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第百四十八回 裴宣の裁き

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 捕らえられてしまった張叔夜は裴宣の勤務場所へと連行されてくる。その間、索超や山士奇に何を言ってもとりつく島もなかった。

(派手に動いたつもりはなかったというのに)

 自分の行動を閉鎖的な村で取ったというのであればこうなってしまった事も納得できる。全体の雰囲気が排他的になり、よそ者というだけで目立つからだ。だが祭りを開催し、他にも大勢の者達が外から観光に来ているであろう状況で捕縛されてしまった意味。

(情報の共有と統制が抜きん出ているということ)

 張叔夜はまた新たにこの村の特徴を掴んだ気がした。連れて来られた建物は自分が見落としていた場所で、その建築物の存在に驚く。

(裁……判所。裁判所だと!?)

 張叔夜が驚いたのにも無理はない。通常、村で起きた問題は大抵その村の名主……村長が処理する。はっきり言ってそこに法のようなものは存在しない。

 敷地内に入った時、反対側から歩いてくる集団が見えた。おそらくここから出ていく者達なのだろう。交わされている会話も聞こえてきた。

「鉄牛。お前は使いも満足に出来ないのか。いつまで経っても戻ってこねぇと思ったら」
「へへへ……反省してます。戴宗の兄貴に宋江殿」
「まぁまぁ戴宗殿。本人も反省していて聞けば私のためだと言うのだからここは大目に」

(色黒の大男が揉め事を起こして拘留されて他の者達が保証人になり引き取りにきた感じか)

 当人はここから出ていけるとあって浮かれているように見える。

(連れも知り合いもいない私には打開の手がない)

 連行されていく張叔夜はその集団の関心をひき、すれ違う瞬間、一番年長と思われる人物と視線が重なった。

「うん?」

 その人物が足を止め張叔夜の背中を視線で追う。

「いかがなさいました宗沢殿。あの人物に何か?」

 宋江が呼びかける。

「いや、村のどこかで見たような気がしましてな……多分気のせいでしょう」

 李逵と違い味方のいない張叔夜。連れていかれた先には関係者にしては多すぎる者達がいてこちらを見ていた。自身はその場所の中央に移動させられる。正面の段差の先には権限を持つ者……孔目(裁判官)が座っていた。

 張叔夜は背後からたくさんの視線を感じる。後ろを振り向いて確認する訳にもいかず、自身の視線は正面の孔目に向いているものの、なぜこのような大人数に注目されているのかはわからなかった。しかし自分がこの村に対して都合の悪い行動をしたので適当に罪人にされ裁かれるのだろうとは推測する。

 宋国の『現在』の制度を知っているが故に張叔夜はこの場を一種の『公開処刑』と判断したのだ。自らの正当性など聞き入れられず、権力を持つ親族や知人がいるか高額な賄賂が用意できなければ罪人決定という悪用されている制度。

「私は本日この場を取り仕切る孔目の裴宣。さて、お主には訴えによりこの村を探っているのではないかという疑いがかけられている。住人でないのは既に明らか。名とどこから来たのか。村に親族がいるならその者の名も言ってもらいたい」

 拘束具が外され裁きが始まる。張叔夜にとっては既に結論ありきの茶番に等しい。いずれもでたらめを言おうとしたが、白秀英に東京から来たと言ってしまった事を思い出し、

「東京からきた『張魯』ともうします。この村に親戚などはおりません」

 名前以外は正直に答えた。裴宣の横の机に座っている人物がやりとりにあわせて筆を持つ腕を動かしている。記録しているものと見てとれた。

「張魯とやらに尋ねる。通報者からの言い分をまとめると、祭りそのものより特産品の価格や教育の浸透具合の方に関心を示し、その様子は旅人と言うより間者や密偵。村に悪意があって来訪したのではないかとあった。相違ないかな?」

 あくまで問いのような形式。

(疑われた以上どうせ言いがかりに近い判決で無事ではすまぬのだろうが朝廷の臣と言っても状況が悪化する可能性もある)

 土壇場まで身分は伏せることにした張叔夜。

(証言と言うのに証人を呼ばない所を見ると都や他の場所で横行しているやり方と一緒なのだろう)

 かと言って黙ったままではそれを認めた事にされてしまう。

「誤解です。私は東京で商売を始めようと考えておりましたが、かの地はかけられている税も高く、物によっては日用品であっても簡単には買えません」

 張叔夜はこの村での品々の質と価格に驚き、これなら民の生活も支えられ、読み書きについても浸透しており、勉学を志す者にも益になると考え是非参考にしようと興味本位で調べてしまったと述べた。

 咄嗟に設定を組み立てようとしたが、概ね感じた事がそのまま基本になってしまう。しかし言い終えると何か違和感を感じた。

(うん?)

