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花嫁 3
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「さっきは驚かせてしまったね。父にはああ説明したんだ。君と出会ったときのことを」
二人は披露の宴がいちおうの形で終わるとルエキラの寝室へ引きこもった。広間のほうからはまだ帰らない人々の声が小さく聞こえる。
「まさか本当のことは話せなかった。すまない」
テアは首を振った。彼女は、もう花嫁衣装は脱いで寝間着に着替えていた。
「ふつうの人は気味が悪いと感じるでしょうから」
ルエキラは少し困った。気味が悪い、ということよりももっと厄介なことだと彼女にはまだ理解出来ないのだ。
「私は怖くなかったよ。君がこの部屋に現れたとき。まあ、少なからず驚いたけどね」
二十一歳。神官候補生。前学期成績四十五人中三十九番。……それが当時のルエキラだった。
その日の夜は、粉雪が舞う寒い夜だった。そんななかルエキラは眠気と戦っていた。
「……次は六十七番か」
琴を抱え直して、軽くつまびいた。その音は冷たい風の音にときおりかき消されながらも低く高く響いていった。
「たまらないよな。追試なんて」
ひとくさり文句を言うと、美しい歌声が部屋の中に響いた。口伝えの古い詩歌だ。神官候補生はこのネの国に伝わる二百以上もある詩歌を総て覚えなくてはならない。
長い歌を歌い終えて、溜息をついた。
つくづく自分は神官なんて職に向いていないと思った。すくなくともその適性と誇りは、つい数年前になくしてしまっていた。
『神官の名門もあいつのおやじの代で終わり』、『自慢の霊視能力ももうなくなったのだろう。ラバァタ神の加護をうしなったからさ』などと、みなが陰で言っているのはとうの昔に知っていた。
子どものころから歌は嫌いじゃない。この国の流転の歴史を学ぶことも、最高神であるラバァタ神の教儀についても興味は尽きない。さらに自分には父と同じように祖先からの霊視能力を与えられた……はずであった。他の者たちにはない、特殊な能力がたしかにあったのだ。
事実、子どものころはさまざまな者たちが見えたものだが、ここ一・二年、ことに二十歳を過ぎてから何の気配も感じられなくなった。
ーーもう力はなくなってしまったのだろうか。
そんな自問自答を幾度となく繰り返しているのだ。霊視能力を欠いたルエキラは神官になるという目的を少しずつ見失いかけていた。
べつのことも考えた。これは、いままでの報いなのだとも。
名門の出身であること、ほかの者にはない特別の力をもっていること。美しい声も、琴の腕前さえも他人にひけらかし、おおかたの候補生を見下していた。
自分はほかのだれよりも、ラバァタ神からの恩恵をうけていると。
けれど、いまの自分にはなにもない。ひとりの友人さえいないのだ。
何気なく視線を部屋の隅に移しとき、眠気は吹き飛んだ。そこにはーー。
少女が座っていた。
まだ十二・三才の美しい顔立ちの女の子が長い髪を床にはわせ、静かに目をつむり外の吹雪や部屋の寒さなどまったく気にしないような、白く柔らかい光りに包まれて。
ルエキラは思わず目をつぶり手でこすった。それから意を決して再び目を見開いた。
彼女は幻ではなかった。
まだその場にたたずんでいたのだ。そうしてゆっくりと両目を開いた。
純粋な尖耳族ならば金色のはずだ。しかし彼女の瞳はかすかに緑がかった萌黄色だった。
そして二人の視線が出会った。
一瞬彼女は驚いた顔をした。そしてルエキラの視線が確かに自分を捕えているとわかると、えもいわれぬほほ笑みを浮かべ、かき消えた。
ルエキラは呆然とそれを見送った。彼女は消えた……ただ、その笑顔だけをルエキラの脳裏に残して。
翌日の晩、ルエキラはゆうべの少女の出現をじっと待っていた。
しかし、その夜彼女は現れずに明けた。
あれは夢まぼろしだったのか。寝ぼけ眼をこすりつつ、彼は神官学校へ登校した。
そんな夜が幾晩も続き、目の下にはくまができたころ父親が心配そうに声をかけた。
「どうした、ルエキラ。勉強のやりすぎじゃないか」
「自慢じゃないが勉強なんかしてない。おかげで明日も追試だよ」
不機嫌にそう父親に答えた。
「またか! いいかげん勉学に身を入れてくれないか。十代続いた神官の家系をお前の代で潰すつもりなのか」
