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世を忍ぶ仮の姿

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 先程まで居た場所より、少し冷たい風が吹いている。
 見上げた上空にはドラゴンの群れが飛び交い、キョロキョロと見回した地上には、動物型のモンスターが思い思いに身体を休めていた。

 人の気配は全くなく、代わりにモンスター達が自由に闊歩する世界。
 だがそこに澱みはなく、澄んだ空気が辺りを包み込んでいる。
 そして、目の前には一際大くそびえ立つ城。

「ここ、は……」
「健太は気付いていたでしょう? 私が毎朝、出掛けていた事を」
「うん」
「ここに帰って来ていました。あまり長く空けると、皆が心配しますので」

 リロイのその言い方は、間違いなく家を空けがちな主人から出る台詞である。
 毎朝の散歩の行き先がわかった事は喜ばしいが、予想外過ぎて言葉が見つからない。

(こんな場所にある、おっきな城に「帰って」来てた……?)

 人の気配がない、モンスター達の暮らす国。そこに存在する城。
 導き出される答えは、一つしかない。
 勇者ご一行の目的地であり、健太がついさっき行くのを止めたはずの場所。
 ――――魔王の居城。

「魔王城……に、見えるんだけど」
「人間達には、確かにそう呼ばれていますね。実際には、特に名前はありませんが」
「リロイは、ここに住んでるの?」
「一応、主ですので」

 魔王城の主、それが指し示す名称は「魔王」しかない。
 リロイはいつもの様に飄々と、とんでもない正体を告げた。

「…………っ。マジで、世を忍ぶ仮の姿じゃん!」
「だから、そう言いましたよ」

(あの冗談みたいな台詞が、本気のやつだなんて……わかるか!)

 健太を久々に笑いの渦へと巻き込んでくれた台詞は、正しくそのままの意味だったのだ。
 確かに、神官のリロイは「世を忍ぶ仮の姿」である。

(「勇者」である俺を、いつも助けてくれていたリロイが「魔王」?)

 もう何が何だか、さっぱりわからない。
 ただ言えるのは、決めつけて思い込んでいた常識は常識ではなく、何が正義で何が悪かは、やはり自分の目で判断するしかないのだという事実だ。

 そして、健太が旅の間中ずっと抱いていた葛藤は、間違っていなかった証明の様にも思う。
 リロイが魔王であるのならば、モンスター達の主であるのならば、無意味な殺戮はしないと断言できるから。

「俺、魔王討伐を目標にしてた、勇者だったんだけど」
「そうですね。出会った時に、そうお聞きしました」

 確かに、リロイが一緒に付いていくと言ってくれた時に、「危ないから」と一度断ったし、その理由も話した。
 勇者として召喚され、「魔王討伐の旅をしている」と。

 つまりリロイは、健太が自分を倒す役目を担う勇者だと知っていながら、これまで手助けをしてくれた事になる。
 だがもし、その出会いが仕組まれていたのだとしたら、意味合いは変わってくるのかもしれない。

「もしかして、知ってて俺に近付いた?」

 まさかリロイまで、健太を騙していたという事なのだろうか。
 沈んだ気持ちで問いかけた健太に、誤魔化したりする素振りも見せず、リロイは頷く。

「えぇ。彼の国が性懲りも無く、勇者召喚などという秘術を完成させたと聞いて、どんな人物が来たのかと、興味本位で接触したのですが……」

 ――――初見で仲間の女性に襲われそうになっているわ、酒に誘って話してみたら懐いて愚痴って泣き出すわで、出鼻をくじかれたのは私の方でしたね。

 そう続けながら笑うリロイは、別に正体を隠していた訳ではないという気軽さで、打ち明ける。
 思い出話をするリロイは、含みもなく単純に楽しそうだ。
 その表情だけで、一瞬でも疑った自分が恥ずかしくなる程、健太を騙してどうこうしてやろうという様な目的が全くなかったと、理解できた。

「あ、あの時は……」

 そう言われてみれば、リロイと会ったのは、精神的にも体力的にも疲れ果てて倒れた宿で、かつ最初に聖女に襲われた夜だった。
 リロイには最初から、勇者らしさとは程遠い、情けない姿しか見せていない気がする。

