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カップケーキほどの
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みず江ちゃんの自動車修理工場は、自宅のそばだから帰り道に寄れる。ガレージにあった車は、昨日みず江ちゃんの旦那さんが、車を乗せる車―-積載車というらしい――に乗せて持って行ってくれた。
県道沿い、掘割からは離れた場所にある。入口に車名が何段にもなった高い看板と、縦型の「沢田自動車整備工場」が並んで立っている。
大きなガレージというか工場みたいなところが整備部門で、敷地の半分には車内に大きく値段が書かれた中古車が並べられている。なかなかの広さだ。その端に平屋の事務所があって、私の車を見つけたのかみず江ちゃんが事務所から出てきた。
駐車スペースに車を止めるやいなや、みず江ちゃんがドアまで駆け寄ってきた。
「ごめん、呼び出したりして」
「ううん、車のことで何かあった?」
私の問いかけに、みず江ちゃんはもの言いたげに口を開けたり閉じたりしている。さっきの電話での高揚感はどこへやら。青ざめた顔で私を見てる。いぶかしむ私にみず江ちゃんは、小さなものを手渡した。
「車のこと、もう少し待ってくれる? いまちょっとあちこちに聞いているところなの。これ、車のキーホルダーについていたの。どこかに必要かなと思って」
小さな鍵は、あまり見慣れない形をしていた。家の中の鍵ではなさそうだけど。
「車、何かまずいことでもあったのかな」
「そんなことないよ、ただちょっと……だいじょうぶ。ちゃんとお世話するから」
みず江ちゃんは、唇をきゅっとかみしめて私を見つめた。ふだん私の家に立ち寄るときみたいな穏やかな顔つきではない。きりっとした表情は、たぶん事務所での顔なんだろう。
「うん、わかった。何かあったら知らせてね」
私は貰った鍵をとりあえずジャケットのポケットへと入れて、車を静かにユーターンさせた。
「またね」
みず江ちゃんは小さく手を振って見送ってくれた。道路へ右折で出ると、家まではすぐだ。
帰宅して軽く昼食をとって、また片付け。ついでに車についていたという鍵が使えそうなところを探してみたけど、これといって見当たらない。
処分した机や箪笥の鍵だったのかも知れない。そうなると、鍵は無用の長物だろう。でもちょっとしたレトロな雰囲気があるから、そのまま自宅のキーホルダーに着けておこう。
リフォームのことも本格的に考えたいけど、古民家再生みたいなのにすれば新築一軒分とおんなじくらい費用が掛かってしまう。いくらなんでも、そこまでお金はかけられない。
ただの古い家で、カフェをやってどれくらいの収益が見込めるんだろう。
いつも同じことを考えてしまう。でも、今日はまず下水道工事のとことを頼まねば。五十嵐さんが言うには、どの業者に頼んでも料金は一律とのことだった。リストの中から一番家から近い業者に電話をしたら、明日にでも下見に来てくれるという。
今夜は夕食後に、カップケーキを試作してみようかな。
持ち帰りができる商品があれば、それだけを買いに来るお客さんやリピーターがつくかも知れない。明日、みず江ちゃんが来たら、また味見をしてもらおう。
リビングの明かりだけをつけて夕食をすませて、キッチンへ移動する。こんどはキッチンの照明だけをつける。気休め程度の倹約だ。薄暗いキッチンで材料を練ったり混ぜたりして生地を作ると、小さな紙カップを天板に並べて均等に生地を注ぐと、オーブンの上下二段に入れる。
飾りつけは、どうしようかな。ふつうのアイシングのほかに、チョコやコーヒーのも作ってみるのもいいかな。季節ごとの果物を入れて、期間限定とか数量限定なんかもいいかもしれない。
売れたら、いいな。
別れた夫には、「いつまでそんな遊びをしている気だ」って言われていた。たまに知り合いからお菓子を作ってくれるよう頼まれることもあったけど、お金を受け取ったことはなかった。夫からすれば、私のお菓子作りは単なる趣味、なんなら道楽って思われていたんだろうな。
小さな電球一つがぶらさがるキッチンにいると、つい暗いことばかり考えてしまう。
伯父は一人きりの生活に寂しさは感じなかったのかな。例えば毎回一人きりの食事や、話し相手がいないこと。それだけじゃない、風で窓や戸がガタッて鳴ることや、家がきしむ音が怖いと思ったことは?
