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聖戦③・魔王は同行を求められる

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 魔王軍が迫りくる。その話題はたちまちに学園内を支配した。

 教職員や生徒会が落ち着くよう呼びかけても混乱は収まる所を知らなかった。当たり前のように送っていた日常が突如終わりを迎えるなど誰も想像すらしていなかったから。

 帝国東側に領地を持つ貴族の子息は何人かが家の命により故郷へと戻っていった。迫りくる魔王軍への対応に追われるために。防衛を担う帝国正規軍も編成され、兵站等の準備が整い次第派遣される手筈となっている。

「今度の戦、俺が旗頭になっちまった」

 そして、皇太子たるルードヴィヒが皇帝の勅命により総大将に任命された。

 彼は速報が届けられると真っ先にアーデルハイドへと報告に伺った。彼女は真夜中の突然の来訪者に苦言一つ呈さずに温かく迎え入れた。彼女はルードヴィヒをベルンシュタイン家の応接室や貴賓室ではなく自室に招き入れた。
 アーデルハイドは自らルードヴィヒの前にお茶と摘み菓子を並べた。そのアーデルハイド自身の分は彼女が何も言わずとも侍女たるパトリシアが準備を進める。どうして侍女に任せないんだとの疑問は置いておき、自分のために動く婚約者をますます愛おしく感じた。

「意外だな。勇猛と名高いザイフリート伯が率いると思っておったのだがな」
「帝国としての権威を見せつける為なんだとよ。勿論俺も男だから何かしらの形で役に立ちたいとは思ってたけどよ、まさか担ぎ上げられるたぁ考えてなかったぜ」
「だが別にそなたが戦略や戦術を練るわけではあるまい」
「当たり前だろ。そりゃあザイフリート伯に丸投げだ。俺は即席の玉座でふんぞり返ってりゃあいいってさ」

 皇帝の意向を知らしめるには平穏時の統治もそうだが、国が脅かされた際にいかに先頭に立って歩むかにも関わってくる。予言の書を抜きにしても皇太子たるルードヴィヒが重要な役割に当てはめられるのは容易に想像できた。

「ではレオンハルトも戦場へ赴くのだな」
「ああ。俺の護衛もあるしザイフリート伯の命もあるけど、アイツの場合は志願したのが一番大きいかな」
「なんと、自ら死地に飛び込むつもりか。見上げた忠義だな」
「いや間違いなくヴァルツェル嬢を振り向かせる為だぜ。彼女に完敗してからアイツ侮蔑されるばっかだからな」

 よほど誇りに傷が付いたのか、それとも義務感が己の欲情に変貌したのか。とにかく今やレオンハルトはヴァルプルギスに夢中になってしまっているようだ。彼女が望むままに彼は強くなろうとひた向きになっていた。機会に恵まれるなら危険を冒してでも。

「他の生徒会役員はどうするのだ?」
「マクシミリアンは志願して魔導兵団に加わるみたいだな。ザクセン伯に付き従うみたいだ。あとデニスとターニャは家に呼び戻されたみたいだな。アイツ等の家東側だし手伝いに駆り出されるんだろ」

 ならザクセン家と縁の深いキルヒヘル家、そしてジークリットも赴くだろう、とアーデルハイドは暗に思い浮かべる。これでジークリットとヴァルプルギスは順調に婚約者との死地の会瀬を楽しむのだろうな、などと皮肉と共に。

「それとユリアーナも呼び戻されたみたいだな」
「しかしあ奴の家の領土は西側であろう。まだ令嬢が召集されるには早くないか?」
「ガーブリエル男爵家が恩のある家を助ける為に、だったかな? あそこん家貧乏だから男手だけじゃ足りねえんだろ」
「何と……戦に女子供が関わるようではいよいよ進退窮まったか」

 そしてこれでヒロインの介入も決定された。残るは自分自身だったが、あいにくベルンシュタイン家の領地は帝国南側。東側諸侯の援助はしても令嬢の出番になる程の危機ではない。アーデルハイドには何の役割も無かった。
 予言の書においてもアンネローゼは出発する皇太子を見届けるだけ。帰還した際に関係を深めたヒロインと皇太子を目の当たりにして愕然とし、もはや勝ち目がないと悟る展開だった。姉も似たような立場なのだからなぞるのは当然だった。

「ふむ、では身近で帝都に残るのはわたしやアンネローゼぐらいか」
「ああ。でも安心しろ。俺が絶対に魔王軍の連中なんざにここまで来させねえからよ」
「せいぜい雑兵に首を刈られぬよう用心するのだな」
「……何だよ。少しぐらい応援してくれたっていいじゃねえか」

 しかしあえてアーデルハイドはルードヴィヒを突き放した。案の定ルードヴィヒは冷たくあしらわれてあからさまに不機嫌になる。予想通りの反応にアーデルハイドは内心でほくそ笑んだ。傍に控えていたパトリシアは主人の手の上で転がる未来の皇帝に何とか笑いを堪える。

