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第3-1章 私は聖地より脱出しました

私はため息をつかれました

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「はぁぁ~、見せつけてくれちゃってさ」
「いえ、その……申し訳ありません」

 場の空気を読まなかった私達でしたが、兵士達からはむしろ祝福されました。南方王国の王子と聖女候補者の間で交わされる禁断の愛だと主張する者まで出る始末。幸せになりなと言われて素直に嬉しいと思ってしまったものですから私ももう手遅れです。

 深すぎる接吻で口の中を思う存分蹂躙された私はまだ火照ったまま。責任を取れとチェーザレに迫ったら最後の一線まで飛び越えてしまいそうだったので、さすがに理性を総動員して踏み留まりました。神よ、色欲の罪を許したまえ。

「聖女の使命より男の方が大切なの?」
「私は私自身を救いたいんです。運命の相手と添い遂げるのが救済に繋がるなら私は幸せになりたいです」
「……。キアラだったら立派な聖女になれたでしょうにね。どうしてそう思うようになったかいつか理由を聞かせて頂戴ね」
「分かりました。無事に脱出出来たらお話しいたしましょう」

 雑談もほどほどに、そろそろ目の前の危機に立ち向かわねばなりませんね。

 私達は城門から再び出て城壁に沿って進んでいます。
 既に敵はもう間もなく弓や攻城兵器の射程に入るぐらいに迫っていました。聖女リッカドンナ自らの出陣に敵味方一同が反応を示しますが、さすがにまだ聖女の首を取れと敵が釣られて襲ってくる気配はありません。

 やがて、敵陣の端の前に到達した私達は馬から降りました。リッカドンナに同行しているのは彼女の付き人達と私達だけというごく少数。このまま突撃したところで数の暴力で潰されるのは確実でしょう。
 ……数の上では、ですが。

「じゃあ、行くわよ」
「は……はいっ」

 リッカドンナに促されて先頭に立って敵側へ歩み始めたのは、私達の誰よりも年若い少女でした。とても戦場に出ていい体躯ではなく、勇気を振り絞っているものの不安に彩られた彼女は身体を震わせており、今にも戦場の空気に飲まれてしまいそうです。

 初めのうちは小娘が無防備でやってくると嘲笑っていた敵兵士達は、少女との距離が縮まるにつれて段々と動揺し始めました。先ほどまで異端者達を排除してやると漲らせていた殺気が急速にしぼんでいくのが分かります。

「もう戦うのは止めませんか? これ以上血が流れるのは見たくありません」

 少女、アレッシアは獣人達に微笑みます。
 人に安らぎを与えるその微笑は、正しく慈愛に満ち溢れていました。
 彼女の言葉は獣人達には通じません。しかし何を言いたいかは理解出来たでしょう。

 そして……予測出来た、けれど本当に起こってほしくなかった光景が目の前に広がりました。

 一人、また一人。獣人の兵士達は手にした武器を取り落としていくのです。これから戦おうとした強者達が戦意を喪失させ、人を殺めようとした罪を懺悔するかのように、です。中には跪いて頭を垂れる者まで現れました。

「何、よ……コレは……?」

 リッカドンナが愕然として漏らした一言がこの場の全てを物語っています。

 この現象は昨日と同じようにアレッシアを中心に波のように伝播していきます。異常に気付いた敵部隊がすぐさまアレッシアを排除に迫ってきますが、距離を詰めていくほど慈愛の奇蹟の影響を受け、最後は害を成そうとしたことの許しを請うのでした。

 更には奇蹟の影響は敵だけに留まりません。アレッシアに続いていたリッカドンナを護衛する騎士達も昨日と同じく武器から手を離し、その場に崩れ落ちたではありませんか。私に忠誠を誓ってくれたトリルビィすら自分の頬をつねって正気を保とうとしています。

「ねえキアラ……。コレは一体何なの……?」

 リッカドンナはまるで縋るような弱弱しい口調で私に訪ねられました。

「もしアレッシアが授かった奇蹟が過去に存在した大聖女と同じように慈愛だったとしたら、敵方は慈悲深き愛を与える母親に諭される子供のような感覚に陥っているのではないでしょうか?」

 この場合の母親とは自分が理想とする安心出来る相手を指します。人は老若男女問わず甘えたがりです。慈愛とはそこに付け込む……もとい、人が安心を覚える包容力に溢れた愛を送る奇蹟なのです。

 質が悪いことに慈愛の奇蹟はやがて母の愛に留まらずに昇華していきます。肉親、友人、主人、伴侶すら霞むほどにその愛を尊く感じてしまうのです。最終的には全ての父たる神そのものとすら思えてしまうほどに。

「神の愛は全てを救うって言うけれど、実際にこの目で見ると恐ろしいわ……」
「とは言いましてもアレッシアはまだ全ての人から賛美された、かの慈愛の大聖女には遠く及ばないでしょう」
「てっきり教会が聖女の偉大さを宣伝するために誇張して記録してるとばっかり思ってたのに……。これじゃあ洗脳の類と同じじゃないの」
「ですがこうして異端の者にも慈愛が通じています。もう少し時間が許されていたなら全ての救済は彼女が成し遂げていただろうと語られた大聖女アンナの慈愛は本物です」

 だからこそ恐ろしいのですよ。怖いのですよ。

 慈愛の大聖女であろうと人には違いなく、神のような超越者では決してありません。人であるなら心を持ちますし過ちも犯します。いかに神託の導きがあるからと、常に行いや考えが正しいとは限りません。

 果たして、慈愛は全ての人を救うために贈られたのでしょうか? かつて私達三人の聖女を排除してまで唯一無二の大聖女としてアンナを祀り上げた教会の選択が最良であったのでしょうか? それは時代を経て全く別の立場になった今でも判断いたしかねます。
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