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第3章 チョココロネは初恋の味
6月13日(水) 雨のち曇り 2
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「音羽くん! さくらさんのお店に行こう」
「は? なんだよ、急に」
「だって詩織さん帰っちゃう。今日会わなかったら、またずっと会えないんだよ?」
音羽くんは私の前でため息をつく。
「この前さくらさんがヘンなこと言ってたけど」
『しおちゃんは、音羽の初恋のひとだから』
この前聞いた、さくらさんの言葉を思い出す。
「べつに俺、あのひとのことなんか……」
言いかけた音羽くんの腕をぎゅっとつかむ。そして思い切ってそれを引っ張り上げ、音羽くんを無理やり立たせる。
「なにすんだよっ」
「行こうよ。お店に」
「だから俺はべつに……」
「違うの! 私が会いたいの!」
音羽くんが顔をしかめて立っている。私はその腕をさらに引っ張る。
「詩織さんに、伝えてあげたいの。いつでも戻ってきて大丈夫だよって。さくらさんは詩織さんのこと、今でもちゃんと受け止めてくれるよって」
音羽くんは黙って私を見た。
私は音羽くんにリュックを背負わせ、自分もいつものトートバッグを肩にかけた。そして音羽くんの手を引っ張って外へ出る。
降っていた雨はいつの間にかやんでいて、私は傘をささずに、音羽くんと一緒に歩きはじめた。
音羽くんの手を引きながら、坂道をのぼる。音羽くんはのろのろと私のあとをついてくる。
「おい」
後ろから声が聞こえた。
「おいっ」
音羽くんが立ち止まる。私も仕方なく足を止め、後ろを振り返る。
息が切れていた。額に汗がじんわりとにじむ。ここまで一生懸命、音羽くんのことを引っ張ってきたから。そんな私の顔を、音羽くんはあきれたように見る。
「お前さぁ……」
低い声で、音羽くんが言った。
「マスク、忘れてるけど?」
「あっ」
顔がかあっと熱くなる。家でマスクはしてなくて、そのまま急いで出てきちゃったからだ。
「お前……なんでそんなに必死なの?」
私は音羽くんの前でうつむいて答える。
「だって……ちゃんと伝えたほうがいいと思うから」
「お前がそこまで必死になることねぇじゃん」
音羽くんがため息をつく。きっと私のことをあきれてる。
私、おかしいかな。こんなに必死になって、おかしいかな。
音羽くんが乱暴に私の手を振り払った。私はうつむいたまま、手を下ろす。
なんだか涙が出そうになった。でもダメだ。こんなところで泣いたりしたら……そう思った瞬間、私の手があたたかいものに包まれた。
「……ひとのことより、自分のこと考えてりゃいいのに」
ひとり言のように音羽くんがつぶやく。私の手を、ぎゅっとにぎりしめて。
「行くぞ」
音羽くんが歩き出す。私は音羽くんに引っ張られるようにしてついていく。さっきとは逆だ。でも私と音羽くんの手は、さっきよりしっかりとつながっている。
「お、音羽くん……速い」
「文句言わずに、さっさと歩け」
雨上がりの坂道を、音羽くんとのぼる。やがて大きな桜の木の下に、見慣れた小さなお店が見えてきた。
「あら、ふたり一緒にどうしたの?」
音羽くんがパン屋さんのドアを開けると、そこにはふたりのひとがいた。
にやにや笑うさくらさんと、にっこり微笑む詩織さん。
音羽くんは聞こえないほど小さな声で舌打ちをすると、私の手をぱっと離した。
「こいつが無理やり、手ぇつないできてさぁ」
「ちがっ!」
いや、違わないか。最初に音羽くんの腕をつかんだのは、私だから。
「仲いいんだね?」
詩織さんが小さい子でも見るような目で、私たちを見る。
「べつに仲良くなんかねーし」
そう言ったあと、音羽くんは私の背中をぐいっと押して、詩織さんの前に立たせた。
「こいつがさ、なんか言いたいことあるんだって」
「え?」
詩織さんが私を見る。私はあわてた。
「あ、あのっ……」
どうしよう。いざとなると言葉が出ない。
「あの……詩織さんは、いつ東京に帰るんですか?」
