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第七十五回 桃香と瓢姫の大発明

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 その日の朝、瓢姫は天命殿の近くに立っていた。目を瞑りゆっくりと呼吸をしている。そして両手を身体の前にかざして、風に揺れる木の枝の如くゆらゆらと動かしていた。

 ざあっ。風が桃と瓢箪の木の間を吹き抜け瓢姫の横をすり抜けていく。その後からは連れてこられた桃と瓢箪の木の葉が同じ様に瓢姫の横をすり抜けようとする。……その瞬間。

 ヒュラ。両手をこんな音の表現が似合うようなはやさで動かす。

 びたりと両手を身体の前に固定し目を開ける瓢姫。……左手には桃の葉が。右手には瓢箪の葉だけが掴まれている。瓢姫の足もとには一枚の葉も落ちてはいなかった。

「……ん」

 瓢姫はそれを確認してこくりと頷く。

「ひょうき」

 後ろから声をかけられた。

「とうか」

 瓢姫は特に驚く様子も見せず返事をする。桃香の方も驚いている様子もない。桃香は瓢姫の邪魔にならない場所に座り抱えていた本を開く。どうやらこれがお互いの日常なのだろう。瓢姫も再び先程と同じ動きに戻った。

 二人共どれくらいそうしていたのだろうか。やがて桃香が再び瓢姫に声をかける。

「あそこ。阮まーま」

 桃香が示す方には阮小二の妻がいた。水の入った容器を持って上まで運んでいるようだ。中層、上層は水汲みも重労働になる。普段は手下達が運んできたりしているが、たまにはこういう事もあった。彼女の表情も楽そうには見えない。

「ひょうき、下に行こう」
「……ん」

 桃香達は下層にある水産物養殖場に来た。ここでは色々な生物を増やすのに適した条件を用意し、試している場所だ。水質や光量、流れや餌などを考慮し養殖に成功した生物もたくさんいる。

 併設してある水産物加工場とともに突出した技術を生み出した施設でもあったが、桃香が瓢姫を連れてきたのは水が流れている場所だった。

 流れが必要な魚達がそれに逆らって泳いでいる。流れる力と逆らう力が拮抗し魚達はその場に留まっているように見えた。

「この魚と水どっちが強い?」

 桃香が瓢姫に妙な質問を投げかける。瓢姫は一瞬きょとんとしたが、すぐにその光景をじっと見つめた。

「本気を出せば魚。出さないなら水……かな」

 瓢姫は桃香の質問の意図は分からずともその意味は理解していたようだ。魚の泳ぐ力と水の流れ。この場合どちらの力が強いかと聞いたのに対して、魚が水に合わせて留まるように調整しているので本気をだせば逆らってもっと前に行ける。延々とこの状態を維持するなら体力に限りがある魚が不利になりやがて下流にながされるだろうと答えた。

 桃香はその答えに頷くと右手の人差し指だけ立てて更に質問する。

「その力を上に伝えたいの。何か方法はない?」
「……上に?」

 瓢姫は魚と水が同じ力でぶつかって上にあふれ出る様子を思い描く。しかしこれは違うと思ったのか首をふるふると振って否定した。

「……かわいそうだし多分違う」

 両方から同じ力をぶつけるのではない。桃香の先の質問から力は片側からかかるものと感覚的に定義付けた瓢姫。

「なら……」

 梁山泊で最も鋭い突きを放つ者、すなわち蛇矛を持つ林冲を仮想敵として想像し目の前に立たせる。臆する事なく林冲を想定するあたり末恐ろしい子だ。

「……くっ」

 想像の中の林冲は強く、突きだけとはいえ上手く捌く事が出来ずに苦労する瓢姫。彼女の想像上の攻撃は全て届かずにいた。

(これじゃだめ。わたしの攻撃を当てるにはもっと守りからの攻めを一瞬でしないと。それこそほぼ同時に行うくらい……)

 何度目かの林冲の突きが放たれる! 瓢姫は跳んでその蛇矛に足をかけた。

「!!」
「ひょうき?」

 瓢姫は林冲の力を受け流したが身体は横回転に近い体勢になってしまう。しかしその鋭い回転は瓢姫の武器を下、後方、上へと瞬時に移動させ、最後に前方の林冲へと打ち下ろす形となった(あくまで想像上の出来事)。

「……分かった。とうか」

 水の流れに逆らわないもののそれはその力を利用し続けまた同じ場所へ戻ってくる。そしてその途中、力が上に向かう時があるのでそこを利用したら良い。彼女は桃香にそう伝える。桃香は少し考え頷く。彼女の理解もはやい。

「なら回る形がいいかな。水を受ける部分を何回かに分けてずっと受ける様にして……」

 今この幼い姫君達の相談により梁山泊に『水車』の概念がもたらされようとしていた。
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