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第百十四回 司馬懿と諸葛亮

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 ここは開封府の蔡京の屋敷。そこには蔡京の他に新法派に所属する者たちがいた。

「蔡京様、おめでとうございます」
「これでまた邪魔者が一人減りましたな」

 政敵を一人排除できたと思っている蔡京は上機嫌だ。

「手を汚さずとも宿元景が勝手に全部片付けてくれたわ」
「本当にようございました。あの者、毒にも薬にもならぬかと思っていましたが役に立つ事もあったのですな」

 蔡京に世辞を使う取り巻き達。蔡京は宴をひらいて今回の件を彼らに話して聞かせていた。

「これならば宿元景は放っておいても宰相様は安泰でございます」
「おめでとうございます!」

 取り巻き達が一斉に祝いの言葉を述べると蔡京は手に持つ杯をあおる。

「うむ。これでまた儂の計画が進むというものよ」
「おお! ではいよいよ?」
「儂は宰相として陛下の為に功績をあげねばならん。それには……」

 少し溜めを作ってから言う。

「失った国土の回復……即ち、遼に奪われた領土を奪回するのだ」

 蔡京は取り巻き達に持ち上げられ、既にこの計画を成功させ名宰相として歴史に名を残した気分に浸っていた。


「おーい、店主! 勘定を頼む」

 勘定と言ったその男は店主が出てくると笑顔で言う。

「全員分でいくらだ?」

 その男と連れであろう男達は役人と兵士の姿をしていた。

「ではこれだけになります」

 店主に示された金額に一同驚く。

「おいおい。すごく美味かった上に量まであってこんなに安いのか? 店は大丈夫なのかい?」

 心配された店主は笑って言う。

「喜んでもらえたならそのお言葉も勘定に入ってますので」
「なるほどな。店主は料理も美味いが口も上手かったか。よし、じゃあ帰る時も皆で寄らせてもらうとするよ」

 周囲の兵達も口々に感想を言ってまた店を利用する事に同意した。

「ありがとうございます。しかし帰る時と言いますと、皆様どちらに行かれますので?」
「登州だ。都からの任務でな」
「そうですか……ですが此処はこんな風に見えても賊の縄張りです。早々に抜けられた方がよろしいですよ」
「噂はきく。まぁ積荷は賊にとって全く価値のないものだとは思うがね。よし出発しよう」

 そう言って役人達は店を出ていく。梁山泊古参の一人である『朱貴』の店を。

「ふふふ。代金はその積荷で結構です。ってね」

 店主の朱貴は都からの『客』が見えなくなるのを確認して笑う。……そして問題の『積荷』はしっかりと梁山泊の手に落ちる事になるのだった。


 その男は罪人として登州への流罪を言い渡される。すぐに蔡京が手を回したのだと分かった。男はその蔡京を糾弾するつもりだったのだから。経緯を知り宿元景も蔡京に利用されたのだとすぐに気付いたがそれを弁明する機会は与えられなかった。

 馬車の荷台部分の檻に入れられ都を出る。男の親族もかけつけ物陰で涙を流していた。色んな感情が湧き上がったが男は口を真一文字に結んで耐える。都を出た所で檻に布を掛けられた。男は思う。

(これはなんのつもりだ。今更見せしめにするつもりはないとでもいうのか?)

 この状態になってから男にはどこをどう進んでいるかなどわからなくなった。役人とは布を挟んでのやり取りになり、食事など必要な時だけ僅かにまくられる。外からの情報は音だけが頼りとなった。そんな状態で進んだある日。

「隊長、囲まれました!」
「積荷を置いていくなら見逃してやる!」
「こ、これは金品じゃない。囚人なんだ!」
「そんな嘘が通じるか。死にたいのか? 早く失せろ!」
「ひ、ひいぃっ!」

(……どうやら賊に囲まれたか。私もここまでのようだな)

 積荷が金品じゃなければ用はないだろう。賊の期待が失望へ、そして怒りに変わり殺されて終わりだ。周囲が静かになって布が取り払われる。


(それがどうしてこんな事に……)

