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2巻

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   ■前日十九時半 サイド エドガー


「初めまして。今日から世話係を任されましたエドガーといいます」
「アンヘラです。よろしくお願いします」

 エドガーがアンヘラと出会ったのは数年前のこと。
 男爵の庶子を男爵家が引き取ると決まった際、男爵家では追加の使用人を募集した。それに応募して採用されたエドガーは自動的にアンヘラの身の回りの世話をするようになった。

「どうして男性のエドガーがわたしの従者を?」
「旦那様がおっしゃるには護衛役も兼ねてるみたいですね」

 市民階級上がりだとは聞いていたが、蓋を開けてみればアンヘラは世話のかからない子だった。自分で起床して身だしなみを整えて、エドガーが起こしに部屋に向かった頃にはベッドメイキングまで自分一人でこなしてしまった。

「お嬢様。そういうのは俺がやりますんで朝ぐらいゆっくりしててください」
「でも、わたし自分でできます」
「仕事がなくなると俺がクビにされちゃうんですよ。俺のためだと思って」
「分かりました。ならお言葉に甘えちゃいますね」

 何度も説得して渋々ながら貴族令嬢の待遇を受け入れていくアンヘラ。ぎこちなかった彼女も時間が経つにつれてエドガーへと身をゆだねるようになっていった。自分の仕事ぶりに一喜一憂する彼女の姿に、エドガーも意欲を燃やした。
 そんなアンヘラは、異常とも言えるほどに自分を磨くことに精を出した。それは外見的なものではなく、仕草、言動、知識、教養を、これまでの遅れを取り戻す以上に学んでいったのだ。

「お嬢様。夜も更けてきましたし今日はほどほどに。お身体に障りますよ」
「きりが悪いのでもう少しだけやります」
「何がお嬢様をそこまでふるい立たせるんですか? 旦那様や奥様に何か言われてるようでしたら、俺からも抗議しますから」
「わたしは、わたしの幸せを自分で掴むために頑張ってるだけです」

 それはまるで執念にすら感じられた。一体何が彼女をそんなに駆り立てるのだろうか、エドガーは初めてアンヘラのことを自分がつかえる主以外の存在として意識した。
 いよいよ社交界進出の準備期間ともされる王立学院通いの年になり、アンヘラもまた男爵家の娘として入学した。屋敷から出かけていくアンヘラの目は並々ならぬ意欲と輝きに満ちていた。

「お嬢様。いくら男爵家から馬車を出してもらえないからって、徒歩通学は危険です」
「じゃあどうしろって言うんですか? 乗合馬車の乗降口なんて近くにありませんし」
「登下校時には俺が付き添いますよ。それぐらいさせてください」
「本当ですか? よろしくお願いします」

 いつしか、アンヘラが笑うと花が咲いたように辺りが輝いて見えるようになった。目の錯覚か、と疑って目をこすっても、アンヘラの笑みが眩しいのはそのまま。
 エドガーの知らぬ間に、アンヘラは少女から令嬢と呼べるまでに成長していた。
 そんな風に始まったアンヘラの学院生活だったが、人づてに聞いた限りでもその評判はかんばしくなさそうだった。
 いわく、男爵家の貧乏娘の分際で上位の成績を取った。
 いわく、身分差をわきまえずにやんごとなき方々の興味を引いた。
 いわく、ちょっと分からせてやろうとしたら生意気にも反論してきた。
 どれもアンヘラをおとしめようとするものばかりで、心配になったエドガーは何度もアンヘラを問いめた。しかし返ってくる言葉は「大丈夫ですから」ばかり。
 自分を心配させまいとの気遣いなのか、自分が頼りないから悩みを打ち明けてくれないのか。判断に迷ったエドガーは、意を決して学院に潜入することにした。

「学院の内情を知りたい? ではわたしから紹介状を出しておきましょう」

 知り合いのさる公爵家の家政婦長に一筆書いてもらったエドガーは、まんまと学院内に入り込んだ。学院の制服まで準備した彼は全く疑われることがなかった。
 そしてエドガーはアンヘラの学院生活事情を垣間見かいまみた。それは男爵家での彼女と同じようで全く彼女らしくないものだった。

(なんだよ、あのしゃべりっぷりは……)

 そこにアンヘラの意思はなかった。
 アンヘラの言動は付き合う相手に合わせて変化していた。相手の話をよく聞き、望む答えを返す。爵位が上の者達をうやまい、市民階級の特待生には気さくに接する。それでいて言葉を選び、決して相手を不快にさせない、といったもの。
 アンヘラの悪評は単に彼女が気に食わない、とのくだらない理由に尽きた。
 どう払拭ふっしょくしたものか、とエドガーは考え込むが、そう考えたのは自分だけでないのか、悩むそぶりをするアンヘラにある日はカルロス、ある日はマティアス、といった具合にやんごとなき者達が声をかけていった。

(は? どうして王太子殿下達がお嬢様に?)

