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一学期
フロレアール③・因縁
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王国中の貴族子息やご令嬢方が集う王立学園の図書室はさすがに広かった。今までこの国で出版された本が全て揃えられているって説明されても頷けるぐらいに。実際に『双子座』の設定だと歴代の王朝から様々な本を記録として残すよう義務付けられているんだったっけ。
そんな図書室の放課後、自主勉強の最中にわたしはジャンヌ様に迫られていた。ジャンヌ様はわたしの胸元を指で突いていた手をゆっくりと持ち上げて、わたしの頬を軽く撫でる。そのお顔にはいつか美術館で目にした絵画の聖母がさせる微笑みを浮かべられていた。
「用足しも口実。今こうして勉強に勤しむのだって本当は王太子殿下と顔を合わせたくなかったからでしょう?」
「そ、それは……」
「ねえ。王太子殿下の何がカトリーヌを遠ざけているのか、教えてもらえない?」
入学式の時に在校生代表として檀上に上がられた王太子様の凛々しく頼もしく、そして優しいお姿には多くの貴族令嬢方が心惹かれていたようだった。わたしもきっと私の記憶を思い出さなかったらそのまま王太子様の虜になっていたと思う。
悪い評判も聞かないし成績も優秀、非の打ち所のない王太子様を妬む人こそいるかもしれないけれど、あのお方に会わないよう避ける新入生なんてわたしぐらいなものだ。よりによって攻略対象達に愛想を振りまくメインヒロインの豹変、さぞジャンヌ様には奇異に映ったに違いない。
そんなわたしは怯えるあまりに洗いざらいを……喋るわけにはいかない。
「わ、わたしは平民です。高貴な方とお喋りなんてとても出来ません」
わたしは創造主なんですー、なんて答えてどうなるかなんて今のジャンヌ様からは全く予想が出来ないもの。ジャンヌ様は前回メインヒロインに過度な拷問を行ったらしいし、前回と違うって一点だけで興味を惹いているだけだもの。
そもそもわたしは私が攻略対象って呼んでいる方々と恋を育むどころか交流を深めるなんて恐れ多くて想像すら出来ない。ましてやジャンヌ様を筆頭に蹴落とさないと婚約出来ないなんて知ってしまった今、背伸びしてまで玉の輿で成り上がろうなんてこれっぽっちも思わない。
わたしは家族の為に文官になって働く。私は悲願の為にジャンヌ様に幸せになっていただく。両方こなすと仮定しても攻略対象方との付き合いは無くたっていい。むしろジャンヌ様が破滅しない為にも接点なんて在ったら逆に困る。
「無難な答えだこと。信じてあげてもいいけれど、あいにく私の欲しい答えはそれじゃない」
そうした思惑を覆い隠すように当たり障りのない返事を返した所、ジャンヌ様の目がわずかに細められた。真偽を探る眼差しはまるでわたしの奥底までも透かし見るかのように鋭かった。私は、ジャンヌ様をここまで底冷えする狂気を宿すキャラにした覚えは、無い。
「わ、わたしは! 王太子殿下と親しくするつもりはありませんっ」
「……!」
「いえ、王太子殿下だけじゃないです。わたしは勉強の為にここに来ましたから、貴族の方々と仲良く関係を築く気もありませんっ」
こうなったらある程度本音をさらけ出すしかないかな。さすがに馬鹿正直に乙女ゲームに興じるつもりなんて毛頭ないとか、貴族とのしがらみが煩わしいとか答える訳にもいかない。今のジャンヌ様にも貴族としての矜持が残っていて不敬だって捉えられたら一巻の終わりでしょうから。
それに嘘は言ってない。上昇志向があるのは否定しないけれど、男の人の恩恵に与る気はわたしにも私にも無い。社交界でも通用するマナーとか教養なんて覚える暇があったらもっと自分の技能を磨いていきたいって思うから。
