おひさまのあたる部屋

水瀬さら

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第11話 理想と現実

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「本当にご迷惑をおかけしました!」
 店の前で倒れて、病院へ運ばれた日から一週間後、ようやく社長のお許しが出て、私は出勤することができた。
 どんなに「もう大丈夫です!」って言っても、「まだ来ちゃダメ! ゆっくり休んで」って社長に止められていたから。
「うんうん、顔色もよくなったし、元気そうだね。でも絶対無理しちゃダメだよ?」
「はい」
 社長の声にうなずいてから、私はちらりと鷲尾くんのことを見る。
 パソコンの前でマウスを動かしている鷲尾くんは、わざとなのか何なのか、私のことを見ようとしない。

「で、さっそくだけどむっちゃん。お茶いれてくれないかな? あっついヤツ」
「はい!」
 社長に返事をしてから、もう一度鷲尾くんを見る。
「わ、鷲尾くん。コーヒーいれようか?」
「僕はいいです」
 そう言って立ち上がると、私の頭を、持っていたファイルでぽさっと小突く。
「これ、昨日問い合わせくれた人。十五日起算で計算書作って、ファックス流してあげて」
「は、はい」
「俺はこれから駅までお客さん迎えに行って、そのまま内見行くから」
「あ、内見入ってるんだ」
「睦美さんがぼんやりしてる間に、けっこう動きあったんだよ。あー、忙しいなぁ、もう」
 な、なんなのよ、その最後の口調。いやみったらしいったらないわ。
 しかもやたらデキる社員ぶってるし。
「ぼんやりしていてすみませんでした! 今日からしっかり働きますから、なんでもおっしゃってください」
「わかればよろしい。じゃ、さっさと計算書作っといてよ」
 鷲尾くんがそう言って店を出て行く。
「な、なんなんですか、あの人。急に偉そうに」
 社長はそんな私たちを見て、お茶をすすりながら笑っている。
「鷲尾くんね、最近すごく張り切ってるみたいなんだよ」
 ゆっくりと社長の顔を見る。社長は私に笑いかけ、なぜだか微妙な表情で、窓の外に視線を移した。

「こちらのアパート、学校から近いのはいいんだけど、ちょっとお部屋が狭かったわよねぇ」
 鷲尾くんが案内をして、店に連れてきたお客さんは、大学生の男の子とそのお母さんだった。
 今まで家から通っていたが、通学時間がかなりかかるので、初めての一人暮らしを考えているという。
「じゃあこちらはどうです? 学校からは離れますけど、徒歩圏内ですし、ロフト付きだから、お部屋広く使えますよ」
「近くにお店はあったかしら?」
「スーパーあります。二十四時間営業の」
「ああ、でも確かここ、バストイレ別じゃなかったわよね。それってちょっとねぇ……」
 さっきから鷲尾くんと話しているのは、ずっとお母さんのほうだ。
 息子さんはその隣に座って、ただ話を聞いているだけ。
「ではこちらはどうですか? 最後に見た所です。バストイレ別、部屋も広めだし、近くにコンビニありますし」
「でもここ高いわね」
「わりと新しいですからね。建物も綺麗だったでしょう?」
「それでも周りと比べて高くない? お家賃下げてもらうことって可能なの?」
 お母さんはズバズバ鷲尾くんを攻めてくる。だけど鷲尾くんも負けてはいない。
「大家さんに相談することはできますよ? こちらが気に入っていただけたのなら、聞いてみましょうか?」
「そうねぇ……」
「こちらの物件、けっこう問合せ多いんですよ。昨日も一件、今度内見したいってお客さんいましたし」
「やだ、早いもの勝ちってこと?」
 考えこむお母さん。息子さんには相談もせずに。
 私はいても立ってもいられなくなり、思わず口を挟んでしまった。

「息子さんは、どうなんですか?」
 私の声に息子さんがぼんやりと顔をあげる。
「気に入ったお部屋ありました?」
「ああ、いいんです。この子は何もわからないんで。全部私に任せるって言ってますし」
「でも実際に住まれるのは、息子さんですから。やはりご本人が気に入ったお部屋が一番だと」
 お母さんは息子さんをちらりと見て、その横顔に聞く。
「どこか気に入った所あった?」
「……どこでも」
「ほら、こんな感じなんですよ。だから今までも全部私が決めてきたんです」
 なんだか納得いかなかったけど、それ以上言うのはやめておいた。
 余計なこと言うなって、横から鷲尾くんが、目で訴えてるような気がしたから。

