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第1章:グゥスカ王国の薬剤師

2.婚約者が眠りに堕ちた

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研究所のドアは爆発で木っ端微塵にされたため、ドアのあった場所がぽっかりなくなっている。
ザ・吹き抜けスタイル。
隣の廊下が丸見えだった。

「これはこれで開放感があっていいか」

なんて現実逃避していたら、廊下から物凄い勢いで研究室に何かがが入ってきた。

ネズミである。

「ダミ子さあぁぁぁん!  大変です!!」

ネズミはハスキーな声で人語を喋る。
するとボフン、と音を立てネズミは青年の姿になった。

青男はダミ子の肩を掴み揺さぶる。

「ダミ子さん、大変です。大変なんです!」
「お、おお」
ガタガタ揺れるダミ子。

青年の耳には金色のピアスが揺れ、男にしては長い髪がサラサラと波打つ。
ダミ子やカモミールと同じく白衣を着ているが、研究所の格好としては不釣り合いな装いを男はしていた。
「ゆするなゆするな、眼鏡が落ちる」
「はっ!  すみません。女性の肩を強く掴むなんて……」
うろたえる男。
チャラい見た目とギャップを感じさせる彼はダミ子の助手をしている。

青年の名はマース。
隣国・ネムーニャ王国の元スパイの魔法使いだ。
今は成り行きでダミ子の助手をしている。
ネズミの姿に変身することができることから、よくダミ子の実験台にされる可哀想なお目付け役だ。

「ってあれ!?  ドアがない!」
「騒がしいなぁ。ドアならさっきの爆発でお亡くなりになったよ」
「ああ、研究所から煙が出てるなと思ったら。ダミ子さん今月で何度目ですか」

この会話、デジャヴを感じる。

「それより随分慌ててたようだけど、私に用があるんじゃないの?」

「そうだ!  ダミ子さん大変です!」
「だから何がさ」


「“セージ”様が永眠病スリーピング・ホリックにかかってしまったんです!!」

「セージが?」

その名前を聞いてダミ子の眉がわずかに歪む。

セージ。二十六歳。職業は鍛冶屋の跡取り。
鍛冶屋生まれなのに力がなく弱音ばかり吐いて、いつも親父に怒鳴られている情けない青年。

ダミ子の婚約者である。

「それで、彼は無事なのか?  彼のことだから瀕死状態だとか……」
「いえ、今のところ永眠病スリーピング・ホリックの特徴通りグースカと眠っているだけです。僕が駆けつけた時にはもう夢の中でした」
「あと、彼がダミ子さんにこれを」と、マースが懐から出した白い封筒をダミ子に渡す。
封をする箇所には薔薇のシールが貼られていて、キザな婚約者からのものだとすぐわかる。

「なんだ?  手紙か」
「愛するダミ子さんの為に最後の力を振り絞って書いたんですよ……」
ホロリ涙を流すマースを軽く無視。封の中身を広げる。

手紙にはこう書かれていた。

『~愛するダミ子へ~

僕はどうやらここまでらしい。

不治の病にかかってしまったからね。

願うことなら君にもう一度会いたかった。

しかしそれも叶わない運命だった。

ダミ子、君だけはどうか無事で……ぐぅ』

手紙はそこで途切れていた。

「おいたわしやセージ様……!」
「最後のぐぅってわざわざ書かなくていいだろ」
婚約者のピンチだというのにそこが気になって悲しさをそこまで感じない。

「ちなみにセージ様がグゥスカ王国で永眠病スリーピング・ホリックの初の病人らしいです。ついにこの国にも患者が出てしまいました」

「うん」
「他人事ではなくなりましたね」
「しかも婚約者だしな」
「ダミ子さん……どうかお気を強くもって」

いくらズボラで無感動、無神経さが目立つダミ子でも、自分の婚約者がいつ目覚めるかわからない奇病に伏したら落ち込むだろう。
マースはどう慰めていいのかオロオロしていると、その気遣いも無駄になるくらいダミ子はケロっとした顔で一言。
「そのうちどっかの国が治療薬を開発してくれるだろう」
マースはずっこけそうになった。
よろける助手を冷めた目で見ると、ダミ子は椅子に座り足を組む。

ちなみに椅子は爆発のダメージにより斜めに傾いているのでダミ子も傾いている。

「なにをオーバーなリアクションをしてるんだ君は」
「いや、思いきり他人事だなって……ダミ子さんの婚約者なんですよね?」
「焦ってセージが目を覚ますのか?  治療薬が飛んでくるのか? 否、こういう時こそ気長に待つのが大事なんだよ 」
「さいですか……」
「そう」
綿のはみ出る椅子にふんぞり返る斜め姿勢の薬剤師。
「まだまだ青いねぇ若者よ」
「うぅ、ダミ子さんだって若者でしょ」
マースを子供扱いするダミ子だが、彼女もまだ齢二十四の若者だ。

そう、まだ二十四。
今はまだ、と言っていられる。
だが……
「ダミ子さん、気長に待ってて大丈夫なんですか」
「何が言いたい?」
ダミ子は小首を傾げる。
先ほど同僚をイラつかせた可愛さアピールだが、この青年には効果がある。
上目遣いで見つめるそれに「うぅ」とちょっと照れていた。
私の助手可愛い。
マースは頭かぶりを振ると真剣な顔をして言った。
「だって、いつ目覚めるかわからない病気なんですよ?  治療薬が完成するのだって何年、いや何十年先かもしれない」
「う……」
「ダミ子さんはその時自分が何歳か予想できますか」
「そ、それは」
「ダミ子さんが今二十四のうら若き乙女でも、セージ様が目覚める頃にはしわしわのおばあちゃんになっているかもしれない……」
「う、おぁ……」
「しかもまだ婚約者フィアンセ状態」

「ぬおおーッ!!  それは嫌だー!」

ダミ子決壊。

「ずっと婚約者状態は嫌だ!  そんなのどっかのドラマの登場人物だけで充分だよ!」
「どこの世界の話ですかそれ」

ダミ子はマースの肩を掴んで鼻息を荒くして言う。
「行くぞマースくん」
「え、行くってどこに?」
「どこにだってェ……!?」
迫るダミ子。
「ち、近い近い。怖いですダミ子さん」
ボサボサに乱れた髪の隙間から爛々と輝く翡翠色の瞳に危うさを感じる。
「決まっているだろう!  永眠病スリーピング・ホリックの治療薬を私たちが開発する。材料を集める旅に出るんだ!!」
「えぇ!?  気長に待つって言ってたじゃないですか!」
「婚期を遅らせるわけにはいかない。私は猛烈に焦っている」
「さっきと真逆ー!」
「私をその気にさせたのはマースくんだろう。責任をとれ」
「誤解を招く言い方しないでくださいよ!」

こうして、薬剤師ダミ子と助手のマースは永眠病スリーピング・ホリックの治療薬を開発するため(婚期を遅らせないため)の旅に出ることになった。

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