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入学③・魔王はヒロインを退ける

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「ど、うして今、貴女がここに……?」
「奇妙だな。そなたとわたしは初対面の筈だが? 何故そのように驚かれるのか理解が及ばぬぞ」
「……っ!?」

 アーデルハイドはメインヒロインが自分の脚で踏ん張ったのを確認してから両手を離した。少女は若干体勢を崩しながらも倒れずに済み、正面からアーデルハイドを見据えた。驚愕する様子のままのようだったが、彼女からは明らかな敵対心が見て取れた。
 そこから一つの結論に達したアーデルハイドは、優雅に会釈してみせた。

「では、名乗ろう。我が名はアーデルハイド・フォン・ベルンシュタイン。以後お見知りおきを」

 彼女が己の名を口にした途端、その場にいた生徒達一同に動揺が走った。決して外には出られぬ深窓の令嬢が表舞台に姿を現した事が信じられない、といった各々の様子にアーデルハイドはご満悦になる。特にヒロインの顔と言ったら、後ほど思い出し笑ししてしまいそうなほど衝撃を受けているようだった。

 そしてヒロインを助けようとした男性、婚約者たる皇太子はただアーデルハイドに目を奪われていた。

(ルードヴィヒ様……こんなに凛々しく立派になられて……)
(ふむ、確かに余から見ても美男子ではあるな。何より華がある)

 記憶に残る幼い姿が中々目の前にいる成長した皇太子ルードヴィヒと結びつかずにアーデルハイドは内心で戸惑いを覚える。整った顔立ち、逞しさを感じさせる高い身長と体躯、そして次期皇帝としての風格。彼が微笑んで耳元で囁けば多くの女性を瞬く間に虜になるだろうと感想を抱く。
 だからこそアーデルハイドは現状に愉快を覚える。顔所がほのかに微笑んでみせると皇太子は目に見えて動揺し始めるのだ。これではまるで自分が皇太子の心を射抜いたみたいだな、と彼の慌てふためき様を内心で面白がった。

「わ……わたしはユリアーナ・フォン・ガーブリエルと申します。よろしくお願い致します、ベルンシュタイン公爵令嬢」

 ようやく我に返ったヒロイン、ユリアーナが頭を垂れる。

「うむ、今日より同じ学園で学び合う者同士だ。仲良くしていこうぞ!」
「も、勿体ないお言葉です……」

 気さくな笑顔をこぼすアーデルハイドに対してユリアーナの顔は固まっていた。

「先程は危なかったな。危うく地面に倒れてる所だったぞ」
「……っ。服を台無しにするどころか怪我を負う所でした。無事に済んだのは貴女様のおかげです」
「気分や体調が優れないのなら学園にも医務室があった筈。上級生方に案内してもらうとよいぞ」
「いえ、今日の事を考えてあまり良く眠れなかったもので。気をしっかり持てば問題ございません」

 ここにきてアーデルハイドのやや後ろに佇むアンネローゼは訝しげに眉をひそめる。

(私は別に彼女と交流を持っていないから詳しい事は言えないけれど……ちょっと目に余るわね)

 一介の男爵家に生を受けたアンネローゼと公爵令嬢かつ皇太子の婚約者であるアーデルハイドとは天と地ほどの差もある。そんな姉が自ら助けたにも関わらず彼女は感謝するどころかどこか不満と憤りを滲ませているのだ。その在り様は不敬や無礼を通り越して疑問だった。

 そんなユリアーナを見つめるアーデルハイドは、不敵な笑みを浮かべた。

「先程も申したが、余に助けられてそんなに意外だったか?」
「そ、それは……」
「言い換えよう。皇太子に助けられたかったのだろう?」
「――ッ!?」

 ユリアーナが息を呑んでたじろいだ。
 アーデルハイドの指摘を耳にしたある者は何て不敬な、と率直な感想を抱いた。またある者は爵位の低い家の小娘の分際で、と怒りを覚えた。ごく少数は初日から皇太子殿下の気を惹こうとするなんて大胆な、と感心した。
 建前上は婚約者である当のアーデルハイドは軽く笑い声を挙げる。

「駄目だなぁユリアーナよ。腹芸一つもこなせぬのなら人間共の醜さが凝縮された社交界ではやっていけぬぞ」
「な、何を仰っているのか見当もつきません。どうして私ごときが畏れ多くも貴女様を蔑ろにして皇太子様に触れたいなどと思いましょう?」
「そのわたしが本来おらぬ筈だったから実行に移したのではないのか?」
「な……っ! どうしてそこまで……!」

 追及を受けてユリアーナは愕然として口を滑らせてしまう。慌てて手で口を押さえても言葉はもうこぼれたままだった。その反応を見て取ったアーデルハイドは自分の推測が正しいと確信する。

