上 下
135 / 166

第百三十五回 辿り着く者

しおりを挟む
 王家村。その村の入り口で呆然と立ち尽くす女性が一人。扈家荘からやって来た扈三娘である。

「王家村……? え? 村? え?」

 扈三娘。まだうら若きこの乙女は生まれ育った扈家荘以外だと李家荘と祝家荘位しか直接訪れた事がない。この三家荘で規模が大きいのは祝家荘だが、村とつく王家村がその祝家荘以上の賑わいを見せている場所だとはとても想像していなかったのだ。

 これまでの取引の品々からせいぜいちょっと大きい漁村だろうと思い込んでいた扈三娘はその想像と現実の解離に混乱し村の入り口で立ち尽くす結果となった。

 いや、そう思い込んでしまったのには王英も関係しているのだろう。取引の隊商に護衛として同行してきては勝負を挑んでくる彼を毎回打ち負かす彼女。これが扈家荘では珍しくない光景になっていた。扈三娘の中で王英は異性というより出来の悪い弟子のような印象になっている。

 そして諦めの悪い王英は他の話で彼女の関心をひこうと話を盛るのだ。例えば彼自身はまだ扈三娘に敵わないが、王家村の中では腕前は上位であるといった風に。さらに扈三娘や兄の扈成が知らないのを良いことに王家村の事も彼を引き立てる為に持ち出されていた。規模の大きさや生活の利便さに自身が一役買っている……己は武芸だけの男ではないという売り込みなのだが、当然そんな話を鵜呑みにする二人ではない。

 悲しいかな王英の評価は扈三娘の中では決して高くなく、彼が望む関係性には不毛の二文字が貼り付いていたが、扈三娘にはある一言が引っ掛かっていた。

(あの大袈裟な王英さんが自分が一番とは言わないなんて。つまり嘘でもそう言えないほど腕の立つ人が確実にいるってことよね?)

 これらも含めて王家村に興味を抱いた扈三娘は遂に兄に置き手紙を残してこっそり扈家荘を出てきてしまう。扈家荘のじゃじゃ馬もまた健在だったのである。

 話に聞いていた王家村を目の前にして王英の話が盛っていたものではなかったと痛感し、祝家荘をも凌駕するその活気に圧倒された訳だ。

(都には行った事がないけど、都もこんな感じなのかしら……)

 思わず身震いした扈三娘は自分に気合いを入れなおし、期待に胸をふくらませながら村の中へとその一歩を踏み出す。


 同じ頃別の場所では文春と新潮が話題を探して村内を歩いていた。

「ふう。あれを題材にできればなぁ」

 嘆く文春に

「流石にあれはまだ公表できませんからねぇ」

 宥める新潮。しばらくそれについて会話しながら並んで歩いていたが、文春がふと道の片隅に座り込んでいる人物に目をとめた。

「なんだいあれは?」
「なんでしょうね?」

 好奇心の塊とも言える二人はその人物に近付く。その人物……やや暗い表情に見える男は色々な道具を並べて道の一角に陣取っていた。二人が近付くとその男もちらりと視線を向ける。

「何々……似顔絵かきます?」

 文春が男が立てたであろう旗指物の文字を読んだ。

「あんた……見ない顔だね。どこから来なさった?」

 新潮が尋ねる。男は問いに対し開封府からと答えた。

「へぇ都から。なら都は今どんな状況か教えていただいても? そうですね……似顔絵を頼みますから描きながら教えてください」

 文春が情報への嗅覚を働かせる。

「……お二人とも描きますか?」
「折角だし頼みましょうか」

 二人は椅子に並んで座らされた。男は画材を用意するとなんと左右の手を別々に動かし同時に文春と新潮の二人を描きはじめたのだ。

「!!」

 これに文春と新潮は大いに驚く。その表情を見て男は

「……ははは。……まぁお座敷芸程度のものらしいですがね。はぁ」

 何故かますます暗い顔になりそう呟いた。……後の会話の中で判明するのだがこの男の名は金曜日(きんようじつ)。文春と新潮曰く、この出会いは運命だったと言わしめる程二人と強固な絆を築く事になる人物だった。


 ──朱富の店──

「お帰りなさいませ旦那様」

 出かけていた主の朱富が戻り妻がそれを出迎える。

「やぁただいま愛しきお嬢さん」
「え……」

 朱富の妻が余りのことに固まった。妙な間ができると朱富は赤くなってこほんと咳払いする。

「……すまん。順を追って話そう」

 朱富が村で初めて見る顔の男の話を始めた。僧の服装に身を包んだ色白の優男が杖を持って歩いていたらしい。朱富が知る僧出身の人物と言えば村の中では魯智深。身体の線が細く色男な感じのその僧と筋骨隆々で日焼けし、僧よりは山賊のような言動が似合う魯智深を重ねて思わず可笑しくなった。

「けどその後……」

 朱富も勝手に比べて笑ってしまったが失礼だったと思い直し心の中で詫びる。相手は僧。迂闊な事で仏罰を蒙ってもたまらない。そう思った矢先、

「まさか旦那様に仏罰が?」
「いやいやいや。それはない」

 心配して話を遮った妻を手で制し、笑顔で無事な事を伝える朱富。しかしすぐ真顔になって続きを話す。

「仏罰が下るなら間違いなくその男の方に下るだろうからね」

 その僧風の男は通りかかる女性に次々と声をかけていったというのだ。布教ならばその熱心さに感心するかもしれないが、男は熱心さを女性を口説く方向に向けていたのである。

「え、ええ……?」

 妻のひいている様子を見て朱富も安堵した。本当に三歩ほど後ずさったのだから。

「ああ良かった。お前がそう反応してくれて。一部嬉しそうに反応していた人もいたのでね? こんなのが嬉しいのかと不安になったのだよ」

 魯智深とは本当の意味で真逆だったその色男風の男には嫌悪感しかなくなった事。もし声をかけられても無視するようにと促して妻もそれに同意したのだった。


 ──同時刻、張青の店──

「お帰りなさい孫二娘さん」

 武大が出迎える。遅れて張青も迎えに出てきた。

「ただいま二人とも。もう嫌な気分になって帰ってきたよ」
「買い出しの品がなかったのかい?」
「違う違う。聞いてよ! 村に見たことない軽そうな坊主がいてさぁ」

 実際見た目通りに軽薄だったようで、目が合うなり誘いをかけてきたその坊主の話を嫌悪感たっぷりに二人に聞かせる孫二娘。

「場所が場所なら痺れ薬で金品剥いで饅頭の具にしてやりたかったよ全く!」
「おいおい……」
「武大ちゃんもあんな風にはなっちゃいけないよ? 絶対だからね?」
「だ、大丈夫です。ます」

 こちらは朱富の所とは違い、話を聞かされた二人が怒りのおさまらない彼女を宥める流れになるのだった。
しおりを挟む

処理中です...