 巨大な力を持つと言われている魔王から見れば、どうこうする必要性は全く感じなかったに違いない。
 出会ったあの夜の時点で、無防備に眠ってしまった健太を、リロイはやろうと思えば簡単に殺してしまえたはずなのだから。

 でも、リロイはそうしなかった。
 それどころか翌朝、泣き出した健太を助ける形で、一緒に付いて行くと宣言してくれたのだ。
 その言葉に、健太はどれほど救われただろう。

 だからきっと、リロイが健太の傍に居てくれたのは、命を狙っていた訳でも、騙して絶望に突き落とそうと思っていた訳でもなく、ただ純粋に手を貸してくれていたからに他ならない。
 身分を偽られていたのは確かなのに、嫌悪感や不信感を抱かないのは、ひとえにリロイ自身の言葉や行動には、何も嘘がなかったからだ。

 実際、リロイには助けられてばかりいた。
 そして、リロイの存在を心の支えにしてきたのは、健太自身である。

「最初はただ、何も知らない健太が可哀想で……。気まぐれに少しだけ手助けして、すぐに消えるつもりだったんですよ」
「そうだったんだ」
「なのに一緒に居れば居るほど、モンスターの心情に寄り添って正直に迷いを口にするし、魔王である私に対して結界の負担が大きいんじゃないかと、何度も心配して下さるし」
「だって、それは……!」
「王国が遣わした勇者とは思えない程、あまりにも純粋で可愛いらしくて、困りました」

 正体を知った後なら、確かにリロイに対する心配は無用だったのだとわかる。
 魔王が結界を張っていれば、どんなに強いモンスターであっても近づけないのは当然だし、それこそ新米勇者の健太よりも強いに決まっていた。

 だがそれは今だから言えることで、当時の健太にわかるはずもない。
 リロイの結界術は、迷う健太から戦いを遠ざけるだけでなく、モンスター達を勇者一行から守る意味もあったのかもしれない。

 リロイの前では、健太は最初からずっと勇者らしくなかった。
 能力だけはチート級なので、戦闘力としては弱くはないはずなのだが、主に精神面の部分で振り切れず、能力を使いこなせていたかと言われると、答えは否である。

 迷って悩んでばかりだったから、呆れられているかもしれないと不安に思っていた位である。
 だが、「可愛いらしくて困る」なんて感想は、予想外だ。

「お、俺はリロイが魔王だなんて、知らなかったし!」
「そうですね。私の正体を知らなかったのに、「モンスターは、悪者じゃないんじゃないか」と、真っ直ぐにそう言ってくれたのが、とても嬉しかったんですよ」

 正面から「可愛い」と言われて動揺し、プイッと横を向いた健太の頭を、リロイがそっと撫でる。
 笑いながら「だから、助けてあげたいと思ったんです」と、優しい声で呟いたリロイにそっと視線を戻すと、本当に嬉しそうだった。

 以前リロイは、「健太の持つ、他種族の気持ちまで考える事のできる優しい心は、守るに値する尊いものです」と言ってくれた。
 それは魔王としての、感謝の言葉でもあったのかもしれない。

「俺はただ、思った事を口にしてただけだよ?」
「えぇ。だからこそ、どこにも建前や嘘は感じなかった。そんな健太の優しさに触れて、惚れない方が難しいです」
「惚れ……っ!?」
「お芝居でも、告白の言葉を貰えて嬉しかったのは、本当ですよ」

 今更ながら、女性達の計画を潰す為の嘘が、リロイを傷付けたのかもしれないと気付いて、ハッとする。
 昨晩は笑って許してくれたが、ずっと健太を好きで傍にいてくれたのだとしたら、リロイの気持ちを踏みにじる行為だったに違いない。

「あの時は、ごめん。でも今は、本当に……」
「私の事を、好きになって下さいましたか?」
「…………うん。俺、リロイが好き」

 こくりと頷いた健太の手を、リロイはぐいっと力強く引っ張った。
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