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98 王家の皮算用

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【Side:コンスタンツェ】


「教えてやろうか?」

空き教室で勉強しながらうんうん唸っていた私にユリウス殿下が話しかけて来た。
楽しそうな笑み。後ろのヤークート様は渋い顔をしているけど。少し離れてちらちらとユリウス殿下を窺う令嬢たちが見える。
「…何でですか?」
「悩んでいるようだったからな」
「そうじゃなくて…わざわざ私に話しかけなくても、殿下に話しかけてもらいたい令嬢たちがたくさんいるでしょうに」
「私はその時話しかけたい令嬢に話しかけるだけだが?…ここはこちらを参考にするといい」

私より綺麗な指先でとんとんと教科書を示す。
学年が違うのに何故ここに。私を捜しに来た?まさかね。
そういえばネレウス殿下は兄のことを『割と頭が良い』と称していたな。アマデウス様以外の候補者には近付いてもいいんだし、教えてくれるというのなら教わってもいいかもしれない。
クラスに数人話せる相手は出来たけど、成績で纏められているだけあって頭の出来は似たり寄ったりだ。教わる相手がいたら助かる。

結果、ユリウス殿下は思いの外教え方が丁寧だった。おそらく彼にものを教える人物が全員丁寧だからだろう。あと弟妹がいるからかも?初対面の印象が悪かった分、好感度がとても上がった。

「…殿下…こんなところでその辺の令嬢に構っている暇があったらジュリエッタ嬢に…」
ヤークート様が焦れたように言い出した。ユリウス殿下はうんざりしたように返す。
「ラングレー…しつこいぞ。ジュリエッタが今更私との縁談に前向きになる訳がなかろう」

ヤークート様、ジュリエッタ様をユリウス王子と婚約させたい勢力の一人ってやつ…?聖女の力のことは知らないはずだから身内とか上司からそう仕向けるよう言い含められているのだろうか。
ネレウス殿下と知り合いであることは秘密なのでとりあえず何も知らない振りをしなきゃ。

「縁談?ジュリエッタ様はもう婚約してるのに…?」
「公爵家の妃が必要だとうるさい者たちがおってな。無理矢理召し上げることも不可能ではないが私にその気はない。シレンツィオを怒らせるだけだと言うに」
「化粧をすればジュリエッタ嬢も悪くないと殿下も仰っていたでしょう?」
「ああ、まぁあのくらいならイケるとは言ったが…」
「イケる?何それ、サイッテー…」

いけないまたつい本音が。慌てて口を抑える。
私も町にいた時言われたことあるわ。「俺はイケる」「惜しいけどかわいいじゃん」とかこそこそとこっちを見ながら。腹立つ。お呼びじゃないしこっちからお断りよ。

「あ、…私が進んで発言したのではないぞ?周りの者が『あれなら平気だろう』『結婚出来ると思わないか』としつこいから答えただけでな」
ユリウス殿下は私の失言は咎めずに言い訳し出した。
「ふうん、そうなんですか」
「…そんな目で見るでない」
軽蔑の目で見ると彼は気まずそうにした。私を庇ったジュリエッタ様に謝る羽目になった時のことが結構堪えたのだろうか。自分の失言に反省するのが早い。偉い人だし偉そうなのに、そんな人が私の言葉に狼狽えているのは何だか可愛らしく見えた。

「ふん、あの男…アマデウスは今王女殿下に侍っているそうですよ。浮薄な男です、すぐにとはいかないでしょうが婚約解消は充分有り得る話です。その時の為に親睦を…」
「へぁぁ?!」
ヤークート様の発言に思わず机から立ち上がる。いつの間にそんなことに?!
「何だと?アナスタシアに?ジュリエッタから苦情が来る前にやめさせないと…おい?」
「急用を思い出したので失礼します!」

急いで鞄に文房具を突っ込んで教室を飛び出した。
ネレウス殿下に報告だ!!

