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第百十八回 それぞれの戦い

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 二竜山の麓に陣を構え青州軍一万二千を待ち受ける梁山泊六千。砦では無人を装い様子を見ている魯智深達二竜山の頭目と桃花山の頭目達。緊迫した空気の中そこへいきなり羅真人と共に桃香と公孫勝、それに危篤状態の孫安、白虎山の頭目、喬冽、馬霊、許貫忠が現れたものだからちょっとした蜂の巣をつついたような騒ぎが起きた。

「な、なんだいあんた達!?」
「ど、どっから入ってきやがった!」

 咄嗟に武器を構える孫二娘と張青。他の頭目も周りを取り囲むように動こうとする。

「お前ら落ち着け!」

 一喝しそれを制するのは花和尚、魯智深。

「白虎山で見た顔がいるが……そこの彼はどうした?」

 公孫勝が口を開こうとしたが桃香が一歩進み出る。

「私は梁山泊王倫の娘、桃香。事態は急を要します」


 桃香が砦の一室を借りて施術を開始し、公孫勝が白虎山の動きを説明している頃、麓に陣を構える梁山泊軍の前方の空気が変わった。

「土煙……来たか」

 晁蓋が呟き朱武も無言で頷く。青州軍一万二千がいよいよその姿を現したのだ。一定の距離を置き平野部で相対する両軍。先に動いたのは梁山泊側。朱武が旗で指示を出すと無形の陣は鶴翼の陣へと姿を変える。青州軍本営では慕容彦達のもと対応が協議された。

「賊は麓の平野部にて鶴翼の陣を見せております。その数は六千程」

 物見からの報告に慕容彦達が頷く。数が二倍で有利と思っているのか余裕の表情にも見える。

「敵は逃げるか、逃げないならば砦に籠って抵抗してくると思っておったが……まさかの野戦を挑んでくるとは」
「少ない兵のうえ砦を捨てるなどすでに勝利は慕容彦達様の手の中でございますな」

 この戦いで自分を売り込み出世を狙う劉高は早速おべっかを使い取り入ろうと口を開く。

「劉高様、兵数で勝っているからと言って油断は禁物でございます。白虎山討伐の三千は僅か数百の手勢に敗れたのですから」

 それを窘める男。慕容彦達直属の者だ。

「ではそなたならばどう戦う? 『洞仙』よ」

 洞仙と呼ばれた男は慕容彦達に聞かれて答える。

「賊が陣形を用いた事には驚きですが……」

 慕容彦達が現在の地位にいるのは妹が後宮の貴妃の為。この劉高は私腹を肥やす目的が透けて見える。洞仙はこんな人物達が軍事に精通しているとは思えず、一から丁寧に説明する事にした。

 本来、相手より兵の数が多い時に選択するのが鶴翼の陣である。そこでこちらは中央に兵を集め突破する面に秀でた魚鱗の陣で対抗するのが望ましい。

 敵は当初慕容彦達の言ったように籠城して戦うつもりであったが、中腹に発生した霧の為にこちらの動きがわからなくなるのを警戒して麓に出てきたという推測も添えた。

「なるほど……砦が無人なのはその為か。六千の数がいたというのは驚く部分だったかも知れぬが、これだけいれば村や小さな街を壊滅させるのは可能かもしれん」
「……は」
「まぁ逃げ出さないのは都合が良い。今までの報いを受けさせてやれるからの。色々と手を間違えておるようだがそんなのはこちらの知った事ではない」
「慕容彦達様。天も味方している今こそ青州から賊どもを駆逐しましょう!」

 劉高も賊に煮え湯を飲まされたので勝利を確信し積極的にすり寄る。

「ふん。北京の梁世傑の手など借りずとも問題ない。劉高よ先陣は任せるぞ」

 こうして本陣に慕容彦達が残り、魚鱗の陣の前陣を劉高が、後陣に洞仙が配置され指揮を任される事になった。青州の軍は梁山泊軍の前で魚鱗の陣へと移行する。その様子を二竜山から見ている一人、学者の許貫忠は不審に思いそれを口にする。

「なぜ敵が準備に手間取っている間に攻撃しないのだ。兵力の勝る相手に鶴翼の陣など敷いては魚鱗の陣で中央から分断されてしまうぞ」

 だが味方である梁山泊軍は攻撃を行わず、まるで青州軍が陣形を整えるのを待っているかのようではないか。

「くっ。やはり魚鱗の陣。本来なら後方からの襲撃に備えて平野部では敷くべきではないがこちらを全軍とみての判断か」

 許貫忠は考える。それならば隠れている二竜山と桃花山の二千、それに後から合流する手筈の蕭嘉穂の率いる手勢で周囲から襲撃すればこれを打ち破れるはず。と。

 そして遂に梁山泊側の鶴翼の陣と青州側の魚鱗の陣が激突する。


 その頃、梁山泊首領である王倫は自分の部屋へ戻ってきた。

「青州の軍と戦っているとすれば今頃であろうか。策に関しては何も問題はないはずだが……!?」

 部屋の中に人の気配を感じる王倫。

「誰かいるのか!?」

 すると一人の男が音も立てずに天井から降りてきた。

「いくら主力が出払っていると言っても、こんなとこまで侵入を許しちまうのはどうかと思いますがね」

 男は王倫の前に跪く。短身痩躯で色黒、鋭い目つきだ。

「あっしは時遷。流れの盗賊みたいなもんです。王倫様に是非お伝えしたい話がありまして」

 王倫はため息をひとつつく。安心したためだ。

「話は聞かせてもらおう時遷殿。しかし訂正させてほしいところがある」
「? 訂正と申しますと……」

 時遷は首を傾げる。

「ここまでそなたが侵入できたのは警備が手薄だったからではない。そなたに殺気がなかったからだ」

 妙な事を言う人物だと時遷は思った。同時に好奇心から聞いてみる。

「ではもしあっしが王倫様のお命を狙ってやってきたとしていたら?」

 王倫は時遷の背後を指差す。

「こうして私と面会する事はかなわなかったであろうな。ご無事で何より」
「!?」

 時遷は反射的に横に飛び退き背後を見る!

「そ、そんなばかな……一体いつから。あっしに気配を感じさせないなんて」

 そこには瓢姫が立っていた。

「……爸爸の部屋に入ろうとする前から」

 王倫に対して不審な行動を取るようなら攻撃する気だったという。一見すると何も考えてなさそうな少女なのだが、その鋭い視線からはとても逃げ切れる予感がしない時遷。

「お、おみそれいたしました!」

 改めて平伏し敵意の無いことを伝えるのだった。
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