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雑貨屋の店員になりました

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 ボニー・ソロモンが、ナザレ・タウンと呼ばれる辺境の町に住みつくことに決めたのは、確固たる理由があってのことではなかった。

 そもそもこの惑星スミルナに降り立ったのだって、そうだ。星系間定期連絡船インターステラーに乗っていた時、相棒のキャンディが「スミルナって昔つき合ってた男の名前に似てますわ」と言い出したので、この星で下船することにしたのだ(「わかりやすい見栄張ってんじゃないわよ、この彼氏いない歴十九年が」とボニーがツッコんだもので大喧嘩になり、あやうく船を破壊しかけて、強制的に下船させられたと言うのが正しい)。

 宙港から適当に乗り込んだ大陸縦断鉄道の終着駅が、たまたまこのナザレ・タウンだった。

 それ以来、ここにいる。もう二ヶ月近くだ。
 別に何か先の予定や目標があるわけじゃなし、しばらくこの町にいてもいいんじゃないか、とボニーは思っている。

 まったくの成りゆき任せで流れついたにしては、ナザレ・タウンは悪くない町だった。

 大陸の中南部を覆っている乾燥地帯のほぼ中央に位置する町だ。見渡す限り広がる乾ききった荒野のど真ん中で、荒れ地を切り開いて農場を作ろうとしている開拓者や、西の山岳地帯で鉱脈を探している山師たちが集まってできた、小さな町。しかしそれなりに人口もあり、商店も揃っている。
 南北方向に大陸を貫く鉄道の、東へ伸びる支線の始発駅となっているので、人や物の出入りが多く、活気に満ちていた。

 ボニーは、間借りしている屋根裏部屋の窓を大きく開け放ち、まだ眠りに沈んでいる町並みを見渡した。

 夜明け前のナザレ・タウンは大半が闇の中に沈んでいる。気候上の理由で二階建てを超える高い建物がほとんど見られない、平坦な街並み。酒場や一部の商店を除いて灯りはついていない。

 二点鐘の無機的な音色が冷たい空気を震わせ、夜明けまであとわずかであることを告げた。

 文明圏では、とても考えられない光景だった。夜の闇を駆逐するまばゆいイルミネーションがまったく見られないのも、時計が機能しなくて時鐘を中心に世の中が回っているのも。

 なんと言っても、ここは《フロンティア》なのだ。

 人類の植民が開始されてまだ三十年に満たない若い惑星。銀河系の各地から一攫千金を求めて流れてきた開拓者や、文明国家にいられなくなった訳ありの連中が、点々と町を形成しているだけの未開の地。

 国家も形成されておらず、法律も警察も軍隊もない。制度も因襲も、何もない。

 惑星の低緯度地帯を中心に降り注ぐ大量のレメック線のため、第七世代以降の電脳が機能せず、その結果、文明を成立させている電子機器の大半が使えないというとてつもないデメリットがあるため、惑星スミルナでの生活は不便そのものだ。
 ロボットが使えず、どうにか使えるのは電脳制御ではない単純な機械工具だけ。人は何をするにも手作業を強いられる。
 移動手段も、人間が操縦するタイプの、骨董品レベルの地上走行車グラウンダーや列車に限られる。

 でもボニーはそんな生活が嫌いではなかった。

 慣れてしまえば、原始的で不便な生活もどうってことない。むしろ、あんなにも多数の電子機器に頼って暮らしてきたことの方が不思議に思えるほどだ。

 法律や制度に縛られない、圧倒的に自由な感じが気に入った。

 これまで規律と命令にがんじがらめに縛られた生活を送ってきたので、なおさらだった。

 そして、便利な文明圏での生活を捨ててまでこんな辺境の地に流れてきた人々に、なんとなく親しみを覚えている自分に、ボニーは気づいていた。
 きっとお互い何か似たような物を、心の中に抱えているからだろう。
 あるいは、もしかすると、何か似たような物が欠落しているのか。



 ナザレ・タウンの南端近くに建つ、この町で唯一の雑貨屋。

 他のほとんどの建物と同じように、ブロックを積み上げて築かれた背の低い頑丈な造りで、道路に面した壁のほぼ全面が強化透明パネル張りになっているので通行人にも中の様子が見て取れる。
 透明パネルの近くには仕入れたばかりの新商品や《中央》の最新のファッションアイテムなどが並び、人々の注意を惹いている。
 それ以外にも、この辺境の町で暮らしていくのに必要なあらゆる物が、お世辞にも広いとは言えない店内に奇跡的に収まって販売されている。

「ありがとうございました~!!」

 品物と釣り銭を手渡し、女客に向かって元気いっぱいボニーが頭を下げた瞬間、カウンターの端に積み上げてあった基本栄養食の缶詰の山ががらがらと派手に崩れ落ちてきた。

 缶詰は跳ね、ぶつかり、転がる。あっという間にそこらじゅうに散乱してしまった。

 あわてて缶を拾い集めにかかるボニー。

「何やってやがる、このドアホ!!」

 怒声が店内に響きわたった。

 少し離れた所で商品を整頓していた店主が、怒りの火花を散らしながら大股に歩み寄ってくるところだった。

 足元に転がる缶をひとつ拾い上げ、

「見ろこれを。こんなに凹んじまって。……これじゃもう売り物にならねーだろうがっ! まったく……商品は気をつけて扱えって、何回言えばわかるんだ。おまえが駄目にした品物の分、給料から差し引くぞ、これから?」