 結局その親子から契約は取れず、一番気に入った部屋を仮予約だけして帰っていった。
「あのお母さん、もう少しで落とせそうな気がしたんだけどなぁ」
 鷲尾くんは椅子に腰掛け、背もたれに寄りかかると、天井を見上げた。
「でも息子さんの、駿くんだっけ? あの子の意見、一言も聞いてない」
「いいんだよ。お母さんに、さくさくっと決めちゃってもらえば」
「だけど住むのは駿くんだよ? お母さんが一人で全部決めちゃうのって、やっぱりおかしいよ」
 ガタンと音を立てて座り直し、鷲尾くんが私を見た。
「睦美さん」
「は、はい?」
 なんかいつもと違う、真面目顔の鷲尾くん。
「今回は僕のやり方に、口出ししないでもらえます?」
「はぁ?」
「睦美さんの言ってることは理想的でもっともだけど、現実はそんなに甘くないんです。今は一つでも多く契約を取りたい。だから僕は、おかしいと思ったことでも平気でやりますよ?」
 ど、どうしちゃったの? 鷲尾くん、なんかヘン。
「どこもヘンじゃないですよ。それより計算書送ってくれました?」
「あ、今すぐ……」
「それ送ったらホームページ確認しといてください。問合せ来てたら返信して。俺、グリーンハウスさんに書類届けてくるから」
 そう言って鷲尾くんがさっさと店を出て行く。
 なんか違う。なんか違うんだよね。
 ただ契約を取るだけじゃなく、そのお客さんに本当に合った、本当に喜んでもらえるようなお部屋探しをしてあげるのが、うちの店のスタイルじゃなかったっけ?
 ファックスを送りながら、私はずっと、駿くんのことを考えていた。

 次の日、私が一人で店番をしている時に、その駿くんが現れた。
「今日はお母さんと一緒じゃないの?」
 私の言葉に小さくうなずく彼。私が椅子を勧めると、駿くんはおとなしくそこへ座った。
「お部屋のことかな?」
 私が聞いても、しばらく彼は黙り込んでいたけれど、やがてぽつりと口を開いた。
「昨日、聞かれたことなんですけど」
「はい?」
「気に入った部屋はあったかって」
 ああ、確かに私が聞いた。
「あの答え……」
「はい」
 ゆっくりと言葉を吐き出そうとする彼を、黙って待つ。
「全部、気に入らないです」
「そ、そうですか」
 まずい。鷲尾くんが聞いたら、超ショック受けるよ。

「じゃあ、別のお部屋紹介しましょうか?」
「いえ、そういうんじゃなくて……」
 また考え込むようにしてから、駿くんが続ける。
「一人暮らしが必要ないっていうか、あの大学に行くこと自体、必要ないような気がして」
 私は黙って駿くんの声を聞く。
「本当は別に行きたい学校あったんです。でも母が今の学校を勧めて……本当はもう行きたくないんだけど、学費とか出してもらってるし」
 全部私が決めてきた、と言った、あのお母さんの言葉を思い出す。
「言えないのね? その気持ち、お母さんに」
 駿くんが私の前で小さくうなずく。
 同じだ。この子はあの人と同じ。何をするにも、お義母さんに相談しないと決められない、別れたあの人と同じ。
「でもね、このままだと、就職先も恋人も結婚相手も、全部お母さんに決めてもらうことになっちゃうよ?」
 駿くんは何も言わずにうつむいたままだ。
「いつかは本当の気持ち、ちゃんと伝えなきゃダメだよ。お母さんとはぶつかるかもしれないけど、だけど実の親子なんだから。お母さんはきっと駿くんの気持ち、わかってくれると思うよ?」
「……そうでしょうか」
「うん。私はそう思います」
 そう言って駿くんに笑いかける。彼は黙って私の顔を見つめたあと、小さく頭を下げて店を出て行った。

