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プロローグ 『超絶可愛い令嬢』

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 朝の八時頃、俺は次の職場の相談をするのに、派遣会社を訪れていた。

 頭を掻きながら、ドアを開けると色っぽい女性社員が頬を赤く染め、事務机に座っていた。

 俺はできそうな仕事はないのか、相談にのってもらっていたのだが。

「あんたさー、もうここには来なくていいから」

 唐突に、彼女はそんなことを言い出した。

「えっ、は、はいっ? どういうことです? 向いていない仕事内容だったので前々から他の仕事をお願いしてましたよね?」

「ったくー、どうもこうもないわよ! あなたが次の職場を断ったせいでしょ! 先方には新しい人が行くからと、もう話はついていたのにどうしてやらないの? 私の立場はどうなるの? 」

「え? なに勝手にしてくれてるんですか? 僕には仕事を選ぶ権利すらないんですか? はいはい、わかりました。もういいですよ。今日付けでこちらからやめますよ!」

 幼い顔立ちをした金髪セミロングの女性が、自分勝手なことばかり言う。この19歳のギャルは社長の愛人枠でこの会社に入ったくせにそんな奴に命令なんてされたくはない。

 ついさきほど見てしまったのだ。同僚のおばちゃんはあることないこと噂するから信じては無かったのだが。

 実は8時より前にここに来ていた。「ハァハァ」と扉の隙間から喘ぎ声が聞こえたのでしゃがんでのぞき込むと、社長が革張りの椅子に腰掛け、その膝の上には、この女が黒のタイトスカートから伸びる白い眩しい脚を大胆におっぴろげ、お熱いディープキスを繰り広げている最中だった。

――『社長の愛人が会社にいる』噂が確信に変わった瞬間だった。

 ──羨ましい。羨ましすぎるわ。不甲斐なくそんな思いを抱いてしまった自分に吐き気がする。でも、俺はビッチなんて好きじゃない。俺が好きなのは、――そう……お嬢様だ。清楚で可憐な容姿に性格は自分をしっかり持ってる、そんな大人な女性が好きなんだ。今までそういう類の女性に出会ったことなんてないけど。

 社会は不平等で、恵まれないやつは一生地べたを這いずり回るしかないのかよ。あー、もー、嫌だ。こんなふざけた場所にいたくもないわっ。

 俺の名前は広瀬 ユウキ 28歳。車の部品工場で働いていたが、たった今、仕事をスマートに自主退職した。

 趣味は暇を作りゲームを満喫すること。その中でもとりわけVRMMOが息抜きとなっていた。
 VRMMOとは不特定多数のプレイヤーがゲームの世界でリアルの世界と同様、五感で感じながら冒険するそんなゲームのことをいう。

 そういえば、今日は新作『Lack the world 2』の発売日だっけ。ふとそんなことが頭を過ぎる。

 まてまて、そんなことよりも仕事を切られて、親になんと言ったら良いかを考えていたら、なにも浮かばず、なかなか家に帰れない。古本屋で時間をつぶし、ハンバーガーショップでお昼を食べ、その後はマンガ喫茶で過ごした。

 丸一日無駄にした……。気づけば西の空は寂しげな朱色がかかり始め、夕暮れ時となる。電線に綱渡りするカラスが、情けない声でカァーカァーと泣くのが目に留まる。

 はぁ、俺もお前たちと一緒に泣きたいぐらいだよ……。



 家に帰りキッチンに入ると、待ってましたと言わんばかりに、親が俺に向かって説教をしてきた。いやいや待て待て。何でそんなこと知ってるんだ?

「お前、何で仕事辞めたんだよ? やる気あるのか? あるわけないよな! いつもすぐに辞めてきやがって、頭どうかなってるんじゃないのか?」

「ほんと情けないわ、兄弟の中であなただけじゃないの? ほんっと、いつになったら自立できるのよ」

 年々、二人とも眉間のシワと青筋が目立つようになってきた気がする。これは俺のせいなのか?

 どうやら派遣会社のあの女が、家に文句の電話を入れたらしい。そしてクビにしたことも。

 父はテーブルの上に置かれた俺のVRMMOのハードを拳骨で力の限りぶっ叩いて壊すし、母は耳が痛くなるほどの金切り声を上げる。二人の地獄の交響曲が無慈悲に家中に鳴り響く。

 大切にしていた眼鏡型のハードはレンズが割れて砕け散り、耳掛けはひん曲がった。酷すぎないか……。ここまでするかよ普通……。俺は親が少し落ち着くのを待って自室に逃げるしか無かった。

