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夏季休暇

テルミドール⑩・公爵夫人のお目覚め

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 次の日の午前中、イングリド様治療の為に水属性に優れた魔導師がやってきた。本来は治療が止めになってイングリド様はお亡くなりになる筈だったけれど、前日にその要因をわたしが打ち消したのもあって目に見えて効果があったんだそうだ。
 その魔導師曰く、既に快方に向かっているようでしたので自分は手助けしただけです、だそうだ。昨日ジャンヌが光属性の癒しの魔法を施したって説明したらその魔導師は謙虚にも素晴らしいお手並みが見れなかったのが残念でなりません、って言ったらしい。

 イングリド様が目を覚ましたのはそれから程なくで、眠りから目覚めるように起き上がったんだとか。ずっとイングリド様の手を握っていたアルテュール様は歓喜の涙を流しながらイングリド様に抱き付いたそうだ。

「ジャンヌ、カトリーヌ。容体も安定したそうだから私達もお見舞いに行きましょう」

 広大なアランソン邸の敷地を散歩していたジャンヌとわたしにお母様が声をかけてきた。すぐに散策を打ち切って昨日も足を運んだ部屋に戻ってくる。午前と午後で日射しの具合が違うからか、昨日よりも部屋の中は明るかった。それはまるでイングリド様を表すかのように。
 イングリド様は昨日よりも肌に生気が戻っていたものの相変わらず痩せこけていて、頭は帽子を被って髪が抜け落ちている状態を覆い隠していた。わたし達の来訪に気付くと寝具におかれたクッションに背を預けたままで軽く会釈してきた。

「ごきげんよう、エルマントルド様。お久しぶりです」
「ええお久しぶりね、イングリド様。どう、調子は?」
「良くなりました。昨日までは意識も朦朧としていましたし力が全然湧きませんでしたから。王都からいらした魔導師殿の話では後は静養していれば回復するそうです」
「そう……本当に良かったわ。貴女の命が助かって」

 お母様は心底安心したような顔をさせる。今にも歓喜で涙をこぼしそうで瞳が潤ってきている。イングリド様も釣られて微笑むものの、程なく首を傾げて眉をひそめた。お母様の方をじっと見つめた後でお母様の隣に佇むジャンヌと、後方で控えるわたしに視線を移していく。

「はて、エルマントルド様もオルレアンの地で静養中と聞き及んでいましたが、治ったのですか?」
「娘達のおかげでね。それまではずっと夢の中で彷徨っていたようなものよ」
「それにエルマントルド様の子はお一人と聞いていましたが、後ろのご令嬢は?」
「彼女も私の娘よ。双子だったの。片方は手放しちゃったものだから、それで心を病んじゃっていたのよ」
「手放した? ですがわたくしと違って貴女様は第一夫人で公爵家に嫁いでいた筈ですよね」
「……実はね、イングリド様と事情が同じだったのよ」
「……っ!? そう、だったのですか。エルマントルド様がわたくしと同じだったなんて……」

 二人の会話は和やかに進んでいく。更には互いにわたしとアルテュール様の事情を隠そうとはしなかった。元々ご友人なのもあっただろうけれど、闇に魅入られし子を生んだ母親として唯一分かり合える絆が改めて結ばれたんだと思う。
 弾んだ会話に区切りがついた所でジャンヌとわたしはイングリド様に自己紹介をした。傍で付き添うアルテュール様がわたし達を命の恩人だって紹介し、イングリド様は感謝の言葉と共に深々と頭を下げてきた。恐縮すぎたけれどそれは言葉に出来ず、複雑だった。

「カトリーヌさんはジャンヌさんと同じ年だから、アルテュールとも同じなのですね? 夏季休暇明けにはアルテュールも学園に通わそうと思っています。どうかアルテュールの事をよろしくお願いいたします」
「わ、分かりました。わたし、頑張ります」

 嫌です関わりたくありませんだって攻略対象といちゃつくとジャンヌが破滅するんだもん、なんて口が裂けても言える訳がない。イングリド様が望むのは単なる友達じゃあなくて、アルテュール様を分かってあげる存在だから。すなわち、同じく闇を抱いているわたしこそを。
 わたしは本音を隠しつつ意気込みを表に出して力強く頷いた。それに安心したのかイングリド様は微笑んでからアルテュール様に視線を向ける。イングリド様の手を握り続ける彼は「何でしょう?」と問いかけながら上から下までイングリド様に見つめられた。