 調べると、どうもカルロス達複数名の男子生徒がアンヘラに興味を持ち、彼女に近寄るようになったらしい。そして、それが発端ほったんとなってアンヘラへの風当たりが強くなる一方なのだ、とも分かった。

「お嬢様。悪いことは言いませんから、王太子殿下方に近寄るのは避けるべきかと」
「どうしてですか? 別によこしまな思いを抱いてるわけじゃないです」
「そうは思ってないやからが一定以上いるから、こうして提言してるんですよ」
「大丈夫です。何を言われても、何をされても負けませんから」

 それは自分の身に危険が及ぶのも承知している、と言っているように聞こえた。

「お嬢様……それ、どうしたんですか……?」
「あ……あはは。転んだ、って言っても……信じてもらえないですよね」

 ある日、アンヘラは頬に大きなあざを作って帰ってきた。
 腫れ具合を見ればすぐに分かった。アレは誰かに殴られた痕だ、と。
 その犯人に目星をつけ直接抗議に行こうとしたが、アンヘラに止められた。

何故なぜ止めるんですか! こんなのはただの暴行です。学院内のいざこざでは済まされませんよ!」
「わたしが悪いんです。あの方を誤解させる真似をしていたから……」
「だからってそんな、顔面を殴るなんて許されませんよ」
「あの方も反省してる様子でしたから、今回だけは黙っていてもらえませんか?」

 結局腫れが引くまでには短くない期間を要し、その間アンヘラの頬には大きく布が貼られていた。

「なんですか、その格好は……。まさかそれも転んだ、とか言いませんよね?」
「あはは……やっぱりそんな言い訳じゃあ駄目ですよね」

 またある日、アンヘラは何箇所も無惨むざんに切り裂かれた制服を着て帰ってきた。
 決して小枝に引っかかった程度ではなく、鋭利な刃物を使った意図的なものだ。
 この主犯にも心当たりがあったが、またしてもアンヘラに止められた。

「器物損壊は立派な罪です。泣き寝入りで済ませるべきじゃないですよ」
「買い替えるお金はもらいましたから。今日のことは勉強代だと思います」
「それで、いいんですか……?」
「……だって、男爵家の娘でしかないわたしはそう納得するしかないじゃないですか」

 結局その金で制服を買い替えた。ある公爵家の家政婦長に相談したらすぐさま予備を準備してくれたため、大騒ぎにならずに済んだ。
 そうしたいじめにうアンヘラを、いつしかカルロス達が守るようになった。
 その時期をさかいにエドガーはアンヘラの登下校に付き合わなくなった。カルロス達が送迎することとなったからだ。
 歩いている途中で彼女とする他愛たあいない話が好きだったエドガーは一抹いちまつの寂しさを感じた。まるでカルロス達に自分の大切な存在を奪われたようで、心が痛んだ。

「……お嬢様。王太子殿下方は貴女に好意を抱いているようです」
「はい。どうやらそのようです」
すでに婚約者がいる方もいるそうですが、どうお考えなんですか?」
「わたしもそう言ったんですけど、自分の想いに蓋はできないそうですよ。しかるべき時までに清算するんですって」

 いつしかカルロス達の想いは恋へと昇華し、事態は更に混迷を深めていく。アンヘラへの悪意は嫉妬しっとと憎悪が入り混じったものとなり、危険にさらされることも多くなり、その度にアンヘラを愛する者達が守っていった。
 その間もエドガーはアンヘラが心配でたまらなかった。いつか取り返しのつかない悲劇が舞い降りやしないか。命の危機にさらされないか、と。
 そして、それは最悪の形で現実となる――

