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第七十九回 孔明と孔亮

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 その日、孔亮が孔明の所へやってきた。

「孔亮ではないか。どうした?」
「きいたかい兄貴?」
「なにをだ?」

 それによると姫様考案の水車なるもの、設置の際に手違いで怪我人が出たらしい。怪我自体は打ち身や軽い捻挫などで大した事はなかったようなのだが……皆を心配した桃香が塗り薬を処方したというのだ。

「なんと」
「それがな兄貴、手当も患部に薬を塗って布で巻くといった普通の内容だったんだが、何故か一点だけ他とは違うところがあったんだ」
「ほう。どんな?」
「布で巻く前に桃の葉か瓢箪の葉を入れていたというんだよ」
「効能があるのか?」
「それは俺も専門じゃないからわからないよ。ただ、治るまでが随分はやく感じたそうだ」
「へぇ、そんな裏話があったのか」
「桃香様の名声もうなぎ登りってね」

 孔明は考える。既に水車は完成し、その効果が確認され現在は中層、上層に設置するための段階になっているはずだ。もしかすると王家村の方にも利用されるかもしれない。

「姫様も皇甫端殿に教わっているとはいえ、独学の部分もあるだろうに凄いよなぁ」
「独学……独学と言えば先日王英殿が頼み事をしに来たな」
「王英殿が? なんて?」
「最初は文字を教えて欲しいって話だったんだが……」

 王倫が自発的に勉学と訓練に臨ませるために発案した事に絡んでいるだろうと推測した孔明。しかし話を聞くと扈家荘の娘、扈三娘に関係があるらしかった。

「この扈三娘、隣の祝家荘の三男と許嫁の関係にあったらしいのだが、どうもその関係を白紙に戻されたようなのだ」
「へぇ、なんでだい?」
「王英殿が言うには三男が武芸に目覚めて修行の為に村を出たからだとか言っていたが……」
「ははぁ、王英殿はそこに付け入ろうとしたんだろう?」
「傷心の彼女に恋文を渡す好機だとは言っていた。しかし結局その内容も私に丸投げしてきたので、そういうのは鄭天寿殿に相談した方が良いだろうと言っておいた」

 孔亮はそれを聞いて笑う。

「ははは、それは鄭天寿殿も災難だな。王英殿も果たして上手くいくのかね」
「上手くいくと言えば……」

 孔明は声を少し下げた。

「先生の計画についてもだが……」
「うん?」
「私とお前は確かにここに来てから勉学に励んできた。先生もそれを認めて私達を側に置いてくれている」
「ああ。昔の自分よりは成長しているという自負はある」
「先生は確かに知恵者だ。その先生すら梁山泊に来てもっと励まねばならないと思ったそうだからな。我らはまだまだだと思っている」
「まぁ……それは確かに」
「それでふと思ったのだが……」

 孔明は孔亮に自分達が協力すれば呉用に対抗できるか否かを問う。

「いや、いやいやいや。兄貴何言ってるんだよ。そんなの無理に決まってるだろ?」
「即答か。まぁ私も同じ意見だ」
「だろ? 先生が仮に諸葛亮なら俺達兄弟は馬良(ばりょう)と馬謖(ばしょく)だって」

 
 ※馬良
 中国後漢末期から三国時代の政治家。馬謖の兄。

 ※馬謖
 並外れた才能の持ち主で、軍略を論じることを好み、その才能を諸葛亮に高く評価された。ただ劉備は彼を信用せず、白帝城で臨終を迎えた際にも「馬謖は口先だけの男であるから、くれぐれも重要な仕事を任せてはならない」と諸葛亮に厳しく念を押したという。それでも彼を起用した諸葛亮は後に「泣いて馬謖を斬る」事になる。


「それではお前は将来先生の足を引っ張ってしまうではないか」
「あ」
「まぁ、言いたい事はそこではない。肝心なのは……」
「俺達兄弟よりも即戦力になりそうな知恵者が野にはまだいるんじゃないか? だろ」

 孔明は驚いた。孔亮はにやりと笑う。

「ずっと兄貴を見てりゃ考えそうな事位わかるさ。それにそれは俺も考えてた」
「そうか。頼もしいな。お前を見て私も成長していたのだと実感できた気がするよ」
「世辞はいいよ。で? 何をどうする?」
「諸葛亮には司馬懿(しばい)という宿敵が立ちはだかってしまった。そのまだ見ぬ司馬懿が世に出る前に、我らでこちらの陣営に引き込む事が出来ないかと考えている」

 孔明は自分より優れた知恵者ならば自分よりも強く呉用に推挙する気でいたのだ。弟の孔亮もそんな兄の気概を感じ取った。

「……いいね。面白い。それであては?」
「それは……先生に聞きに行ってみようかと」
「……かぁー! 珍しく兄貴が格好いいと思ったらこれか!」
「仕方ないだろう。勉学に励んで来なかった我々にそういう知り合いはいないのだから」
「ま、違いない」

 兄弟は笑いあっている。

「……ふ」

 孔明の家の扉の前には訪ねてきた呉用が居たが、そのまま踵を返して自分の家へと戻って行くのだった。
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