもいいよ。あ、今朝は外してた、その指輪だけどさ」

 パッと左薬指を右手が覆った。さすがに指輪を奪い取るのは無理か。いや、むしろ自分で捨てさせよう。

SDGsの世の中資源ゴミだし、その辺に捨てるなよ」

 一呼吸。

「水曜日は金属回収の日だ。その婚約指輪を出しやがれ!」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
作者より
ぜひとも「お気に入り」に入れて
ゆっくりお楽しみください。

姉妹編というか「紗絵」ちゃんが登場する
中学校のお話も公開しました。
会わせてお楽しみください。

ウソ告したいヤツはオレんとこに来い! え? 実はホントだった? だが遅い。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/523642311/890889766
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

最愛の幼馴染みと親友に裏切られた俺を救ってくれたのはもう一人の幼馴染みだった

音の中
恋愛
山岸優李には、2人の幼馴染みと1人の親友がいる。 そして幼馴染みの内1人は、俺の大切で最愛の彼女だ。 4人で俺の部屋で遊んでいたときに、俺と彼女ではないもう一人の幼馴染み、美山 奏は限定ロールケーキを買いに出掛けた。ところが俺の凡ミスで急遽家に戻ると、俺の部屋から大きな音がしたので慌てて部屋に入った。するといつもと様子の違う2人が「虫が〜〜」などと言っている。能天気な俺は何も気付かなかったが、奏は敏感に違和感を感じ取っていた。 これは、俺のことを裏切った幼馴染みと親友、そして俺のことを救ってくれたもう一人の幼馴染みの物語だ。 -- 【登場人物】 山岸 優李:裏切られた主人公 美山 奏:救った幼馴染み 坂下 羽月:裏切った幼馴染みで彼女。 北島 光輝:裏切った親友 -- この物語は『NTR』と『復讐』をテーマにしています。 ですが、過激なことはしない予定なので、あまりスカッとする復讐劇にはならないかも知れません。あと、復讐はかなり後半になると思います。 人によっては不満に思うこともあるかもです。 そう感じさせてしまったら申し訳ありません。 また、ストーリー自体はテンプレだと思います。 -- 筆者はNTRが好きではなく、純愛が好きです。 なので純愛要素も盛り込んでいきたいと考えています。 小説自体描いたのはこちらが初めてなので、読みにくい箇所が散見するかも知れません。 生暖かい目で見守って頂けたら幸いです。 ちなみにNTR的な胸糞な展開は第1章で終わる予定。

寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい

白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。 私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。 「あの人、私が

冤罪をかけられ、彼女まで寝取られた俺。潔白が証明され、皆は後悔しても戻れない事を知ったらしい

一本橋
恋愛
痴漢という犯罪者のレッテルを張られた鈴木正俊は、周りの信用を失った。 しかし、その実態は私人逮捕による冤罪だった。 家族をはじめ、友人やクラスメイトまでもが見限り、ひとり孤独へとなってしまう。 そんな正俊を慰めようと現れた彼女だったが、そこへ私人逮捕の首謀者である“山本”の姿が。 そこで、唯一の頼みだった彼女にさえも裏切られていたことを知ることになる。 ……絶望し、身を投げようとする正俊だったが、そこに学校一の美少女と呼ばれている幼馴染みが現れて──

陛下、貴殿に尽くしてきた王妃ですが、もう私は貴殿へ尽くすことをやめます。

天災
恋愛
 貴殿に尽くすことをやめます。

最近様子のおかしい夫と女の密会現場をおさえてやった

家紋武範
恋愛
 最近夫の行動が怪しく見える。ひょっとしたら浮気ではないかと、出掛ける後をつけてみると、そこには女がいた──。

わがまま妹、自爆する

四季
恋愛
資産を有する家に長女として生まれたニナは、五つ年下の妹レーナが生まれてからというもの、ずっと明らかな差別を受けてきた。父親はレーナにばかり手をかけ可愛がり、ニナにはほとんど見向きもしない。それでも、いつかは元に戻るかもしれないと信じて、ニナは慎ましく生き続けてきた。 そんなある日のこと、レーナに婚約の話が舞い込んできたのだが……?

貴方の側妃にはなりません。いっそ貴方の側近をやめさせていただくので。

天災
恋愛
 貴方の側近をやめさせていただくので。

公爵令嬢の立場を捨てたお姫様

羽衣 狐火
恋愛
公爵令嬢は暇なんてないわ 舞踏会 お茶会 正妃になるための勉強 …何もかもうんざりですわ!もう公爵令嬢の立場なんか捨ててやる! 王子なんか知りませんわ! 田舎でのんびり暮らします!

処理中です...