父親はがみがみとがなり立てた。ここ何年いくども繰り返して来た喧嘩だ。
「父さんはこの家のことばかり心配してるんだろう。俺の気持ちなんか考えもしないで」
拳を強く握り締め、じっと父親を怒りと悲しみがないまぜになった瞳で見据えた。
「気持ちだと? この家を継ぐのがいやなら、ここを出て行くがいい。その度胸もないくせにきいたふうな口をきくな」
ルエキラは何も言い返せず、父親に背中を向けると自分の部屋へと駆け込んだ。
その夜は食事もせずに、床のうえに分厚い本を広げそれを見るともなしに頁を繰っていた。
父親の言葉は的を射ている。それは力を失い始めたときに自分で出した答えだったから。
まんじりとしないまま夜は更けていった。
そして淡い光りに我に帰ると、かたわらにあの少女が座っていた。
ルエキラが開いている本をいっしんに見つめている。本の文字を追っているのだ。
やがて、頁をめくらないルエキラに対して瞳を向けた。
「あ、ごめん、続きを読みたいのだね」
少女のかわいらしい横顔に見とれていたルエキラは、彼女の視線にどぎまぎしながら頁を進めた。
少女は時々ほほ笑みを浮かべた。ときおりわからないところがあるのか指さしてルエキラを見つめ小首を傾げる。そのときルエキラは彼女の耳たぶに光る小さな耳飾りを認めた。
(紫水晶だ。この子は王族だったのか。)
ネの国の王族はみな紫水晶の耳飾りを身につけている。
(幼くして死んだ姫君の霊か……)
姫はルエキラの説明を求めていた。彼は指さされた文字の意味を一字一句ていねいに教えた。彼の声は姫に届いているようだった。ルエキラの言葉に耳を傾け、再び本へと視線を落とし意味をかいすると、美しい笑顔を浮かべる。その彼女の笑顔をもっと見たくて、一晩中ルエキラは姫の横で頁をめくった。
神官学校は紫微城の隣のラバァタ神殿の一角にある。ルエキラはその中にある図書館で古書をひもといていた。過去の霊の出現に関する文献だ。
「最近、勉強熱心だね。ルエキラ君」
いつの間に来たのか教官のアサフが立っていた。
「追試を受けることもなくなり、成績も上々。一体君に何が起こったのかな」
アサフ教官はまだ壮年だが長老補佐の地位にまでなっている。そのくせ他の教官たちよりも気さくな人柄のため学生達に人気があった。ルエキラは彼になら相談出来るかもしれないと思い、意を決して話した。
「お聞きしたいことがあります。夜毎現れる少女がいるのですが……」
教官は一瞬、面食らったのか手に持っている本を取り落としそうになった。
「それは君の夢の話か」
「夢、といわれればそうなのかも知れません。自分でも夢なのか、それとも霊なのか判断がつきかねます。彼女の声は僕にまで届かないのです」
教官は興味深げにうなずき、ルエキラの向かいの席に腰を下ろした。
「……つまり彼女が君にやる気を出させた思い人だね」
「教官、僕の話をちゃんと聞いて下さい」
いちどに気が抜けた。教官は全く悪びれもせずににこりと笑うと、急に真顔になった。
「彼女が霊であるという確立は五分五分だな。霊を見ることが出来る人間はごく限られている。ルエキラ君、君の家系は霊視に長けた一族だろう」
ルエキラはうなずいた。
「父がいつも言います。その能力があったお陰で今まで神殿に務められたのだと」
「だろう。だからまず霊であると考えられる。ところで彼女には何か特徴はないのかい」
「あの、とてもかわいいんです。それでめったに笑わないんですが笑うととってもかわいくて……」
「わかった、わかった。かわいいのは。そうじゃなくて身体的特徴とか、身につけているものとかのことだよ」
ルエキラは質問の勘違いに気が付き顔を赤らめた。
「紫水晶の耳飾りをしています」
「ほう、王族か。夭折した姫君かな。過去には伝染病《はやりやまい》などで早死にした王子や王女がたくさんいたからな」
ルエキラはがくっと肩を落とした。やはり彼女は既にこの世にはいないのだ。
その落胆ぶりを見て教官はいささか驚いたようだった。
「いやその、まだそうと決まった訳ではないよ」
「と、いいますと」
教官の説明に一縷の望みをかけてルエキラは頭を上げた。
「誰かの、つまりその少女の魂が体から遊離して君のところへ来ているのかもしれない」
初めて聞いた。魂が抜けるなんて。
「そうでしょうか」
