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二学期

ブリュメール⑥・カップルを尾行するカップル

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 グラスの中が空になったあたりでようやくジャンヌ達が姿を見せた。いくらなんでも公爵令嬢と王太子殿下が揃って街中に出現しようものならとんでもない大騒ぎになってしまう。そんなわけで二人とも庶民風の服と装飾に身を包んでいるんだけれど……。

「何と言うか、全然気品が隠れていないみたい?」
「明らかに貴族のお忍びだと悟られてしまいますね」

 地味とはいえ服は質の良い上にコーディネイトが抜群、更には風格のある美男美女では明らかに一般市民の中で浮いている。それでもなるべく気にしないようにする街の人達は空気が読めていると讃えたいぐらいね。
 二人を追跡すべくお店の勘定を払おうとしたらアルテュールが店員とわたしの間に割って入ってくる。財布から銀貨を取り出して勘定を済ませた直後にわたしへと振り返り、何だか不満そうな視線を送ってきた。

「支払いは私に任せてください」
「でも二人で飲んだんだからせめて割り勘で……」
「任せてください。いいですね?」
「は、はいっ」

 ここで強情になった所で何一つ得は無いな。アルテュールがそれで満足するなら彼に従おうか。
 二人を見失わないように後をつける。やはりというかお忍びデートであっても二人を守る護衛がいるようで、明らかに二人に注意を向けている人達が何人もいた。その誰もが街中に溶け込んでいて違和感が全くないのは感心してしまう。

 『双子座』はメインヒロインの一人称だから私は描写しなかったけれど、きっとメインヒロインと王太子様のデートでもこうして親衛隊が張り付いていたんでしょうね。まだ真実が発覚していないメインヒロインが王太子様を虜にする光景をどう思ったんだろう?

「……王族を守る親衛隊が何人か配置に付いているようですね」
「やっぱりシャルルとジャンヌを害から守るために?」
「彼らに目を付けられないようにしないといけません」
「守護の専門家の目を逃れるって中々難しい注文そうだね……」

 アルテュールも気付いたようでわずかに緊張した面持ちをさせていた。ただそう警戒しているとますます目を付けられやすくなるんだし気を楽にしないと。尋問を受けてジャンヌ達を見失ったら全部水の泡だもの。
 わたしがアルテュールの腕に自分の腕を絡ませると彼は驚いた顔をさせてきた。わたしは彼を見つめながら頬に指を触れて口角を吊り上げてみせる。笑顔笑顔、と。アルテュールはとても優しい眼差しをさせて微笑んだ。

 市街地の繁華街は休日なのもあって多くの人で賑わっていた。主な客は日々の食材を買うべくやってきた女性や家事を任された従者で、生活雑貨を買おうと男性の姿も見える。後は掘り出し物が無いかと練り歩く商人の姿もあったか。
 もしかしたら商人を館に呼ぶ程の財力が無い王都に住む貴族も足を延ばしているかもしれないな。けれどさすがに王国の王子と公爵令嬢のお二人が来訪しているなんて想像もつかないだろう。何せ雲の上の身分だし。

「それにしてもシャルル殿下は随分と落ち着いた様子ですね」

 わたし達の前を行くシャルルは色々な店を巡ってはジャンヌに楽しそうに語りかけていた。むしろジャンヌの方が周りの雰囲気に圧倒されて物珍しそうに左右を眺めるばかり。完全にシャルルに先導される形になっていた。

「普段から身分を隠して街中に行っているので?」
「学園に入学されてからは市民階級の先輩方と一緒みたいだから」
「成程。門が大きく開かれた学園で様々な身分の生徒と交流して見識を広げると」
「単に短い間だけでも王太子って立場の重圧から解放されたいだけかも……」

 『双子座』で王太子殿下がメインヒロインを選ぶ理由の一つがコレ。生涯を共にする婚約者のジャンヌもあまりにも完璧すぎる淑女で心休まる暇が無かったんだ。そこに現れた身分を大して気にしないメインヒロインの存在は初めは癒しに、彼女に惹かれてからは救いになっていったんだ。

 ちなみにシャルルはアンリ様方を従えて時折お忍びで街に遊びに出かけたりしていた。王宮での教育では分からない庶民の生活に直に触れたいって考えもあったし、王宮では決して語られない王国の負の面も分かっておきたいって想いがあったから。

 むしろこれで八回目の学園生活で初めて街中に遊びに行くジャンヌは今までどれだけ公爵令嬢、そして王太子殿下の婚約者という立場に縛られていたんだって話だ。逆を言えばようやく私の綴った脚本から抜け出したジャンヌは悪役令嬢に捉われずにもう自由になりかけている、とも評せる。

