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夏の章
桃のコンポート
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ケアマネの太田が葛城宅からの帰り道、風もその隣を歩いていた。
「謹吾さん、夏の間もお元気でなによりでした。今日はいつもよりおしゃべりでしたね」
「太田さんがいらしたときには、ふだんより張り切るんですよ」
太田は道路幅が狭い葛城の家まで車で入ることはせず、近所の振興センターの駐車場を使う。そこへの戻りに風が同行したのは、移動図書館車を利用しているからだ。
「百年を生きるというのは、やっぱりとてつもなく長いことですね。日本史、もういちどきちんと勉強したくなりました」
隣を歩く太田から、ふわりとフローラル系の香りがする。落葉樹が少しずつ、葉を秋風に散らす。
太田は七月、八月とここ二か月は風が記録したノートをことさら丁寧に見ている気がする。六月に指摘した落書きの『竜』の字を探しているのかも知れない。七月の竜幸の来訪は記載しなかった。おじいの誕生日だったか、書かなくても頭に入った。
「謹吾さんは、風さんがいらっしゃることを心強く思ってらっしゃるでしょうね」
「どうですかね。末孫の頼りなさを感じてるかもしれません」
七月に竜幸が来訪した時には、父親の凪のおかげでなんとかなった。おそらく風ひとりでは太刀打ちが出来なかっただろう。自分の無力さをあれからずっと味わっている。
「今日ごちそうになった、桃のコンポートもとても美味しかったです。柔らかくなっていいですね」
スーパーで見つけた安い桃を煮て冷やしたコンポートは、おじいにも茉莉花にも好評だった。皮と一緒に煮ると、桃は薄く紅色に色づき、ふわりと香りが立つ。コンポートにバニラアイスを添えると、りっぱなスイーツになった。
桃はもう終わりだろう。これからは秋の果物へ移っていく。
「ぼくは、おじいに長く生きてよかったと思ってほしいです。でも現実は、おじいの友人はみんな亡くなり、子どもでさえもぼくの父を除いてみんな先に見送りました。長く生きることは、それだけ孤独にさらされることです」
そうですね、と太田も痛みをこらえるように、眉を寄せる。
「でも、だからこそと思います」
「葛城さんは、優しいですね」
言われて風は苦笑した。優しいわけではない。ほかにやりようがないのだ。おじいと住むために、金をつぎ込んで家をリノベーションした、今はまだ完全に復調していなから、勤めにも出られない。
おじいと二人、沈みかけの舟に乗っているようなものだ。
あとどれだけ、おじいと時間を過ごすのだろう。
それは神様しか知らないことだ。
「今、少しだけトラブルを抱えています」
風の言葉に、太田は足を止めて風へ顔を向けた。
「親族間のことなので、詳しくは控えさせてもらいます。ぼくはできるだけ、おじいが穏やかに過ごせるよう、戦うつもりです」
「え、え? ぼ、暴力はいけませんよ、葛城さんっ」
太田のうろたえぶりに、風もおろおろとして持っていた本を落としそうになった。
「手は出しませんよ、その面倒な話し合いにはなると……」
太田は、ほっと小さなため息をつくと大き目のショルダーバッグの中をかき回し、一枚の紙を取り出した。
「これ、市役所の弁護士無料相談のお知らせです。一人で無理しないで、出来ることはなんでも使ってください」
差し出されたプリントを風はありがたく受け取った。実際に相談するかどうかは、今はまだ決められないが、心強いお守りになる。
「ありがとうございます」
そういって頭を下げると、太田の上がり気味だった肩がすとんっとおりた。
「心配かけて、すみません」
「そんなことないです」
話し終わると、ちょうど振興センターの駐車場までたどり着いた。駐車場には、移動図書館車が店開きしている。
「それじゃあ、また来月」