「違う、違うの……。私、ここまでするつもりじゃあ……」

 久しぶりに学院に侵入したエドガーが見たのは、階段の下で血を流して倒れるアンヘラと、踊り場で顔を青ざめさせてしきりに何かをつぶやくコンスタンサ、カルロスを始めとする野次馬連中だった。
 目の前が真っ白になった。
 エドガーは気がつけば他の者を押しのけてアンヘラを抱きかかえていた。

「息は……ある。良かった……。すぐに医務室に……!」
「よせエドガー。抱きかかえて運んだら頭が揺れるだろ。頭を強く打ったようだから、それはまずい」
「レオン……! そんなことを言ってる場合じゃあ……!」
「だから担架たんかで運ぼう。相方はカルロス王子にでも頼んでくれ。私はコンスタンサ嬢に事情を聞いてくるから」

 顔見知りの指示に従って意識を失ったアンヘラを医務室に運んだ後、エドガーは後悔にさいなまれた。
 自分がつきっきりでアンヘラのそばにいればよかった。自分がカルロス達を遠ざけていたらアンヘラはこんな目にわずに済んだ。もし過去をやり直せる機会に恵まれたら、引き下がった自分をぶん殴ってやるのに……!
 アンヘラが目を覚ました時には神にひたすら感謝したものの、まだ意識が混濁したままだったため、すぐに早退することになった。カルロスがアンヘラを送りたかったようだったが強引に切り上げて、エドガーが連れて帰った。

(なんとかしないと……。でも猶予はもうたった一日しかない。一体何ができるって言うんだ……?)

 そういえば、と、エドガーは隣国で起こった出来事を思い出した。
 現在の隣国王妃は残りたった一日で絶体絶命の状況下から大逆転したらしい。
 なら自分も必死に足掻あがけばこの状況をくつがえせる? しかし、どうやって?
 悩むエドガーは目を覚ましたらしいアンヘラに呼び出されて……

「このままじゃわたし、ざまぁされちゃう!」

 などと意味不明な助けを求められた。

(全く、俺を驚かせるのはいつもお嬢様だよな)

 新たなる大逆転劇の片棒をかつぐことになったエドガーは、喜びに満ちていた。
 この機会を決して逃さない。そう固く誓った。アンヘラと、自分の想いにかけて。



   □前日二十時


 夜の王都、月明かりを頼りにエドガーは馬車を走らせる。
 向かう先は攻略対象者の一人、騎士団長のご子息が住むお屋敷だ。
 わたしは下座しもざ後ろの正面窓を開けて、エドガーと他愛たあいない話に明け暮れていた。

「それにしてもお嬢様。明日の相手に俺を選ぶなんて正気……本気ですか?」
「正気ですし本気ですよ」
「攻略対象者達と仲良くできなくなったから、ですか?」
「消去法でもあるんですけど……」

 攻略対象者を攻略するのが今更恐ろしくなった。男爵家が嫌だった。カルロス様に尻込みしない殿方は限られている。
 けれど、それを抜きにして……

「エドガーが一番心許せるから、じゃあ駄目ですか?」

 うん、多分これが一番の理由だと思う。
 エドガーは驚いた様子でこちらへと顔を向けてきた。前方不注意だからとがめようと思ったらすぐに正面に向き直る。

「……不意打ちすぎるだろ」

 何かつぶやいたようだったけれど、馬車の走行音と風を切る音がうるさくて聞こえなかった。

「心許せるって、王太子殿下方よりもですか?」
「それはエドガーも分かってますよね。わたしは人生を成功させたいからあの方々に近づいたんであって、あの方々が望む少女を演じてたわたしに心の安らぎなんて必要なかったです」
「じゃあ、お嬢様は王太子殿下方よりも俺の方が好きだと?」
「愛しているか、と聞いてるんでしたら、何か違う、としか答えられませんよ。恋愛だとか信頼だとかでわたしとエドガーのきずなを表現したくない、と言いますか……」

 エドガーとの出会いは、わたしが男爵家の娘になった時だった。
 まだ教育途中の新入りだったエドガーがわたしの世話係に抜擢ばってきされたのは、先輩使用人からの嫌がらせもあったんだと今は思う。現にエドガーはわたしの巻き添えでいじめにったらしいし。
 けれど、エドガーはわたしに献身的につかえてくれた。
 単にわたしの世話をするだけではなく、甘やかすばかりじゃなくて、至らない部分はしかってくれた。
 政略結婚のこまでしかなかったわたしを唯一人、人間として扱ってくれたんだ。
 弱音を吐き出した。涙で彼の胸元をらした。喜びも分かち合った。
 思い返せば、男爵家で送った生活は彼なしでは語れない。
 血の繋がった実の父とは比べるまでもなく、わたしは彼を一番近くに感じている。
 そんなエドガーを学院生活を送る最中はわずらわしいと思っていたなんて。前世を思い出さないままだったら、って思うとぞっとする。

(エドガーに失望される? 見限られる? ……いえ、むしろわたしの方が用済みだと彼を捨てちゃっていた?)

