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邪視殺しを買う元悪役令嬢
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店員は慌てながら店の奥へと駆け出していく。店員が「師匠!」と呼ぶ声を境に扉が閉まり、静けさが戻った。
しばらくすると無精ひげを生やして頭に布を撒いた中年の男性がのっそりと奥から現れた。職人らしき彼は私と店員に渡した紙とを何度も見比べる。その眼差しはとても真剣なもので、私の奥まで確認するかのように観察していた。
「夫人が嬢ちゃんにコレをあてがってこいって言ったのか?」
「ご主人様をご存じなんですか?」
「知らねえ職人なんざモグリだろ。嬢ちゃんも知ってるだろ? 夫人は昔王宮勤めだったって」
「あ、はい」
「あの人は贅沢を凝らす他の貴族連中と違って機能美に拘ってて……って今はそんな話は関係ねえか。少し検査するけど時間はあるか?」
「大丈夫です」
それから私は目に光を当てられたり小さな絵が何なのかを聞かれたりした。最後の方は硝子だったり水晶だったり色々な物を見比べたり。一通りの検査が終わると職人は工房の奥へと姿を消した。
店員だと思っていた男性は職人の弟子らしく、あんなにも真剣だった師匠は初めてだと語った。彼が言うには王国有数の貴族が相手だろうと興味をそそらない仕事への態度はそれなりらしい。そんな職人を本気にさせる程の案件だとはとても思えないのだけれど。
「ほれ、出来たぞ」
しばらくすると職人が眼鏡を手に戻ってきた。彼は眼鏡を弟子に押し付けて掛け眼鏡にする調整はお前がやれと述べ、再び工房へと戻っていく。弟子は私の顔を確かめながら耳にかける紐を調整する。
出来上がった眼鏡をかけた途端、世界がはっきりとした。試しに店内に立てかけられている表を見るときちんと文字が読み取れる。こんなにも鮮明だったなんて、と思わず感動で打ち震えた。
「それで、お代金なんですが……」
「これで足りますか?」
「……! はい、充分です」
恐る恐る支払いを切り出した店員に私は先生に渡された布袋を差し出す。中身を確認した弟子は金貨の枚数を数え、数枚ほどのおつりを私に返した。あんなにたくさんあったのにこれだけになるなんて。眼鏡って贅沢品だったのか。
「ソレ、特殊なレンズを使っているのでとても高価なんです。くれぐれもなくしたりしないでくださいね」
「分かりました。注意します」
「それから、寝る時とお風呂に入る時以外は普段から付けていただく方がいいかと」
「でも文字を読む以外だとあまり困ってません」
「それがお客様のためです」
弟子はあまりに真剣に語るものだから、きっとそれが眼鏡の正しい使い方なのだろう。かけていないと視力とやらがこれ以上悪くなるのだろうか? 眼鏡をすぐ買い換えなきゃいけなくなる、なんて事態は絶対に避けたいし。
「ありがとうございました。またお越しください」
行きと帰りで全く違った世界を堪能しながら私は先生の屋敷に戻る。先生に買っていただいた眼鏡を撫でながら顔がにやけてしまった私を行き交った人達は変質者を見る目で眺めていたに違いない。
先生におつりを返した私は感謝の言葉を述べてから報告に移った。眼鏡をかけた私の瞳を見つめた先生はどういうわけか安堵の吐息を漏らす。こんな高価なものでなければ矯正出来ない私の目に何か異常があったのか、と聞くと……、
「カレンの眼には邪視が宿っているかもしれなかったから」
と、衝撃の事実を口にした。
「邪視、ですか?」
「意識的に使っていないから効果は薄いようだけれど、相手に好印象を抱かせるようね」
眩暈がした。身体がよろけた。
何とか椅子に掴まって倒れるのだけは防ぐ。
私が、人を誑かしている?
