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Interlude1 アレクサンドラのその後
王妃マリアネアの回想(前)
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■Side マリアネア
王妃マリアネアはいつになく王宮内が騒がしいことが気になった。
今日の予定を思い返しても特にこれと言って特別な行事や会議も無い。外国からの使者の来訪も予定されていないし、飢饉や災害の類も報告されていない。強いて挙げるなら第一子のアルフォンソ率いる王国軍が行っている聖戦の戦局が気になるぐらいか。
「随分と賑わっているようだけれど、何かあったのかしら?」
「少し聞いてまいります」
主の意向を汲み取った侍女のエロディアは軽く会釈して退室していった。菓子を一つ食べきった辺りでエロディアが戻ってくる。
「王太子妃殿下が商人を呼んだようです。その見た目があまりに異質だったから騒ぎになっているかと」
「商人? 確かアレクサンドラはイシドロの商会を好んで使っていたわね」
「王宮では主にドミンゴ氏の商会を贔屓していましたから、これから新しい風が吹き込んでくるでしょうね」
「でも上客のアレクサンドラはイシドロ本人が担当していなかったかしら?」
マリアネアは嫁入りしてきた新たな娘であるアレクサンドラとの団らんを思い出す。
彼女はイシドロのことを単に贔屓している商人としてではなく、気心知れた悪友のように語っていた。仕事の際にしか接点が無いものの、時間が余れば雑談を交わし、記念日になれば贈り物もするんだとか。
「アレクサンドラったらイシドロに依頼した品をそのまま彼に贈ったこともあるそうよ。あの子らしいわ」
「商会から来た者はイシドロ氏の代理とのことです。王太子妃殿下からの招待状を携えていましたので、正規の来客として案内したそうです」
「その人物の見た目が話題になっている、と。どんな格好をしていたの? それとも顔とか体型か特徴的だったのかしら?」
「それが、全身黒ずくめで肌を一切露出させておらず、仮面まで被っていたそうです」
確かに異質だ、とマリアネアは率直な感想を抱いた。
いかに市民階級の者だからと、王宮に招かれたからにはそれなりのドレスコードを求められる。だからと全身黒づくめなど葬式でもない限りは選択肢に入らない。それに己の正体を隠すような仮面などもっての他だろう。
「それで、王宮に入れる前に顔は確認したんでしょう? 正式な手順に従って門を通されたならそこまで騒ぎ立てる必要は無いわ」
「それが……仮面の下は化け物だった、と皆口々に言っているんです」
「化け物? 容姿の醜さで人を見下すのは気分が良くないわ」
「実際に確認したのは数名だけだそうですが、酷く爛れて歪んでいた、とか」
それを聞いたマリアネアは過去を思い出す。
かつて自分が公爵令嬢だった頃に尊敬していた姉のことを。
ここ数代の王妃を輩出した家から踏まえて次は我が家だ、と息巻いていた父こと当時の公爵は、マリアネアから見て最低の男だった。王太子妃に据えようとする姉や後継者に定めた兄への教育はもはや虐待の域に行っていた、と吐き捨てられるぐらいに。
そんな公爵から父親としての愛を注がれたことはない。彼が第一に考えるのは公爵家のことで、息子や娘だろうといかに公爵家の役に立つかで価値観が左右された。と同時にいかに公爵家の血が尊いかを雄弁に語る毎日で、子供ながら呆れ果てていた。
幸か不幸か、姉も兄も立派に成長した。これで公爵家の次は安泰だ、と公爵は気分良く晩餐で笑っていた。マリアネアにとってはそれが最初で最後に見た父の笑顔だった。そして、マリアネアにとってはとっくの昔に忘れた残滓でもある。
そんな調子だったからか、公爵には敵も多かった。
大抵の場合は公爵家の権力で叩き潰すばかりだったが、たまに全てを失った者が恨みを晴らすべく刃物を向ける凶行が起こることもあった。護衛に固められた公爵はかすり傷一つ負わなかったが。
そして、マリアネアの人生を一変させる事件が起こった。
放火で公爵家の屋敷が全焼したのだ。
使用人が何名も亡くなるほどの災害で、尊敬していた姉はマリアネアを庇って半身に大火傷を負った。蝶や花も羨むほど美しかった容姿は焼け爛れ、白磁器のようだった綺麗な肌も、小川のように輝く髪も、何もかも失われていた。
当然ながら公爵は姉に見切りをつけ、当時の王太子との婚約を白紙撤回した。代わりにマリアネアを王太子妃候補に据え、姉を問答無用で修道院送りにしたのだ。そればかりはと反対した公爵夫人を平手打ちで黙らせてまで。
「大丈夫よ、マリアネアならきっと立派な王妃になれるから」
「お姉様……」
「離れていてもわたくしは貴女を見守っているからね。だって愛する妹だもの」
「嫌だぁ……行かないでぇ……!」
「こらこら、我儘言うんじゃありません。素敵な淑女になるんでしょう?」
姉との別れを悲しむばかりだった過去の自分を罵りたい。
どうしてあの時姉を引き止めなかったのか、と。
そうでなかったら愛する姉を失わずに済んだのに。
