縦縞のパジャマ

北風 嵐

文字の大きさ
上 下
3 / 9

3 突然の求婚

しおりを挟む

 泰明や信吾が高校に進んでチームはなくなり、春菜は彼らとの遊びとは縁がなくなった。春菜が高校に上がった時は、泰明は歯科医の後を継ぐべく、仙台の大学に進んだ。泰明の祖父も医師で泰明の家は地元でも名門であった。信吾は高校を出ると家業の印刷屋を手伝った。信吾の家は両親に職工が2人ほどの小さな印刷屋であった。  高校の帰り、作業服を着て自転車に乗った信吾に出逢っても、信吾は目礼するだけになってしまった。春菜は何か話しかけたかったのだが、信吾の避けるような素振りを見ると慮った。  

 春菜は高校を卒業すると、兄、泰明と同じ大学に進んで、歯科医の道を選んだ。泰明は4年生だった。歯医者になりたいより、兄と一緒の大学に行きたかった方が大きい。  あれは、大学2年生の夏だった。高校時代、信吾はよく泰明を訪ねて遊びにきていたが、泰明が大学に入ってからは、学校の休みに帰って来ても、信吾は来ることはなかった。その信吾が訪ねてきたのだ。  

 玄関口に出た春菜は兄の不在を告げた。「今日は春ちゃんに話があって来たのや」と思いつめた調子で信吾は言った。玄関に母が出てきて「久しぶりじゃね、信ちゃん」と云って座敷に通した。冷たい麦茶を春菜が持っていくと、両手をついて、「春ちゃん、印刷屋を手伝ってくれんけ」と頭を下げた。あとは春菜の目を見つめたままの沈黙であった。その言葉が求婚の言葉であることを理解するのに、春菜はしばらく時間がかかった。  

 泰明が帰って来て、春菜はそのことを告げた。泰明はさして驚いた様子もなく、「お前はどうなんだ?」と訊いてきた。「突然やから、びっくりしてしまって…、考えさせて下さいと言うつもりやったのに、うんと首を振ってしまったの」と答えた。何故首を振ったかは自分でもわからなかった。あんな真剣な思いつめた顔を見せられたら、とっても横には振れないと思ったのだった。 

「同情では、結婚出来ないからな!」と泰明が云った。春菜は、葛尾村の川遊びの件を話し、「同情も愛情の一つだと思う」と答えた。 「歯医者の件はどうする?」と訊かれて「お兄ちゃんが後を継ぐし、何がなんでも歯医者になりたいわけでもないよ」と春菜は答えた。同じように、信吾のお嫁さんに何がなんでもなりたい訳でもなかった。ただ、首は縦に振った。別に取り消そうと思わないだけだった。 

「わかった、親父や母には俺が話そう」と泰明は言ってくれた。両親は多少の不満はあったようだが、跡取り総領の意見は無視できなかった。信吾の性格も分かっているし、「同じ町やからいいか」になった。信吾の親は、勿論申し分なかったが、ただ、信吾の突然の行動に驚き、本当の話か直ぐに信じ難かった。果たしてお嬢さん育ちの〈春菜〉に印刷屋の女将さんが務まるかどうかを案じた。あくる年の春3月に二人は祝言を挙げた。
しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

麗しき未亡人

石田空
現代文学
地方都市の市議の秘書の仕事は慌ただしい。市議の秘書を務めている康隆は、市民の冠婚葬祭をチェックしてはいつも市議代行として出かけている。 そんな中、葬式に参加していて光恵と毎回出会うことに気付く……。 他サイトにも掲載しております。

その日‐ある事故の記録‐

岩崎みずは
現代文学
スキューバダイビング事故のドキュメンタリー。昔の話で、業界のシステムなども当時の状況を書いているため、現代とは異なる部分があるかも知れません。

ぐれい、すけいる。

羽上帆樽
現代文学
●時間は過ぎる。色を載せて。 近況報告代わりの日記帳です。描いてあるのは、この世界とは別の世界の、いつかの記録。とある二人の人生の欠片。1部1000文字程度、全50部を予定。毎週土曜日に更新します。

先生と私・・・。

すずりはさくらの本棚
現代文学
先生とわたし・・・。 私は当時まだ未成年でした。そして今と同様に、AIがなければ人と対話できない人でした。盲目のために目も不自由で、確認も困難です。先日、誤解により誘導された犯人が誤認逮捕されることについての記事をまとめましたが、これまで多くの記事を取りまとめる中で、人に興味がなかった私が人に興味を示すようになりました。 ご尽力いただいた先生方のおかげです。特に、小学6年間と中学卒業までの3年間、東京武蔵野病院でお世話になった一人目の主治医の先生が、私の人生の大きな転換期を支えてくださいました。先生は何度も入院を心配し、何度も私に寄り添い、実に9年、いいえ約10年もの間、何度も魂を呼び戻してくださり、自殺企図を繰り返す私の命を支え続けました。先生は乾いた砂漠のような私の命を咲き誇らせてくださったのです。しかし、約8年前に先生はこの病院を去り、今は別の病院で働いていらっしゃいます。私のせいで先生は出世の道を失ったのかもしれませんが、頑固で不真面目でとうへんぼくな私を一人前の人間に救い上げてくださいました。本当にありがとうございました、木崎先生。 あれから数年が経ちました。8年前、訪問看護師が介入できるまでに、私の状態を整えていただけました。これまでの私は命を捨てることしか考えられなかったからです。こうなったのもすべて、未成年のときに刑事二人から脅されて以来、怖くて心を開けなくなったことが原因です。そして、わずか数年後に刑期を満了し、出所して今があります。何度も同じことを繰り返しながら、どのように書き上げればよいのか、何百という本をこの世に放ってきました。その中で、本にしてもよいと思えるものはこの本を除いて存在しません。フィクションならいくらでも書けます。しかし、人生訓というものは一つしかありません。ここまで偽りなく書けたことを、私は誇りに思います。

1921年、里見一族、世界で稼ぐ

ハリマオ65
現代文学
 里見一族は、昭和初期、欧州へ移動、子孫、健一が日本戻り食堂経営で成功。やがて息子たちに引き継ぐ! 里見兵衛は、横浜開港で絹取引で小金をため、その後の船景気で大金をつかみ、大恐慌前に横浜からマルセイユに渡り以前仕事をしたM物産のコネで欧州での仕事をもらった。その後、里見の子孫がスイスにわたり子孫を増やし、子孫たちの一部が日本、カナダへ渡り活躍する物語。激動の時代背景と里見家の活躍を描いた。

殺戮兵器と白の死にたがり

有箱
現代文学
小さな島の制圧のため、投下された人間兵器のアルファ。死に抗う姿を快感とし、焦らしながらの殺しを日々続けていた。 その日も普段通り、敵を見つけて飛び掛かったアルファ。だが、捉えたのは死を怖がらない青年、リンジーで。

処理中です...