「なるほど」とか「気持ちは分かる」など自分の発言に納得しているような反応が背後から聞こえたためだ。後ろを向いて確認できないので本当にそうかはわからない。

 実はこの様子。王倫の手配でどんな制度か見てもらうために四家同盟の他の家の代表者、つまり祝朝奉、李応、扈成の三人が同席していたのである。

 王倫本人が案内するはずであったが、同じ名主出身として自分も知っておかねばならぬと思ったのか晁蓋がその役目を買ってでていた。

「ふむ。それはこの村が発展した理由のひとつであるのは間違いない。このご時世、余り他で他言されると暮らしている者達の平穏が脅かされるので遠慮してもらいたい部分ではあるが人の口に戸は立てられんしな」

 裴宣の言い方に張叔夜は口を封じる意図があるのではないかと考えてしまう。

「判決だが東京の張魯。悪意ある行動との確固たる証拠もないためそなたを無罪とする」
「お待ちを! 強引に戸を立てるために罪を着せるなど横暴きわま……え? 無罪?」

 余りに簡単に無罪と言われ呆気にとられる張叔夜に裴宣は伝える。

「無罪だよ。同じ嫌疑でここに連れてこられた者がそなただけだと思うかね? それらを全て有罪にしていたら来訪した者のほとんどが故郷に帰れなくなってしまうではないか」 

 張叔夜の背後からくすくすと笑う声が聞こえた。

「いや、確かにそれはそうですが……」
「最後にこの村の方針を教えておこう。疑わしき者は罰せず。これがそうだ」

(!! 疑わしき者は……罰せず……)

 張叔夜はこの一言に頭を鈍器で殴られたような衝撃を受けたがそれは彼だけではない。

 裴宣が口にしたこの村の方針……つまりそれが王倫の意図だと理解しえる者。祝朝奉、李応、扈成そして晁蓋も驚いた訳だ。国の政治の腐敗ぶりからいつのまにか皆他人に寛容ではなくなり、疑わしきは罰するのが当たり前のような考えになってしまっていた。

 王家村はこの規模でその考えを否定し、実行できているのだ。晁蓋は王倫の影響で色々と許容できる性格になってきたと自覚していたが、この裴宣の言葉で王倫の器量をまたもや痛感する。

「幸いこの場所に来た皆が協力してくれているようで問題らしい問題はまだ起きていないがね。それとこれは私個人の見解だが……」

 裴宣の言葉に皆が耳を傾けていた。

「張魯殿は商売人には向いてはいないとお見受けする」
「な、何故そう思われます?」
「考え方の目線が違うように思う」
「考え方の……目線?」
「左様。孔目には孔目の。商人には商人の目線がある。そなたのそれは商人特有のものではない。むしろ政治に関わっている者のような目線だと感じた」
(!? なんという洞察力……だがそれでは最初からこちらのでたらめに付き合った上で無罪にしたということではないか!)

 裴宣は続ける。

「張魯殿。もしそなたが商人ではなく国を支える者を目指すのであれば……罪なき者や『五斗の米』すら蓄えられぬ民の事を考えてやってほしい」

 裴宣は笑う。張叔夜は意図を察してぎこちなく反応した。裴宣は口には出さなかったが張叔夜の偽名まで見抜いており、それとなく本来の張魯と関係のある言葉を用いて釘をさしてきたのだから。しかし裴宣も裁いている対象が徽宗の身近にいる者だとは知らない。

 だが感銘を受けた聴衆の中に徽宗の身近にいる立場の者がいた。

「まさかとは思ったがあれはやはり張叔夜殿。なぜ彼がこの村にいるのだ?」
「師兄? 神妙な顔をしてどうされました?」

 孔明と孔亮に案内されて宿元景と聞煥章もこの場に来ていたのだ。もちろんこの二人には都で横行する権力が介在する裁きではなく、法本来の姿を見てもらうためだった。が、偶然その対象が張叔夜だったために宿元景が彼に気がつく。

 一方の張叔夜は後に述懐する。あの村は真の宋国。悪政に支配されない理想の宋国があの場所にあった、と。この体験は彼が独自で動き始める決意を促すきっかけになるのだった。
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