…と思ったがその日は神殿にいないということで結局会えなかった。
会えたのは3日後。





神殿のいつもの部屋に入ってきたネレウス殿下は元々青白い顔を更に青くしてイラついたように雑に座った。
「何かあったんですか?」
「アナスタシアがアマデウスを夫に望んだ」
「……はい?」



※※※



定期的に国王・王妃・第二妃・その子供たち全員が集められた食事会がある。
一族として結束を図りつつ、近況報告して情報を共有する。王妃と第二妃は仲が悪い訳ではないが、緊張感がある距離を保っている為ネレウスはあまり出たくない。ユリウスだけは気さくに話しかけてくれるのが救いだった。

「ピアノが上手くなりました」と言ったアナスタシア王女に、国王陛下は「是非聴きたい。一曲弾いておくれ。素晴らしいと思ったら何でも一つご褒美をやろう」と提案。
ピアノは少し前に話題になった時、臣下の名前で王家も購入していた。部屋を移動して食後のお茶を飲みながら王女のピアノを聴き、少々拙いところはあれど努力が窺える音色をその場の全員が絶賛する。

ネレウスは遠ざけられて育った為あまり彼女を知らないが、純粋で可憐な王女は国王、王妃、ユリウスに第二妃、仕えている者全てに可愛がられていた。
そもそも彼女に優しくない者はすぐに彼女の傍から排除されてきたのだった。



「―――スカルラット伯爵令息アマデウスを、夫に望みます」



「何が欲しい?」と言われた後の問題発言に王家の面々は驚愕して暫し沈黙した。
「……アナスタシア?あまりふざけたことを言うな、父上も固まってらっしゃるではないか」
ユリウスが苦笑し周りも冗談だったかと緩んだ。しかし「いいえ、ふざけておりません」と王女がはっきり言った為再び空気が凍る。
うっとりと頬を手で包み何かを思い出す王女の表情に、ネレウスは嫌な予感がした。

「少し前の雪の時期、夜会を覗かせて頂いたのですが…そこでピアノの演奏をするあの御方にお会いして…すっかり魅了されてしまいました。
闇の神を思わせる黒い服、炎のような髪、魔法のように音を紡ぐ指……強烈に焼き付いて心から離れず、どうにかお喋りしたくて学院でピアノの教授をお願いしました。無邪気な笑顔と、彼の情熱がわかる楽器に馴染んだ手を見て、触って、わたくし…恋というのはこういうものなのかと理解致しました。夫にするならどうしてもあの方がいいのです。…わたくしの恋を叶えて下さいませんか、お父様」

一年ほど前から王女がカツラを被って夜会を覗いているのは気晴らしとして許可されていた。護衛を近くと遠くに何人も付けて少しだけなら。それを許したことを悔いるように国王が額に手を当てた。

「…可愛いアナスタシアの願いを叶えてやりたいのは山々だが。スカルラットのアマデウスというと、シレンツィオ公爵家のジュリエッタの婚約者で相違ないな?」
視線を受けた侍従が頷く。
「…可哀想だけどそれはいけないわアナ…相手がもっと下位であればどうにか出来たかもしれないけれど流石に公爵家は…」
王妃が悩ましい顔で娘に言い国王も同意する。
「ああ…他に心惹かれる貴公子はいないのか?ほら、仲良くしているロレンスとか…」
「…あの方が良いのです…あの方でないとわたくしは…幸せになれない…」

悲し気に顔を曇らせた王女ははらはらと硝子玉のような涙を流した。

ずっと慈しんで見守って来た王女の美しくも哀れなその姿に、その場の全員(ネレウスを除く)が出来ることなら彼女の望みを叶えてやりたいと感じていた。

「…わかった」
「父上!?」
ユリウスが驚いて声を上げたがそれを国王は手で制した。
「アナスタシア。お主は、侯爵になる者に嫁がせるか、侯爵の地位を与えて婿を取らせるつもりだった。もしアマデウスが公爵夫の地位よりもお主を愛し、選んだなら…私が何とかして彼をお主に与えよう」
「ち…父上、流石にそれはシレンツィオ公が黙っていません、ジュリエッタの婿探しが難航していたのはご存知でしょう!?」
「その時は…ユリウス、お主がジュリエッタを娶ればいい。元々顔が普通なら最も王妃に相応しかった娘なのだから。最近化粧というもののおかげで顔を見せるようになったと耳にしたぞ。社交に問題が無いのなら申し分がなくなった」
「いやそれはそうかもしれませんが…!!」
「ありがとうございますお父様!わたくし、もう少し仲を深めたら、勇気を出して彼に求婚致します…!」

国王に抗議していたユリウスに幸福そうな笑みのアナスタシアが近付き、囁いた。

「聡明なジュリエッタが王妃になりお兄様を支えれば、お兄様が下位貴族の令嬢を寵愛しても国は安泰ですわ。お兄様もわたくしも愛した方と幸せになれます。シレンツィオも王家と縁を結べるのですからきっと納得してくれましょう」
ユリウスは目を見開いてアナスタシアを見つめ、眉を寄せて黙った。



