処刑エンドからだけど何とか楽しんでやるー!

福留しゅん

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1巻

1-2

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   □ 処刑まであと30日


 ――はただのしがない大学生だった。
 成績はまあまあ、運動神経も良くはないけれどそこまで悪くもない。実家からの通学なのでバイトもそこそこでいいし、交友関係もそれなり。趣味はゲームと漫画を広く浅く。容姿は、うん、置いておこう。
 そんなわたしはある日、友人に神ゲーとやらを押し付けられた。その名も『白き島の理想郷から』。漫画化、アニメ化、舞台化までされて続編も企画されている超人気乙女ゲームだそうだ。周りの女子の大半が最低でも題名を知っている、恐ろしいほどの認知度だった。
 内容は王道的ノベルゲーム。主人公である男爵庶子のメアリーを操作して、王太子様を始め宰相や将軍の御子息だったり若き天才公爵だったりと、とにかく色々な男子とお付き合いできる代物しろものだ。

「――ヴィクトリア、お前との婚約は破棄させてもらう!」

 この台詞せりふはテストに出ます。覚えておきましょう。
 なんのテストに? ファンクラブ主催の『白き島』の初級テスト、とか?
 それは、王太子様ルート終盤、断罪イベントで王太子様が発する一言。他のルートだと少し言い回しが違うんだとか。そんな細かいところまでは覚えられないって。
 友人と話を合わせるために一応やり込んだけれど悲しいかな、わたしのハートを射止める殿方はいないっぽい。そんなんだから攻略対象者の決め台詞ぜりふなんて、これっぽっちも記憶できなかった。だからって、わたしを枯葉女子とか言った友人は今も許さん。
 まあ話は面白かったし、作品自体は好きなんだけれどさ。グッズも集めたし、同人誌も書いたり買ったり。友人と熱く語り合うのも楽しくて仕方がなかった。『もしも』の展開を考え、時間を忘れて熱中したっけ。

「で、どうしてイチオシがヴィクトリアなのよ……」
「え? だっていい子ちゃんなメアリーより、ヴィクトリアが勝つほうが楽しそうじゃん」

 攻略対象者をさしおいてわたしが好きになったのは、『白き島』で一貫して敵役かたきやくを演じるヴィクトリア・ランカスターだった。
 彼女は王太子様ルート以外でもヒロインの前に散々立ちはだかる。王太子様一筋のヴィクトリアは、各攻略対象者の婚約者の友人でもあり、ことあるごとにしゃしゃり出てくるのだ。
 そして結局、どのルートでもお約束のように断罪されてしまう。修道女になるのはまだマシ。戦略結婚のこまとして遠く離れた国にとついだり、逃亡しようとして野盗になぶられたりするっぽい描写もあった。
 一番悲惨な王太子様ルートの場合は、処刑される。主人公をおびやかす敵役かたきやく最期さいごなのに寂しいものだ、などと思ったものだ。
 そんな破滅するしかないヴィクトリアも流行はやりの悪役令嬢もののテンプレを当てはめると、あら不思議。ヒロインや攻略対象者達をぎゃふんと言わせる女主人公に早変わりだ。
 そんな逆転劇を書いた二次創作が、わたしには面白くてたまらなかった。

「でもヴィクトリアが良い子ちゃんになるのは全然違うわね」
「えー? 悪役令嬢に転生した主人公がそれまでの態度を改めるって展開は王道じゃないの?」
「悪役令嬢は悪役令嬢のままで、ざまあしないと駄目よ! でないとヴィクトリアってキャラの魅力が損なわれちゃうじゃないの!」
「そ、そんなに力説しなくたって……」

 そんなわたしの最後の記憶は……確か普通に帰宅して普通にご飯食べて、普通にお風呂入ってくつろいでから、普通に寝たんだっけ。ほんの一、二時間程度のくつろぎ時間は全部『白い島』の二次創作についやしていた。
 ふふっ、女帝ヴィクトリアによる攻略対象者共の破滅の物語には筆が乗ったわね。


 ――そうして私は、目を覚ました。
 確か昨日は王国随一ずいいちの監獄に連れてこられて、強く頭を打った挙句に気を失ったんだっけ。寝具に横たわっているところをみると、誰かが私を運んだらしい。
 まだ頭が少し痛む。恐る恐る手を持っていくとひどく痛んだ。その拍子に眠気が飛ぶ。

