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第百三回 とある富豪の御曹司

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 梁山泊。ここには元禁軍師範の王進の母親がいる。彼女は桃香の治療のおかげで日に日に元気を取り戻していった。息子である王進は東京で史進を救出し、少華山の者達に孔明の弟孔亮を伴い梁山泊に向かっている。母親は息子の驚く顔が見たいと心を踊らせていたのだが……


「ご報告! 前方に武装した集団。こちらの進行を妨げんとばかりに展開しております!」

 物見から史進達に報告が入った。東京を迂回し南から東へと進み、蔡州(さいしゅう)に近づいた時の事である。彼等は朱武の方針に異論を挟まず、ただ梁山泊へ向かう事のみを目的とし途中狼藉を働くような事は一切していない。

 その存在が七百名程の少華山の賊、という以外何も問題はないはずだった。やむなく進軍を停止し、方針を考えるとともに様子を探らせる手を打つ。

「もう少しで蔡州だというのに一体どういう事だろう。この先で何かあったのだろうか?」

 史進が口にすると朱武が意見を言う。

「さて。まずは様子を見に行かせた者が情報を持ち帰らねばなんとも言えません。ここは焦らず待ちましょう」

 一同は頷くが孔亮は胸に一抹の不安を抱く。それはここが蔡州のほど近くだったからだ。蔡州は親交のある聞煥章(ぶんかんしょう)が住んでいた場所であり、彼は現在東京に居を移している。

(聞煥章殿絡みでなければ良いのだが……)

 幸い孔亮の懸念は杞憂に終わった。商人に化けて情報を集めてきた手下が言うには、やはりあの武装集団はこちらに備えているらしい。

「どうやら我等が少華山の賊という事が問題だったようですな」

 再び相談の場を設け、朱武がため息を吐きながら言った。

「この先にある街の富豪が雇った集団らしいな。役人も混じっているのはそれでか? おいおい、こっちはそんなつもりないんだがなぁ。ん? この流れどこかで……」

 陳達は賊が近くにいるのは略奪の目的であり、その対象がこの先の街だと思われたので防備を固められた事に既視感を感じたのである。そしてそう感じたのは朱武と陽春も一緒だった。

「あー。なら向こうには血気盛んな史進殿がおりますな」
「違いない」

 陽春が笑いながら言うと朱武も同意して笑う。

「な、何? 俺ならここにいるではないか」
「あれは史進殿に出会う直前の事にござる」

 少華山の陳達には史進のいる史家村のその先の街を襲撃する計画があった。その為途中にある史家村の史進に何もしないから通して欲しいと頼んだ。しかし疑う史進に断られ、業を煮やした陳達が史進に挑みかかって捕縛されたのが朱武達との親交に繋がった。史進は説明されると思い出して笑い出す。

「そう言われると状況が似ているな。いいだろう、なら俺が今から行って話をまとめてこようじゃないか」

 史進がどんと胸を叩く。

「こちらに元々戦う気がない以上話し合いは必要になりましょうが……王進殿は如何思われますか?」
「私としてはこれ以上迂回して時間をかけたくはない。なので自信があるなら史進に任せたいと思うが……」

 王進は史進に忠告する。

「よいか史進。決して血気にはやるような真似をせぬようにな?」
「大丈夫です師匠。それに万が一になっても私は陳達の様にその辺の輩に遅れはとりません!」

 言うが早いか史進は馬に乗って飛び出していってしまった。

「あ、待て。まだ話は! ……私は弟子の心の修行を疎かにしてしまったのだろうか」

 王進が嘆く。少華山の三人は口を揃えて言う。

「史進殿は昔からあんな感じでしたよ」

 まぁ、王進が史進に武芸の手ほどきをした期間も短いので一概に王進を責める事はできない。

 史進は街の閉められている門前にいる集団に近付くと声を張り上げる。

「やあやあ! 我こそは華陰県(かいんけん)史家村の出、九紋竜の史進! 話の分かる奴がいるなら出てこい!」

 史進自身は穏やかなつもりで名乗りをあげると、暫くして門が開き馬に乗った一人の若武者が出てくる。史進よりやや年上だろうか中々の美丈夫だ。

「ほう。良い面構えではないか」

 史進はその威風堂々振りに感心した。

「この山士奇(さんしき)が話をきこう! 一体少華山の賊が何の用だ! ここにはお前らにやるものなど何もない。大人しく引き返せ!」
「何を勘違いしているのかは知らないが、我等は何もとるつもりはない。ただこの先へ行きたいだけだ!」

 史進は目的を伝える。相手も史進達を少華山の賊と把握している点だけで大したものだ。

「賊の言う事をはいそうですかと鵜呑みに出来るわけなかろうが。帰らぬというならひっ捕らえてここに晒してやるだけだ!」

 山士奇は有無を言わさず四十斤はありそうな棒を振り上げ馬を史進に向かわせてきた。しかし史進も論戦よりはこっちの方が好みの男。たちまち王進や朱武が危惧した展開になってしまった。

「おもしれぇ! わからず屋には直接身体に教えてやるぜ!」

 史進も両刃三尖刀(りょうじんさんせんとう)で迎えうつ!

 敵も味方もその様子は遠巻きに見ていた。そしてその間にもこの山士奇の情報が手下によって王進達の所に届く。

 史進と山士奇は五合打ち合って相手の実力に驚かされていた。

(あの重さの渾鉄(こんてつ)の棒を自在に扱う!)
(三尖刀がまるで手足のようだ!)

((こんな使い手がいたのか。この男、強い!))

 二人の好漢は互いの名前を心に刻んだ。それから打ち合うこと三十合。いまだ決着の気配はない。心配した朱武が銅鑼を鳴らして史進を引き上げさせようとする提案を王進がとめた。

「なぜとめます。このままでは史進殿が無茶をしてしまいますぞ。何かあってからでは……」
「いや、朱武殿。やはり銅鑼の出番は必要ありません。史進は高揚してはいますが熱くなってはおりませんからな」

 王進は史進の戦い方からそう判断していたのだ。それを裏付けるかのように史進は山士奇から距離を取り馬を返した。

「あ、待て逃げるのか!」
「何を言う。言ったではないか。我等は財を奪うつもりなどないと! 分かってもらえるまで何度でも通うさ。明日また来る。ではな山士奇殿!」

 さっきまで命のやりとりをしていたはずの男が、まるで友と別れるかのような軽い調子で踵を返して戻って行く。それを無言で見送る山士奇。

 (九紋竜の……史進)

 だがその胸中、不思議と悪い気はしなかった。
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