スリーピング・サーガ~世界が眠りに堕ちる前に~

秋月流弥

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第4章:ネムーニャ帝国の刺客

24.マースの過去

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    タイムたちとの遭遇によりすっかり日が暮れてしまったので、再びフワワ亭にお世話になることにした。
「おかえり~テツヤ村どうだった?」
のんびりとご主人が迎えてくれた。

「飲んだら」
「……はい」
夜がとっぷり更け、テーブル上のランプの灯りが儚く揺れる。
向かいの椅子に座り物思いにふける助手に紅茶を差し出すと、彼は控えめに手を差し出した。
テーブルを挟みダミ子も自分用に淹れた紅茶を飲む。今日は紅茶の気分だ。

「まさか私たちと同じ目的を持つ連中が出てくるなんてね」
「ダミ子さん怪我しませんでしたか。すみません僕の不注意で……」
「あんなの怪我に入らんよ。しかしおてんばな子だったね。モテモテじゃないか。君もすみにおけないな」
「オレガノから何か聞きましたか」
「ちらっと。君がネムーニャ帝国で最強の魔法使いだったことを」
「物騒、って思いませんか?  そんな人物が近くにいると」
「んーや」
ダミ子は首をふる。
「マースくんはマースくんでしょ?  国の最大の戦力だとか最強の魔法使いだとかよりも、その前に君は私の助手だ」
「ダミ子さん」
「でもさ。言われてみれば知らなかったんだ。いや、知ったつもりでいた。君があまりにも当然のように近くにいるから理解したつもりでいたんだな」
傲慢というか、怠惰というか。

「私、マースくんのことそんな知ってなかったんだなって」

グゥスカ王国へ来たネムーニャ帝国の元スパイ。
気弱な助手。スパイとして送られたのに、ダミ子のもとで働くことになってこき使われて、ダミ子よりも職場に馴染んでる好青年。
チーズが大好き。それにつられてダミ子に捕獲され助手兼ダミ子の需要ない発明の実験体となった不憫なやつ。
私の知ってる彼。
でも自分の知る彼は、彼の僅かな一面にしか過ぎなくて。

紅茶を一口啜る。淹れ慣れてないせいか苦味が強く渋味を感じる。

「そうですね。いろいろありました」
「でも」助手はうつむきカップを見つめる。紅茶は鏡のように見つめる青年を映す。

「“あんなこと”があったのに、何も感じなかったんです。当時の僕は」
「聞きたいな。私の知らない君の話」
「……長い話になりますよ」

注意置きをするように、マースは口元に傾けたカップをソーサーに戻し、一呼吸吐いた。

「ネムーニャにいた頃の僕はただの生きる人形だった。何も考えること感じることのない屍のような人間でした」

……。
…………。


「ネムーニャ帝国はダミ子さんの知ってる通り魔法使いが支配する魔法大国です。でも……そんな魔法使いの国でもネムーニャには魔法を使えない人間が一定数存在するんです」

……僕の生まれた家系はネムーニャで最も多い平均クラスの一般魔法使いの家系で、ネムーニャでも田舎の方にある山の近くの集落に住んでました。
都市から外れただいぶ田舎の地方でした。

一定の年齢になると魔法学院という魔法の専門教育機関へ入学する義務がネムーニャでは課せられています。それがネムーニャで魔力を宿す者の義務だから。

田舎住まいの僕は、家から魔法学院まで距離が長いために学園寮に入る命を受けました。

僕の住む集落を降りると、ふもとにはスラムがありました。
学園の入寮手続きの際、山の集落を降り、公道であるこの道を馬車で通ったときのことでした。

スラムというのは魔力を持たず生まれた、魔法を使えない人間たちが送られる掃き溜めのような場所でした。
ネムーニャに生まれながら魔法の素質のない人間はここに送られる。国からの支援も就職口も貰えず酷い待遇を受ける。
馬車に揺られ道を通る僕を見る彼らの目は憎しみが籠もっていました。

だからといって自分のいる環境も恵まれてると思えなかった。
入学して間もない頃、入学テストの成績が良かった僕は嫌な意味で注目されました。歓声も含まれる中に嫉妬と嫌悪も向けられ、だから友人もできなかった。