「……は? いやちょっと待ちなさいよ」

 おかしい。わたしは確か昨日は夜遅くまで『白い島』の二次創作でパソコンのキーをたたいていた。その後、ちゃんとお風呂に入って寝巻を着てベッドにもぐり込んだのを覚えている。
 昨日の出来事の記憶が二重になっている? 
 いえ、一昨日おとといも、一週間前も、それどころか生まれてから歩んできた道も世界も思想も何もかも! 全く違った二人の女の記憶と経験がまぜこぜになってしまっているじゃないの……!
 現代社会を生きた大学生のわたしと、中世相当の世界を生きた侯爵令嬢の私が、だ。

「まさかこれって……」

『私』にとっては理解不能な状況であっても、『わたし』には心当たりがあった。
 悪役令嬢が現代人としての前世を思い出す展開、それこそまさしく――

「――異世界転生!?」

 うん、どうやらわたしの世界のちまたでブームになっていた、異世界転生ってやつを実体験しているらしい。しかもヴィクトリアって、超人気乙女ゲームの悪役令嬢じゃありませんか!
 ……おっけー、とにかく私がわたしの記憶を思い出したのは間違いない。
 幸か不幸か、転生ものでよくある、現代人が登場人物を乗っ取り主導権を握る感じはない。ちゃんと私としての自我は残ったままだ。

「つまり『私』のままだけれど『わたし』が交ざり込んじゃった、って感じかしらね?」

 いや悪役令嬢への転生とかわたしの大好物だったとはいえ、まさか当事者になるなんて思いもしなかったし。自分が悪役令嬢になったらどうのこうのって話で友人と盛り上がった記憶は確かにあるけれど、それは空想だから面白いんであって実体験するとなると話が違うわよ。
 どうしてこうなったのか、を考えるのは全く建設的ではない。肝心なのは、前世を思い出した私がこれから何をすべきなのか、だ。
『白き島』をそれなりにプレイしたわたしの知識にかかれば、今この状況での最善な選択も――

「も、もう詰んでるじゃないのぉ、やだもー!」

 残念、すでに断罪イベントは消化して、残るはエンディングのみでした!
 ここまでくればプレイヤーの分身たるヒロインでも取れる選択肢はない。悪役令嬢が結末を、ヒロインがハッピーエンドを迎えて『白き島』完、ってだけ。
 どうして運命が決まっちゃった断罪イベント後に思い出してしまったんだ。もっと前だったら、わたしの知識をかして、上手うまく立ち回れたに違いない。そうすればあんな鼻につくいい子ちゃんなメアリーなんかに王太子様を奪われずに済んだのに。

「これ、前世を思い出したって全く意味がないじゃない……」

 ただ、無意味であっても無価値ではない。少なからず恩恵がある。
 例えば牢屋に入れられる前、私は恨みとねたみに支配されていた。私を捨てた王太子様も、私から王太子様を奪った泥棒猫も、私の味方になってくれない家族も友人も、何もかも憎かったのだ!
 だって私が王妃になるはずだったのに、私が一番王妃に相応ふさわしかったのに!
 けれど、一方的で我儘わがままだった私に、わたしの価値観と経験が交ざり合った今、自らの行いを振り返ってみれば……うん、ないわー。そりゃあアレだけやらかしてたら、牢屋にぶちこまれても仕方がないわね。そんな風に自分を見つめ直す冷静さが戻る。

「まあ、今さら振り返ったって後の祭りでしかない、か」

 処刑まであと三十日。本当ならこの残りのわずかな時間は改心してほしいって猶予の期間なんでしょうけれど、あいにく私に反省する気はこれっぽっちもない。
 確かに王太子様の命をおびやかした事件が起きたのは私の責任だ。けれど私もわたしも謝らない。だってメアリーが思わせぶりな態度で王太子様の心をまどわせたのが全ての原因でしょうよ。
 私だけでなく他のご令嬢方だって何度も彼女をたしなめた。それを聞かなかったのはメアリーだ。肩を持ったのは王太子様達だ。改善されないなら徐々に過激にしていくしかない。
 そもそもわたしは、メアリーにどうしても感情移入できなかったのよね。
 メアリーは良くも悪くも前向きかつ天然、恋愛面では受け身に回ることが多い。そのせいで、主人公はプレイヤーのアバターってわりに、女子受けが良くなかった。

「いえ、今はメアリーなんてどうでもいいわね」

 どう足掻あがいたって私はここに閉じ込められたのだ。世界から隔離されたこの空間に、ね。
 肝心なのは処刑までの三十日、どう過ごすかでしょう。
 ……さて、どう過ごしましょうね?