太田は風に挨拶すると水色の軽自動車で去っていった。風は、図書館車のエプロンをした職員へ本を渡した。
言ったからには、戦わねば。竜幸と。
「謹吾さん、夏の間もお元気でなによりでした。今日はいつもよりおしゃべりでしたね」
「太田さんがいらしたときには、ふだんより張り切るんですよ」
太田は道路幅が狭い葛城の家まで車で入ることはせず、近所の振興センターの駐車場を使う。そこへの戻りに風が同行したのは、移動図書館車を利用しているからだ。
「百年を生きるというのは、やっぱりとてつもなく長いことですね。日本史、もういちどきちんと勉強したくなりました」
隣を歩く太田から、ふわりとフローラル系の香りがする。落葉樹が少しずつ、葉を秋風に散らす。
太田は七月、八月とここ二か月は風が記録したノートをことさら丁寧に見ている気がする。六月に指摘した落書きの『竜』の字を探しているのかも知れない。七月の竜幸の来訪は記載しなかった。おじいの誕生日だったか、書かなくても頭に入った。
「謹吾さんは、風さんがいらっしゃることを心強く思ってらっしゃるでしょうね」
「どうですかね。末孫の頼りなさを感じてるかもしれません」
七月に竜幸が来訪した時には、父親の凪のおかげでなんとかなった。おそらく風ひとりでは太刀打ちが出来なかっただろう。自分の無力さをあれからずっと味わっている。
「今日ごちそうになった、桃のコンポートもとても美味しかったです。柔らかくなっていいですね」
スーパーで見つけた安い桃を煮て冷やしたコンポートは、おじいにも茉莉花にも好評だった。皮と一緒に煮ると、桃は薄く紅色に色づき、ふわりと香りが立つ。コンポートにバニラアイスを添えると、りっぱなスイーツになった。
桃はもう終わりだろう。これからは秋の果物へ移っていく。
「ぼくは、おじいに長く生きてよかったと思ってほしいです。でも現実は、おじいの友人はみんな亡くなり、子どもでさえもぼくの父を除いてみんな先に見送りました。長く生きることは、それだけ孤独にさらされることです」
そうですね、と太田も痛みをこらえるように、眉を寄せる。
「でも、だからこそと思います」
「葛城さんは、優しいですね」
言われて風は苦笑した。優しいわけではない。ほかにやりようがないのだ。おじいと住むために、金をつぎ込んで家をリノベーションした、今はまだ完全に復調していなから、勤めにも出られない。
おじいと二人、沈みかけの舟に乗っているようなものだ。
あとどれだけ、おじいと時間を過ごすのだろう。
それは神様しか知らないことだ。
「今、少しだけトラブルを抱えています」
風の言葉に、太田は足を止めて風へ顔を向けた。
「親族間のことなので、詳しくは控えさせてもらいます。ぼくはできるだけ、おじいが穏やかに過ごせるよう、戦うつもりです」
「え、え? ぼ、暴力はいけませんよ、葛城さんっ」
太田のうろたえぶりに、風もおろおろとして持っていた本を落としそうになった。
「手は出しませんよ、その面倒な話し合いにはなると……」
太田は、ほっと小さなため息をつくと大き目のショルダーバッグの中をかき回し、一枚の紙を取り出した。
「これ、市役所の弁護士無料相談のお知らせです。一人で無理しないで、出来ることはなんでも使ってください」
差し出されたプリントを風はありがたく受け取った。実際に相談するかどうかは、今はまだ決められないが、心強いお守りになる。
「ありがとうございます」
そういって頭を下げると、太田の上がり気味だった肩がすとんっとおりた。
「心配かけて、すみません」
「そんなことないです」
話し終わると、ちょうど振興センターの駐車場までたどり着いた。駐車場には、移動図書館車が店開きしている。
「それじゃあ、また来月」
太田は風に挨拶すると水色の軽自動車で去っていった。風は、図書館車のエプロンをした職員へ本を渡した。
言ったからには、戦わねば。竜幸と。
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