私の前で詩織さんは、持っていた大きなバッグを見せる。
「今日このあと、このまま。母のお葬式も終わったしね」
そう言ってかすかに微笑んだあと、詩織さんはつぶやくように言った。
「でもやっぱり泣けなかった……」
詩織さんが、私とさくらさんの顔を見る。さくらさんは何も言わない。
「ひどい娘ですよね。自分の母のお葬式なのに、一滴の涙も出ないなんて」
ふっと口元をゆるめる詩織さんは、きっと自分を責めている。
「詩織さん……」
小さな声でつぶやく。
「いつでも来れたら来てください。ここに戻って来てください。さくらさんはいつだって詩織さんのこと、待っててくれると思うから」
詩織さんがじっと私を見ている。私は恥ずかしくなって、さくらさんに視線を移す。
「すみませんっ、さくらさん。こんなこと、私が言うセリフじゃないのに」
さくらさんはくすっと笑う。
「大丈夫。芽衣ちゃんは、私の言いたいことを言ってくれた」
そう言ってさくらさんは、私の肩をぽんっとたたく。
「しおちゃん。芽衣ちゃんの言う通りだよ? いつでもここに帰っておいで。あなたの居場所はここにあるから」
「さくらさん……芽衣ちゃん……ありがとう」
静かに微笑んだ詩織さんの目から、涙がほろりとこぼれた。
「あれ、やだな。お葬式でも泣かなかったのに。どうして今ごろ、涙が出るんだろう」
そう言いながら詩織さんは、ぽろぽろと涙をこぼす。
「やだな……ごめんなさい」
さくらさんが抱き寄せるように、詩織さんの背中をやさしくなでる。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
何度もその言葉を繰り返す詩織さんは、誰に謝っているんだろう。
そんな詩織さんの背中をなでながら、さくらさんが言う。
「大丈夫。しおちゃんは、悪くない。しおちゃんは悪くないよ」
その声を聞きながら、私は思い出す。前に音羽くんが言ってくれた言葉。
『謝るなよ。お前はなにも、悪いことしてないんだから』
同じだ。音羽くんの言葉は、さくらさんの言葉だ。
私はそっと音羽くんのことを見る。さくらさんの胸で泣きじゃくる詩織さんを、音羽くんは黙って見つめていた。
「は? なんだよ、急に」
「だって詩織さん帰っちゃう。今日会わなかったら、またずっと会えないんだよ?」
音羽くんは私の前でため息をつく。
「この前さくらさんがヘンなこと言ってたけど」
『しおちゃんは、音羽の初恋のひとだから』
この前聞いた、さくらさんの言葉を思い出す。
「べつに俺、あのひとのことなんか……」
言いかけた音羽くんの腕をぎゅっとつかむ。そして思い切ってそれを引っ張り上げ、音羽くんを無理やり立たせる。
「なにすんだよっ」
「行こうよ。お店に」
「だから俺はべつに……」
「違うの! 私が会いたいの!」
音羽くんが顔をしかめて立っている。私はその腕をさらに引っ張る。
「詩織さんに、伝えてあげたいの。いつでも戻ってきて大丈夫だよって。さくらさんは詩織さんのこと、今でもちゃんと受け止めてくれるよって」
音羽くんは黙って私を見た。
私は音羽くんにリュックを背負わせ、自分もいつものトートバッグを肩にかけた。そして音羽くんの手を引っ張って外へ出る。
降っていた雨はいつの間にかやんでいて、私は傘をささずに、音羽くんと一緒に歩きはじめた。
音羽くんの手を引きながら、坂道をのぼる。音羽くんはのろのろと私のあとをついてくる。
「おい」
後ろから声が聞こえた。
「おいっ」
音羽くんが立ち止まる。私も仕方なく足を止め、後ろを振り返る。
息が切れていた。額に汗がじんわりとにじむ。ここまで一生懸命、音羽くんのことを引っ張ってきたから。そんな私の顔を、音羽くんはあきれたように見る。
「お前さぁ……」
低い声で、音羽くんが言った。
「マスク、忘れてるけど?」
「あっ」
顔がかあっと熱くなる。家でマスクはしてなくて、そのまま急いで出てきちゃったからだ。
「お前……なんでそんなに必死なの?」
私は音羽くんの前でうつむいて答える。
「だって……ちゃんと伝えたほうがいいと思うから」