   □ 処刑まであと29日


 牢屋って石造りで冷たくてじめじめしていて、トイレもなく床で寝る不衛生なものだと、わたしは想像していた。ところが実際は、わたしが住んでいた四畳半の狭い部屋とあまり変わらない。
 ベッドは簡素ながらも木材で組み立てられていて枕と毛布、それからシーツ付き。お屋敷の柔らかいベッドに慣れた私にとっては硬すぎて寝心地最悪だけれど、暖は取れる。所々破けたり汚れがあるのは見なかったことにした。
 それから衣服は質素……と言うよりは囚人服ね。ワンピースとこしひも、それから申し訳程度の下着。必要最低限の機能しかなく、お洒落しゃれとはほど遠い。仕方がないのでこしひもの結び方で工夫しましょう。
 トイレは部屋の片隅に設置されたつぼで済ませろってことかしら? 多分、数日に一回、看守が回収して排泄物を地面に埋めるか河に投げ込むんでしょう。勿論もちろんトイレットペーパーなんてない。何かヘラっぽいのが転がっているから、これでこそぎ取れってことらしい。
 電気は発明されていないので、灯りは基本的に蝋燭ろうそくや油を用いる。とは言ったものの罪人に火を持たせるほど、この世界の人達は馬鹿ではない。牢屋の外の通路の燭台しょくだいと、私の背より高い位置にある小さな柵付き窓から差し込む日光が、唯一の光源だ。
 そんなんだから、眠りにつくのは日が沈んで少し経ってからと早く、朝の目覚めは日の出と共になる。夜更かしなわたしの不健康生活からは、完全脱却だ。
 この待遇、間違いなく前世を思い出す前だったら一日どころか一分も我慢できずにわめらした。けれど今の私にとって、わたしとしての経験が心強い。中世貴族相当の私と現代市民のわたしとでは、価値観が違う。

「住めば都、とは言うけれどねえ」

 ゲームでは、ヴィクトリアの獄中生活や処刑時の様子までは描写されていなかった。公式設定資料でもスタッフインタビューでも、ファンのご想像にお任せしますと一貫していたっけ。

「み、見事に前世の情報が役に立たないじゃないのよ……っ!」

 そうなると予備知識が一切ないまま獄中で過ごさないといけないわけか。
 さすがによこしまな考えをいだく看守が鼻の下を伸ばして手を出してくる十八禁展開はないと、信じたい。ちょうよ花よと育てられた非力な私では、乱暴されたらなすすべがないもの。
 ……まあいいわ。折角今までの私と全然違う自分を思い出せたんだもの。悲観的に考えるよりもっと楽観的に考えよう。
 けれど、目覚めたところでやることがなかった。暇潰ひまつぶしのゲームや本なんて、とても望めない。
 まるで小学生時代の夏休みに田舎いなかに遊びに行った時みたいね。あの頃は早起きしたら……確か首にカードをぶら下げてラジオから流れる音楽に合わせ体操をやっていたんだっけ。

「……そうね。やることもないんだし、久しぶりにやってみますか」

 私はおもむろに起き上がり、身体を動かし始めた。少し寝ぼけていた頭が段々とクリアになっていく。
 おー、意外に覚えているものね。さすがに第二になると全く記憶に残っていないけれど、第一を通しでやれるなら及第点でしょう。

「……何をやっているんですか?」
「えっ?」

 最後に深呼吸しようとしたところで、いきなり声をかけられた。驚いた私は、声がした牢屋の出入り口のほうへ視線を向けてみる。
 木製の扉に開けられた三十センチ程度の柵付き窓からこちらを覗き見ていたのは、男の子か女の子かも分からない、中性的な顔立ちをした看守だった。
 彼、と仮に呼びましょう――は不思議な物を見る顔で、私を見つめている。

