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5、俺は野良猫か。
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やがて窓を叩く雨の音がぴたりと止むと、女は男の腕の中でもぞもぞと動いた。
「……どうした?」
腕枕していない方の手で女の髪をそっと撫でながら男が問う。
女はその手から逃れるように身を起こすと、切なげに目を細めて男を見下ろした。
「帰らなきゃ。……学校の敷地内の野良猫が雨に打たれていないか心配だからと言って寮を抜けて来たの。戻らないと騒ぎになるわ」
「………俺は野良猫か」
男は薄く笑いながら女の手に指を絡め、自身を見下ろす一糸纏わぬ姿を目に焼き付けるようにじっと見つめる。
そして呟くように言った。
「…送る」
繋いでいた手がするりと離れると、男と女は黙って淡々と身支度を整える。
その重たい沈黙は借家を出て並んで歩き始めてからも続いた。
時折強く吹く風のせいか、空一面に広がっていた雲もほとんどが流れ去り。
煌々と光る月明かりが二人を照らし出す。
「……綺麗な月ね」
ぽつりと呟くように沈黙を破った女の言葉に男もちらりと丸い月を見上げるが、
何も、言わない。
そんな男に女が歩みを止める。
立ち止まった女を男が振り返る。
視線が、交錯した。
「………“月が綺麗ですね”」
泣きそうな表情を浮かべた女が震える声で男に告げる。
男は視線を落としてがしがし頭を掻くと、顔を上げて真っ直ぐ女を見抜いた。
低い声が、音になる。
「……俺には月なんて見えねぇ」
そう言うと背を向けてカラン、カランと歩き出す男に女はぽとりと涙を一粒零した。
カラン、カラン、と女に合わせてやる事もなく足早に男は歩く。
対する女は唇を噛んで涙を堪えながら、振り向いてはくれない背中の数歩後ろを歩いた。
いつもより少し早く、門に着く。
足を止めた男が振り返ったことで、ようやくまた二人の目が合った。
「……明後日、抜け出せるから。……会えませんか?………最後に一目でいいの」
縋り付くように女が乞う。
迷うように、躊躇うように、男は言う。
「………ああ、分かった。ただ、場所は裏通りの『ルゥナ』っつー喫茶にしよう。人目に付くと良くないだろ」
「いいわ。裏通りの『ルゥナ』ね。……お願いだから必ず来てね…、」
確証を求める女の背中を男は押した。
「……もう行け。帰る時間だろう」
「分かってる。…明後日、必ずよ?」
男をじっと見つめてから念を押した女は門の隙間を抜けて寮の裏口へと駆ける。
途中で何度も、何度も振り返りながら。
女を見送ってから背を向けた男は頭上で自身を照らす月明かりを見上げる。
「……“帰る時間だ”が“I love you”、か」
男の呟きは、月だけが聞いていた。
「……どうした?」
腕枕していない方の手で女の髪をそっと撫でながら男が問う。
女はその手から逃れるように身を起こすと、切なげに目を細めて男を見下ろした。
「帰らなきゃ。……学校の敷地内の野良猫が雨に打たれていないか心配だからと言って寮を抜けて来たの。戻らないと騒ぎになるわ」
「………俺は野良猫か」
男は薄く笑いながら女の手に指を絡め、自身を見下ろす一糸纏わぬ姿を目に焼き付けるようにじっと見つめる。
そして呟くように言った。
「…送る」
繋いでいた手がするりと離れると、男と女は黙って淡々と身支度を整える。
その重たい沈黙は借家を出て並んで歩き始めてからも続いた。
時折強く吹く風のせいか、空一面に広がっていた雲もほとんどが流れ去り。
煌々と光る月明かりが二人を照らし出す。
「……綺麗な月ね」
ぽつりと呟くように沈黙を破った女の言葉に男もちらりと丸い月を見上げるが、
何も、言わない。
そんな男に女が歩みを止める。
立ち止まった女を男が振り返る。
視線が、交錯した。
「………“月が綺麗ですね”」
泣きそうな表情を浮かべた女が震える声で男に告げる。
男は視線を落としてがしがし頭を掻くと、顔を上げて真っ直ぐ女を見抜いた。
低い声が、音になる。
「……俺には月なんて見えねぇ」
そう言うと背を向けてカラン、カランと歩き出す男に女はぽとりと涙を一粒零した。
カラン、カラン、と女に合わせてやる事もなく足早に男は歩く。
対する女は唇を噛んで涙を堪えながら、振り向いてはくれない背中の数歩後ろを歩いた。
いつもより少し早く、門に着く。
足を止めた男が振り返ったことで、ようやくまた二人の目が合った。
「……明後日、抜け出せるから。……会えませんか?………最後に一目でいいの」
縋り付くように女が乞う。
迷うように、躊躇うように、男は言う。
「………ああ、分かった。ただ、場所は裏通りの『ルゥナ』っつー喫茶にしよう。人目に付くと良くないだろ」
「いいわ。裏通りの『ルゥナ』ね。……お願いだから必ず来てね…、」
確証を求める女の背中を男は押した。
「……もう行け。帰る時間だろう」
「分かってる。…明後日、必ずよ?」
男をじっと見つめてから念を押した女は門の隙間を抜けて寮の裏口へと駆ける。
途中で何度も、何度も振り返りながら。
女を見送ってから背を向けた男は頭上で自身を照らす月明かりを見上げる。
「……“帰る時間だ”が“I love you”、か」
男の呟きは、月だけが聞いていた。
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