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第八十六回 蔡州の聞煥章

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 蔡州。羅真人に示されこの地に着いた孔明、孔亮の兄弟は知恵者として知られる聞煥章(ぶんかんしょう)という人物と面識を得る事に成功していた。


 ※聞煥章
 私塾をひらいている文人だが、広く兵法を心得る秀才。出世を願わず平穏な暮らしを望む。同窓の友人に宿元景(しゅくげんけい)他、朝廷には多くの知り合いがいる。


 孔明、孔亮の二人はこの人物が並の知恵者ではないと実感し、連日通い親交を深める。聞煥章もまた学問に熱心な二人に好感を持った。

 兄弟は平穏な暮らしを望むこの人物を野に埋もれさすには惜しいという意見で一致。その為にもっと深く聞煥章を理解しなければいけないと考えていた。

 一方の聞煥章も二人の熱心さの裏には、何か筋の通った信念の様なものを感じ取っていたのである。

 呉用が諸葛亮なら聞煥章は司馬懿になり得ると確信した二人はある時彼を料亭に招くのだった。

「聞煥章殿、ようこそ来てくれました」
「我等の招待を受けてくれた事、感謝します」
「いえいえ。今日はありがとうございます」
「ささ、そちらにお座りください」

 三人は席に座り食事をしながら談笑を開始する。雰囲気は良く、頃合いを見て孔明はこんな話題を投げかけた。

「古の賢人達もこんな風に集まり世の中について語り、傑物達の話に花を咲かせたのでしょうか?」
「ははは。そうかもしれませんね」
「私と孔亮は学問の大切さを知り、こうして聞煥章殿と知己を得るまでに至りました。その経験から言わせてもらえれば武は武に。智は智に響く様に感じます」
「……なるほど。言い得て妙です」

 武を志す者は同じく武を志す者、智を得ようとする者は同じく智を得ようとする者と引き寄せられるようだと語った孔明。

「ですが今のこの時代、一部の奸臣が権力を握りやりたい放題。武芸や学を向上させてもそれを真っ当に活かせる事など出来るのでしょうか?」
「……確かに。私は自分が穏やかに暮らせる為に勉学に勤しんでいる様なもの」

 聞煥章は一瞬、遠い目をした。孔亮が続く。

「その平穏もいつまで続くか保証もありません。今はそんな世の中です。何しろ朝廷の政策が民を苦しめている」
「弟の言う通りです。ここを改善できねば真の平穏など訪れぬのではありませんか?」

 聞煥章は二人に感じていた信念の様なものが分かった気がした。

「お二人は烈士であろうとしておられるのですな」
「どうなのでしょうか? 私達をそう感じるのならばそれは私達の師の影響かもしれません」
「兄も自分もそれまでは特に目的もなく過ごしていましたからね」
「師がおられたのですか。どんな方です?」
「とにかく凄い人達としか。とても追いつける気などしません」

 孔明と孔亮がそう考える対象は王倫と呉用だ。聞煥章も孔明が『達』と言ったのを聞き逃さなかったが、この雰囲気に水を差すのは無粋と感じてそれを問う事は控えた。

「思慮深く慎重。それでいて周囲の事を良く見ている方なのですね?」
「「!?」」
「確かにお二人は影響を受けておられます。それが今の話で良く分かりましたよ」
「さすが聞煥章殿。今の言葉は我等にとっては嬉しい限りです。まぁ実際は心の師なんですけどね」

 苦笑いをする孔明と孔亮。

「聞煥章殿。貴殿のその才は当代随一。それをただ野で終わらせてしまうのは非常に惜しいと我等は考えているのです」
「有難いですがそれは買い被りですよ」

 否定する聞煥章に孔亮が話す。

「その先生が私達にこんな話をしてくれた事があります」

 孔亮は呉用から聞かされた国の興亡についての話を語って聞かせた。

「今が混乱期ですか……確かにその通りだと思います。その方は的確に世相をみておられますな」
「それだけではありません。先生はこの期には必ず台頭してくる立場の者が出てくると言いました」
「……それは商人ではありませんか?」
「! そ、その通りです」

 あの時呉用は例えを出してくれたので二人にも見当がついたのだが、今の話に例えはまだ出していない。聞煥章はそのうえで瞬時に正解を導き出したという事だ。彼は思う所があるのか何やら真剣な顔をして何度も頷いている。

 孔明の直感が何かを告げた。

「言い換えれば金は力の象徴。悪臣は平然と不正を働くので財を得ますが、良臣は正しき智謀と思いで国と民を助けようとします。しかし不正をしないので財がない。故にどうしても抑え込まれてしまう」
「兄の言う通り。金が発言権と実行力を増す要因なんです」
「それは分かりますが……」

 聞煥章もまた直感で感じる。この二人はただの学問に励むだけの兄弟ではない。背後に存在する何かの集団か派閥の様なものに属しているのではないか、と。
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