「何って、朝の体操?」

 どうやら黙々と体操をやっているつもりだったのに、いつの間にかメロディーを口ずさんでいたらしい。誰かに見られるなんて全く想定していなかっただけに、恥ずかしいわね。

「体操……?」
「そうよ。朝、身体を動かして頭を覚醒かくせいさせるの」
「……そうでしたか」

 彼としゃべっている間にも動き続けた私は、最後に身体を伸ばして体操を終えた。
 ……私の身体、怠惰たいだな生活を送っていたわたしよりも貧弱な気がする。ダンス万能説を唱える気はないけれど、それなりに身体を動かしていたはずなのに。これは少し本格的に確認する必要がありそうね。

「ねえ、ここの朝食っていつなのかしら?」
「もうちょっと先ですね。貴族の皆さんが普段口にしていた量や味とは比べものになりませんが、ちゃんと三食出ます」
「そう。ならもうちょっとやる時間はありそうね」
「……何をするつもりなんですか?」
「決まっているじゃないの。暇潰ひまつぶし以外にはないわ」

 本もゲームも玩具おもちゃもない牢屋でやれることなんて限られている。次にやるのはストレッチだ。身体は柔らかいほうが何かと便利だし、姿勢のぎこちなさが解消されるものね。
 私は床に座って前屈を始めた。
 げっ、私ったら硬い! 一生懸命身体を倒しても、手の指が足の指まで届かない……!
 嫌な予感がするけれどそのまま開脚を……何よこれ! 直角以上に開かないなんて、硬い以前の問題なんじゃないの!?

「これは……朝晩二回、ストレッチしたほうが良さそうね」
「はっ、はしたないですよ……! そんなに足を大きく広げるなんて!」

 例の彼が慌ててとがめる。

「へっ?」

 ……あー、言われてみたら、確かに。
 開脚なんて貴族の娘がやったら下品だって思われても仕方がないか。それに、もっとラフな格好したいけれど、あいにくそんな着替えはない。幸い、入ったばかりなのもあって床は掃除されていて、一張羅だろう服はあまり汚れなかった。

「はしたないと思うなら見ないでよ。部屋の中で何をしたって勝手でしょう?」
「えっ? あ、す、すみません……!」

 以前の私だったらきっと「無礼者!」とか「下賤げせんな視線を向けないでもらえる?」みたいに責め立てたんでしょうけれど、あいにくわたしが交ざった今、そこまで癇癪かんしゃくは起きない。
 そもそも囚人服って薄手だし、恥じらったところで見える時は見えちゃう。
 前世では、部屋の中は下着だけで過ごすだらしない系女子だったし? 裸を見られたわけでもないのに、そこまで怒る必要もないでしょう。あまりにも凝視するようなら気分が悪いけれど……
 彼は慌てて顔をそむける。可愛いことに耳まで真っ赤にして。

「ねえ、貴方の名前は?」

 折角こうして会話したんだ。私の数少ない娯楽として利用させてもらおう。
 これも以前なら「平民としゃべる口は持っていませんわ」とか偉そうなこと言い放ったんでしょうが、身分を剥奪はくだつされた今では、そんな自尊心はむなしい限りよね。

「えっ? ぼ……僕ですか?」

 どうやら、彼で正解だったらしい。

「ええ、そうよ。だってこれから短くない間、私が何かしないように見張っているんでしょう? だったら『貴方』とか『君』とかで呼びたくないもの」
「ラ……ライオネルです」
「そう、ライオネルね。私はヴィクトリア。これからよろしくね」

 私の言葉がそんなに意外だったのか、振り向いたライオネルは目を大きく開いていた。

「何よその顔は。王家の者に危害を加えようとした悪女と知り合うのはそんなに嫌?」
「あ、いえ、そんなことはありません! ただ……」
「ただ?」
「その、僕は平民で、ヴィクトリア様は侯爵様のご令嬢で……」
「事情は知っているんでしょう? 今の私は勘当されて平民より下、罪人なのよ。そんな低姿勢で接する必要なんてないわ」
「……っ」

 これもきっと私だけだったらこんな割り切り方はできなかったでしょうね。
 ライオネルは私の回答にまた驚かされたらしく、今度は声も出さなかった。少女にも見える中性的な顔立ちのせいか、彼の挙動一つ一つがどうも可愛く見えて仕方がない。