 ユリアーナは、予言の書の内容を知っている。

 件の恋愛小説では貧乏男爵家に生を受けたメインヒロインは平民と同じく入試を経て入学を果たしている。神聖帝国の未来を担う人材を育成する煌びやかで華やかな学園での日々にヒロインは想いを馳せ、緊張でほとんど眠れずじまいになってしまった。何とか登校しようとするも途中で身体がふらついて倒れそうになる。そんな彼女を助けたのが皇太子だった。
 だからアーデルハイドは小説で描写されていた時刻を見計らって登校し、皇太子の腕の中に収まる前に引っ張り上げた。勿論、ヒロインと皇太子の劇的な出会いを台無しにするために。

 ユリアーナは目に見えて震えあがっていた。まだ学園内で誰とも交流を深めていない彼女には庇ってくれる味方が誰一人としていない。にも関わらず婚約者本人、しかも口調からして魔王と既に一体化しての登場だ。
 どうすれば……と絶望する様子のユリアーナに対してアーデルハイドは優しく微笑んだ。

「そうあまり警戒するでない。何もそなたをこの場で取って食おうと思ってなどおらぬよ」
「……っ」
「言ったであろう、仲良くしていこうと。共にこの学園での生活を謳歌しようではないか」
「あ、有難きお言葉です……。申し訳ありませんが気分が優れませんので、失礼いたします」

 ユリアーナはお辞儀をしてからその場を足早に去っていった。アーデルハイドはしてやったりとばかりに胸を張って満面の笑みを浮かべた。誰の目から見ても勝利者は明らかだった。万雷の拍手をくれ、とアーデルハイドは言いたくなったがさすがに自重する。

 ひと悶着が終わっても観衆は散っていかなかった。まだ多くの者が次の成り行きがどうなるか気になっていたからだ。
 アーデルハイドは満足の余韻を味わってから、彼女をただ見つめるばかりの皇太子に向けて優雅にお辞儀をしてみせた。慇懃ではあったものの慕いの心や忠義心は全く含まれておらず、完全に社交辞令を超えていない。

「お久しぶりです、皇太子殿下」
「あ、ああ……。こう言っちゃ何だけど、本当にアデルなのか?」
「はい。アーデルハイドですよ。それともしばらくお見舞いに来てくださらなかったせいで分からなかったでしょうか?」
「い、いや、その……すまねえ」
「いいえ。手紙のお返事も出来ないぐらいでしたからさぞ忙しかったんでしょうね」

 ルードヴィヒの謝罪を切り捨てて返事代わりに皮肉を投げつける。そしてアーデルハイドは言葉も出ない皇太子に向けて下げていた頭を上げ、彼を強い眼差しで見据える。たじろぐ皇太子と毅然とした態度の公爵令嬢。これではどちらが上位の立場か分かったものではなかった。

「ですが今はこの通り普通に過ごせる程度には回復しましたので、どうぞこれまで通りお構いなく」
「アデル、さっきのやりとりは一体何だったんだ?」
「気安く愛称で呼ばないでもらえませんか? わたしと貴方様の関係は単なる家より与えられた義務で成り立っている仕事仲間に過ぎませんね」
「仕事仲間って、そんな言い方は無いだろう」
「愛も想いも情けも無いのならそう呼ぶ他ないですよ。皇太子殿下とは互いの家より定められた役目をこなすだけで十分ですね」

 アーデルハイドは踵を返す。もはや皇太子など眼中に無いとばかりに。ルードヴィヒが話は終わっていないと声をかけても一切聞く耳を持たず、むしろ呆然とする妹のアンネローゼに早く行こうと声をかける始末だった。

「皇太子よ。誰も彼もが黙っていてもそなたに寄り添うと思ったら大間違いだな。少なくともわたしは心身共に弱り果てたわたしに見向きもしなかったそなたに大変失望している」
「アデル……!」
「――この薄情者めが。そなたなんぞ嫌いだ」

 アーデルハイドは結局ルードヴィヒにそのまま見向きもせずに校舎へと入っていった。
 アンネローゼは足早に進むアーデルハイドに引かれる手を振り払い、逆にアーデルハイドの手を掴んで自分の方へと振り向かせる。

「お姉様! 皇太子殿下に向かってなんて無礼な――」

 アンネローゼの非難の声が途中で止まる。
 姉は大粒の涙をこぼしていた。あれほどユリアーナに向けて堂々としていながら、ルードヴィヒを公然と糾弾していながら。

「嫌いだ。皇太子なんて、嫌いだ……」

 どうとも思っていないと思っていた。彼と久しぶりに再会しても心はさほど動かなかった。けれどルードヴィヒへの不満を口にするたびにある感情が湧き上がってきた。それは怒りでも蔑みでもなく、悲しみ。これまでずっと相手から見捨てられていた事への。

(何なのだ、この想いは……)
(わたしにも……分かりません。何なんでしょう……)

 どうやら自分が考えているより自らの婚約者を気にしていたらしい。今更アーデルハイドは真実を思い知った。
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