※※※


ネレウス殿下は淡々と王家の食事会で何があったか説明した後、机にだらりと崩れた。

「…コンスタンツェの話を聞いてから改めてアマデウスを調べさせたが、仲が良好なのは本当のようだったのでもしかしたらジュリエッタが聖女の務めを果たすかもしれないと、希望が見えていたところだったのに…。アマデウスに目を付けたのが王族というのがまた悪い。当事者以外で婚約を解消出来る方法があるとしたら王命だ…。ジュリエッタの絶望が不可避に…」
「で、でもね!!昨日アマデウス様とちょっと喋ったんだけど、王女殿下にはピアノを教える為に呼び出されてただけだって言ってたわよ!乳繰り合ってないって!」
「ちちくり…?初めて聞く言葉だ、どういう意味だ?」
「え…イチャイチャするみたいな…上品な人は使わないのかしら。アマデウス様には通じたけど」
「あれは女誑しだから…」
億劫そうに体を起こして温かいお茶を飲んで、ようやく彼の顔色が少しましになった。
「そういえば君はひとまず伴侶候補を兄上に絞ったということでいいのか?」
「へっ?!何で?!」

確かに今の時点で多少近付けているのはユリウス殿下だけだが。
アルフレド様、ハイライン様には学年も違うし近付くきっかけがなかなかない。アマデウス様とは動向を探る為に少し話したが、近付き過ぎないように気を付けるつもりだ。

同じ学年で一番近付けそうかと思ったジークリート様は…捕まらない。
違うクラスだし、授業が終わると令嬢に囲まれているか、訓練場で訓練してるか、急いで帰ってしまうか。公爵令息や侯爵令息よりも敷居が低いこともあり狙っている令嬢が多いみたいなのだ。予め聞いた話よりも性格も頼もしいみたいだし。

「あー…ユリウス殿下は唯一向こうから来てくれたから…」
「アナスタシアは兄上が君を気に入っていることも知っていて、ジュリエッタを娶ることの利点を話していたようだ。もしジュリエッタが王妃、君が第二妃になれば…君は命を狙われはしないかもしれんな。彼女はおそらく君に嫉妬はしないから」

ユリウス殿下が今の時点でそこまで私を気に入っているとは思えないけど…。他の令嬢の話じゃないかしら。
まぁ今は話が逸れるからその疑問は置いておこう。

「そうなったら、アマデウス様とくっついた王女殿下が暗殺される…?」
「ジュリエッタがアマデウスの相手を暗殺という手段に出たのは…多分、公爵家が揉み消せて、バレたとしてもジュリエッタが修道院送りになるくらいだからだ。しかし王族の暗殺を企んだと判明したら公爵家自体が重く罰せられる…だからそこまでの危険を冒しはしないと思うんだが」
「…私にとっては悪い話では無いってことね」

でも。
……でも。



「そんなのあんまりよ…ジュリエッタ様は、幸せそうだったのに」

アマデウス様が跪き彼女の手に口付けして、「惚れ直しました」と言った時。
真っ赤になったジュリエッタ様は仮面の目の下辺りを少し拭う仕草をした。あれはきっと涙ぐんでたのだ。仮面をしていることを忘れて涙が流れる前に拭こうとしたのだ。
…きっと泣くほど嬉しかったのだ。


「…呼び出されてるだけだって言ってたアマデウス様は、まだ王女殿下を好きなようには見えなかったわ。むしろ迷惑そうだった。…そう、私たちが防げばいいのよ!!これ以上王女殿下とアマデウス様が仲良くならないようにすれば…きっとジュリエッタ様も幸せになって聖女になってくれるわ!!!」

決意を込めて立ち上がり拳を突き上げた。ネレウス様は私を胡乱気に見ながら言う。

「楽観的すぎないかそれは…。…しかしこのままだと王女にアマデウスを取られた時点でジュリエッタが絶望する可能性が高いし…やるだけやってみるか。君が兄上と仲を深めるのも並行しながら」


話し合った結果、ネレウス様が学院に来て王女と面会しなるべくピアノの練習をさせないようにして、私はアマデウス様が王女に近付くのを防げるように見張るということにした。



――――しかし、その日からアマデウス様は王女殿下のピアノの指導役を辞退して音楽の教師に譲ったらしく、私とネレウス殿下は肩透かしを食らった。



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