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第九回 北斗星君と南斗星君

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 王倫の目の前にいるのは仙人でも道士でもなかった。その正体は死を司る北斗星君、生を司る南斗星君という『神』だったのである。

 王倫はただひれ伏し固まっていた。

「王倫よ、顔を上げよ」
「は、はい! 僭越ながら拝謁させていただきます」

 北斗星君は碁盤の上に書物を開いて置き、ある部分を指し示す。

「王倫、ここを見るのだ」
「は、ははっ」

 王倫が碁盤に近付きそれに目を走らせるとすぐに自分の名らしき文字に辿り着いた。

「王倫…… 享年…… さ、三十一!?」

 声に出して驚愕し、顔を跳ね上げるように北斗星君へ向ける。

「左様。お主の寿命は三十一。つまりあと一年も持たずこの世を旅立つ」
「え……」

 王倫の瞳に色んな感情が渦巻いていくのが分かった。このままでは混乱するのも時間の問題であろう。それは北斗星君にも容易に分かるとみえ、すぐに言葉を続ける。

「ここまできたのだから真実を聞かせよう。よいな、これは己の胸の中に留め置くように」
「!! は、はい!」

 そして北斗星君と南斗星君の二人は王倫の前に姿を現したいきさつと目的を話し出した。

 そもそも北斗星君と南斗星君は神である。神である二人からすれば人の一生など瞬く光と変わらないので本来興味など抱かない。ましてや死後の行き先を決める役目をも担っているなら、それがただの一個人に対してなど尚更だ。

 だがある時この二人の好奇心を刺激する出来事が起きた。二人のもとへ『ある祈り』が届いたのである。その祈りはただひたすら純粋に大恩を受けた恩人の王倫の身を案じていた。

 この祈りの『主』とその対象の王倫に興味を持った二人は、実に数百年振りに天界から地上界へ降りてきたという訳だ。そして実際その者と王倫に接触しある事を決めた。

「……と、いう訳でな。決められたものを新たに消して書き直すような真似は儂らでもできん。だがな?」

 北斗星君はどこからか筆を取り出し王倫の年齢が書かれている部分に手を加え書き足す。

 三十一が五十一に見えるようになっていた。

「よいか、これでお主はあと二十年生きられる。ただし何があっても必ず五十一まで生きられる訳ではない」
「貴方は私と北斗星君の判断で理(ことわり)から外れた身となりました。この五十一という数字はあくまで最長の目安にしか過ぎません。もし天命を歪める程の強烈な悪意や害意が貴方を排除しようとした場合、それを待たずに死亡する危険があるので注意してください」

 南斗星君が説明を補足してくれる。王倫は疑問を口にした。

「そ、それでは今回の予知夢は回避出来ないのではないでしょうか?」

 山賊行為への明確な復讐だった場合、先の説明に当てはまるのではないかと思ったのだ。

「やはりお主は馬鹿ではないな。もし寿命が三十一のままならば回避できなかった。だがそこが五十一になった事により『お主の行動如何によって』災いを回避できる余地を生み出したのだ」
「……つまり本来は五十一で死ぬのだから、それまでに起きる事柄はあくまでも突発であり回避可能な出来事である。と?」
「面白い考え方だな。うむ。その解釈でもかまわん。よいか! これからはお主の生も死も全ては因果応報で決まると心掛けよ」

 北斗星君から凄まじい重圧が放たれる。王倫は思わず平伏した。

「北斗星君は厳しく言っていますが、要は私達の肩入れを無駄にしないでくださいね、と」

 南斗星君が笑いながら言う。

「お、おそれながらひとつよろしいでしょうか。……そんな御二方がなぜ私のような小物にこうも肩入れをしてくださるのですか?」
「……いずれ知るだろうが今は言えぬ。さる者達からの『陳情』だと言っておく」
「すでに賄賂も受け取ってしまいましたから、約束を反故にしたら神の沽券に関わりますしね」

(陳情……? 賄賂……?)

 残念ながら今の王倫にはどちらもよく理解できなかった。

「まぁ、お主の優しさが自分自身を救ったのだと理解しておけ。それと……対局した碁は楽しかったぞ」
「『次』に会う時には腕前が上がっている事を期待しておきますから」

 ではいよいよ別れだと来た時と同じように二人は天へとのぼっていく。

 王倫は二人が消えゆく瞬間頭の中に、

(いいですか。迷った時には心を穏やかにしてここで碁を打つのをおすすめしますよ)

 という言葉を南斗星君から。

(もし見事天寿を全うできたなら、褒美として臨終の際儂らが迎えに来てやろう。天から見ておると心得よ)

 この言葉を北斗星君から投げかけられ、押し寄せる感動のあまりその場に突っ伏して咽び泣いた。
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