果実は甘露な香気を纏う

きさらぎ

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誘いの果実 Ⅲ

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   広い敷地の中に建つ日本家屋の南に面した庭は、山間部を模した渓流があり雑木が植えられ、川には魚が泳いでいる。さながら自然の中にいるような錯覚を起こさせる景色を形どっていた。
 樹木が幾種類も立ち並ぶ中、実をならせている木があった。
 桃の木だった。小ぶりの果実を一つだけ実らせている。

「この実も何日もつんだろう」

 やるせない気分で桃を眺めていたこの家の主、羽琉矢は微かなため息をつく。泰雅が家を辞すると、ここへ降り立ったのだった。
 三月の下旬、桃の季節には早いのか遅いのか、去年の十二月に花をつけ、果実となったのは今年に入ってから。昨今は気温の変化が激しいためか、季節外れの狂い咲きする花も多くなっているが、これはちょっと異常だった。

 何しろ、花を咲かせるのも実がなるのも何十年か振り。自分が生まれてから今まで一度も見たことがなかった。祖父でさえ見ることは叶わなかったのだから、どれだけの年月休眠していたのだろう。
 太い幹と左右に大きく広がった枝、堂々とした風格さえある桃の木は、この屋敷の中でもっとも古い樹木だった。

 元々桃には魔除けや不老長寿などの伝説があるが、初代当主がそれにあやかり植樹をしたのがはじまりらしい。桃の結実と事業の成功が同時期だったことが拍車をかけ、一族繁栄の象徴として大切にされていた。いわゆる縁起物。桃が実った年には、願いが叶うという逸話がいくつか残っている。

 例えば事業が発展するとか、新規事業の成功とか、伴侶や子宝に恵まれるとかなど、そのどれもが本当なのか、そうでないのかはわからない。記録が残っているわけでもなく、伝え聞くだけで故人達に確かめる術はないからだ。

 本邸だったここも別邸となって久しい。より便利な場所へと居を移したからだ。いつしか実をつけなくなった桃の木を顧みる者はいない。逸話に関係なく成功している現在を思えば、崇拝する者などいないのだろう。

 何十年ぶりかの桃の実は、ここ一週間程で色づき始め、今では完熟の濃紅色になっている。食べ頃のこの機を逃すと熟れ過ぎて実を落としてしまうかもしれない。

 食べようか、それとも、このまま見るだけにして、あとは自然に任せるか。

 羽琉矢は毎日桃を見ては悩んでいた。目下のところ桃にしか興味がなかった。

 会社のことは垣下に任せておけば安心だし、毎日のように指示も出している。大丈夫だと思っていたが、決算を抱えている会社もある。それこそ他人事で済まされるものではないだろう。
 しょうがない二、三日うちに顔を出すかな。

 溜まっている仕事もこなさなくてはならない。決裁のことは再三言われていたことだ。忙しいの一言で一蹴してきたが、プライドの高い垣下が、泰雅にまで泣きつくとなるとそろそろ限界だろう。

 今年に入ってから桃を見守ることで忙しかったのだ。 

 季節外れのたった一つの貴重な実。羽琉矢は自分の代で起こった出来事に、対処の仕様がなく考えあぐねていた。
 泰雅でさえ『熟れたら俺にも食べさせろ』ぐらいな調子だったから、家族に話しても一笑に付されるだけだろう。誰も興味はないのだから。
 祖母に相談してもいいのだが、今は極力会いたくない。

 逸話のように、この実は何かを齎してくれるのだろうか。
 ただの老齢な樹木だと言い切れない何か持つ桃の木を、複雑な気持ちで眺めていた。



 カサ、カサッ


 突然音が聞こえた。 

 足音? 誰だろう?

 ここへは自分の許可なしには入れない。ゆっくりと足音が近づいてくる。じっと固唾を飲んでその方向を凝視していると、姿が見えてきた。
 現れたのは、一人の女性だった。



 香りを辿り、歩いてきた結愛の目の前には和風庭園が広がっていた。
 いきなりあらわれた光景に目を奪われたその先に、庭に佇む男性の姿が目に入った。誰もいないと思い込んでいた結愛は、人がいたことにびっくりして足を止めた。

 羽琉矢も誰も来るはずのない屋敷に突然現れた結愛を前に、一瞬息が止まった。


 その瞬間、二人の時間が重なった。



 
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