 身震いしてしまう。わたしは今まで一体何をしていたんだろう。

「とにかく、今日は夜遅くまでわたしと付き合ってくださいよ」
おおせのままに、俺のお嬢様」

 正面を向いていて顔が見えなくても、何故なぜか彼が笑みを浮かべていると分かった。

「ところで、勢いに任せて出発したのはいいんですけど、向こうに着いたらどうやってヒルベルト様に会うつもりなんですか? あの王宮騎士を何代にもわたって輩出してる厳格な家が、こんな夜遅くに先触れもなしに訪れて門を通してなんてくれませんよね?」
「大丈夫ですって。あ、そこ左に曲がってください」
「ん? それだとお屋敷の正門まで行けませんよ」
「裏口を使いますから問題ありません」

 貴族の屋敷には普段出入りする正門、使用人達が出入りする勝手口、そして非常時に使用する裏口がある。当然正門じゃないからって警備が薄くなるわけでもない。ただし裏口は裏口なりの通り方がある。

「裏口って言いましてもねえ……まあ、お手並み拝見といきますか」

 そうしていきなりやって来たわたし達に、守衛は柵門の向こう側から瞳だけを向けてきた。
 わたしは一枚の書面を彼に提示する。それを受け取った守衛は小屋へと向かい、棚から書類束を引っ張り出して照合、確認を終え、柵門の鍵を開けたのだった。

「……一体どんな魔法を使ったんですか?」
「ヒルベルト様から使い捨ての通行書を頂いていただけです。困ったことがあったらいつでも俺のもとを訪れてくれ、って渡されました」

 書面の正体は半分の割印。片方は招きたい相手に、もう片方は裏口の守衛が保管するらしい。発行の権限は勿論もちろん、屋敷のあるじに限られている。
 ヒルベルト様は後継ぎだからと何枚か渡されていた、だったか。

「おお、アンヘラよ! よく俺の屋敷へ来てくれた!」
「夜間遅くに招き入れてくださってありがとうございます」

 突然の来訪にもかかわらず笑顔のヒルベルト様は、大慌てした様子で出迎えてくれた。

「……なんだ、コブ付きか。今度からアンヘラに相応ふさわしい護衛を付けてやろう」

 打って変わってエドガーにはあからさまに嫌な顔をしてくる。

勿体もったいないですよ。それにエドガーだって頼りになりますから」

 あまりにも差別が露骨すぎる。これまでは彼らしい反応だって好意的に受け止めていたけれど、改めて見ると……無理だ。エドガーを馬鹿にされているようで腹が立ってくる。

「それで、こんな時間にどうした? まさかカルロスの奴がお前を悲しませたか?」
「いえ! まさか! カルロス様はこんなわたしにもお優しい方です」
「じゃあ明日についての相談か? そうか、カルロスではなく俺を相手に選んだか」
「あ、いえ。それもご期待には添えません」
「なら一体どうした? 相談事なら力になるぞ」

 ヒルベルト様はわたしをもてなそうと、従者に茶や菓子を準備するよう命じようとしたけれど、固辞した。用件を伝えたらすぐにおいとますると伝えて。
 それを聞いたヒルベルト様は眉をひそめるに留まった。

「ヒルベルト様が婚約なさっているカルメラ様のことなんですけど……」

 カルメラ、の名を耳にした途端、ヒルベルト様は顔を険しくする。

「ああ、あの女か。また奴がお前に暴力を振るったか?」
「いえ、あの一件についてはわたしが悪かったんです」
「だが、あの女はお前が謝っても聞き入れなかったではないか。俺はあのような傲慢ごうまんな女が大嫌いでな。お前のおかげで奴の本性を知ることができた。改めて礼を言う」
「……お礼を言われることじゃないです」