「それでアルテュール、学院には女子生徒として入学するの? それとも男子として?」
「えっ!?」

 それに驚愕の声を挙げたのはアルテュール様ではなくお母様だった。あ、そう言えばお母様にはアルテュール様が実は男性なんだって伝えるの忘れてた。アランソン夫人もお母様には公爵令嬢って説明していたし。
 まあ、わたしも意外な質問に軽く驚いてジャンヌと顔を見合わせてしまったけれど。当のアルテュール様は僅かに俯いてから思考を巡らし、やがて意を決したのか唇をきゅっと結んでから強い眼差しをアルテュール様へと向けた。

「母上。私は別に公爵家を継ぎたいとは思っていませんでした。母上さえ助けられればそれで良かったんです。家督相続争いに興味はありませんでしたし、公爵家から離れるまでは自分を偽ろうと思っていたんです。幸いにも母上以外私については誰一人分かっていませんから」
「今は違うのです?」
「令嬢では果たせない願いが出来ました。私は……自分を偽らずに行こうと思います」

 アルテュール様、今ちらっとこっちに視線を向けましたよね? イングリド様もつられてこっちを見つめないでください。しかも「あらあらまあまあ」みたいに微笑ましくなさらないで。お母様までそんな生暖かい視線を、ってああジャンヌがこっちを睨んできてるし。

 アルテュール様が男子生徒として転入してくる展開はアルテュール様専用ルートでしかありえない。つまり過程はどうあれ誰の好感度も上げない無難エンドって未来は崩壊したわけだ。これ即ち悪役令嬢破滅へまた一歩近づいたと評してもいい。

 いや、諦めるのはまだ早い。『双子座』ではアルテュール様はご自分に一番近いメインヒロインに執着するあまりに王太子様方を巻き込んで悪役令嬢を断罪に貶めるけれど、今の事情も環境も全く異なる。上手く舵取りすれば悪役令嬢へのヘイトは防げる筈だ。

「カトリーヌさん」
「えっ!? あっ、ひゃい!」

 自分の思考に埋没していたせいで突然呼びかけられたわたしは声が裏返っていた。イングリド様は慇懃なほどにこちらへと頭を下げてきた。

「不束者でしょうが、どうか私の子をよろしくお願いします」

 これが『双子座』だったら攻略成功だとかで画面の前でぐっと拳を握りしめたんでしょうね。けれどそれはわたしが目指したい方向じゃあない。いや、決してアルテュール様が悪いとは言わないし気に入らないなんて事は無いけれど、普通のハッピーエンドじゃあ駄目なんだ。

 悪役令嬢のグッドエンド。
 私が果たせなかった想いを、わたしがジャンヌに願う幸せを現実に。

「今は友達としてならいいですよ」

 だから現時点では拒絶する。わたしが幸せを求めるなら『双子座』の舞台になる学園一年時より先だっていい。別に王太子様とか公爵子息なんて贅沢は望まない。定められたメインヒロインとしての運命なんてつまらない、未知の出会いがあったっていいじゃないの。
 イングリド様はやんわりとした断りにも特に怒らずに「そう」とだけ呟いた。何故かアルテュール様がどこか寂しそうな表情をされたけれど、すぐに落ち着きを取り戻して「ではこれから良好な関係を築ければと思います」とだけ述べてくる。

「あの、イングリド様。一つだけ確認させてください」
「はい、何でしょうか?」
「イングリド様はわたしにどうあるべきって望みますか?」

 だってイングリド様がオルレアン家の令嬢を望むのかわたし個人を求めるのかで全然違うもの。公爵家同士の政略と合致するからわたしを公爵令嬢に戻す、なんて展開に付き合う気は一切無いし。お母様の娘ではあるけれどオルレアン家の娘に戻る気は微塵も持っていないもの。

 惨劇が起こらなかったから若き公爵が貧乏娘を迎え入れるってシナリオは既にお釈迦。別に公爵家を継がない子息に公爵令嬢を嫁に出す利点は高くない。だったら初めから身分なんてどうだっていいじゃないか。

 わたしの質問にイングリド様は目を丸くしたけれど、わたしの意図を汲み取ったのか、朗らかな笑みをこぼした。

「カトリーヌさんは肩書が無くたって素敵だと思います」
「分かりました。答えていただきありがとうございました」

 なら、わたしは引き続きただのカトリーヌとして過ごすとしよう。それで学生生活にアルテュール様が加わるならそれでいい。身分の差も関係無いし玉の輿とか考えなくていい。気楽にありのままで接しようじゃあないの。

 ふと、アルテュール様と視線が合った。彼はこちらに笑みをこぼしてきた。そして深々と頭を下げてくる。決して口にはしなかったけれど、彼の想いはわたしに十分に伝わってきた。わたし達のその後についてでは決してなく、運命を変えた事への感謝を。

「母上を救っていただき、本当にありがとうございました」
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