「何だ。戦に赴く勇気をわたしから貰いたかったのか。がんばれー」
「いやそうだけどそうじゃねえんだ」
「では何なのだ? 口でハッキリ言ってもらわねば見当もつかぬな」
「レオンハルトはヴァルツェル嬢を追いかけるんだよな?」
「そうだな」
「キルヒヘル嬢はマクシミリアンに付き添う気なんだよな?」
「そう聞いておるな」
「……俺は一人なんだが?」
「一人ではあるまい。そなたには神聖帝国市民全ての運命が託されておる。皆の声援があるのだから寂しくはないだろう」
「だから、そうじゃねえんだって……!」

 ルードヴィヒは声を荒げてテーブルを叩いた。幸いにもカップに入っていた彼のお茶はこぼれずに済む。アーデルハイドはカップに口付けして一気にあおり、空になった入れ物をカップ用の皿に音を立てずに戻す。
 そして、アーデルハイドはルードヴィヒの握られた拳に優しく手を置いた。

「無理に語るな。そなたの申したい事は痛い程伝わってくるぞ」
「アデル……」
「わたしを危険な目に遭わせていいのか、との躊躇いもあろう。だが同時に寂しくて不安だから自分の傍にいろ、との欲求もあろう。そなたの言葉に切れが無いのはそう言うことなのだな?」
「……敵わねえな、アデルにはよ」

 ルードヴィヒは自分の手を置かれたアーデルハイドの手に絡ませた。大きな手は白く透き通るような肌をした繊細な指を包み込む。アーデルハイドは面食らってルードヴィヒへと顔を向けると、彼は真剣な眼差しを婚約者へと向けていた。
 瞳に吸い込まれそうだ、と彼女は感想を抱いた。

「アデル。俺にはお前が必要なんだ」
「わたしがそなたを必要とするとは限らないぞ」
「俺はアデルには危険な目に遭って欲しくない。少しでも傷つくかもしれねえって思うと胸が張り裂けそうだ。だから俺の帰りを待っててほしいって願いもある」
「わたしがそなたの帰りを待ち望んでいるとも限らんのだがな」
「けれどな、アデルには傍にいて欲しい」

 ルードヴィヒはアーデルハイドに身を寄せた。公爵令嬢の華奢な肩と皇太子の鍛えられて頼もしい肩が触れる。シミ一つなくまつ毛の長い端正な顔立ちをさせたルードヴィヒがアーデルハイドへと近寄っていく。
 不思議な事に魔王としての視点で眺めても魅力的に映った。映ってしまった。

「俺の手の届かない所に置いていくなんて耐えられそうにねえ。頼む、俺の傍にいてくれねえか?」
「わたしに死地に赴け。そうそなたは申すのか?」
「ああ。これは皇太子としての命令じゃねえ。一人の男が惚れた女に頼むんだ」

 アーデルハイドはもうじき触れそうだった彼と自分の顔との間に自分の手を差し込んだ。

「都合の良いコトばかりを……。一人きりだったわたしを散々放っておいたのを忘れたのか?」
「アデルが許してくれるなら何でもするつもりだ。望むならどんな物でも贈るから」
「わたしは贅沢がしたい訳でもご機嫌取りをしてほしい訳でもないぞ。そなたなら片手間でも出来てしまうからな」
「ならアデルは俺に何を望むんだ? 拒絶してこねえんだから脈はあるんだろ?」

 ルードヴィヒは邪魔立てされた手にそっと触れ、静かに引き剥がす。両の手を取られたアーデルハイドはルードヴィヒへと無防備を晒す。

「女はな、男が思う以上に欲深いんだぞ。全てを自分のものとせねば気が済まぬのだ」
「俺の全てが欲しいんならアデルに全部くれてやってもいいぜ」
「そなたの時間も、そなたの想いも、そなたの魂すら抱き留めたくて仕方がない。はっ、愚かな女だと笑うが良い」
「愚かだなんてそんな風に思ったりは――」
「そなたに散々気にされずに冷たくされてもなおわたしはそなたを好きらしい」

 目と鼻の先まで近づいたルードヴィヒの顔が静止し、驚きに染まった。その隙に身を離す事も出来たのだが、アーデルハイドは動かずにただ己の婚約者を見つめ続ける。

「どうした? 何か言わぬか」
「……ちょっと待ってくれ。もう一回言ってくれねえか?」
「そなたなんて大嫌いだ。……そう思いたかったのに、信じたかったのに。どうしてそなたはわたしに易々と踏み込んでくるのだ?」
「言っただろう、お前に惚れたからだ。散々寂しくさせちまってたのによ、学園では俺を受け入れてくれてありがとうな」
「そなたの強引さにやられておっただけだ……」
「なら、これからも強引でいいんだな?」
「……莫迦」

 ルードヴィヒは朗らかに笑みを浮かべてアーデルハイドの手から手を離す。アーデルハイドの手は何もされずに下げられ、ルードヴィヒの腕はアーデルハイドの身体へと回される。

「何をしたいかは想像がつくが、本来の目的を忘れておらぬか?」
「お前を俺のものにする以上の欲情なんざねえな」
「いいから言わせろ。折角そなたがわたしに願ってくれたんだ。その想いに答えたい」
「……ああ、いいぜ」

 アーデルハイドは微笑を湛え、己の唇をルードヴィヒに触れさせた。

「良いぞ。わたしはそなたと共にあろう」

 ルードヴィヒはアーデルハイドからの快諾を熱い口づけで示した。
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