「お母さんから……キャンセルだって」
 電話を置いた鷲尾くんは、がくんとうなだれて椅子に座る。
「他の業者も回ってるって言ってたもんな。きっとグリーンハウスあたりの物件に決めたのかも」
 はぁーっと大きくため息をついて、鷲尾くんは天井を見上げる。
「仕方ないね。また別のお客さんを」
「睦美さん。そんなのん気なこと言ってる場合じゃないんだよ」
 私は鷲尾くんの横顔を見る。鷲尾くんは天井を見上げたままつぶやいた。
「この前、睦美さんが休んでる時、社長が言ったんだ。この店も、そろそろ潮時かなぁって」
「え……」
 それって……このお店を、閉めるってこと。
 確かにここ最近の不景気で、一人暮らしをする学生さんの数が激減している。
 周りの小さな不動産屋さんも、次々と閉業に追い込まれている。
「俺、絶対そんなことさせたくないんだ。だってここは社長と奥さんが作った店だろ?」
 それで鷲尾くん、自分がおかしいと思ったことをしてでも、お店の売り上げを上げたかったんだ。
 社長と奥さんと、それからきっと、繭子さんのために。
「ごめん。私、余計なことしたかも」
 鷲尾くんの横顔にそうつぶやいた時、お店のガラス戸が開き、そこに駿くんが立っていた。

「あの、母から電話があったかと思うんですが……」
「あ、はい。キャンセルってことで」
「いろいろ案内してもらったのに、すみません」
 駿くんは鷲尾くんにぺこりと頭を下げてから、今度は私に向かって言った。
「あの、僕……大学辞めることにしました」
 私は黙って駿くんを見つめる。駿くんは少し照れたように顔をそむけると、ちょっとトーンを落としてつぶやいた。
「いつも、母の言う通りにやってきました。それがずっと正しいと思ってて……だけど僕の夢はもっと別のところにあって……」
 そして駿くんはもう一度私を見ると、この前とは全く違う、すがすがしい表情でこう言った。
「来年もう一度受験して、本当に入りたかった大学で、やりたいことをやってみたいんです」
「そう」
「母はちょっと怒って……口きいてくれませんけど」
 冗談ぽく言った駿くんが、私に苦笑いする。
「大丈夫よ。きっとお母さん、わかってくれる」
「そうだといいですけど」
 うん、大丈夫。お母さんだって、駿くんの幸せを願っているに違いないから。
「いろいろと、ありがとうございました」
「頑張ってね」
 駿くんが笑顔を見せて、店を出て行く。私は駿くんの夢が叶うことを祈りながら、その背中を見送った。

「……睦美さん」
 駿くんの姿が見えなくなると、鷲尾くんの声が聞こえてきた。
「やっぱり余計なこと、言ったんですね?」
「ご、ごめん」
 だって、あのままじゃ、駿くんの将来が心配だったんだもん。
 鷲尾くんはまた椅子にもたれて、わざとらしいほど大きなため息をつく。
「ま、いいですけど。睦美さんは、絶対そうするって思ってましたから」
 そしてそのまま、大きく伸びをすると、ふっきれたようにつぶやいた。
「しょうがない。また新しいお客さん探すかぁ」
「私も頑張る! 私だってこのお店、なくしたくないもの」
 ちらりと私を見た鷲尾くんと目が合う。
「今度こそは、俺の邪魔、しないでくださいよ?」
「べ、べつに、邪魔しようと思ってしたわけじゃないですからっ」
「でも邪魔したことは認めるんですよねぇ? だったら何か、お詫びしてもらわなくちゃな」
 こいつ……やっぱり腹立つわ。
 鷲尾くんは私ににやりと笑いかけて席を立つ。
「ま、考えときます。睦美さんには、山ほど貸しがあるから」
 そう言って、いつの間にか新しく作った、うちの物件をのせた図面を手に取ると、「業者に配ってきます」と鷲尾くんは出て行く。
 なんだかんだ言っても、ちゃんと仕事してるんだよね、鷲尾くんは。

 私たちのこのお店を、絶対なくしたくない。
 鷲尾くんの背中を見送りながら、私は強くそう思った。
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