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第1-3章 徳妃付侍女→紅玉宮妃(新版)

「後宮務めもこれで最後です」

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 暁明様が成人の儀を迎えるにあたり、彼の私物が後宮から運び出された。
 既に生活の基盤は宮廷内の紅玉宮に移っていたのでさほど荷物は無く、宦官が持ち運び可能な大きさの箱幾つかに纏まった。

「じゃあ今日から雪慧も僕の宮に住んでね」
「え? まだ婚姻してないのにいいんですか?」
「正式な手続きは踏んでるから問題無いよ。荷物は部屋の中にあるもの全部?」
「いえ。後宮の備品もありますし、別に持っていくほどでもない物もありますし。手早く済ましちゃいますね」

 むしろ意外なぐらいわたしの私物が増えていたのが驚きだった。いや、そうは言っても暁明様の荷物より少なかったけれど。
 その大半が暁明様との思い出の品々ばかりで、思い出が都度鮮明に蘇ってしまった。

 何しろ簪から足の爪切りまで暁明様の贈り物だ。爪化粧や口紅の朱色もそうだし髪の手入れに用いる洗髪剤も彼が選んだ。もう暁明様の手に付いてないわたしの部位なんて無いんじゃないか、とまで思うほど彼色に染まってしまった。

「いやあ、こんなに大事にしてくれてるなんて贈ったかいがあったよ」

 と暁明様がからかい半分で語るものだからわたしは顔を真っ赤にしてしまった。暁明様が何かに付けてわたしを魅力的だと語ったのを塩対応で返した頃が遠い昔のことに思えてならなかった。

 暁明様と想いを通わせた後も今までの延長線上に過ぎない、と何の根拠もなく思ったりもしたけれど、実際にそれまで生活していた部屋の中ががらんどうになったのを目の当たりにして、これまでとは違う環境になるんだと実感した。

「一年も過ごしていないんですけれど、随分と長い間いた気分です」
「それだけ濃厚な毎日を過ごしてたって証じゃん」
「主な要因はとある皇子様が振り回してくれたせいですけれどね」
「でもその皇子様って人と遊んで楽しかったんでしょう?」

 それからこれまでお世話になった方々に挨拶して回った。それまで散々暁明様がわたし達の仲睦まじさを見せびらかせていたのもあって概ね好意的に受け止められた。妬みの眼差しが無かったとは言わないけれど、そんなのは気にするだけ無駄だ。

「おめでとう。ようやく紅玉宮殿下の想いが報われた、と言ったところかしらね」

 後宮の最高責任者である貴妃様に挨拶に伺うと祝福の言葉を頂いた。
 貴妃様からはそれだけに留まらず、今後皇子妃としてどうあるべきか、何に気をつけるべきかの諸注意も下さった。さすが先輩と申すべきか、ありがたく参考にしようと思った。

「あ、そうだ。貴妃様に一つお聞きしたいことがありまして」
「答えられる範囲で構わなければ聞くわよ」
「父に報告した際「女狐に注意せよ」と注意を頂いたんですが、何かご存知ですか?」

 その場の雰囲気と勢いのまま、わたしは疑問を貴妃様に投げかけてみた。
 この方なら後宮で過ごしていようと宮廷の内情には詳しいはず。父が何を危惧しているのか生活の基盤を移す前に分かれば、と思ったからだったけれど……、

「……その質問、もう他の誰にもしちゃ駄目よ」

 貴妃様は笑みを消し、冷徹な眼差しをわたしに送ってきた。
 それは思わず背筋を凍らすほど鋭いものだった。

 貴妃様は自分の傍に来るよう手招きしたのでわたしは歩み寄った。すると貴妃様はわたしを肩を抱きかかえ、扇で口元を隠しつつ声を落としてわたしの耳元でささやきかけた。普段聞かない思いつめた口調だったので、事の深刻さが際立っていた。

「雪慧ちゃん、方士って聞いたことある? とっても耳の良い人が後宮内全ての会話を聞いているかもしれないから、普段から気を配らなきゃ」
「嘘……。ここって常に監視されているんですか?」
「雪慧ちゃんの父親って諸侯王のどなたか? でなければ女狐なんて知っているわけないものね」
「……! まさか、そんな機密事項なんですか?」

 貴妃様によれば、女狐とは暗喩らしい。春華国の歴史上度々現れた何名かの皇后を指すんだとか。
 生まれも出身も異なるのに絶世の美女として突如現れ、その女を后とした皇帝は先代の影響力を根こそぎ排除して新時代を築いてきたんだそうだ。

 問題なのはその際の皇位継承争いだった。傾国の美女が嫁ぐのは決まって皇太子ではなかったから。女狐が他の皇族を排して夫を皇帝に据え、春華国の中枢に多大な影響力を及ぼす。このことから諸侯王は警戒しているとのことだ。