「ああ。でもそれを意識的に自由自在に行えるなどという話はあまり聞かない。歴代の長老でもその能力を有していたのはほんの一握りの者だと伝えられている。しかしそれらの力を持つ者たちもそれを使うことを禁じられた。八百年前の昔にね。禁忌の術だ」
「禁忌の……。もしそれが出来るものがいるとしたらどうなるのですか」
「まず、一生涯幽閉。それでも従わぬ場合は……」
重苦しく語尾を濁した。言わなくともわかる。死刑だ。いずれにしろ一介の少女ができるほどたやすくはないのだ。
おおかた彼女は霊であると教官に判断されたのだ。再びルエキラは落胆した。
「夢や幻よりも、現実にはかわいい子がたくさんいるんだからそうがっかりするな」
教官はルエキラの肩を軽くたたくと、席を去って行った。
彼女はこの世にはもういないのだ。そう考えるとルエキラはせつなさと寂しさとで胸が苦しくなった。
「私は、ルエキラ・セルキヤというのだ。君の名前は何というのか教えてくれないか」
初めて出会ってから早二ヵ月が過ぎようとしていた。その間、三日に一度の割合で姫はルエキラの元に現れた。
この夜、ルエキラは以前から先送りにしていた質問を少女にした。
「君に聞かせるために、歌も経典もすべて覚えてしまった。知らないのは、もはや君の名前だけなんだ」
少女は明らかに戸惑った表情をした。
俯き考え込んでいた姫は、いきなり本棚の前に立つと、一冊の本を指し示した。ネの国の神話をまとめた本だ。ルエキラはすぐさまそれを取り出すとゆっくりと頁をめくっていった。
そして、半ば頃にさしかかったとき姫がある一文を指さした。
『風の精霊テア』
彼女は確かにその文章をなんどもなぞってルエキラに教えた。
「テア、テアっていう名前なんだね」
テア姫は大きくうなずき、ルエキラを見つめた。その瞳を見てルエキラはそっと彼女の頬に手を伸ばした。しかし、指は触れることは出来なかった。
ルエキラはその悲しさにうつむいて涙をこらえた。
「テア、君の御陵を教えてほしい」
その言葉を聞いてテアは表情を強張らせたようにみえた。
「君がこの世にいないことはうすうすわかっていたんだ。なら、せめてその墓所に花を手向けさせてくれ」
テアは激しく首を横に振った。いつしか瞳の色は悲しみに染まっていた。
「お願いだ。テア……」
ルエキラは哀願した。しかし、テアは首を振るだけだ。そして、その姿は徐々に薄れ、暗闇の中へと消えた。
二人は披露の宴がいちおうの形で終わるとルエキラの寝室へ引きこもった。広間のほうからはまだ帰らない人々の声が小さく聞こえる。
「まさか本当のことは話せなかった。すまない」
テアは首を振った。彼女は、もう花嫁衣装は脱いで寝間着に着替えていた。
「ふつうの人は気味が悪いと感じるでしょうから」
ルエキラは少し困った。気味が悪い、ということよりももっと厄介なことだと彼女にはまだ理解出来ないのだ。
「私は怖くなかったよ。君がこの部屋に現れたとき。まあ、少なからず驚いたけどね」
二十一歳。神官候補生。前学期成績四十五人中三十九番。……それが当時のルエキラだった。
その日の夜は、粉雪が舞う寒い夜だった。そんななかルエキラは眠気と戦っていた。
「……次は六十七番か」
琴を抱え直して、軽くつまびいた。その音は冷たい風の音にときおりかき消されながらも低く高く響いていった。
「たまらないよな。追試なんて」
ひとくさり文句を言うと、美しい歌声が部屋の中に響いた。口伝えの古い詩歌だ。神官候補生はこのネの国に伝わる二百以上もある詩歌を総て覚えなくてはならない。
長い歌を歌い終えて、溜息をついた。
つくづく自分は神官なんて職に向いていないと思った。すくなくともその適性と誇りは、つい数年前になくしてしまっていた。
『神官の名門もあいつのおやじの代で終わり』、『自慢の霊視能力ももうなくなったのだろう。ラバァタ神の加護をうしなったからさ』などと、みなが陰で言っているのはとうの昔に知っていた。
子どものころから歌は嫌いじゃない。この国の流転の歴史を学ぶことも、最高神であるラバァタ神の教儀についても興味は尽きない。さらに自分には父と同じように祖先からの霊視能力を与えられた……はずであった。他の者たちにはない、特殊な能力がたしかにあったのだ。
事実、子どものころはさまざまな者たちが見えたものだが、ここ一・二年、ことに二十歳を過ぎてから何の気配も感じられなくなった。
ーーもう力はなくなってしまったのだろうか。
