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第六十回 笑面虎、本心から大いに笑う

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 あの日、朱貴の弟朱富は兄の目の前で王倫に大見得を切った。翌日朱貴の部屋で目を覚ました彼は早速行動を開始する。

 ……とは言え彼は梁山泊に着たばかりの身なので内情には詳しくなく兄の朱貴も一緒に行動していた。

「朱富よ。大丈夫なのか? 突然首領にあんな事を言って俺は驚いたぞ。本当に酔っていた訳ではないんだな?」
「もちろんだよ兄さん。王倫様の気にしていた『矛盾』、解決してみせるさ」
「頼むぞー? 全部俺の責任になるんだからな」

 朱貴は不安顔だ。それもそのはず、朱富は『朱貴』に任せてくれればその矛盾を解決できると王倫に伝えたのである。

 梁山泊に正式に加わっていない朱富では色々不都合が起きると考え、古参の立場の兄に手柄を立てさせようと目論んだ彼は兄に梁山泊の特徴を聞きながらあちこち見て歩いた。

 彼が注目したのは梁山泊の下層部分。まだ開拓途中の部分も広がる非戦闘員の多く集まる地域だ。そこには軍師の呉用が作業の指示を出している姿があった。

「兄さん、あれは確か軍師の方じゃなかった?」
「ああ、呉用先生だ。最近では希望者に文字の読み書きなども教えて下さっている。首領と同じくお忙しい方だ」
「……ふーん。文字をねぇ。折角だから紹介してもらえないかな兄さん」

 朱富が望むので朱貴は呉用と弟を引きあわせる。二人がお互い紹介を済ますと朱富は呉用に質問した。

「呉用様。王倫様はここを効率的に開発しようとしているみたいですね」
「そうです。実に理にかなった計画を立てられるお方です」
「私も思いました。ところで個人的に感じたのですが……将来的にはここから税収の様な『利』を得る予定なのではありませんか?」
「……勢力の規模が大きくなればそうなるでしょうな」

 朱貴は弟が踏み込んだ事を聞きそうな気がして不安になりその前に釘を刺す。

「おい朱富、あまり立ち入った事を聞いて軍師殿を困らせるなよ?」
「いや朱貴殿。お気遣い有難いですが問題ござらん。むしろお二人の商売人の視点で何か気付いた事があれば教えて下され」

 それを否定したのは呉用の方だった。

(なるほど。あの首領にしてこの軍師ありか)

 朱富はなんだか楽しくなってきて朱貴に言う。

「兄さん、僕は故郷の店をたたもうと思う」
「な、何を突然言い出すんだ。お前には奥さんもいるだろう。その後の生活はどうするつもりだ」
「うん。妻と一緒にここへきて店を出すつもり。……この地域にね」
「な、何?」
「呉用様。商売人の視点で見るならここは店を出すならうってつけの場所です。私の移住に問題はありませんか?」
「ふむ。それは問題ないと思いますが……」

 呉用も税収の事を聞いた上でこの結論を出した朱貴の弟に何かを感じた。

「ま、待て待て。お前は首領の悩みを解決するんじゃなかったのか? 俺の悩みまでいたずらに増やす気か?」

 問題を棚上げするつもりかと焦る朱貴。呉用は朱貴の慌てぶりに説明を求め経緯を聞いた。

「なるほど。そんな事が」

 呉用も納得した表情になる。朱貴はあくまで自分と弟の件の事だけ呉用に話していた。

「けど兄さんもう平気だよ。良い事を思いついたから」
「お前が移住してくるのは俺も嬉しいが、それは首領の悩みの解決には……」
「兄さん、僕がどこに移住するって?」
「? ここだろ? 自分で言ったじゃないか」
「ここ?」
「お前大丈夫か? 梁山泊に移住するんだろ?」

 だが朱富は心からの笑みを見せて言う。

「違うよ兄さん。僕が移住するのは梁山泊の麓にある名もない村、もしくは街さ。これで王倫様の矛盾は解決できると思うよ」
「! そうか。『梁山泊の特産品』ではなく『特産品のある村、または街』が梁山泊にある事にしようと言うのか」
「!?」

 呉用が意図に気付き朱貴も理解する。あからさまでも表向きは梁山泊と関係ない形にしてしまい、利益は賊に取られている事にすれば周囲への牽制の伝聞は保て利益はあげられるのだ。官軍も気軽に手は出しにくいだろう。

 現状では好手だと呉用も納得し、三人は晴れやかに笑いあった。
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