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3 突然の求婚
しおりを挟む泰明や信吾が高校に進んでチームはなくなり、春菜は彼らとの遊びとは縁がなくなった。春菜が高校に上がった時は、泰明は歯科医の後を継ぐべく、仙台の大学に進んだ。泰明の祖父も医師で泰明の家は地元でも名門であった。信吾は高校を出ると家業の印刷屋を手伝った。信吾の家は両親に職工が2人ほどの小さな印刷屋であった。 高校の帰り、作業服を着て自転車に乗った信吾に出逢っても、信吾は目礼するだけになってしまった。春菜は何か話しかけたかったのだが、信吾の避けるような素振りを見ると慮った。
春菜は高校を卒業すると、兄、泰明と同じ大学に進んで、歯科医の道を選んだ。泰明は4年生だった。歯医者になりたいより、兄と一緒の大学に行きたかった方が大きい。 あれは、大学2年生の夏だった。高校時代、信吾はよく泰明を訪ねて遊びにきていたが、泰明が大学に入ってからは、学校の休みに帰って来ても、信吾は来ることはなかった。その信吾が訪ねてきたのだ。
玄関口に出た春菜は兄の不在を告げた。「今日は春ちゃんに話があって来たのや」と思いつめた調子で信吾は言った。玄関に母が出てきて「久しぶりじゃね、信ちゃん」と云って座敷に通した。冷たい麦茶を春菜が持っていくと、両手をついて、「春ちゃん、印刷屋を手伝ってくれんけ」と頭を下げた。あとは春菜の目を見つめたままの沈黙であった。その言葉が求婚の言葉であることを理解するのに、春菜はしばらく時間がかかった。
泰明が帰って来て、春菜はそのことを告げた。泰明はさして驚いた様子もなく、「お前はどうなんだ?」と訊いてきた。「突然やから、びっくりしてしまって…、考えさせて下さいと言うつもりやったのに、うんと首を振ってしまったの」と答えた。何故首を振ったかは自分でもわからなかった。あんな真剣な思いつめた顔を見せられたら、とっても横には振れないと思ったのだった。
「同情では、結婚出来ないからな!」と泰明が云った。春菜は、葛尾村の川遊びの件を話し、「同情も愛情の一つだと思う」と答えた。 「歯医者の件はどうする?」と訊かれて「お兄ちゃんが後を継ぐし、何がなんでも歯医者になりたいわけでもないよ」と春菜は答えた。同じように、信吾のお嫁さんに何がなんでもなりたい訳でもなかった。ただ、首は縦に振った。別に取り消そうと思わないだけだった。
「わかった、親父や母には俺が話そう」と泰明は言ってくれた。両親は多少の不満はあったようだが、跡取り総領の意見は無視できなかった。信吾の性格も分かっているし、「同じ町やからいいか」になった。信吾の親は、勿論申し分なかったが、ただ、信吾の突然の行動に驚き、本当の話か直ぐに信じ難かった。果たしてお嬢さん育ちの〈春菜〉に印刷屋の女将さんが務まるかどうかを案じた。あくる年の春3月に二人は祝言を挙げた。
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