そんな自問自答を幾度となく繰り返しているのだ。霊視能力を欠いたルエキラは神官になるという目的を少しずつ見失いかけていた。
べつのことも考えた。これは、いままでの報いなのだとも。
名門の出身であること、ほかの者にはない特別の力をもっていること。美しい声も、琴の腕前さえも他人にひけらかし、おおかたの候補生を見下していた。
自分はほかのだれよりも、ラバァタ神からの恩恵をうけていると。
けれど、いまの自分にはなにもない。ひとりの友人さえいないのだ。
何気なく視線を部屋の隅に移しとき、眠気は吹き飛んだ。そこにはーー。
少女が座っていた。
まだ十二・三才の美しい顔立ちの女の子が長い髪を床にはわせ、静かに目をつむり外の吹雪や部屋の寒さなどまったく気にしないような、白く柔らかい光りに包まれて。
ルエキラは思わず目をつぶり手でこすった。それから意を決して再び目を見開いた。
彼女は幻ではなかった。
まだその場にたたずんでいたのだ。そうしてゆっくりと両目を開いた。
純粋な尖耳族ならば金色のはずだ。しかし彼女の瞳はかすかに緑がかった萌黄色だった。
そして二人の視線が出会った。
一瞬彼女は驚いた顔をした。そしてルエキラの視線が確かに自分を捕えているとわかると、えもいわれぬほほ笑みを浮かべ、かき消えた。
ルエキラは呆然とそれを見送った。彼女は消えた……ただ、その笑顔だけをルエキラの脳裏に残して。
翌日の晩、ルエキラはゆうべの少女の出現をじっと待っていた。
しかし、その夜彼女は現れずに明けた。
あれは夢まぼろしだったのか。寝ぼけ眼をこすりつつ、彼は神官学校へ登校した。
そんな夜が幾晩も続き、目の下にはくまができたころ父親が心配そうに声をかけた。
「どうした、ルエキラ。勉強のやりすぎじゃないか」
「自慢じゃないが勉強なんかしてない。おかげで明日も追試だよ」
不機嫌にそう父親に答えた。
「またか! いいかげん勉学に身を入れてくれないか。十代続いた神官の家系をお前の代で潰すつもりなのか」
父親はがみがみとがなり立てた。ここ何年いくども繰り返して来た喧嘩だ。
「父さんはこの家のことばかり心配してるんだろう。俺の気持ちなんか考えもしないで」
拳を強く握り締め、じっと父親を怒りと悲しみがないまぜになった瞳で見据えた。
「気持ちだと? この家を継ぐのがいやなら、ここを出て行くがいい。その度胸もないくせにきいたふうな口をきくな」
ルエキラは何も言い返せず、父親に背中を向けると自分の部屋へと駆け込んだ。
その夜は食事もせずに、床のうえに分厚い本を広げそれを見るともなしに頁を繰っていた。
父親の言葉は的を射ている。それは力を失い始めたときに自分で出した答えだったから。
まんじりとしないまま夜は更けていった。
そして淡い光りに我に帰ると、かたわらにあの少女が座っていた。
ルエキラが開いている本をいっしんに見つめている。本の文字を追っているのだ。
やがて、頁をめくらないルエキラに対して瞳を向けた。
「あ、ごめん、続きを読みたいのだね」
少女のかわいらしい横顔に見とれていたルエキラは、彼女の視線にどぎまぎしながら頁を進めた。
少女は時々ほほ笑みを浮かべた。ときおりわからないところがあるのか指さしてルエキラを見つめ小首を傾げる。そのときルエキラは彼女の耳たぶに光る小さな耳飾りを認めた。
(紫水晶だ。この子は王族だったのか。)
ネの国の王族はみな紫水晶の耳飾りを身につけている。
(幼くして死んだ姫君の霊か……)
姫はルエキラの説明を求めていた。彼は指さされた文字の意味を一字一句ていねいに教えた。彼の声は姫に届いているようだった。ルエキラの言葉に耳を傾け、再び本へと視線を落とし意味をかいすると、美しい笑顔を浮かべる。その彼女の笑顔をもっと見たくて、一晩中ルエキラは姫の横で頁をめくった。
神官学校は紫微城の隣のラバァタ神殿の一角にある。ルエキラはその中にある図書館で古書をひもといていた。過去の霊の出現に関する文献だ。
「最近、勉強熱心だね。ルエキラ君」
いつの間に来たのか教官のアサフが立っていた。
「追試を受けることもなくなり、成績も上々。一体君に何が起こったのかな」
アサフ教官はまだ壮年だが長老補佐の地位にまでなっている。そのくせ他の教官たちよりも気さくな人柄のため学生達に人気があった。ルエキラは彼になら相談出来るかもしれないと思い、意を決して話した。