 襲った賊は梁山泊の者達。噂には聞いた事があった。官軍すら手を出せない勢いだとか。私は何故か殺されず、そんな集団の幹部の前に引き立てられていた。

「軍師殿。この通り積荷は金品ではなく囚人でした」
「なんと。誤った情報を掴まされたか。うーむ。首領には私から報告しておく。ご苦労であった。さがってよい」
「はっ!」

 手下と思われる者達がいなくなり私は軍師と呼ばれた男と二人だけになる。

「さてと」

 男が短く一言発し私の後ろに回った。

「え?」

 枷を外されたのが分かるがなぜ……とりあえず動かせるようになった部分を動かしてみる。

「部下にはあのように言いましたが貴方の事は知っています。改めて自己紹介しましょう。私は梁山泊の軍師、呉用と申します。『文春』殿」
「……何故私の名前を?」
「名前だけではありません。貴方が宰相蔡京と同じ新法派でありながらその蔡京を糾弾しようとした事も知っています」

 この呉用という人物はそう言った。

「山賊集団の中に軍師と呼ばれる人物がいるなど奇妙なものですな」

 彼の目的はなんだろう? 呉用と名乗った人物は続ける。

「しかし結局ご自身が皇帝陛下の薪を不正に横領していた事がばれて登州に流されていては」
「それは違います! 誤解です!」

 私は不正など働いておらず、弁明する機会さえ与えられずこうなってしまった事を初対面の相手に堰を切るように捲し立てた。

「……そう。私はこれを陛下や宿元景殿に伝えたかったのに。そうすれば……」

 だが私の言葉は遮られる。何をやっても貴方は蔡京に罪人に仕立てあげられただろう。それだけの力が現在の蔡京にはあるのだ。と。

「あまりに……悔しい」

 私のこの言葉は過去の自分に向けたものではない。これから起こる事に気付いた悔しさから出たものだ。

「……刑が流罪では納得しない蔡京が私を完全に始末する為に貴殿らを利用したのですね?」

 果たしてこの呉用という男は盛大に笑い出す。

「はっはっは。確かに蔡京ならそれは可能かも知れません。しかし本当に蔡京の仕業でしょうか? 貴方の罪状はなんです?」
「! まさか陛下……いや、もしくは宿元景殿が?」

 私は衝撃を受けた。確かに温厚と知られていた宿元景殿の怒りは凄かったと聞かされたが、まさかこのような手を使ってまで私を死罪にしたかったのか。

「私は……無実だ。この国の為にと動こうとした事が罪になるなど……」

 両の目から涙が溢れた。これでは国に……未来などない。

「左様。貴殿のような人物は本来宋国の柱石。だから宿元景殿はなんとしてでも助けようとしたのです」
「……え?」

 呉用は聞煥章からの手紙により全てを知っていたのだ。彼はこの文春が呉用の力になれると考え、梁山泊で賊に襲われて死んだ事にしてそのまま匿ってもらおうとしたのである。文春の乗っていた荷台の檻に布がかけられたのも積荷を不明にする事で呉用の立場を考慮した狙いがあり、役人には親族を名乗りあまりに不憫だからという名目で賄賂を渡してこれを実現させた。

 呉用もまた聞煥章の真意を読み取り、王倫には都から物資が運ばれる情報を掴んだと奪取の計画を進言しこれを実行。結果として情報は誤りで冤罪の囚人だったため本人の希望という形にして王家村に住まわせるという計画を描いた。蔡京を糾弾できる情報と胆力を持つ人物なら活躍する場は必ず来る。後の救国の為にいまは身を潜めるべきと説かれた文春。

「おお……まさかこのような場所に同志がいたとは……」

 彼の流していた涙の理由は既に違うものになっていた。経緯や事情を知った文春は宿元景と聞煥章に深く感謝し、喜んで呉用の為に働く事を誓う。高い情報収集能力とそれを取捨選択する力を持つ彼は、王家村にて聞煥章と呉用が見抜いた以上の活躍をしていく事になるのである。
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