「あの、貴族様がそのように僕に気さくに接してこられるなんて思ってもいなくて……」
「同じ人なんだから身分や生まれで線引きする必要なんてないと思うけれど?」

 これは全くの嘘。
 貴族と平民は別の存在。それが私の常識だ。彼に敵意を抱かれないよう前世のわたしの価値観から発した言葉だけれど、自分で口にしておいて違和感がすごい。
 認めたくないと思う反面、なら平民の上に立てるほどの偉業を私がしたのか、と自問する。正直、何も言えない。
 ライオネルは戸惑とまどいつつもあれこれと考えを巡らせ始めたようだ。

「じゃあ、よろしくお願いします。ヴィクトリア様」

 やがて意を決したらしく、正面から私を真摯しんしに見つめてきたのだった。

「敬称禁止。何だったら呼び捨てでもいいわよ。私は貴方をそう呼ぶつもりだし」
「えっ? えっと……ヴィクトリア……さん」
「……まあいいわ。妥協してあげる」



   □ 処刑まであと28日


 囚人の食事は量が少ないし味も雑だ。
 硬いパン、塩のスープの具はイモ、あと野菜が少し入っていれば上々かしらね。たまーに肉が出ると聞いているものの、贅沢ぜいたくひんであるコショウはなくて味付けはもっぱら塩。腹が満たされれば充分って感じだ。

「……そうは言いましても三食出る分恵まれていると思います。農民は一日二食が当たり前ですし、王都の貧民達は食べるものにも困る毎日だと聞きます」
「そうね。タダ飯なんだから文句は言っていられないわよね」

 朝食を運んできたライオネルとそんな他愛ない会話を交わす。

「ところで、ライオネルって勤務時間帯は朝から晩までかしら?」
「はい、日の出から日の入りまでですね。昼夜交代制です」
「それはご苦労様」
「いえ、ここの仕事は賃金がいいので本当に助かります」

 その分責任重大でしょうよ、とは言わないでおく。
 王太子様の命をおびやかした私が連れてこられたくらいだから、この監獄の囚人達は重い罪を犯した者ばかりだ。そんなやからが脱獄したら最後、ここの看守全員が責任を問われて解雇されてもおかしくない。
 賃金は多く出す。その代わりに絶対に囚人達を逃がすな。そんな強い意思を感じる。

「ご馳走ちそう様。食べ終わった食器はそっちに持っていけばいい?」
「あ、ちょっと待ってください。すぐに小窓を開きます」

 朝食を食べ終えた私は、食器とフォークスプーンを載せたトレイを扉まで運んだ。
 石壁には牢屋の内外で食事を受け渡しする小窓があって、基本的に看守が牢屋の中に入ることはない。扉を開け閉めする回数を少なくして、脱走の機会を減らしているのだろう。

「ねえ、ところで皿とかフォークを隠したらどうなるの?」
「それはちょっとやめたほうがいいと思います。最悪、脱走の意思があると見なされてむちが飛ぶかもしれません」
「え、何それ怖い」
「だってフォークでも喉に向けたら立派な武器ですから……しょうがないかと」

 まあ、私の身体能力で看守をおどす芸当は無理でしょう。
 食事時に用意されたコップ一杯分の水と、獣毛を針金でくくったブラシで歯磨きを済ませる。洗顔を終わらせて身支度完了。着替えも化粧も髪結いも必要ないから早い早い。外見を気にしないでいいと、ここまで手抜きできるものなのね。

「さて、と。この後どう過ごそうかしら?」

 事前に聞いた話だと、この監獄は奉仕活動や運動の時間はなく、一日中牢屋に入れられっぱなしらしい。昼食までは好きに過ごしていいが、ほうけるか妄想にふけるか二度寝するか、選択肢は限られている。

「よし、筋トレしましょう」

 そんな中でわたしがコレを選んだ。というのも、私の処刑は王都の広場で行われる予定だからだ。
 王太子様にやいばを向けた悪役令嬢の最後ともなれば、大衆がつどう。その際に贅肉ぜいにくだらけだったり骨と皮だけの姿をさらせば、嘲笑あざわらわれるのが目に見えている。特に、王太子様やメアリーから小馬鹿にされると思っただけでも腹立たしい。
 いくら勘当され王太子様に婚約破棄されても、最後まで守るべき矜持きょうじはある。見栄みばえは、その中で真っ先に挙がるものだ。