「お聞きしたいことがあります。夜毎現れる少女がいるのですが……」
教官は一瞬、面食らったのか手に持っている本を取り落としそうになった。
「それは君の夢の話か」
「夢、といわれればそうなのかも知れません。自分でも夢なのか、それとも霊なのか判断がつきかねます。彼女の声は僕にまで届かないのです」
教官は興味深げにうなずき、ルエキラの向かいの席に腰を下ろした。
「……つまり彼女が君にやる気を出させた思い人だね」
「教官、僕の話をちゃんと聞いて下さい」
いちどに気が抜けた。教官は全く悪びれもせずににこりと笑うと、急に真顔になった。
「彼女が霊であるという確立は五分五分だな。霊を見ることが出来る人間はごく限られている。ルエキラ君、君の家系は霊視に長けた一族だろう」
ルエキラはうなずいた。
「父がいつも言います。その能力があったお陰で今まで神殿に務められたのだと」
「だろう。だからまず霊であると考えられる。ところで彼女には何か特徴はないのかい」
「あの、とてもかわいいんです。それでめったに笑わないんですが笑うととってもかわいくて……」
「わかった、わかった。かわいいのは。そうじゃなくて身体的特徴とか、身につけているものとかのことだよ」
ルエキラは質問の勘違いに気が付き顔を赤らめた。
「紫水晶の耳飾りをしています」
「ほう、王族か。夭折した姫君かな。過去には伝染病《はやりやまい》などで早死にした王子や王女がたくさんいたからな」
ルエキラはがくっと肩を落とした。やはり彼女は既にこの世にはいないのだ。
その落胆ぶりを見て教官はいささか驚いたようだった。
「いやその、まだそうと決まった訳ではないよ」
「と、いいますと」
教官の説明に一縷の望みをかけてルエキラは頭を上げた。
「誰かの、つまりその少女の魂が体から遊離して君のところへ来ているのかもしれない」
初めて聞いた。魂が抜けるなんて。
「そうでしょうか」
「ああ。でもそれを意識的に自由自在に行えるなどという話はあまり聞かない。歴代の長老でもその能力を有していたのはほんの一握りの者だと伝えられている。しかしそれらの力を持つ者たちもそれを使うことを禁じられた。八百年前の昔にね。禁忌の術だ」
「禁忌の……。もしそれが出来るものがいるとしたらどうなるのですか」
「まず、一生涯幽閉。それでも従わぬ場合は……」
重苦しく語尾を濁した。言わなくともわかる。死刑だ。いずれにしろ一介の少女ができるほどたやすくはないのだ。
おおかた彼女は霊であると教官に判断されたのだ。再びルエキラは落胆した。
「夢や幻よりも、現実にはかわいい子がたくさんいるんだからそうがっかりするな」
教官はルエキラの肩を軽くたたくと、席を去って行った。
彼女はこの世にはもういないのだ。そう考えるとルエキラはせつなさと寂しさとで胸が苦しくなった。
「私は、ルエキラ・セルキヤというのだ。君の名前は何というのか教えてくれないか」
初めて出会ってから早二ヵ月が過ぎようとしていた。その間、三日に一度の割合で姫はルエキラの元に現れた。
この夜、ルエキラは以前から先送りにしていた質問を少女にした。
「君に聞かせるために、歌も経典もすべて覚えてしまった。知らないのは、もはや君の名前だけなんだ」
少女は明らかに戸惑った表情をした。
俯き考え込んでいた姫は、いきなり本棚の前に立つと、一冊の本を指し示した。ネの国の神話をまとめた本だ。ルエキラはすぐさまそれを取り出すとゆっくりと頁をめくっていった。
そして、半ば頃にさしかかったとき姫がある一文を指さした。
『風の精霊テア』
彼女は確かにその文章をなんどもなぞってルエキラに教えた。
「テア、テアっていう名前なんだね」
テア姫は大きくうなずき、ルエキラを見つめた。その瞳を見てルエキラはそっと彼女の頬に手を伸ばした。しかし、指は触れることは出来なかった。
ルエキラはその悲しさにうつむいて涙をこらえた。
「テア、君の御陵を教えてほしい」
その言葉を聞いてテアは表情を強張らせたようにみえた。
「君がこの世にいないことはうすうすわかっていたんだ。なら、せめてその墓所に花を手向けさせてくれ」
テアは激しく首を横に振った。いつしか瞳の色は悲しみに染まっていた。
「お願いだ。テア……」
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