学院に馴染めない僕は学生寮を抜け出しました。
家に帰ればどやされるから家に帰らず、山のふもとをいったりきたり。

すると、

「大丈夫かい坊や。どうしたの?」

辺りが夕闇に呑まれる頃、ふもとで膝を抱える僕に声をかけたのはスラムに住む一人のお婆さんでした。
「こんなところにいたら風邪をひいてしまうわ。うちに来なさいな。お茶を淹れてあげる」

彼女は僕が魔法学院の制服を着てるにかかわらず笑顔で声をかけてくれました。
心優しい女性。
スラムの人たちの目は相変わらず厳しいものだったけれど、お婆さんは優しく僕に微笑み、家へ招くと温かいお茶とチーズケーキを振る舞ってくれました。

「ひとり暮しだと話し相手がいなくてね。今日は嬉しいわ」

話を聞くと、彼女は数多い兄妹の末っ子で自分だけ魔力が宿らずここへ送られてきたと言いました。

「他の兄妹が恨めしくないの?」彼女は首をふり、
「兄妹だもの。恨むわけないわ。それなりにここで楽しく暮らしているもの私」
「でも」彼女は言った。
「魔法には興味があったかも。私の知らない世界、興味があるわ」
お婆さんは朗らかな笑みで僕に言いました。

「私が知らない世界を教えてほしいわね」

その言葉を聞き、僕は学校へ戻り授業に一生懸命取り組みました。
勉強も実習も、一つでも多く彼女に話すことが増えるから。
どうしてそんなことをするのか。理由は明確にわかりませんでした。もしかしたら、あの日食べたチーズケーキが美味しかったからかもしれません。

それから外出許可がおりる週末は彼女の家を訪れ、学院のことや魔法のことを一日中話しました。
とても楽しい時間でした。

「またおいで。ケーキ作って待ってるからね」
自分を待っててくれる人がいるのがたまらなく嬉しかった。

自分がスラム地区に足を運ぶのが歓迎されてないことだと齢十歳の頃にはなんとなく気づいてました。
だから家族にも学院関係者にも内緒でお婆さんの家に通りました。
誰も知らない僕だけの居場所でした。

僕が高等部に進級した頃。僕の住んでる地域で大きな竜巻が発生しました。
僕たちの集落は国による魔法の城壁や結界で竜巻の被害は少なかったけれど、彼らの住むスラムは違った。それらが施されてなかった。

今日もお婆さんの家に遊びに行く約束をしていました。
『渡したいものがある』彼女はそう言っていました。

(会うって約束したんだ……だから今日も元気なはず)

被害は雲泥の差でした。
スラム地区は竜巻による被害を大きく受けたんです。
瓦礫の海。倒壊する建物。転がる死体には蝿が集り蛆がわいていて。泣き叫ぶ声の波を掻き分けお婆さんの家を目指しました。
倒壊する家屋の中に力なく垂れる腕を見つけた時、それがお婆さんの手だと分かるのに数秒かかりました。
プログラミングされた機械のように僕は瓦礫をどけました。重い。こんなに重いものの下敷きになるなんて、もう彼女は……
彼女の白い顔が出てきた時、僕はただ立ち尽くすだけでした。
(そうだよ。こんな重いものの下敷きだぞ。助かるわけないだろ)

「……なんだ?」
白くなった彼女の手を握ると、手に何かが握られているのが分かった指は呆気なく開き掌の中には光るものがありました。それは金色のピアスでした。

「もしかして、」

彼女が言っていた渡したいものって。
そこで初めて自分が今日誕生日を迎えていたことを思い出しました。
救助は来ない。疫病を発生させないためにと派遣された作業員は死体を回収すると去っていった。
誰も助けてくれない。
残された僕はピアスを握りしめスラムを去って行きました。
それっきりスラムを訪れることはありませんでした。


