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第八十七回 聞煥章、宿元景を訪ねる

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 東京にある邸宅。

「ご主人様」
「うん?」

 主人と呼ばれた男が返事をする。殿司太尉(でんしたいい)の宿元景だ。


 ※宿元景
 筆頭太尉、徽宗皇帝の信頼厚く、慈悲深い人物。蔡京や高俅とは違った派閥。聞煥章は同じ師に学んだ友人。

 ※殿司
 殿庭の清掃、灯燭・薪炭の管理などをつかさどった。

 ※太尉
 古代中国における官職名で、今風に言えば、軍事担当宰相であり、防衛大臣、国防長官、国防大臣などに相当する。 主に文官が任命された。


「聞煥章様がお越しになりお目通りを願っておりますが」
「何? すぐに此処にお通ししてくれ」

 すぐに聞煥章が案内されてくる。

「聞煥章、師兄(しけい)に拝謁いたします」
「ははは。堅苦しい挨拶は抜きだ。よく来てくれた。すぐに茶を用意させよう」

 宿元景は指示を出して聞煥章を手近な椅子に座らせた。

「して、今日来た理由はなんだい?」
「いえ。ふと師兄の様子が気になりまして」
「それで蔡州からわざわざ?」

 宿元景は驚いたもののすぐにふうとため息をつく。

「友人に来てもらったのは嬉しいが良い報告は何もないよ。皇帝陛下は趣味に没頭し、蔡京や高俅が相変わらず好き放題だ」

 陛下への忠言も届く事がなく、やりきれない思いの毎日だと一回り以上年下の聞煥章にこぼす。

「まぁ、いつもの事だ。私に力がないと言う事だよ。それより君は本当にその為だけに来たのかね?」
「そうですとも。師兄の忠心が報われる様にと祈らない日はありません」
「なら君も朝廷の臣となり私を助けてくれ」

 宿元景とのこのやり取りは何度も繰り返されてきたものなのか、内容に対して真剣さはあまり感じられない。

「朝廷が根底から変わらない限り私が活躍できる場などありませんから。また変えるだけの力も私にはありませんよ」
「悪臣ばかりが好き勝手に振る舞うこんな時代が恨めしい。君のような優秀な人材を埋もれさせたままとは……」

 それでもこれは宿元景の本心なのだろう。

「……実は私はある兄弟と親交を深める事になったのですが……」

 聞煥章は孔明、孔亮の事を話して聞かせる。

「そのような者達が……」
「ええ。忠義の心を持ち学にも熱心で、何か一計のもと行動しているように感じました」
「うーむ。都でそのような活動をしている者達がいれば私の耳にも入っていておかしくない。私は蔡京達の派閥には属していないからな。朝廷とは無縁の者かもしれん」

 朝廷内の話ならば当然自分にも接触してくるはずだと宿元景は述べた。

「しかし行動力、方針、それにある程度の資金力も持っていると判断できました。あの自信に満ちた発言は二人の兄弟だけではなく後ろ盾あってこそ、と」
「全体像が見えないのでは敵か味方か難しいところだな……」
「私にも立つ様に言ってきましたよ」
「何?」
「私も師兄と同じ様に考えたので無難な返答をしておきましたが」
「君に着目し、そう評価したか」

 優秀な人材を積極的に集めようとしているのなら重要な役職を身内で固め、利権と栄華を独占しようとする蔡京の様な一派とは違うと見て良いだろう。

「む?」

 宿元景はふと気付く。それは自分の置かれた今の状況だ。

・皇帝陛下をなんとかしようにも見込みは薄い
・これ以上悪くなるというなら自らの死か破滅

(そうか。彼の真意は私にその彼等と会ってみろと言っているのだな)

「君の蔡州からの土産、いただいてみる事にしようか」

 その言葉に聞煥章も笑う。

「そうですか。しかし肝心の土産を今回は家に忘れてきてしまったので次に来る時に持参致しましょう」
「ふふふ。心得た。出来れば処方箋も一緒にお願いしたいが」
「それは……飲んでみるまで毒か薬かはわかりませぬ故。師兄にも味に好みがございましょう」

 どうせ変わらぬ現状ならば。宿元景は聞煥章の提案に乗る事にした。

 この聞煥章の提案と宿元景の決断が、立場的には賊にすぎない梁山泊と朝廷とを結びつける接点になろうとしていたのである。
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