上 下
70 / 166

第七十回 白秀英という女

しおりを挟む
 王倫達が鄆城県にやってきた。劇団一座の芝居小屋の前で王倫の到着を待つ者達。雷横に朱仝、それにその上司である時文彬であった。

「王倫殿にもうすぐお会いできるのか」

 時文彬が言う。

「ええ。まさか誘いをもちかけたら逆にこんな形になるとは思いませんでしたよ」

 雷横が頭をかきながら答える。

「雷横が王倫殿を招待した結果逆に私と時文彬様まで招いてもらえるとは。梁山泊の軍師殿には気を使わせてしまいましたな」

 髭をしごきながら言うのは朱仝。呉用は費用は全額梁山泊が持つので雷横だけでなく朱仝、時文彬もその場に連れ出して欲しいと頼み、支度金と時文彬宛の書簡まで用意して雷横に渡していた。二人も宋江の時に世話になったのでそれを了承し、雷横はならばと一座の上席を全部おさえていたのだ。

 これは県知事にあたる時文彬と賊の首領王倫が同席する為、目撃者となる人間はなるべくいない方が良いだろうとの判断からである。しかし一座からしてみれば上席を全て貸し切りにするような人物はとんでもない上客と言って良い。もし支援者になってくれれば活動が断然やりやすくなるし規模だって広げられる。当然お近付きになりたい相手だ。

 雷横は良かれと思い選択した行動であったが、結果は劇団関係者からその人物への興味を最大限引き出してしまった格好になっていた訳である。

「お、時文彬様みえましたよ」

 視界の先に和やかな雰囲気を醸し出している王倫一行が現れた。

「これは雷横殿。本日はお招き頂きありがとうございます」

 王倫はまず雷横に礼を述べる。

「いえいえ。わざわざご足労ありがとうございます。王倫様の話を伝えましたら時文彬様も是非御一緒したいと言われまして」
「おお! 貴方が時文彬様ですか。お会いしたいと思っておりました」
「宋江の件ではお世話になっております。挨拶が遅れて申し訳ありません。私も今日を楽しみにしておりました。お邪魔でないと宜しいのですが」
「邪魔などととんでもない。朱仝殿もお久しぶりです。ご健勝そうで何より」

 朱仝も応え王倫達は互いに紹介を済ませた。このきっかけを作ったのは確かに雷横だったが、全てのお膳立てをしたのは呉用である。しかしそれを知るのは鄆城県の時文彬、朱仝、雷横のみであった。座長の白玉喬(はくぎょくきょう)という男に席へと案内される。それはもう賓客扱いであった。

「本日は我が一座に足をお運び頂き誠にありがとうございます。どうかごゆるりとお過ごしくだされませ」

 そう挨拶し皆と少し言葉を交わしてからその場を離れる。座長はそのまま舞台裾へと足を運ぶ。そこには幕の隙間から上席の様子を窺っている女が一人。女は白玉喬に向かい手招きをして早く来るよう促す。

「どうだったの父さん」
「鄆城県の知事時文彬様と出来て間もない王家村の村長王倫様という方らしい。後はそれぞれのお付きの方々だ秀英(しゅうえい)」

 ※白秀英(はくしゅうえい)
 東京から鄆城県にやってき女芸人で白玉喬の娘。良くも悪くも現実的。芸人気質だが強気で人の話を聞かない所がある。

「知事と村長? それで上席を全部貸し切ったって言うの? 結構な額よ? 現実的じゃないわ」

 白秀英は首を傾げた。彼女にも知事の知り合いはいるが今回のような真似が出来る程知事の給金は高くない。もちろん不正を行い私腹を肥やしているなら話は別だが。

「って事はその村長の方? でも一介の村長が金銭的に豊かだとはとても思えないけど……」
「そうでもないのではないか? 心付けもこんなにくれたぞ?」

 白玉喬はもらった金子を娘に見せた。白秀英の顔色が変わる。

「こんなに!? 相場の三倍はあるわよこれ!」
「良いお客だろ。是非馴染みになってもらいたいものだ」
「えええ? 一体どういう事よ。……出来たばかりの村が知事に何か便宜をはかってもらおうとでもしてるのかしら。いえ、それよりも!」

 彼女は幕の隙間から客席を凝視した。

「父さん、その王倫って人はどの人?」
「ん? ……今子供を抱いている方がおるだろう?」
「あの方ね……え!? いい男じゃない! ……控えめに言っても私の好みだわ」
「その横に座ってその子達を笑顔で見守っている方だな」
「……あんないい男で金持ちで気前も文句なしか……よし、決めたわ!」

 届いていない。桃香と瓢姫がはしゃいで鄭天寿の膝に乗っていたばかりに父親の説明はその娘にとって途中からただの雑音と化してしまっていたのである。
しおりを挟む

処理中です...