いや、考えればその可能性もあるんだった。レオノールだった頃にイサベルだった娘は本当にイサベルだったのかカレンだったのか不明だ。だからイサベルである私が人を惹きつける何らかの手段を持っていてもおかしくはない。
「その眼鏡は邪視を遮断する効果があるわ。邪視殺し、とでも言っておきましょう。あそこの職人がソレをカレンに作ったのなら、カレンは邪視持ちなんでしょうね」
「あ……え、わ、たしが……」
理解が追い付かない。理解したくない。
これまでお母さんを介護する私達に近所が優しかったのも、ジョアン様もご存じだった先生の屋敷で働けているのも、運命の巡り合わせとか私が上手く機会を掴んだとかじゃなくて、もしかしたらこの眼のおかげだったんじゃあ……。
歯を震わせて泣きそうになった私の頭を先生は優しくなでてくれた。そして先生はかけていた自分の眼鏡を指で軽く叩く。
「コレ。老眼用の眼鏡なんだけれど、同じく邪視殺しよ」
「……え?」
「王家の方々に近かった頃の護身用よ。種類の違う邪視の効果を完全には防げないそうなんだけれど、少なくともカレンの邪視の影響は受けていないわ。安心なさい」
「先生……!」
私は思わず先生に抱きついた。安堵からなのか喜びからなのか冷静には分析出来ない。ただただ私は泣いてしまった。先生はそんな私を抱き締めてくれた。先生はとても温かかった。
……先生が息を引き取ったのはそれから数日後のことだった。
しばらくすると無精ひげを生やして頭に布を撒いた中年の男性がのっそりと奥から現れた。職人らしき彼は私と店員に渡した紙とを何度も見比べる。その眼差しはとても真剣なもので、私の奥まで確認するかのように観察していた。
「夫人が嬢ちゃんにコレをあてがってこいって言ったのか?」
「ご主人様をご存じなんですか?」
「知らねえ職人なんざモグリだろ。嬢ちゃんも知ってるだろ? 夫人は昔王宮勤めだったって」
「あ、はい」
「あの人は贅沢を凝らす他の貴族連中と違って機能美に拘ってて……って今はそんな話は関係ねえか。少し検査するけど時間はあるか?」
「大丈夫です」
それから私は目に光を当てられたり小さな絵が何なのかを聞かれたりした。最後の方は硝子だったり水晶だったり色々な物を見比べたり。一通りの検査が終わると職人は工房の奥へと姿を消した。
店員だと思っていた男性は職人の弟子らしく、あんなにも真剣だった師匠は初めてだと語った。彼が言うには王国有数の貴族が相手だろうと興味をそそらない仕事への態度はそれなりらしい。そんな職人を本気にさせる程の案件だとはとても思えないのだけれど。
「ほれ、出来たぞ」
しばらくすると職人が眼鏡を手に戻ってきた。彼は眼鏡を弟子に押し付けて掛け眼鏡にする調整はお前がやれと述べ、再び工房へと戻っていく。弟子は私の顔を確かめながら耳にかける紐を調整する。
出来上がった眼鏡をかけた途端、世界がはっきりとした。試しに店内に立てかけられている表を見るときちんと文字が読み取れる。こんなにも鮮明だったなんて、と思わず感動で打ち震えた。
「それで、お代金なんですが……」
「これで足りますか?」
「……! はい、充分です」
恐る恐る支払いを切り出した店員に私は先生に渡された布袋を差し出す。中身を確認した弟子は金貨の枚数を数え、数枚ほどのおつりを私に返した。あんなにたくさんあったのにこれだけになるなんて。眼鏡って贅沢品だったのか。
「ソレ、特殊なレンズを使っているのでとても高価なんです。くれぐれもなくしたりしないでくださいね」
「分かりました。注意します」
「それから、寝る時とお風呂に入る時以外は普段から付けていただく方がいいかと」
「でも文字を読む以外だとあまり困ってません」
「それがお客様のためです」
弟子はあまりに真剣に語るものだから、きっとそれが眼鏡の正しい使い方なのだろう。かけていないと視力とやらがこれ以上悪くなるのだろうか? 眼鏡をすぐ買い換えなきゃいけなくなる、なんて事態は絶対に避けたいし。
「ありがとうございました。またお越しください」
行きと帰りで全く違った世界を堪能しながら私は先生の屋敷に戻る。先生に買っていただいた眼鏡を撫でながら顔がにやけてしまった私を行き交った人達は変質者を見る目で眺めていたに違いない。
先生におつりを返した私は感謝の言葉を述べてから報告に移った。眼鏡をかけた私の瞳を見つめた先生はどういうわけか安堵の吐息を漏らす。こんな高価なものでなければ矯正出来ない私の目に何か異常があったのか、と聞くと……、
「カレンの眼には邪視が宿っているかもしれなかったから」
と、衝撃の事実を口にした。
「邪視、ですか?」
「意識的に使っていないから効果は薄いようだけれど、相手に好印象を抱かせるようね」
眩暈がした。身体がよろけた。
何とか椅子に掴まって倒れるのだけは防ぐ。
私が、人を誑かしている?
いや、考えればその可能性もあるんだった。レオノールだった頃にイサベルだった娘は本当にイサベルだったのかカレンだったのか不明だ。だからイサベルである私が人を惹きつける何らかの手段を持っていてもおかしくはない。
「その眼鏡は邪視を遮断する効果があるわ。邪視殺し、とでも言っておきましょう。あそこの職人がソレをカレンに作ったのなら、カレンは邪視持ちなんでしょうね」
「あ……え、わ、たしが……」
理解が追い付かない。理解したくない。
これまでお母さんを介護する私達に近所が優しかったのも、ジョアン様もご存じだった先生の屋敷で働けているのも、運命の巡り合わせとか私が上手く機会を掴んだとかじゃなくて、もしかしたらこの眼のおかげだったんじゃあ……。
歯を震わせて泣きそうになった私の頭を先生は優しくなでてくれた。そして先生はかけていた自分の眼鏡を指で軽く叩く。
「コレ。老眼用の眼鏡なんだけれど、同じく邪視殺しよ」
「……え?」
「王家の方々に近かった頃の護身用よ。種類の違う邪視の効果を完全には防げないそうなんだけれど、少なくともカレンの邪視の影響は受けていないわ。安心なさい」
「先生……!」
私は思わず先生に抱きついた。安堵からなのか喜びからなのか冷静には分析出来ない。ただただ私は泣いてしまった。先生はそんな私を抱き締めてくれた。先生はとても温かかった。
……先生が息を引き取ったのはそれから数日後のことだった。
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