「お前がそこまで必死になることねぇじゃん」
音羽くんがため息をつく。きっと私のことをあきれてる。
私、おかしいかな。こんなに必死になって、おかしいかな。
音羽くんが乱暴に私の手を振り払った。私はうつむいたまま、手を下ろす。
なんだか涙が出そうになった。でもダメだ。こんなところで泣いたりしたら……そう思った瞬間、私の手があたたかいものに包まれた。
「……ひとのことより、自分のこと考えてりゃいいのに」
ひとり言のように音羽くんがつぶやく。私の手を、ぎゅっとにぎりしめて。
「行くぞ」
音羽くんが歩き出す。私は音羽くんに引っ張られるようにしてついていく。さっきとは逆だ。でも私と音羽くんの手は、さっきよりしっかりとつながっている。
「お、音羽くん……速い」
「文句言わずに、さっさと歩け」
雨上がりの坂道を、音羽くんとのぼる。やがて大きな桜の木の下に、見慣れた小さなお店が見えてきた。
「あら、ふたり一緒にどうしたの?」
音羽くんがパン屋さんのドアを開けると、そこにはふたりのひとがいた。
にやにや笑うさくらさんと、にっこり微笑む詩織さん。
音羽くんは聞こえないほど小さな声で舌打ちをすると、私の手をぱっと離した。
「こいつが無理やり、手ぇつないできてさぁ」
「ちがっ!」
いや、違わないか。最初に音羽くんの腕をつかんだのは、私だから。
「仲いいんだね?」
詩織さんが小さい子でも見るような目で、私たちを見る。
「べつに仲良くなんかねーし」
そう言ったあと、音羽くんは私の背中をぐいっと押して、詩織さんの前に立たせた。
「こいつがさ、なんか言いたいことあるんだって」
「え?」
詩織さんが私を見る。私はあわてた。
「あ、あのっ……」
どうしよう。いざとなると言葉が出ない。
「あの……詩織さんは、いつ東京に帰るんですか?」
私の前で詩織さんは、持っていた大きなバッグを見せる。
「今日このあと、このまま。母のお葬式も終わったしね」
そう言ってかすかに微笑んだあと、詩織さんはつぶやくように言った。
「でもやっぱり泣けなかった……」
詩織さんが、私とさくらさんの顔を見る。さくらさんは何も言わない。
「ひどい娘ですよね。自分の母のお葬式なのに、一滴の涙も出ないなんて」
ふっと口元をゆるめる詩織さんは、きっと自分を責めている。
「詩織さん……」
小さな声でつぶやく。
「いつでも来れたら来てください。ここに戻って来てください。さくらさんはいつだって詩織さんのこと、待っててくれると思うから」
詩織さんがじっと私を見ている。私は恥ずかしくなって、さくらさんに視線を移す。
「すみませんっ、さくらさん。こんなこと、私が言うセリフじゃないのに」
さくらさんはくすっと笑う。
「大丈夫。芽衣ちゃんは、私の言いたいことを言ってくれた」
そう言ってさくらさんは、私の肩をぽんっとたたく。
「しおちゃん。芽衣ちゃんの言う通りだよ? いつでもここに帰っておいで。あなたの居場所はここにあるから」
「さくらさん……芽衣ちゃん……ありがとう」
静かに微笑んだ詩織さんの目から、涙がほろりとこぼれた。
「あれ、やだな。お葬式でも泣かなかったのに。どうして今ごろ、涙が出るんだろう」
そう言いながら詩織さんは、ぽろぽろと涙をこぼす。
「やだな……ごめんなさい」
さくらさんが抱き寄せるように、詩織さんの背中をやさしくなでる。
「ごめんなさい……ごめんなさい」
何度もその言葉を繰り返す詩織さんは、誰に謝っているんだろう。
そんな詩織さんの背中をなでながら、さくらさんが言う。
「大丈夫。しおちゃんは、悪くない。しおちゃんは悪くないよ」
その声を聞きながら、私は思い出す。前に音羽くんが言ってくれた言葉。
『謝るなよ。お前はなにも、悪いことしてないんだから』
同じだ。音羽くんの言葉は、さくらさんの言葉だ。
私はそっと音羽くんのことを見る。さくらさんの胸で泣きじゃくる詩織さんを、音羽くんは黙って見つめていた。
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