姉を乗せた馬車が山道の急斜面から転落した、との凶報が届いたのは別れから数日後だった。
王妃マリアネアはいつになく王宮内が騒がしいことが気になった。
今日の予定を思い返しても特にこれと言って特別な行事や会議も無い。外国からの使者の来訪も予定されていないし、飢饉や災害の類も報告されていない。強いて挙げるなら第一子のアルフォンソ率いる王国軍が行っている聖戦の戦局が気になるぐらいか。
「随分と賑わっているようだけれど、何かあったのかしら?」
「少し聞いてまいります」
主の意向を汲み取った侍女のエロディアは軽く会釈して退室していった。菓子を一つ食べきった辺りでエロディアが戻ってくる。
「王太子妃殿下が商人を呼んだようです。その見た目があまりに異質だったから騒ぎになっているかと」
「商人? 確かアレクサンドラはイシドロの商会を好んで使っていたわね」
「王宮では主にドミンゴ氏の商会を贔屓していましたから、これから新しい風が吹き込んでくるでしょうね」
「でも上客のアレクサンドラはイシドロ本人が担当していなかったかしら?」
マリアネアは嫁入りしてきた新たな娘であるアレクサンドラとの団らんを思い出す。
彼女はイシドロのことを単に贔屓している商人としてではなく、気心知れた悪友のように語っていた。仕事の際にしか接点が無いものの、時間が余れば雑談を交わし、記念日になれば贈り物もするんだとか。
「アレクサンドラったらイシドロに依頼した品をそのまま彼に贈ったこともあるそうよ。あの子らしいわ」
「商会から来た者はイシドロ氏の代理とのことです。王太子妃殿下からの招待状を携えていましたので、正規の来客として案内したそうです」
「その人物の見た目が話題になっている、と。どんな格好をしていたの? それとも顔とか体型か特徴的だったのかしら?」
「それが、全身黒ずくめで肌を一切露出させておらず、仮面まで被っていたそうです」
確かに異質だ、とマリアネアは率直な感想を抱いた。
いかに市民階級の者だからと、王宮に招かれたからにはそれなりのドレスコードを求められる。だからと全身黒づくめなど葬式でもない限りは選択肢に入らない。それに己の正体を隠すような仮面などもっての他だろう。
「それで、王宮に入れる前に顔は確認したんでしょう? 正式な手順に従って門を通されたならそこまで騒ぎ立てる必要は無いわ」
「それが……仮面の下は化け物だった、と皆口々に言っているんです」
「化け物? 容姿の醜さで人を見下すのは気分が良くないわ」
「実際に確認したのは数名だけだそうですが、酷く爛れて歪んでいた、とか」
それを聞いたマリアネアは過去を思い出す。
かつて自分が公爵令嬢だった頃に尊敬していた姉のことを。
ここ数代の王妃を輩出した家から踏まえて次は我が家だ、と息巻いていた父こと当時の公爵は、マリアネアから見て最低の男だった。王太子妃に据えようとする姉や後継者に定めた兄への教育はもはや虐待の域に行っていた、と吐き捨てられるぐらいに。
そんな公爵から父親としての愛を注がれたことはない。彼が第一に考えるのは公爵家のことで、息子や娘だろうといかに公爵家の役に立つかで価値観が左右された。と同時にいかに公爵家の血が尊いかを雄弁に語る毎日で、子供ながら呆れ果てていた。
幸か不幸か、姉も兄も立派に成長した。これで公爵家の次は安泰だ、と公爵は気分良く晩餐で笑っていた。マリアネアにとってはそれが最初で最後に見た父の笑顔だった。そして、マリアネアにとってはとっくの昔に忘れた残滓でもある。
そんな調子だったからか、公爵には敵も多かった。
大抵の場合は公爵家の権力で叩き潰すばかりだったが、たまに全てを失った者が恨みを晴らすべく刃物を向ける凶行が起こることもあった。護衛に固められた公爵はかすり傷一つ負わなかったが。
そして、マリアネアの人生を一変させる事件が起こった。
放火で公爵家の屋敷が全焼したのだ。
使用人が何名も亡くなるほどの災害で、尊敬していた姉はマリアネアを庇って半身に大火傷を負った。蝶や花も羨むほど美しかった容姿は焼け爛れ、白磁器のようだった綺麗な肌も、小川のように輝く髪も、何もかも失われていた。
当然ながら公爵は姉に見切りをつけ、当時の王太子との婚約を白紙撤回した。代わりにマリアネアを王太子妃候補に据え、姉を問答無用で修道院送りにしたのだ。そればかりはと反対した公爵夫人を平手打ちで黙らせてまで。
「大丈夫よ、マリアネアならきっと立派な王妃になれるから」
「お姉様……」
「離れていてもわたくしは貴女を見守っているからね。だって愛する妹だもの」
「嫌だぁ……行かないでぇ……!」
「こらこら、我儘言うんじゃありません。素敵な淑女になるんでしょう?」
姉との別れを悲しむばかりだった過去の自分を罵りたい。
どうしてあの時姉を引き止めなかったのか、と。
そうでなかったら愛する姉を失わずに済んだのに。
姉を乗せた馬車が山道の急斜面から転落した、との凶報が届いたのは別れから数日後だった。
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