「最近の『女狐』は二代前の皇后様、つまり太上皇后様だったのよ。皇太后様はその方が存命だった頃はずっと頭が上がらなかったそうよ」
「そうだったんですか……」
「時期的には次ぐらいに再来してもおかしくないそうね。だから雪慧ちゃんの父君は注意しろって言ったんじゃない?」
「そうは言いましても……」

 一体何に注意しろと言っているのかしら? 別に暁明様は皇位を望まれていないし、皇太子以外の皇子が皇帝になってもあまり問題無いように思える。国を破滅に導かない限りなら女狐とやらに好き勝手させればいいじゃないの。

 と考えを巡らせていたら、貴妃様に額を指で小突かれた。

「馬鹿ね。その女狐が紅玉宮殿下を惑わすかもしれないじゃないの」
「あっ……!」

 迂闊。その選択肢は指摘されるまで頭の中から抜け落ちていた。

 皇位継承順位でいけば暁明様は中間あたり。狙うには上の人数が多く、かと言って完全に他人事と決め込むには下の人数が少なくない。
 だったら、もし暁明様が女狐に目をつけられてしまったら?
 上をことごとく排除して彼を玉座に導いたら?

 ……いや、そんなのはどうだっていい。暁明様が皇帝になろうと平民になろうとわたしは彼と一緒にいようと決めた。皇帝になったって暁明様は暁明様なんだから。例え死地や奈落の底にだってお供しよう。

 けれど、絶世の美女だと謳われる女狐に心奪われてしまったら? もうわたしを気にも留めなくなったら?
 嫌だ。そんな絶望的な未来なんて考えたくもない。

「しっかりと殿下の心を掴んでおきなさいね。女狐に惑わされないように」
「……ご忠告、ありがたく頂戴します」

 女狐が現れたって絶対に負けない。
 暁明様はわたしの旦那様になるのだから。
 そう改めて決意した次第だった。

「そう、今までお疲れ様。これからも紅玉宮殿下の支えになってほしい」
「はい、天に誓って」

 賢妃様からは単純にねぎらいの言葉をいただいた。
 ただ、それ以上に忠告の念がこもっているように感じられた。
 そう受け取ったわたしは正しかったらしく、賢妃様はお付きの侍女にも聞かれないようわたしの傍に寄って声を落とした。

「……おそらくだけど、皇帝陛下はもう長くない」

 そして、衝撃な発言を耳にした。

「申し訳ありませんが一体何を根拠に? 以前お目にかかった際は至って健康なようでしたが。それともなにか不穏な動きでも?」
「天がざわめいてたから。こういった時は必ずどこかで波乱が起こる」

 その言い回しは星の動きを読み取った、というよりは勘に近いものがある。けれど鋭い直感は当てずっぽうどころか下手な予測より遥かに信用出来る。
 決して蔑ろにしてはならないと思わせるほど賢妃様は自分の勘を疑っていないようだった。

「文官も武官も忠義の他に損得でも動くもの。忠誠を誓う主の邪魔になる存在を排除しようとするかもしれないし、危機的状況で主を見限るかもしれない。だから皇位を争う皇子が心から信じられる相手は少ない。力になってあげて」
「ちょっと待ってください。その言い様ですとまるで陛下が亡くなった後に国が乱れるように聞こえますが」
「そうならないよう後継者たる皇太子の身の回りは常に警護されているけれど、時に掻い潜られて暗殺される事、謀られて失脚する場合があった。そうなったら最後、血で血を洗う争いが勃発する」
「……暁明様が否応なしに巻き込まれてしまうかも、ですか」

 あいにく政治には疎いので暁明様にあだなす輩が誰なのか見当すらつかない。それでも、あの人の敵になるのであれば容赦はしない。
 絶体絶命の危機に陥っても、この生命に代えても絶対に守り通してみせよう。

「皇子妃になるにはそんな覚悟が必要。栄華とは程遠いけれど、いい?」
「問われるまでもありません。わたしは、必ずや暁明様と添い遂げます」

 賢妃様に問われたわたしは改めて覚悟を決めたのだった。

「――と、いった感じに激励を受けました」
「もしかして自分はどうなってもいいから僕を守る、とか思ってたりしない? 駄目だよ。雪慧がいてくれなきゃ何の意味もないじゃないか」
「ですけどわたしにとっては自分より暁明様の方が――」
「その僕が雪慧が一番大事だって言ってるんだけど?」
「……。分かりました。共に歩んでいきましょう」

 なお、その後暁明様から怒られて我が身も可愛がることを誓ったりする。
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