 カルメラ辺境伯令嬢。彼女がヒルベルト様の婚約者だ。
 辺境伯家はヒルベルト様の家と同様の家系、両家は昔から親交がある。カルメラ様とヒルベルト様の婚約も、両家のきずなを更に深めようとする当主同士の考えからだ。
 ところがこの二人、仲はあまりよろしくない。
 というのも、ヒルベルト様がカルメラ様を好ましく思っていないからだ。
 ヒルベルト様が自分の伴侶に求めるのは夫をたてて従い、夫が留守の間に家を守り、後継ぎを始めとする子を育てる、いわば典型的な貴族の夫人だ。男らしさが武力とするなら女らしさとは母性だ、と公言していた覚えがある。
 なのにカルメラ様はそんなヒルベルト様が主張する女らしさを軽視して剣術や馬術をたしなんだ。それは彼女がヒルベルト様の背中に寄り添うのではなく、肩を並べたかったから。想い人と対等でいたい、というのが彼女の願いだった。

「まあいい。あの女との関係も明日で終わりだ。王太子殿下が公爵令嬢めに婚約破棄を言い渡したと同時に、俺は奴と絶縁するつもりだからな」

 当然そんなカルメラ様の努力はヒルベルト様に認められるはずもなかった。だから可愛らしく、健気けなげで、純粋で、守ってあげたいと思わせる、ぽっと出のヒロインにかすられてしまうんだ。わたしが言うなって話だけど。

「あの……今からでも遅くありません。考え直してもらえませんか?」
「女のくせに男の真似事などして時間を浪費する奴とげろ、とお前は言うつもりか?」
「別にそこまでは……」

 そのせいでここ最近、彼女の嫉妬しっとが激しくて散々嫌な思いをしていたのだけれどね。胸ぐらを掴まれたり、平手打ちを食らったり、髪を引っ張られたりもした。だって彼女ったら口喧嘩では勝てないからすぐ暴力に訴えるんだもの。
 前世を思い出す前は、そんな彼女への優越感でほくそ笑んでいたものだ。そして粗暴な姿を見られてますますヒルベルト様に嫌われていく彼女を愚かだと馬鹿にしていたんだっけ。

「認めてあげられませんか?」
「お前がそう願うからこの前も条件を出してやっただろう。達成できなかったあの女が悪い」

 ちなみにヒルベルト様はカルメラ様に機会を二つ与えた。
 一つは淑女らしく態度を改めろ、というもの。これは彼女が拒絶して終了した。
 一つは自分を黙らせる武力を示せ、というもの。彼女はこれに果敢かかんに挑戦しているもののヒルベルト様に全く敵わず現在に至っている。
 要するに、すでにヒルベルト様はカルメラ様に愛想を尽かしていた。

「……まだ明日があります。勝負は最後まで分かりません」
「くははっ、天地がひっくり返ってもあり得ん! 明日になって何かが変わるものか。あの女はみじめにも何も掴めないまま、柄にもなく修道院にでも行くのがお似合いだ!」

 豪快に笑い声を上げるヒルベルト様に、わたしは悪態をつきかけた。
 ヒルベルト様の魅力はその雄々おおしさ、男らしさにあるのだけれど、女性を軽視する欠点もあってキャラ人気はイマイチだった。まあ、そんな彼が一生ヒロインを守ると誓うから彼専用のルートも評価されているのだけれど、逆ハーレムルートだと改心せず婚約者への侮蔑ぶべつは酷いままだ。
 とはいえ、カルメラ様もヒルベルト様が好きだったなら彼の好みの娘になろうとすれば良かったのに。『どきエデ2』で婚約破棄を言い渡された時に発した嘆きは涙を誘ったけれど、我をつらぬいて自滅した彼女に同情の余地はあまりない。

言質げんちは取りましたから」
「……んん?」

 でも、そんな彼女には願いを成就じょうじゅさせてもらわなきゃならない。彼女のためなんかじゃなく、わたしの未来のために。

「明日、カルメラ様はヒルベルト様に勝ちます。カルメラ様を認めてあげてください」
「意外だな。お前があの女の肩を持つとは。表向きは俺と奴との婚約関係が崩れないよう身を引こうとする素振りを見せつつ、内心では奴を小馬鹿にしているとばかり思っていたが」
「そ、それは誤解ですよ。わたしがヒルベルト様に無遠慮に近寄ったせいです」