「うぅ……っはぁ……」

 まず腕立て伏せを始めた。けれど、たった数回で筋肉がぷるぷる震え出す。
 私ったらどんだけ軟弱なのよ! 怠惰たいだむさぼっていたわたしでも十回はできたわよ!
 しかし、腕立てはまだマシなほうだった。なんと腹筋は一回もできやしない。一応背筋も試みるものの、上半身が全然持ち上がらない。おなか周りが柔らかすぎるからもしかしたらと思ったが、あまりにも残念すぎる結果には苦笑するしかない。
 確かに私は舞踏会に向けてのダンスレッスン以外に何も運動していなかったけれどさ。汗をかく力仕事は従者がやるもの、貴族は命令だけすればいい、って思っていた結果がコレか。
 これは、きたえるのに相当骨が折れそうね。

「んっ……くぅ……」
「君、さっきから何をしているのかね?」

 それでも何とか自分で決めた回数をこなそうと四苦八苦していると、凛々りりしくも若々しくて力強さに溢れた声が、どこからか聞こえてきた。わたし風に言えばイケボだ。
 私は息も絶え絶えに扉の小窓からうかがう。けれど、廊下側には誰もいなかった。念のためにベッドの下もつぼの裏も確認したものの、当然部屋の中には私一人だけ。でも、空耳ではなさそう。外からでもない。三日前、上がった階段の段数から考えると、ここはかなりの上層階だし。

「えっと、貴方はお隣さん?」

 石造りの部屋なのに隣の声が漏れてくるのか? 壁が薄いのかもとたたいてみたが、音はしない。何処どこかに吹き抜けがもうけてあるのかしら。囚人同士が意思疎通できるのは、警備上問題では?

「その認識で構わない。君は最近収容されたうわさの侯爵令嬢だね」

 私の推測は当たっていたようで、声は壁の向こうから聞こえてくる。
 確かこの部屋の両隣は、同じように囚人が入れられる構造になっていたっけ。となるとこの声の主もまた私同様、収容されている罪人ってわけだ。

「ええ、多分そのうわさの元侯爵令嬢よ。で、貴方は誰なの? 一方的に知られてるのって結構しゃくなんだけれど」
「これは失礼。私はリチャードという。反逆の罪に問われてここに入れられた」
「ふうん、じゃあこれからよろしくね、ってところかしら」

 お隣さんことリチャードの言葉は、平民がしゃべる汚らしいなまりがなく、貴族が発する流暢りゅうちょうで心地いいものだった。貴族でも田舎いなか出身者は結構なまりがある。彼はよほど高貴な出なのか、または教会などの教育が行き届いた場所で学んだ者だろう。
 これは正直かなり嬉しかった。顔は見えず大罪を犯していたって、絶好の話し相手が見つかったのだ。これで退屈がまぎれると思うと、人目をはばからずに万歳したくなる。

「それで、君は何をしていたのかね?」
「何って、腕立て伏せだけれど」
「正直に言おう。君のあえごえがこちらまで聞こえてくるのだが」
あえごえ? 別にそんな変な声を出したりはしてない……」

 ……
 うん、理解した。
 要するに私が苦しそうな声を漏らすものだから、それがあえごえに聞こえなくもないのか。
 やってしまったー! 恥じらいも何もあったものじゃないわね。
 殿方の欲望を掻き立ててしまっても仕方がない。だってずっと投獄生活送っているなら、その、何だ、欲求を解消するすべなんてないんだし。そんな中で色っぽい声を出せばどうなるか、想像にかたくない。
 そこまで考えてなかったなあ。前世では筋トレやる時は部屋の中だったし、そんなの全然気にしていなかった。
 それじゃあなるべく声を漏らさないように気を配って筋トレしないといけないわけ?

「えっと、ちなみにこの部屋の近くって他の人も入っているのかしら?」
「ああ。何人か収容されている」
「リチャード以外は全員女性かしら?」
「いや、男ばかりだ」

 ……終わった。絶対、はしたない女とか思われている。


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