あいにく『双子座』の舞台になる王国は女性の社会進出はあまり活発じゃない。けれど逆を言えば狭き門だけれど確かに女性が活躍する場はあるんだもの。女性が慈しんで夫の家を守るなんて考えは、やっぱり現代人の私にも一般市民のわたしにも微塵も在りません。
わたしが気をしっかり保とうとしながらジャンヌ様を見つめ返すと、彼女は「そう」とだけ呟いてわたしの手と頬から手を離された。そしてわたしの態度が面白おかしいとばかりに鈴を転がしたように笑った。
「可笑しいの。定員に限りがある市民枠を勝ち取ってこの学園に入って来た平民達は成り上がり指向が強いのに。カトリーヌはどの貴族の殿方にも取り入ろうとしないつもり?」
「お、お嫁さんになるなんて想像も出来ません……。身分差を超えたあ、愛なんてわたしには無理です」
これも嘘じゃない。煌びやかな別世界はわたしには眩しすぎるし、豪奢に着飾り見栄を張る貴族夫人の未来像は私には辛いものがある。結局のところ、そもそも攻略対象達と距離を離したい理由は面倒くさいって点に尽きる。
そんなわたしの回答を興味深いって思ったのか、ジャンヌ様は唇を吊り上げて微笑する。正直、とっても怖いし怖ろしいです。
「それじゃあ例えばだけれど、王太子様の興味がカトリーヌに向いちゃったらどうしてくれるの?」
「……っ」
これは、何だろう? 踏絵って気もするしわたしを試しているだけな気もする。ただ迂闊に「えっと、王太子様の御意向のままに」みたいに答えちゃったら最後、ジャンヌ様の仰る前回のような拷問ルート突入っぽい。
かと言って王太子様に面と向かって「好意はありがたいですが、正直迷惑です」なんて言う勇気も無ければ許される立場にも無い。大体メインヒロインのキャラ設定は貴族社会の常識には捉われないけれど身分を弁えない程世間知らずじゃなかったし。
だとしたら、しかるべき立場の方に相談に乗ってもらう、が一番かな。
「えっと、その時はジャンヌ様に助言を頂きたいって思います」
そう、例えば公爵令嬢にして王太子様の婚約者のジャンヌ様に。
「……へえ。もしかしたら私が嫉妬でカトリーヌを傷つけちゃうかもしれないのに?」
「わ、わたしはジャンヌ様は一時の感情でご自分の立場を悪くする短絡的な行動は取らないって信じていますっ」
「ぷっ、あっははは! 言うじゃないのカトリーヌ!」
静粛にと張り紙された図書室の中でジャンヌ様の笑い声が響き渡った。腕章を巻いた上級生が眉間にしわを寄せてこちらを睨みつけてきたものの、笑い声の主がジャンヌ様と把握すると視線を外された。完全に身分権力万歳じゃないの。
「繰り返してきた私はともかくカトリーヌは私とは初対面でしょう? 良くそこまで大丈夫だと言い切れるものね」
「はい。だってわたしも……」
――特殊な事情がありますから。
ジャンヌ様は目を丸くされると、歯を見せるぐらいににいっと大きく笑顔を作った。正直悲鳴をあげなかった自分を褒め称えたいぐらいね。わたしと同じ顔をしたジャンヌ様の表情の変化には目を疑うばかりだ。
「ねえカトリーヌ。私達、今回は上手く付き合えると思うのよ」
「そ、そうでしょうか……? わたしはちょっと自信がありません」
「そんな事無いわよ。だって私達、身も心も魂だって二つに分けた姉妹だものね」
「――ッ!?」
どうしてそれを、と言いかけて思い留まった。ジャンヌ様は王太子様攻略ルートも体験されているんだからメインヒロインと悪役令嬢が双子の姉妹だってとっくにご存じなんだし。
ただ、そんなわたしの反応すら失敗だったと気付いた時にはもう遅かった。だってまだオープニング明けの入学二日目でメインヒロインがそんな衝撃的な真実を知る由もない。きょとんとするとか戸惑うのが関の山。驚きの反応を示した時点でわたしが何か知っている証拠でしょう。