たまに気晴らしにドライブでもしていたのかな。
ぼんやり考えているうちに、オーブンから甘いにおいがしてきた。焼き上がるときのにおいは、作る者の特権だ。扉を覗くと、カップの中で盛り上がっているケーキたちが見えた。
夫にはほんのお遊びにしか見えなかっただろう。でも、私のお菓子を食べて「おいしい」って言ってくれる人たち、笑顔の人たちを見られるのが何よりも嬉しかった。
それを彼にうまく伝えられなかったのが、今でも悲しい。
県道沿い、掘割からは離れた場所にある。入口に車名が何段にもなった高い看板と、縦型の「沢田自動車整備工場」が並んで立っている。
大きなガレージというか工場みたいなところが整備部門で、敷地の半分には車内に大きく値段が書かれた中古車が並べられている。なかなかの広さだ。その端に平屋の事務所があって、私の車を見つけたのかみず江ちゃんが事務所から出てきた。
駐車スペースに車を止めるやいなや、みず江ちゃんがドアまで駆け寄ってきた。
「ごめん、呼び出したりして」
「ううん、車のことで何かあった?」
私の問いかけに、みず江ちゃんはもの言いたげに口を開けたり閉じたりしている。さっきの電話での高揚感はどこへやら。青ざめた顔で私を見てる。いぶかしむ私にみず江ちゃんは、小さなものを手渡した。
「車のこと、もう少し待ってくれる? いまちょっとあちこちに聞いているところなの。これ、車のキーホルダーについていたの。どこかに必要かなと思って」
小さな鍵は、あまり見慣れない形をしていた。家の中の鍵ではなさそうだけど。
「車、何かまずいことでもあったのかな」
「そんなことないよ、ただちょっと……だいじょうぶ。ちゃんとお世話するから」
みず江ちゃんは、唇をきゅっとかみしめて私を見つめた。ふだん私の家に立ち寄るときみたいな穏やかな顔つきではない。きりっとした表情は、たぶん事務所での顔なんだろう。
「うん、わかった。何かあったら知らせてね」
私は貰った鍵をとりあえずジャケットのポケットへと入れて、車を静かにユーターンさせた。
「またね」
みず江ちゃんは小さく手を振って見送ってくれた。道路へ右折で出ると、家まではすぐだ。
帰宅して軽く昼食をとって、また片付け。ついでに車についていたという鍵が使えそうなところを探してみたけど、これといって見当たらない。
処分した机や箪笥の鍵だったのかも知れない。そうなると、鍵は無用の長物だろう。でもちょっとしたレトロな雰囲気があるから、そのまま自宅のキーホルダーに着けておこう。
リフォームのことも本格的に考えたいけど、古民家再生みたいなのにすれば新築一軒分とおんなじくらい費用が掛かってしまう。いくらなんでも、そこまでお金はかけられない。
ただの古い家で、カフェをやってどれくらいの収益が見込めるんだろう。
いつも同じことを考えてしまう。でも、今日はまず下水道工事のとことを頼まねば。五十嵐さんが言うには、どの業者に頼んでも料金は一律とのことだった。リストの中から一番家から近い業者に電話をしたら、明日にでも下見に来てくれるという。
今夜は夕食後に、カップケーキを試作してみようかな。
持ち帰りができる商品があれば、それだけを買いに来るお客さんやリピーターがつくかも知れない。明日、みず江ちゃんが来たら、また味見をしてもらおう。
リビングの明かりだけをつけて夕食をすませて、キッチンへ移動する。こんどはキッチンの照明だけをつける。気休め程度の倹約だ。薄暗いキッチンで材料を練ったり混ぜたりして生地を作ると、小さな紙カップを天板に並べて均等に生地を注ぐと、オーブンの上下二段に入れる。
飾りつけは、どうしようかな。ふつうのアイシングのほかに、チョコやコーヒーのも作ってみるのもいいかな。季節ごとの果物を入れて、期間限定とか数量限定なんかもいいかもしれない。
売れたら、いいな。
別れた夫には、「いつまでそんな遊びをしている気だ」って言われていた。たまに知り合いからお菓子を作ってくれるよう頼まれることもあったけど、お金を受け取ったことはなかった。夫からすれば、私のお菓子作りは単なる趣味、なんなら道楽って思われていたんだろうな。
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ぼんやり考えているうちに、オーブンから甘いにおいがしてきた。焼き上がるときのにおいは、作る者の特権だ。扉を覗くと、カップの中で盛り上がっているケーキたちが見えた。
夫にはほんのお遊びにしか見えなかっただろう。でも、私のお菓子を食べて「おいしい」って言ってくれる人たち、笑顔の人たちを見られるのが何よりも嬉しかった。
それを彼にうまく伝えられなかったのが、今でも悲しい。
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