 ──そもそも、どうして俺だけいつもこうなんだ。気分が沈んだまま畳に寝転がり天井を仰ぎ見た。

 今、思い起こせば、小学生、中学生の頃はいい感じだった。足も速くてスポーツも万能だった。ところが高校から勉強についていけなくなった。

 ここまでは表向きの理由だが、実は忘れたいあの事件があったから、俺は高校を登校拒否になり、なんとか卒業証書だけをお情けでもらうことになるあの禍々しい事件。

 その日は快晴でとても気分の良い日だった。1日が終わり帰ろうと駐輪場へ行くと俺の自転車が無かった。今にして思えば、誰か心無いやつが盗んだことは間違いないのだが、その時の俺は周りが全く見えていなかったんだろう、クラスに俺のことが凄く嫌いな奴がいると酷く落ち込んだものだ。

 親は共働きで遅くまで働いていた為、迎えに来て貰えず、歩いて車が行き交う道をとぼとぼ二時間かけて歩き、親にも言えず、誰にも言えず、そう心が疲れてしまったんだと思う。高校は小中学校のように心許せる友達が出来なかったことも大きな要因なのかもしれない。

 なんでそんなつまらないことでって、今だから思うがその時の俺にはどうしようもなかった。親に頼み事をした経験がなかったのも原因の一つなのかもしれない。もう少し話しやすい家族が良かったよな……。

 ──所詮、日本は線路の上を一度脱線したら、もう元には戻れないのかもしれない。



 俺は、靴底のゴムが剥がれかかったスニーカーをパタパタと情けない音を鳴らしながら、デパートのゲームの店に入ると、体験版の『Lack the world 2』をプレイして、無料で貰えるこのゲームのチラシをズボンの後ろのポケットに差し込んだ。

 さてと、はぁ……帰るか。

 グレイの空はいつもよりどんよりしているように見えた。夜でも曇ってうっすらと見えるもんなんだ、肌を突き刺す感情の無い風が身体を通り過ぎていく。無意識に目からは涙がこぼれ落ちる。

 この大通りは大学が近いのか、キラキラしたお洒落な若い子達と大勢すれ違う。 

 その道中、黒のゴスロリの服を纏った女性が、踏み切りの向こうから歩いてくるのが目にとまった。白の十字架のロゴが幾つか入った黒のミニのプリーツスカートと白いレースの付いたブラウスを着ていた。

 まじか……はっきり言って服装は好みじゃない。一瞬、イタイやつに見えたが、待ってくれ! 彼女の純心そうな瞳。艶のある綺麗な黒髪、自信満々な表情。が魅力的に映り、気づけば彼女に釘付けになっていた。

 ──そう、 彼女は今まで会ったどんな女性とも全く違って見えた。

 町中で可愛い子がいれば、チラチラ二度見することは男なら誰だってあると思う。でもそうじゃない。純粋にこころから話しかけたい。

 それなのに、俯くと自分のくたびれたTシャツとジーンズ、更には情けない泣きっ面。よりにもよって何でこんな時にタイミングが悪すぎる。

 ゴスロリの女性はカーン、カーン、カーンと踏切が鳴る中、構わない様子で、耳にイヤホンを填めて体を曲に合わせて小刻みに揺らしリズムをとっているようだ。遮断機が降りるのに全く気がついていない様子だった。

 彼女が線路に足を踏み入れるとそれは完全に降り、彼女を閉じ込める。嘲笑うかのように遮断機は風で上下にふらふらと揺れ動く。

「イ、イタッ!」

 彼女は線路の真ん中で小さな声を出して、踞まる。どうやら線路の溝にハイヒールが挟まり、しかも足首を痛めたように見えた。

 地平線の向こうのビル街からは唸り声を上げた電車が少しずつこちらに向かって迫ってくる。

 ──このままだと助からない。

 線路の中の女性はハイヒールを脱ぎ、懸命にビッコを引きながら前へ歩こうとするが、全くもって進まない。片足を引きずっていては間に合わないのだ。

 赤く点滅を繰り返す線路に俺は咄嗟に飛び込んだ。片方の靴のゴム底が完全に剥がれ落ち、砂利で痛みが走る。

 それでも、彼女の前までくると、腰を屈め振り返り、大きな声を出す。

「早く! 乗って!」

 背中を指差す。戸惑った表情の彼女は、遠慮がちに身体を俺に預け、腕を首にまわす。袖の白のレースが首を擦り、胸のぷにゅっとした柔らかい感触を背中に感じたような気がした。

 遮断機を潜り抜けるまでの記憶がない。「ふぅー」と、一呼吸したその瞬間、勢いよく轟音を掻き鳴らしながら、後方を電車が走り去っていった。

 背中から嫌な汗が噴き出し、膝の力がガクッと抜ける。彼女は地面に足を降ろすと、俺のポケットからチラシが落ちた。その女性はそのVRMMOのチラシを拾うと目を細めて、懐かしむような顔を一瞬したような気がした。

「落ちたわ。懐かしいわね……」

 口から紡がれる声が、見た目と同じぐらい可愛いらしくて、俺は彼女に大丈夫? と言おうとしたら、彼女の頬は仄かに朱に染まっていた。そして、

「私の名前は宮内エリカ。あなた、私のお屋敷でVRMMOやらない?」

  上から目線の口調とは対照的に彼女の下ろした右手は震えていた。
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