 内心ドキッとしてしまった。心の奥底を見抜かれていた、そんな気がして。
 冷や汗を流すわたしをよそに、ヒルベルト様は力を抜いてソファーにもたれかかった。完全に小馬鹿にしきった様子から、彼は自分の勝利を全く疑っていないと分かる。

「……ふん。まあいい、そこまで言うなら明日挑戦されても受けて立ってやろう。どうせあの女、何も進歩していないんだろうがな」
「それでいいと思います。機会を活かすも殺すもあの方次第ですから」

 この後、用が済んだわたしは宣言通りにお屋敷をあとにした。その際、まだ留まるようお誘いを受けたものの丁重に断った。……これまでと違って相手の気を引くための拒絶ではない。
 どうやらヒルベルト様もわたしの心境の変化が引っかかったらしく、わたしを見送る彼の顔は疑いにいろどられていた。
 けれど、そんなの気にしていられない。
 とにかく今は活路を開けただけ良しとする。
 この調子で他の攻略対象者にも何かしらの手を打たないと。



   □前日二十一時


 宰相嫡男マティアス様。彼はとっても頭がいい。
 学院での机上試験はカルロス様やコンスタンサ様をしのいでいつも一位。父親である宰相閣下の補佐をすでに務めていて、彼が作成した法案も幾つか施行されている。将来の宰相の座は揺るぎない、それが大勢の評価だった。
 けれど、彼は秀でた頭脳のせいで他人を馬鹿だと見下している。実はカルロス様やヒルベルト様方も自分が助けてやらなければ何もできない連中だと内心で思っている辺り、筋金入りだ。
 そんな彼専用ルートは、思いもよらぬ賢さを発揮したヒロインにマティアス様が興味を持つところから始まる。関係が深まるにつれて頭の良さだけが人としての素晴らしさとは限らない、と気付き、ヒロインの愛らしさに惹かれていくことになるのだ。

「あー、そう言えばお嬢様ったらマティアス様に勝つために一生懸命、卓上遊戯を勉強してましたっけ。夜なべしたお嬢様に怒った記憶がありますよ」
「あうう、それ言わないでください」

 ちなみに、『どきエデ2』では卓上遊戯がミニゲームとして搭載されている。宰相嫡男ルートに突入するには、作中にちりばめられたヒントを参考にメタ戦術を張って、最強アルゴリズムのマティアス様を打ち負かさなきゃ駄目、って鬼畜仕様だった。
 更には、彼からの好感度を上昇させるには他のミニゲームでも彼に勝たなきゃいけなかった。前世のわたしは攻略サイトにすがってなんとかクリアした覚えがある。だってずるしないと無理ゲーだもの。

「で、マティアス様もさっきのヒルベルト様みたく説得するんでしょう?」
「そのつもりです」
「だからこうしてお屋敷の裏口まで来ているわけですが……なんですかコレ?」
「何って聞かれても……見たまんまじゃないですか?」

 ヒルベルト様のお屋敷をあとにしたわたし達はマティアス様のお屋敷にやって来た。勿論もちろん、男爵令嬢風情ふぜいのわたしが表門を通されるはずもなく、裏口から入ろうと門の前にいる。
 門の内側にいる守衛は予定なき来訪者を気にする様子もない。門は固く閉ざされたままわたし達の前に立ち塞がっている。門は鎖でがんじがらめになっていて、はしはしがこの国では珍しいダイヤル式の南京錠なんきんじょうで固定されていた。

「俺、番号式の南京錠なんきんじょうなんて始めて見ましたよ。一流の職人しか作れない一品物なんですよね? しかもエグい桁数してるじゃないですか」
「多分わたしとエドガーのお小遣いを一生分合わせても買えないですよね。こんな特注品」
「お嬢様はこの番号も教えてもらっている、と」
「いえ。でも法則性があるんだそうですよ」

 これこそ宰相嫡男ルートの最終ミニゲーム。前世のわたしはなんとか自力で解こうとしたけれど結局断念、攻略サイト頼りになってしまった。実は一か月ごとに中のシリンダーをいじって番号を変えてるとか鬼かと思ったよ。
 けれど、今のわたしには解ける。これまで聞いていた手がかりを結びつけて法則性を導き出し、答えにたどり着けた。解けた瞬間、歯車と歯車ががっちり噛み合ったような、そんな爽快そうかいかんがとても甘美だった。


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