「え、と……確かにわたし達、ちょっと似ているかなーとは思っちゃいましたけれど、大げさじゃあありませんか?」
「そんな白々しい取り繕いは通用しないんだろうなあって感じながらもしてくるカトリーヌ、本当今回は愛おしく思えてきちゃうわ」
ジャンヌ様は両手を伸ばしてわたしの身体に絡ませた。そして子供にするみたいに慈愛に満ちた抱擁をわたしにしてきた。頭の中が混乱してどう反応していいのか困っているわたしを余所に、ジャンヌ様は口をわたしの耳元まで近寄らせていく。
「まずはお友達から始めましょう。それからゆっくり絆を深めていって、最後は家族って言い合えるようになれたらいいわね」
「……――」
返事は出来なかった。と言うよりジャンヌ様個人で自己完結していて貴女の意見なんて聞いてないって雰囲気がその身体の温もりやわたしに絡ませる腕から伝わってきた。
正直今のわたしは、私の決意を加味しても、今すぐに忘れて逃げたいとしか思えなかった。
そんな図書室の放課後、自主勉強の最中にわたしはジャンヌ様に迫られていた。ジャンヌ様はわたしの胸元を指で突いていた手をゆっくりと持ち上げて、わたしの頬を軽く撫でる。そのお顔にはいつか美術館で目にした絵画の聖母がさせる微笑みを浮かべられていた。
「用足しも口実。今こうして勉強に勤しむのだって本当は王太子殿下と顔を合わせたくなかったからでしょう?」
「そ、それは……」
「ねえ。王太子殿下の何がカトリーヌを遠ざけているのか、教えてもらえない?」
入学式の時に在校生代表として檀上に上がられた王太子様の凛々しく頼もしく、そして優しいお姿には多くの貴族令嬢方が心惹かれていたようだった。わたしもきっと私の記憶を思い出さなかったらそのまま王太子様の虜になっていたと思う。
悪い評判も聞かないし成績も優秀、非の打ち所のない王太子様を妬む人こそいるかもしれないけれど、あのお方に会わないよう避ける新入生なんてわたしぐらいなものだ。よりによって攻略対象達に愛想を振りまくメインヒロインの豹変、さぞジャンヌ様には奇異に映ったに違いない。
そんなわたしは怯えるあまりに洗いざらいを……喋るわけにはいかない。
「わ、わたしは平民です。高貴な方とお喋りなんてとても出来ません」
わたしは創造主なんですー、なんて答えてどうなるかなんて今のジャンヌ様からは全く予想が出来ないもの。ジャンヌ様は前回メインヒロインに過度な拷問を行ったらしいし、前回と違うって一点だけで興味を惹いているだけだもの。
そもそもわたしは私が攻略対象って呼んでいる方々と恋を育むどころか交流を深めるなんて恐れ多くて想像すら出来ない。ましてやジャンヌ様を筆頭に蹴落とさないと婚約出来ないなんて知ってしまった今、背伸びしてまで玉の輿で成り上がろうなんてこれっぽっちも思わない。
わたしは家族の為に文官になって働く。私は悲願の為にジャンヌ様に幸せになっていただく。両方こなすと仮定しても攻略対象方との付き合いは無くたっていい。むしろジャンヌ様が破滅しない為にも接点なんて在ったら逆に困る。
「無難な答えだこと。信じてあげてもいいけれど、あいにく私の欲しい答えはそれじゃない」
そうした思惑を覆い隠すように当たり障りのない返事を返した所、ジャンヌ様の目がわずかに細められた。真偽を探る眼差しはまるでわたしの奥底までも透かし見るかのように鋭かった。私は、ジャンヌ様をここまで底冷えする狂気を宿すキャラにした覚えは、無い。
「わ、わたしは! 王太子殿下と親しくするつもりはありませんっ」
「……!」
「いえ、王太子殿下だけじゃないです。わたしは勉強の為にここに来ましたから、貴族の方々と仲良く関係を築く気もありませんっ」
こうなったらある程度本音をさらけ出すしかないかな。さすがに馬鹿正直に乙女ゲームに興じるつもりなんて毛頭ないとか、貴族とのしがらみが煩わしいとか答える訳にもいかない。今のジャンヌ様にも貴族としての矜持が残っていて不敬だって捉えられたら一巻の終わりでしょうから。