「あ。それは困る。そんな事されたら、給料がなくなっちゃうよ」

「洒落になってねーんだよ全然……」

「もっと給料が高かったら問題ないんだけど」

「おまえ……仕事もろくに覚えないうちに、もう昇給の話か? 信じられん奴だな? おまえの頭の中には反省とか『今後気をつけます』とか、ないのか!? 毎日毎日毎日、ドジばかり踏みやがって……!」

 不意に、ぱあっと華やかな女性の笑い声があがって、加熱する一方だった店主の叱責を遮った。

 女性といっても、見たところ、四十歳より若いのは一人もいない。買い物に来ていた近所のおばさん連中が、笑いながら仲裁に入ってきた。

「まあまあ、そう怒らないでやってよ、カズマさん」

「ボニーちゃんだって一生懸命やってるんだからさ。ね?」

 客にそう言われてしまっては、引き下がらないわけにはいかない。店主は、振り上げた拳を下ろしかねるといった不服の表情で、続く叱責の言葉をのみこんだ。

 一生懸命やっている。その点については、疑いはなかった。

 店番として雇われてから一週間ちょっと。ボニーはわき目もふらず全力で職務にあたった。昔から、与えられたミッションには最善を尽くす主義だった。若いのに雑貨屋の店番などという地味な仕事をここまで真剣にやる人間は珍しい。ボニーの熱意は周囲にも伝わり、客の受けは良かった。

 でもひとつ問題があった。ボニーは「超」の字がつくほど不器用で、絶望的なほどおっちょこちょいだったのだ。

「ボスの名前、カズマっていうんだー。今日初めて聞いたよ」

 平穏無事とは言えなかった一日が終わりに近づき、日が傾き始める頃。店の床にモップをかけながら、ボニーはなんとなく言ってみた。

 店主はカウンターの奥で売上げの計算をしていた。手元の作業から顔も上げずに、にべもなく答えた。

「おまえの目はどこについてる? 表の看板に『カズマの店』って書いてあるだろーが」

「そうなの? 見た記憶ないな。完全に砂埃に埋もれちゃってるから」

「自分から進んで仕事を見つけ出すとはいい心がけだ。明日一番に表の看板を掃除しとけ。文字がはっきり読めるように、きれいに拭き上げるんだぞ」

「昔、キャプテン・カズマって宇宙海賊がいたよね。ボスの親戚か何か?」

「そんなわけ、ねーだろ。それから、おまえおしゃべりしながら作業できるほど器用な奴か? 手元の仕事に集中しやがれ、さもないとまた……」

「大丈夫ですぅ~。掃除くらい普通にできますぅ~」

 ボニーはむぅっと口を尖らせて店主に向き直った。

 その瞬間、店のすぐ外で爆音が響いた。

 たぶん地上走行車グラウンダーのタイヤがパンクでもしたのだ。町の道路は整備されていないのでパンクも多い。大きな爆音が響いたからといって砲弾の着弾ではないのだ。頭ではそうわかっているのに体は勝手に反応した。

 店の入口近くに立っていたボニーは、危険回避のため、反射的に店のいちばん奥まで跳躍した。雑貨屋の店内は、人の背丈より少し高い棚が平行に三列並んでいたが、ボニーは一瞬でその棚を三列とも飛び越えた。勢いを殺しきれずに床を転がり、奥の壁に激突した。壁に作りつけの棚から在庫の箱がいっせいに落下してきた。

 すばらしい反射神経と運動能力だ。戦場なら賞賛されただろう。

 でも、ここは平和な雑貨屋。店員が派手なジャンプをかませるようには作られていないのだ。

 客の老婦人がボニーの人間離れした動きに目を丸くし、「あれまあ」と感嘆の声をあげた。

 ボニーが、飛んだ拍子に蹴倒してしまったバケツの水をふき取り、床に散乱した大量の在庫の箱を元の棚に収めるのに一時間かかった。その間、店主から「力があり余っていて知恵が足りない人」に相当する俗語表現を四十一種類も聞かされた(数え始めたのは途中からなので、本当はもっとたくさんだったのだが)。
 店主のボキャブラリーは実に豊富だ。この店で働き続ければ、軍での生活でも聞いたことのなかったような罵詈雑言をたっぷり覚えられそうだ。

 ――ボニーがこの店で働き始めてからというもの、物が壊れたり倒れたりする音が店内に響かなかった日は一日もなかった。

 強化透明パネル張りの扉を磨くよう言いつけられれば、力加減を間違って、(普通なら決して割れないはずの)パネルにひびを入れてしまう。
 倉庫の整理をするよう言いつけられれば、天井近くの棚にあったネジの箱をうっかり落として倉庫内をネジだらけにしてしまう。
 基本栄養食と機械油の缶を間違えて客に売りつけそうになった時は、店主は激怒のあまりボニーの首を締め上げるところだった。

 これほど激怒しているのに、店主はなぜ自分を解雇しないのだろう。そのことがボニーには不思議だった。悪魔でも泣きべそをかきそうな凄まじい罵声を発しながらも、「クビだ!」のひとことは決して店主の口から出てこなかったからだ。
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