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第百四十九回 楼閣での会談

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 高級芸妓館。史進が李瑞蘭を迎える為に呉用に相談し完成した五階建ての楼閣。当然、現場責任者として李瑞蘭が切り盛りしていた。

 他の芸妓達により二階と三階は盛り場として一般客でも利用できるが、一階には史進が用心棒として詰めており問題を起こすと容赦なく叩き出される。また白秀英も芸妓として顔を出し、二大人気芸妓の揃い踏みとあって新たな娯楽の場としても好評を博していた。王英などはすでにここの常連だ。

 潘金連が師匠二人に色々な教えを受けている場所でもあるが、呉用の思惑はこの楼閣の四階と五階。五階は広く展望が見渡せる場所になっており、四階は利用料金も跳ねあがる仕様になっていたが、この場所で遊んでいると見せかけて重要な人物達と密談、外交の場に利用するのだ。もちろん純粋にこちらで遊ぶのが目的の客もいてしっかり資金源のひとつとなっている。

 そして遂に宿元景、聞煥章、呉用、孔明、孔亮が場所を同じくして顔を揃えた。訪れた客人を見て史進も大歓迎の様子。

「あの時はお世話になりました。怪しい奴はこの俺が一歩たりとも中には入れねぇんで安心して軍師先生とお話ください」

 一同は四階の個室に入った。

「宿元景様。この度は私のような者の誘いを受けご足労いただきました事に感謝申し上げます」

 呉用が平身低頭に感謝を述べる。

「いやいや。その様な扱いは無用に願います。こちらも孔明殿達を通して随分と助けられておりますので」

 宿元景も挨拶を返す。

「文春殿の件でも助けていただきました」

 聞煥章も口を添える。だがこの場に文春の姿はない。彼は村で起きているある問題を解決するために違う場所へと赴いていたからだ。本来であればこの二人に助けてもらった彼も直接礼をしたかっただろう。

 今この場にて会うのは初めてでも孔明、孔亮を通じて色々な策を共有してきただけあって打ち解けるのに時間はかからず、王倫の事も呉用の意を汲んで話が進んだ。

 特に史進救出の際に使った手法には有効性を認め、これをさらに洗練して応用すれば宋国へ光明をもたらせられるかもしれないという意見で一致した。


「当初、国の元凶は蔡京や高俅など一部の姦臣と考えていました。宿元景様にとって望むのは健全な朝廷の姿でありましょう」
「まさにそれです」
「我等が望むのは梁山泊の平穏ですが、これは危ういとは言え既に成り立っているとも言えます」

 現状では。と言う事だが、だからこれでいいという訳では勿論ない。

「悪臣を除いても民の暮らしは変わらないとおっしゃるのですね? それはつまり梁山泊の平穏を引き続き脅かし続けると」
「左様です」

 聞煥章の言葉に呉用が頷く。

「悪政がそのまま引き継がれれば国の地盤は不安定のまま。例え元凶が国からいなくなったとしても意味がなく、さらに悪化する恐れさえあります」

 宿元景も納得の表情だ。ここからがそれを打開する為の話になる。居合わせている孔明に孔亮はすごい瞬間を目撃しているのではないかと内心興奮していた。

(なるほど。呉用先生は権力が身内で回される懸念を述べているのだな。自分達の栄華に固執している連中だ。その可能性は高い)

「これを囲碁で言うならば元々は彼等を重臣として起用した皇帝陛下の悪手。しかし今はここには触れませぬ。問題は打ち手がいつの間にか陛下から蔡京へと入れ替わりその地盤(陣地)を固めはじめた事」
「側近の一人として耳が痛い。私ではそれを防ぐ手が打てませんでした」
「宿元景様。そこは蔡京が手練れだったとしておきましょう。しかし今の我々は同じ土俵で戦える術とその為の力を得ました」

 術とは偽情報や賄賂などをうまく使い望む結果を引き出すやり方。力とは資金だ。

「蔡京の息のかかっていない者でもこの時世により賄賂に転びやすい。極端な話、やりようによっては蔡京自身にこちらの得になるような一手を打たせる事も可能かもしれません」

(おお! さすが先生。敵の力をも利用する気なのだな)