「マース、貴様また授業をサボったな!」

「……タイム」
中庭の温室前の椅子に座りぼーっと空を見上げていると、自称次のNo.1を名乗る自称僕のライバルが声をかけてきました。
なにかと自分につっかかってくる男でした。
「いくら実力があるからといって素行が悪いのはいけすかないな。貴様の成績の良さはサボタージュする免罪符にはならないぞ」
「いいだろ。僕のことなんてどうだって。ほっといてくれよ」
「よくない!  俺より実力が上の奴がフラフラしてる体たらく野郎だと、その下の俺がショボいNo.2みたいになってしまうではないか!」
「まあまあ、兄さんったら」
「オレガノ!  久々に俺の背中に乗ってくれたな!」
「私はチョイ悪なマースも格好イイと思うし~。規則に囚われない感じがさ。兄さんビビりだから素行悪いことができないもんねー」
「真面目で何が悪い!?」
「あははー」

学校の授業にそんな出なくなった僕に声をかけるのはタイムとその妹のオレガノだけでした。

やがて魔法学院で頂点に立ち、首席で学院を卒業した僕はネムーニャ帝国魔法隊の一員に任命されました。
僕に与えられた任務は『隣国グゥスカ王国の王室薬剤研究所の研究に対する情報収集』……スパイでした。

「お前は国のため命を使うのだ」
「例え任務で命を落としたとしても国の為に死ねることを名誉と思え」
「ネムーニャ帝国こそ世界を統べる無敵国家なのだ!」

何も考え感じることなく僕は首肯くばかりでグゥスカ王国へ向かいました。


……。
…………。


「あとはダミ子さんの知ってる通りです。僕は任務に失敗して、助手としてここにいます」

「君は馴染むのに時間かかったな」
「警戒心が強いというか、どう人と接して良いのか分からなかったんです。次第に、ダミ子さんやカモミールさんたちの優しさに触れてやっと僕は人間になれた気がしました。あの国は、魔法使いだとしても、人として扱う風ではありませんでしたから……」

マースの顔にに暗い影が差し込む。

「ネムーニャ帝国は、魔法が使えないだけで簡単に命を放棄し棄て去る。才能の有無で国民の人生が左右される。尊い命は平等として扱われない」

「それが、君の育った故郷なんだな」
「はい」

きっと彼からすべての闇を取り除くことなんてできない。
その暗さも抱えてマースは光ある道を歩いていく。

「良い人だったんだな。そのお婆さんは」
「手先の器用な人で、よくスラムの子供たちにも雑貨やアクセサリーを作ってあげてました。強い女性でした。理不尽で鬱屈にまみれた掃溜めのような環境でも、ささやかな幸せをつくりあげていて」

そこでマースは一旦言葉を止めた。

「……今思えば、彼女はくすぶってた僕のために嘘を吐いたんじゃないかって」

「嘘?」
「僕を魔法学院に戻すために、彼女は魔法の話を聞きたいなんて言ったんですよ。そんな優しい方便に気づかないで僕は学院の話を彼女にたくさんした。延々に話を聞かされて、うんざりしてたんじゃないかな。本当は魔法の存在が大嫌いだったかもしれないのに……憎んでいたかもしれないのに」

伏せる瞳の赤色に、縁取る睫毛が影のように暗闇を落とす。

「きっと、僕や魔法のことを怨みながら逝ったんだろうなって……」


「本気でそう言ってる?」

ダミ子はマースの目を見つめ言った。

「本当に、お婆さんが君のことを嫌いだったら、その耳につけてるピアスは何?  君が好きだったから作ったんだろう」
「!」
「ケーキが美味しかったんだろ。居心地良く感じたんだろ。彼女が好きだから君は家に遊びに行ったんでしょ。だったらそれがすべてだろうが」
「あ……」

ダミ子の言葉を聞いて、マースは瞳を見開いた。

「そうですね……その通りだ」

首肯く彼にダミ子は薄く微笑んだ。

「“魔法使いじゃないから”その理由を聞けばネムーニャの人間は納得します。ネムーニャの血にはその思想が刻まれているから。他所の国から見れば首を傾げることなのに」

僕ははみ出して良かった。

溢れた彼の言葉は雲一つない夜空のような清々しいものだった。

「とりあえず、ネムーニャのような国はクソ喰らえですね」
「君も言うようになったな」

満月の光を浴びて紅茶は金色に輝いている。
ダミ子はその満月ごと飲み干すように紅茶の入るカップを傾けた。

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