それに嘘は言ってない。上昇志向があるのは否定しないけれど、男の人の恩恵に与る気はわたしにも私にも無い。社交界でも通用するマナーとか教養なんて覚える暇があったらもっと自分の技能を磨いていきたいって思うから。
あいにく『双子座』の舞台になる王国は女性の社会進出はあまり活発じゃない。けれど逆を言えば狭き門だけれど確かに女性が活躍する場はあるんだもの。女性が慈しんで夫の家を守るなんて考えは、やっぱり現代人の私にも一般市民のわたしにも微塵も在りません。
わたしが気をしっかり保とうとしながらジャンヌ様を見つめ返すと、彼女は「そう」とだけ呟いてわたしの手と頬から手を離された。そしてわたしの態度が面白おかしいとばかりに鈴を転がしたように笑った。
「可笑しいの。定員に限りがある市民枠を勝ち取ってこの学園に入って来た平民達は成り上がり指向が強いのに。カトリーヌはどの貴族の殿方にも取り入ろうとしないつもり?」
「お、お嫁さんになるなんて想像も出来ません……。身分差を超えたあ、愛なんてわたしには無理です」
これも嘘じゃない。煌びやかな別世界はわたしには眩しすぎるし、豪奢に着飾り見栄を張る貴族夫人の未来像は私には辛いものがある。結局のところ、そもそも攻略対象達と距離を離したい理由は面倒くさいって点に尽きる。
そんなわたしの回答を興味深いって思ったのか、ジャンヌ様は唇を吊り上げて微笑する。正直、とっても怖いし怖ろしいです。
「それじゃあ例えばだけれど、王太子様の興味がカトリーヌに向いちゃったらどうしてくれるの?」
「……っ」
これは、何だろう? 踏絵って気もするしわたしを試しているだけな気もする。ただ迂闊に「えっと、王太子様の御意向のままに」みたいに答えちゃったら最後、ジャンヌ様の仰る前回のような拷問ルート突入っぽい。
かと言って王太子様に面と向かって「好意はありがたいですが、正直迷惑です」なんて言う勇気も無ければ許される立場にも無い。大体メインヒロインのキャラ設定は貴族社会の常識には捉われないけれど身分を弁えない程世間知らずじゃなかったし。
だとしたら、しかるべき立場の方に相談に乗ってもらう、が一番かな。
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ただ、そんなわたしの反応すら失敗だったと気付いた時にはもう遅かった。だってまだオープニング明けの入学二日目でメインヒロインがそんな衝撃的な真実を知る由もない。きょとんとするとか戸惑うのが関の山。驚きの反応を示した時点でわたしが何か知っている証拠でしょう。
「え、と……確かにわたし達、ちょっと似ているかなーとは思っちゃいましたけれど、大げさじゃあありませんか?」
「そんな白々しい取り繕いは通用しないんだろうなあって感じながらもしてくるカトリーヌ、本当今回は愛おしく思えてきちゃうわ」
ジャンヌ様は両手を伸ばしてわたしの身体に絡ませた。そして子供にするみたいに慈愛に満ちた抱擁をわたしにしてきた。頭の中が混乱してどう反応していいのか困っているわたしを余所に、ジャンヌ様は口をわたしの耳元まで近寄らせていく。
「まずはお友達から始めましょう。それからゆっくり絆を深めていって、最後は家族って言い合えるようになれたらいいわね」
「……――」
返事は出来なかった。と言うよりジャンヌ様個人で自己完結していて貴女の意見なんて聞いてないって雰囲気がその身体の温もりやわたしに絡ませる腕から伝わってきた。
正直今のわたしは、私の決意を加味しても、今すぐに忘れて逃げたいとしか思えなかった。
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