 孔亮が感心する。

「ふむ。ですが呉用殿にはまだその一手を打たせるつもりはないように見受けられますが」

 興味深く聞いていた聞煥章が孔亮とは違う反応を示す。

「ははは。蔡京はいわば城の中核部。いきなり攻めるのはさすがに厳しい。狙いに気付かれてしまえば全てが台無しです。まずは定石に従い外堀を埋め城壁を壊すべきかと」

 聞煥章と宿元景がこの呉用の言葉で顔を見合わせる。彼には何か具体的な策があると見抜いたためだ。すぐさま宿元景が礼を示す。

「呉用先生。策があるならば是非ご教授いただけませんか?」

 呉用も礼を返して言う。

「勿論です。この計にはお二人の助力が必要不可欠。このまま互いに石をひとつひとつ取り合っていても状況は良くなりません。そこで……」

 呉用は以前孔明や孔亮、公孫勝らに明かした計画を提案した。それはつまり蔡京らに属さない優秀な人物達を取り込み、水面下で蔡京に対抗できる勢力に成長して、或いはさせておこうとする策。

「現在この村には鄆城県から知事の時文彬様がその部下の方々と来ておられます。そこで……」

 呉用が蔡京を相手に斬り込むべくいよいよ自分の石を打ち込もうとしていた。


 一方。

「ああ、確かにこの顔は裴如海(はいにょかい)って男だよ」
「以前住んでいたというこの場所で何か問題を起こしたりしませんでしたか?」
「そうなのよぉ。ひょっとしてまた問題起こしたのかい? ここじゃ人妻に手を出してそれが旦那さんにばれてね。そりゃもう凄い剣幕で」
「よく無事にすみましたねぇ」
「感付いてここから一目散に逃げだしたのよぉ。……それにしてもよく描けてるわねぇその絵。今の話に出た旦那さんには見せない方がいいわよ。絶対そいつのとこに連れてけってなるから」
「ははは。そうですね。情報ありがとうございます。とにかく女性はこの男とは絡まない方が良いのですね?」

 情報収集をしているのは文春だった。

「見かけは優男な僧っぽいけどろくなもんじゃないよ。女とみれば節操なくてさぁ。特に人妻は甘い声かけに引っ掛かるんじゃないよって教えてあげてよね。ここみたいになると面倒だからさ。まぁ懲りなさそうだとは思っていたけど」

 聞き込みをしていた女性が去っていく。

「これで裏はとれたな。石秀さんの懸念は当たっていたか。戻るまで何も起きてなきゃいいのだがね」


──義兄弟である楊雄の妻の潘巧雲がどうもこの裴如海に言い寄られていて本人もまんざらじゃないように思える。楊雄に伝えてみたものの一笑に付されてとりあってもらえない。村で誰かが被害にあう前に素性を調べてもらえないだろうか──

 真剣な表情で石秀から頼まれた文春。村の女性に協力を得てそれとなく裴如海が金曜日に似顔絵を書いてもらうという演出を成功させる。さらにその女性に裴如海をおだてさせ王家村にくる前にいた場所も聞き出した。

 そして以前いたという土地で問題を起こしていないか調べにきていたという訳だ。王家村では疑わしきは罰しないが方針とは言え、裴如海は黒。村で問題を起こされる前に注意喚起は堂々とできるようになった。

「よし。はやく戻ってこれを記事にしなければ」

 当の裴如海は王家村では自分を知られていないのをいい事に懲りずに同じ事をしようとしている。考えなしのこの行動は本当に僧かも疑わしい。しかしこの男、知っている者からすれば王英と行動が被る。まぁ王英の場合は悲しいかな、まず最初から女性に相手にされないのだが。そんな彼自身は村の住人との関係性を考慮しているのか芸妓館が出来たからなのか人妻にちょっかいをかけるような真似はしなくなっていた。

 同じ女好きでもそこが評価を分ける所であったのだろうか。文春は頭の中で記事の内容を構築しながら王家村への帰路へとつく。

(さらに遡って調べていけばきっとこの土地以前の場所でも似たような事案はでてくるだろう。だがその間に村で問題を起こされれば本末転倒だし裴如海の調査はここまでで良い。この男の件はこれでいいとして、いずれこの私ならではの武器で蔡京……お前を必ず失脚させてみせるぞ!)

 文春は『民意』を味方につける戦い方の重要性とその方法への理解を深めてきていた。
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