「カトリーヌ。私は殿下とオルレアン公爵令嬢の仲は良くないと聞いていました」
「それは同じ教室のご令嬢から聞いたの?」
「何でもオルレアン公爵令嬢は殿下の御心を弄び嘲笑う性悪な女だと陰口を叩く者もいました」
「否定は出来なかった。もう過去形かな」

 シャルルとジャンヌは装飾品を並べる露店で笑い合いながら品物を手にしている。試しにとシャルルがジャンヌの耳元に耳飾りを、頭に髪留めを持っていく。似合っているよ、とか可愛いね、とか甘く囁いているのか、ジャンヌが恥ずかしそうに頬を染めながら視線を逸らしていた。

「夏のマッシリアでの静養で二人のすれ違いが直ったみたいなの」
「成程、言われてみればオルレアン公爵令嬢はアランソンでお会いした時より穏やかになっている気がします」
「えっ、そうかな? わたしは毎日会っているからあまり変化に気付けないよ」
「あの時はどこか諦めと心の荒みが感じられました。まだ若干見受けられますが大分晴れているのではないでしょうか」

 はああ、と感嘆の声が漏れた。ジャンヌを理解したつもりのわたしもまだまだ観察眼が甘いって事か。それとも貧弱一般娘には感じ取れない気配とか雰囲気みたいなのがあるとか? しかし言われてみれば確かに納得できる部分も多いのがまた凄い。

 結局シャルルが選んだのは花輪を模した冠のようで、彼はそっとジャンヌの頭に被せる。ジャンヌは愛おしそうに自分に乗せられた冠を撫で、眩しい程の笑顔で礼を述べた。これにはシャルルもたまらずに口元を押さえてたじろいだ。かなりの衝撃だったらしい。

「王家と公爵家の政略上の婚約だったのでしょうが、アレだけ仲睦まじいのなら噂は噂でしかありませんね」
「でも過去とは言え事実を元にしているから、払拭するには時間がかかると思うの」
「それでもあのお二人の姿を目の当たりにすれば誰もが疑念を消すと考えますが?」
「だとしてもまだシャルルを諦めきれないご令嬢の妬みが悪意になって、悪評が引き続き振り撒かれるかもしれないから」

 何せ貴族はどれだけその代で繁栄させようと家を残さなければただの無能だ。旦那様がお母様やジゼル奥様方を妻としたように、大貴族が複数の女性を伴侶に迎えるのは常識にあたる。王家だって例外ではなく、シャルルも今後ジャンヌの他に側室を迎え入れるだろう。この際後継ぎを生むか否かで妃の後宮での立場は全く違う。いくらジャンヌがこのまま王妃に収まったってその後に賭ける余地は残されているわけだ。私世界でも歴史上側室の子が家を継ぐ例なんて挙げたらきりがないし。
 とどのつまり、これもまた一種の権力闘争。醜い貴族社会の一面が学園まで根を伸ばしているってわけだ。学園内では平等であっても卒業後は社交界に身を投じる以上、少しでも有利な位置に自分を持って行こうとする気持ちは分からなくもない。分かりたくはないけれどね。

「つまりカトリーヌはあのお二方の仲が引き裂かれるか心配なんですか?」
「一番はジャンヌに幸せになって欲しいって想いからだね」
「私には順風満帆に見えますが? あのままならシャルル殿下が卒業されてからすぐにでも式を挙げるでしょう」
「そこまで波瀾が無いかが心配なの、わたしは」

 『双子座』では悪役令嬢が他の貴族令嬢方を取りまとめていた。ジャンヌがその役を放棄した今、メインヒロインに向けられていた悪意はそのままシャルルと仲を深めるジャンヌに向きかねない。ましてやアルテミシアがそう促し始めたら加速してしまうかも。

 深刻に悩むわたしの頭の帽子が不意に外され、代わりに何かが乗せられた。片手を頭部に伸ばすと細い枝を絡み合わせて造花をあしらった冠を被っていた。それはさっきシャルルがジャンヌに贈ったのとほとんど同じで。気が付けばさっきまでジャンヌとシャルルが楽しそうに眺めていた装飾屋の前まで来ているではないか。
 わたしの髪をそっと撫でたアルテュールはとても柔らかな微笑みを浮かべていた。

「オルレアン公爵令嬢……いえ、ジャンヌの幸福がカトリーヌの願いなら、私にも協力させてください」
「アルテュール……」
「例え神様が敵に回っても私はカトリーヌの力になりますから」

 わたしは嬉しくなってしまった。単にアルテュールがジャンヌの味方になってくれたからじゃあない。わたしに向けられた気遣いに感動したからだ。

「……ありがとう、ございます」

 だから、わたしは心からの感謝を述べた。
 ジャンヌと同じように花輪の冠を愛おしく触れながら。
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